大紋章試合 開幕
武芸都市ウィンチェスター。
ウェセックス公爵領の中心的な街であり、王都ロンドンに勝るとも劣らない大都市だ。
かつてウェセックスが王国だった頃から首都として機能していた都市で、人の流れ、物の流れも多い交通の要衝でもある。
一番の特徴は、大武芸場だ。
本来なら市場などが置かれる街の中心部に設置された武芸場。
そこで時期を問わず様々な武芸大会が開かれて、多くの騎士や傭兵が集ってくるのだ。
そのため、街の中には鍛冶屋が多く、槌打つ音が常に響き渡っている。
そんなウィンチェスターの街だからこそ、紋章試合の最高峰とも言える大会『
街はぶ厚い外壁に囲まれ、その入り口は石橋になっている。
いまその橋は多くの観客と着飾った騎士たちで溢れていた。
橋の両端を多くの観客たちが埋めて、中央を歩く騎士たちを見学している。
騎士たちは飾り布で彩られた馬に乗り、鎧の上に紋章の描かれた煌びやかな
ウィルたちはそんな騎士たちの列の中に居た。
まず先頭はおっかなびっくり騎乗しているロジェだ。
結局ロジェは一人で馬に乗ることが出来なかったので、老騎士の一人が手綱を引いて歩かせて、ただ鞍の上に跨るだけにしたのだ。
ロジェの乗る馬には全身『槍と獅子』の紋章の入った飾り布がかぶせてあり、ロジェ自身も同じ紋章の入った紋章官服を着ていた。
袖のない全身をすっぽりと覆うようなマントのような服だ。マントと違って前は開いていない。
片手は必死に手綱を掴んでいるが、もう片方の手には木の棒を持っていた。
その棒の先にはウィルの兜が乗っている。
次に続くのは鞍の上に横座りで騎乗しているアリエルだ。
女性はロジェのような紋章官などの場合を除いて基本的には馬に乗ることは横座りで騎乗する。
アリエルは肩と鎖骨の見える白と緑を基調としたドレスを身に纏い、黄金色の髪をたなびかせている。
その美しい姿に観客たちはため息を漏らす。
騎乗している馬には飾り帯が付けられてその帯にはペンドラゴンの紋章が描かれている。
アリエルは片方の手は観客たちに振り、もう片方の手には金の鎖を握っていた。
その金の鎖は次に続く徒歩のウィルの手に伸びている。
ウィルは騎乗したアリエルのすぐ後方を歩いていた。
鎧を纏った完全武装の状態だが、兜はロジェが持っているのでかぶっていない。
そして手甲をはめた手にはアリエルから伸びる金の鎖が握られていた。
これは貴婦人の為に戦う騎士の作法のひとつだ。
金の鎖を持たされた騎士は、それを持つ貴婦人の『囚われ人』として貴婦人の名誉の為に戦うことを誓っていると周りに示すのだ。
そしてウィルの更に後方にはサラや老騎士たちが徒歩で歩いてる。
こちらは従者という枠での参加だ。
老騎士たちの手には木の看板が握られており、そこにはウィルの大紋章が描かれている。
他の騎士たちの集団もだいたいウィルたちと同じような状況だ。
貴婦人がいない集団の場合は騎士が騎乗して観客たちに手を振っている。
騎乗している騎士たちには街の建物の二階から派手な化粧をした女性たちの声援が送られる。
胸元が大きく開いた服を着て、その豊満な谷間を見せ付けるようにして窓から身を乗り出している。
たゆんたゆんと胸を揺らしながら手を振る女性たちに騎士たちはにやけた笑顔で手を振り返していた。
こうした行列が街の入り口から試合場まで続き、パレードの様相を呈している。
試合場は街の中央に位置し、東西の入り口に入場門が作られている。
広場には砂が厚く敷かれ落馬しても怪我しないようになっていた。
周囲をぐるりと三階建ての客席が囲み、中央には豪華な貴賓席が設けられている。
先に試合場に入った騎士たちは貴賓席の前に整列し始めている。
ウィルのように貴婦人に鎖で引かれて入場した騎士は入場門で馬に騎乗してから整列をする。
ロジェたち紋章官は持っていた騎士の兜を次々と貴賓席の前に並べ、騎士の後ろに並んだ。
サラや老騎士たちのような従者も同様に騎士の後ろに並ぶ。
アリエルのような貴婦人たちは騎士と別れて、別の入り口から裏手に入り、貴賓席に移動している。
ウィルは貴賓席の前に並びながら周りを見回してみる。
並んでいる騎士たちはいずれも立派な鎧を纏った者ばかりだ。
見知った騎士はボルグやアロンぐらいで、他に知っている騎士はいなかった。
「シグルズは来てないわよ」
きょろきょろしていたウィルにロジェが近寄りそう言ってきた。
別段シグルズを捜していたわけではないが、いないとなると気になってくる。
「なんで? 大紋章持ってたよね?」
「ヨークはアンタのせいで忙しいのよ。巨人ハーラルをヨークに呼び込んだ犯人の捜索とか、巨人たちとの停戦とか」
「……俺のせいじゃないでしょ」
「アリエル様が首突っ込んで、アンタが実行したんだから。アンタのせいでしょ?」
「……そう、言われると……」
ロジェはウィルにからかうような視線を向ける。
ウィルもアリエルの名前を出されると弱い。
ちらりと貴賓席のアリエルを見れば嬉しそうに手を振っていた。
ウィルも小さく手を振り返す。
するとウィルの横に一人の騎士が並んできた。
「やあ、ウィリアム卿。ロンドン以来だな」
そこに居たのは金色の鎧に身を包んだ騎士王ガイだった。
灰色の短い髪の上には先が黒い狼の獣耳がピンと立っている。
その金色の瞳で見下すような視線をウィルに向けていた。
「ようやく大紋章を手に入れたようだが……おや
「見ての通り、
「
ガイの大げさな口ぶりにウィルの顔が歪む。
あくまで罵倒せずに馬鹿にするつもりらしい。
「――アンタ、性格悪いな」
「おや嫌われてしまったか。友好的に接していたつもりだったのだが」
ガイは上辺ばかりの悲しそうな表情をする。
ウィルはガイに嫌悪のこもった視線を向けるが、ガイはどこ吹く風と平気な顔をしている。それがまた憎らしい。
「ともあれ、この大会で貴公を倒してアリエノール嬢は私がいただく。『亡国の花』、私の胸元を飾るにふさわしい花だ」
「アリエルは景品じゃない」
「私にとっては景品だ。騎士王の称号と同じく、勲章のひとつに過ぎないな」
ガイはアリエルを馬鹿にして言っているのではない。
本当に純粋に、アリエルの事も、騎士王の事も、自分を高めるための手段でしかない、と考えている。
それがウィルには良くわかった。
「アンタなんかにアルエルは渡さない」
「ふっ、誇りのない槍が私に届くか試してみるがいいさ」
ウィルにしては珍しく、怒りを露にしてガイを睨みつける。
しかしその程度で怯むガイではなく、余裕の表情だ。
「あら、でもウィルの優勝した大会で『棄権した騎士王』様が、本当に勝てますかねぇ?」
ロジェはその赤毛の上に乗った狐耳をぴこぴこと動かして、厭らしい笑みを浮かべている。
更にその視線はガイの後ろに控えている紋章官のロビンにも向けられていた。
分かりやすい挑発だ。
しかしあの大会の顛末は吟遊詩人に『誇りのない騎士』の騎士物語のひとつ『誇りのない騎士と謎の黒騎士』というタイトルで知れ渡っている。
その話ではガイは他の騎士と同様に黒騎士が王子だと知って、政治的な理由で試合を棄権する騎士王という引き立て役で登場するのだ。
ロジェはそれを当てこすっているのだろう。
「……ウィリアム卿の紋章官か」
ガイの余裕の表情が少し歪む。
ロンドンの大会は、王のお気に入りである第五王子エルフリードがお忍びで出場していた。
ガイや他の騎士たちはガイの紋章官であるロビンから忠告を受けて全員棄権、それに反発したウィルだけが戦った。
ロビンの予想ではお気に入りの王子を倒したウィルを王が嫌い、アリエルともども立場が悪くなるはずだったが、実際は違った。
予選の間にエルフリードと意気投合していたこともあって、ウィルは戦い勝利したにも関わらず王子の友として賞賛されたのだ。
それによって本来は空気を読んで棄権したはずのガイたちが、王や王子の本当の気持ちを汲み取れず、純粋な試合の場に政治判断を持ちこんだ無粋者として見られてしまったのだ。
「……王子の気紛れで助かっただけで調子に乗られてもな」
ガイの近くに控えていた仮面の紋章官ロビンがロジェに言った。
ロジェは勝気な表情で受けてたった。
「ふふん、気紛れなんかじゃないわ。それも全てウィルの騎士として器の大きさよ! ウィル、お客さんに応えてあげなさい!」
ウィルが言われるままに、声援をしてくれている観客たちに手を振る。
するとその観客たちが興奮して更なる歓声をあげた。
ガイはほんの少し眉根を寄せて不快そうな顔をする。
ロビンは仮面をかぶっているので表情は分からない。
しかしその声音は硬いものだった。
「……どちらが騎士王にふさわしいかは、すぐに分かる」
それきり二人は正面の貴賓席に向き直り、沈黙した。
入場門から最後の騎士が入ってきて整列すると、呼び出し官が大声でウェセックス領主エゼルバルドの入場を伝えた。
試合場に並ぶラッパ隊が高らかにファンファーレを鳴らす。
貴賓席中央にある最も豪勢な椅子、そこに領主エゼルバルドが姿をあらわした。
熊公爵と渾名される通りの巨躯で、黒い短髪の上には熊耳が乗っている。
腕は政務を行う公爵とは思えないほどに太く、たくましい。
身体は樽のようで引き締まっているとは言えないが、贅肉でたるんでいるわけではない。
筋肉をみっちりと鎧のように着込んだ故の体型だと分かる。
そんなエゼルバルドがその容姿に違わぬ大音声で
「これより、第三十四回
いよいよ、アリエルをガイの魔の手から守る戦い。
ロジェが願いを叶えるための戦い。
そして、ウィルが
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