騎士と夕日の誓い



 遂に大紋章と男爵位を手に入れて大紋章試合グランド・マスター・リーグの出場権を手に入れたウィルだったが、まだ大紋章試合グランド・マスター・リーグの開催までは時間があった。


 元々ロジェの計画では、大紋章のパーツを取得できなかった場合のことも考えた旅程が組まれており、そうした予備日を使う必要がなくなったことで順調に遍歴の旅エラントが進み、その結果、日程が余ったのだ。


 そんなわけでウィルたちは大紋章試合グランド・マスター・リーグが始まるまでコーンウォールの地でゆっくりと過ごすことにした。

 ただ一年近く領地を空けたアリエルには大量の仕事が溜まっていたので、ゆっくりとはいかず恨めしい視線を向けていたが。


 ウィルは、ランスロットたち老騎士と馬上槍の訓練に勤しんでいた。

 新しく開発した技『螺旋槍巻き落とし』を完全なものにするための練習だ。

 新技『螺旋槍巻き落とし』はガウェインから教わった回転を加えた突き『螺旋槍』を使って、槍で槍を反らして相手に当てる技『巻き落とし』を使うものだ。


 二つの技を組み合わせたもので、そこまで突飛な技術ではないのだが、成立させるにはとにかくタイミングが難しい。

 元々『巻き落とし』という技が絶妙なタイミングを要求するのに、それに『螺旋槍』を加えたことで成立させるのが極めて難しい技になってしまったのだ。

 

 しかしその分、成立すればどんな騎士にも防ぐことは出来ない。

 大紋章試合グランド・マスター・リーグを前に完璧に使えるようにするために訓練を重ねているのだった。


 ティンタジェル城の練兵場でウィルとランスロットが騎乗して向き合っていた。

 二人は同時に馬を走らせると互いに槍を構えた。

 交差の瞬間、ウィルの槍が回転しランスロットの槍を弾く。

 そしてそのままランスロットの胸甲に当たると砕け散った。

 

 ランスロットは落馬することなく通り過ぎると、ゆっくりと方向を変えてウィルの元へと近づいてくる。

 そしてウィルの持つ砕けた槍を見る。

 穂先は完全に砕け散っている。


「ふむ、問題はなさそうだな」

「うん、相手次第だけど。一度でもやりあえば、タイミングは掴める」

「いくら騎士王でもこいつが決まれば避けられまいて」


 ウィルの対ガイ用の作戦は単純だ。

 『自在盾』で相打ちに持ち込んでタイミングを覚えて、『螺旋槍巻き落とし』で仕留める。

 『螺旋槍巻き落とし』は技が成立すれば相手の槍はこちらに当たらない。

 一方的にこちらだけポイントできるのだ。

 紋章試合というルールの中では最強の組み合わせだ。


 大紋章試合グランド・マスター・リーグに向けてウィルの準備は万全といえた。


「ウィル、そろそろサラを迎えにいってこい」

「また孤児院だっけ?」


 ウィルが武具を片付けているとランスロットが馬を引いてきた。

 アリエルが仕事漬け、ウィルが訓練漬けの毎日を送る中、サラはティンタジェルの孤児院へと毎日足を運んでいた。

 

 いままでサラは試合の為に立ち寄った街の修道院に通っていた。

 そこでしか閲覧できない福音書を読んだり、高名な司祭の説法を聞いたりしている。


 この時代、司祭の説法というのは一種の娯楽だ。

 街角で説法をするとなれば街の人間が集まって聞きに来るぐらいだ。

 話す場所と内容が違うだけで、司祭は吟遊詩人と似たようなところがあるのだ。


 そのため、サラは孤児院の子供たちに各地で聞いた説法や福音書の物語を語って聞かせているのである。

 これが大盛況で連日通っているのだ。


 ウィルは片付けを終えると鎧下を脱いで平服に着替えると馬に跨った。


「じゃあ、迎えにいってくるよ」


 ティンタジェル城を後にしてティンタジェルの街へと馬を進めた。


 紋章試合の終わったティンタジェルの街はかつての姿を取り戻していた。

 元々歴史ばかりが古くて流通の少ない街だ。

 ああいう特別な時でもない限り、人も物もほとんど動かない。


 ただ辺境であっても、いや辺境であるからこそ街の中は騒がしい。

 住民の飼っている鶏の鳴き声、農具や簡単な道具を素人の鍛冶仕事で直す音など。

 田舎の街は様々な生活音で溢れている。

 都会の街の方が静かなくらいだ。


 それでもそんな街並みを見るのがウィルは好きだった。

 幼い頃は城を抜け出したアリエルと一緒に良く見た風景だ。

 これを見ると帰ってきた、という実感が湧く。


 道行く住民たちに声をかけられながら孤児院へと向かう。

 孤児院の外観もウィルが幼い時に見たものと変わっていない。

 石積みのかなり古い建物で傷みもあるが、そこかしこに修繕の跡が見られ、大事に使われているのがよく分かる。


 幼い頃によく怒られた老修道女たちに挨拶しつつ、院内に入ると子供たちの騒がしい声が聞こえてくる。

 おお、とか、わぁ、とか揃った声が遠くから聞こえた。

 しかし子供たちの姿は見えない。


 ウィルが幼い頃に遊びに来た時、孤児院はそれぞれ子供たちがグループを作って遊んでいたはずだ。

 外で走り回ったり、ちゃんばらゴッコをしたりする子供たち。

 部屋の中でままごとをしたり、人形遊びをしたりする子供たち。

 あるいは修道女にくっついて離れない子供たち。

 そうした子供たちの姿がない。

 

 ウィルは首を傾げながら子供たちの声が聞こえる方へと足を進める。

 すると大きな部屋に辿り着いた。

 そこにはサラを中心に車座になって座る子供たちが居た。


「……こうして流浪の騎士は悪い竜の口を槍で縫いとめて退治したのです。感謝した王と姫は褒美を与えようとしましたが、騎士はそれを断り、全ては神の加護であると告げて姿を消しました」


 サラが優しい声で有名な聖人の竜退治の話を語る。

 子供たちはキラキラとした目でサラを見ていた。

 

「わぁ、スゴい! カッコいい!」

「口を縫っちゃうの、痛そう~」

「なんでご褒美貰わないの?」


 物語が終わると次々に子供たちが一斉にサラに群がり質問攻めにする。

 興奮した子供たちに囲まれてもサラは慌てることなく、穏やかな笑みを浮かべて一人づつ応えていた。


 ウィルはその姿に、ふと自分の母親の影を見た。

 両親は疫病で亡くなっている。

 ウィルがティンタジェル城へと避難して来たのは三歳の時分だ。


 物心はついていたので母親の顔は覚えていた筈だ。

 しかし時が経つにつれて細部が薄れ、全体がぼんやりとした記憶になってしまった。

 ウィルが貴族であったなら、絵姿などが残っているのだが、あくまで父が騎士だっただけで、貴族ではない。

 両親の姿を書き写した絵などあるわけもなく、その姿はおぼろげだ。

 ただその温もりと自分を見つめる優しい眼差しだけは覚えている。


 ウィルはサラの中に母親を見つけて気恥ずかしくなった。

 同世代の女の子に母親を見るなど、いつまでも親離れ出来ていないように思えてしまう。

 そんな思いから、誤魔化すようにウィルはサラに声をかけた。


「サラ、迎えに来たよ」

「あ、ウィル君」


 サラがウィルの方を見ると子供たちも一斉にウィルの方を見る。

 子供たちの顔に見覚えはない。

 ウィルがこの孤児院に遊びに来ていたときの子供たちはとっくにそれぞれの道を歩んでいてここにはいないので当然のことだ。


 この孤児院にはアリエルの子分になったウィルと同年代の子供が何人もいたが、彼らはそれぞれ商会に奉公に出たり、衛士の見習いになったり、あるいは開拓村に行ったりしているのだ。


 子供たちは毎日のようにサラを迎えに来るウィルをひやかしたり、旅の間の話をせがんだりしてくる。

 子供をてなづけるのはアリエルの得意技だったが、ウィルは苦手だ。

 もみくちゃにされて困惑していると老修道女が手を叩いて子供たちの注意を引いた。


「ほらほら、お兄ちゃんが困ってるでしょ。もう遅いから二人は帰るのよ、離してあげないとね」

「「「は~い」」」


 子供たちは不本意そうな声をあげてウィルとサラを解放した。

 ウィルが思わず安堵のため息を漏らすと、横でサラがおかしそうに笑っていた。


「なんだよ」

「ふふふ、試合であんなに強いウィル君でも苦手なことってあるんですね」


 からかうようなサラの視線にウィルはそっぽを向く。


「……子供は苦手なんだよ。どうしていいのか分からない」

「特別難しいことはないと思いますよ? 子供だって大人だって一緒です」


 あっけらかんと言うサラにウィルは顔をしかめる。

 

「一緒ってことはないだろう? こっちの話を聞かないし」

「一緒ですよ。幼いだけで愚かなわけじゃないんです。丁寧に説明すれば分かってくれます」

「愚かじゃない? まだ何も知らないのに?」

「何も知らないだけ、ですよ。だから話が通じない気がするだけです。通じないのは話す方の問題です。分かるように話していないだけです」


 確かにあの時、ウィルは特別子供たちに語りかけたりはしなかった。

 常識で考えて迎えに来た人間を質問攻めにするなんてことはありえない。

 だからこそ、どうしていいか分からず困ったのだ。


 しかし子供たちにしていみれば、ウィルが困っていたなど分からなかったのだろう。

 それは愚かなのではなく、そうした常識をまだ知らないからだ。

 そしてウィルが子供たちに分かる言葉で「困っている」と言わなかったからだ。


「そっか、そういう事か」

「ふふふ、お婆ちゃんの受け売りなんですけどね。でもここの子たちは皆良い子ばかりですから、ウィル君がちゃんと言えば言うこと聞いてくれますよ」

「今度からそうするよ」


 ウィルは馬に跨ると鞍の前を開けてサラに向かって手を差し伸ばした。

 サラはウィルと一緒にティンタジェル城に帰る際、自分で馬を操って帰りたがるのだ。

 だからいつも通り、前にサラが乗れるようにそうしたのだが、サラはウィルの手を見るばかりで掴まない。


「サラ?」

「……えいっ」


 サラはいきなりウィルの後ろに飛び乗った。

 馬は突然飛び乗ったサラに驚き、二人を振り落としそうになる。

 ウィルは慌てて鞍の前に戻り、手綱を引いて落ち着かせた。

 サラは落ちないようにウィルの腰にしっかりとしがみつく。


「急にどうしたのっ! 危ないよ?」

「ご、ごめんなさい。勢いが必要だったから……」

「だったら手を取ればよかったのに」

「え、ええと、今日はちょっと寄り道して帰りませんか?」


 サラは妙に歯切れの悪い感じだ。

 腰にぎゅっとしがみつき、その豊満な胸がウィルの背中に当たる。

 その感触にウィルの身体は強張り、頬は赤く上気した。


「カンタベリーの時みたいに、丘からこの街が見たいです」


 ウィルの背後からくぐもったサラの声が聞こえる。

 恥ずかしいのか、サラはウィルの背中に顔を押し当てていた。

 ウィルは無言で頷くと、ゆっくりと馬を進ませた。


 ティンタジェルの街が一望できる丘に着くまで、二人は無言だった。

 サラはずっとウィルの背中に顔をくっつけたままだったし、ウィルは背中に感じるサラの感触に混乱し、馬を操作するだけで精一杯だった。


「え、えっと、着いたよ。サラ」

「……う、うん」


 二人が丘の上に辿り着き、何度も深呼吸を重ねてようやくウィルが声をかけると、サラがのろのろと背中から身体を離した。

 ウィルの背中から大きく柔らかな二つの塊も離れて、ほっとため息が漏れる。

 助かったような、惜しいような、微妙な気持ちにウィルはなった。


 そのまま騎乗した状態で丘の上からティンタジェルの街を眺める。

 カンタベリーで見たのと同じような夕日。

 ティンタジェルの古い街並みが赤く染まっていた。


 しばし無言で二人は街を見下ろしていた。


「……あの時みたいだね」

「カンタベリーに帰りたい?」

「ううん、違うの」


 ウィルの言葉にサラは首を振った。

 てっきり郷愁にかられたのかと思ったのだが、違うようだ。

 またサラは黙り込む。

 そして、目を瞑り一呼吸して、ウィルの目を見つめた。


「私は、ウィル君の事が好きです」


 真剣な表情でまっすぐこちらを見るサラに、ウィルは呆然としてしまった。

 ウィルは色恋沙汰に鈍く、女心が分からない。

 それでもなんとなくサラが好意を抱いてくれているのは知っていた。

 

 だけどそれはカンタベリーでサラの為に戦った感謝からで、友好の延長線上だと思っていたのだ。

 ましてやサラは修練女、将来的には修道誓願を立てて神に操をささげるのだ。

 告白されるとは思わなかったのだ。


 サラは真っ赤な顔をしてウィルを見ている。

 これは何も夕日のせいばかりではないだろう。

 ウィルは大きくひとつ深呼吸をすると覚悟を決めて口を開く。


「……サラ、応えられなくてごめん。俺はやっぱりアリエルの事が好きなんだ。でもありがとう、サラに好かれるのは嬉しい」

「フフっ、振られちゃいました」


 サラはちょっと寂しそうに笑う。

 その目尻に光るものが見えたが、あえて口には出さなかった。


「私、ウィルが騎士王になるのを見届けたら、孤児院で働きたいんです」

「カンタベリーで?」

「ううん、コーンウォールで。人手足りないらしいの」

「そっか、大人が少ないから……」

「建物はあるし、アリエル様が支援してくれるからお金も大丈夫みたいだけど。運営する人がいないらしくて」


 サラがティンタジェルの街を見ていた。

 その視線は街だけでなく、コーンウォール全体を見ているようだ。


「そっか、決めたんだ」

「一度はお婆ちゃんのところに戻るけど、修道女になってまた戻ってきます」


 修道女になる、とハッキリ言った。


 そこに居たのは信仰に迷った少女ではない。

 生き方を決めて、道を見据えた一人の女性だった。

 かつてウィルが助けた時の弱さはサラにはもうなかった。


 ウィルはなんだか置いていかれたような気持ちになった。


「俺はあの時と変わってないな。まだ誇りもない」

「大丈夫、ウィル君なら」


 サラの自信たっぷりな様子に思わず顔を見る。

 その目は確信に満ちていた。


「ウィル君はもう誇りモットーを持っているよ。今はそれが言葉に出来ないだけ」

「……そう、かな?」

「そうだよ。私が保証する!」

「そっか」


 二人で夕日を見た。

 だいぶ日は傾き、もうすぐ暗くなりそうだ。


「勝って騎士王になって、アリエル様を守ってね。失敗してアリエル様と結婚出来なくなっても、私は貰ってあげないんだから!」


 サラが珍しく挑発するように笑う。

 ウィルは大きく頷いた。


「ああ、絶対に勝つよ。必ず騎士王になる」


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