巨人奴隷ソルヴァルド

 ウィルはガウェインの指示通りに奴隷商の店内に、酒樽を転がしてきた。

 もちろん巨人の子ロロが入った酒樽だ。

 ちょっと樽を斜めにして、底の縁だけ地面に接触させるように転がす。

 こうすることで、中身がたっぷり入っていても、中に巨人が入っていても簡単に一人で運ぶことが出来るのだ。


「メ、目ガ、マ、マワル……」


 中身は多少揺れるが、問題なく運ぶことが出来るのだ。


 ガウェインはロロと巨人奴隷を会わせるために力比べすると言い出したのだろう。

 腕相撲をする、という理由があれば奴隷商に怪しまれることなく店内に酒樽を持ち込める。少々突飛なやり方だが、なかなか上手い手だ。

 ウィルはガウェインの性格からこうした搦め手は出来ないと思っていたのだが、意外なことに知恵が回る。

 さすがはコーンウォールが誇る円卓の騎士だ、と失礼な感想を抱いた。

 

 ウィルは檻の前に立つガウェインの影になるように、檻のすぐ側に酒樽を置いた。

 そして位置を調整するようなフリをしながら、蓋を少し開けて巨人に中身が見えるようにする。

 檻の中の巨人はウィルの行動を訝しげに見ていたが、樽の中身を見ると目を見開いた。


『ロロ様! 何故、このようなところに』

『ちょ、ソルヴァルド。声が大きいよ』


 ウィルは慌てて奴隷商に背中を向けて、なるべく酒樽を隠すようにする。

 その間にロロは巨人奴隷ソルヴァルドにここまでの経緯を説明した。

 ソルヴァルドは最初のうちは戸惑っていたが、話を聞くうちに怒りをあらわにした。


『ハーラルの若造が、小賢しい真似を』

『それでウィリアムたちがボクを帰そうとしてくれてるんだよ』


 ソルヴァルドが探るような目つきで、ウィルの目を見る。

 ウィルはその視線を真っ直ぐに受け止めた。

 ソルヴァルドの瞳は海のような深い藍色で、見つめられると水底を覗き込んでいるような不思議な気持ちになる。

 

 ウィルがそんな感想を抱きながらぼんやり見つめ返していると、ソルヴァルドは拍子抜けしたような顔をした。

 そして今度はガウェインの方を見るが、ガウェインは目があった瞬間、拳を握って腕を曲げて筋肉を誇示しながら笑った。


「さぁ、じゃあやろうぜ!」

「あれ、じっちゃん。負けてもらうんでしょ? 言わなくていいの?」


 ウィルはガウェインが嬉しそうに酒樽に肘を乗せようとしているのを見て、慌てた。

 てっきりソルヴァルドを説得して、協力を約束してもらい腕相撲にわざと負けてもらうと思っていたのだ。

 巨人の力は凄まじい、子供であるロロですらあの怪力なのだ、成人した巨人であるソルヴァルドの力は計り知れないものがある。

 まともに勝負して勝てるわけがない、だからこそロロの入った酒樽を持ってきたのだ。


「何を言っとるんじゃ、せっかく巨人と力比べが出来る機会じゃぞ。小細工抜きで勝ちにいくきまっておろうが」

「ええっ、じっちゃん勝てるの?」

「バカモン! 勝てそうだから戦うのは騎士ではないわ!」

「――痛ってぇ! ぐおぉぉぉ」


 ガウェインの大きな拳がウィルの頭頂部に直撃した。

 身体を芯から射抜くような衝撃が爪先まで響いて、ウィルは悶絶する。

 久しぶりの感覚だ、幼い頃はよくこうして怒られたのだ。

 何故だか鮮明に幼い頃の思い出がいくつもよぎり、気が遠くなっていく。

 サラが慌てて駆け寄るが、頭を撫でるぐらいしか出来ることはなかった。


「さぁ、ソルヴァルド。やろうぜ」

『ふん、小人ごときに負けるわけがない』


 好戦的な笑みを浮かべたガウェインがどん、と酒樽の上に肘を置く。

 ロロは慌てて蓋を閉めて樽の中に戻った。

 ソルヴァルドは自信満々のガウェインに顔をしかめつつ、檻から腕だけを出して同じように肘を酒樽の上に置いた。


 そして二人は示し合わせたように同時に互いの手を握りこむ。

 ようやく頭の痛みが引いたウィルが横から見ると、その体格差は一目瞭然だった。

 まるで大人と子供だ。

 しかも普通の人間よりも遥かに体格の大きいガウェインが子供に見えるのだ。

 

 ガウェインの手はウィルと比べてもひとまわりどころかふたまわりも大きいのだが、そのガウェインの手がソルヴァルドの手によってすっぽり覆われてしまっている。

 

 奴隷商が二人の迫力におののきつつも、二人の手の上に自らの手を置いて、開始の合図をした。


「――ふんっ!」

『ぬぅ、ぐぉっ!』


 合図の瞬間、ガウェインの太い腕はさらに筋肉が隆起して膨らみ、ソルヴァルドの表情を凍りつかせた。

 驚くべきことにガウェインがソルヴァルドの手をなかばまで押し込んでいるのだ。

 相手が小人と侮っていたのかもしれないが、それでも凄まじい力だ。


『ふんっ、ぐぐぐ、そんな、馬鹿な!』

「くくく、どうした巨人! この程度か!」


 ソルヴァルドの額に青筋が浮き上がり、顔面に血が集まって紅潮した。

 今度は油断なく全力を出しているのが分かる表情だ。

 しかし、ガウェインの優位は動かない。

 もちろん、ガウェイも余裕というわけではない。

 同じく額に血管が浮き上がり、鬱血した顔面は赤黒く変色している。

 

 はじける筋肉、飛び散る汗。

 腕相撲に興味がない者には、あまり長時間眺めていたくはない光景だ。


 結局、ソルヴァルドはしばらくの間ガウェインの攻めを耐えるだけに終わり、そのまま押し切られて負けた。

 奴隷商は目をまるくして口をぽかんと開けて呆然としている。

 負けたソルヴァルドは案外あっさりとした表情で、むしろガウェインに敬意のまなざしを送っている。

 その視線を受けてガウェインは照れくさそうに顔を背けた。


「……次はお前さんが飯食って万全の時にやるかの」


 ウィルはソルヴァルドが奴隷として使役するために絶食させられていたのを思い出した。

 奴隷商は魂が抜けたように放心していたが、ようやく目の前で起きた事が飲み込めたようで、興奮した様子でガウェインを賞賛した。

 そのまま機嫌よくソルヴァルドを値引きして売ってくれた。

 半額どころか、ほとんど原価同然の価格だった。


                    ◇


 巨人奴隷ソルヴァルドを購入したウィルたちは、そのまま旅の間に消耗した食糧や日用品を補充するための買出しを行った。

 ヨークの街の中央には壁のない、屋根と柱だけの大きな建物がある。

 普通の家が八軒ほどは入りそうな大きさで、建物の隅には穀物などを計量する道具が置いてある。

 この中に市場があり、様々な人が店を広げて商売をしているのだ。


 色とりどりの露店が、ゴザ一枚分のスペースに所狭しと商品を広げて景気良く声をあげる。

 瑞々しい野菜や果物、しわしわになった乾した果物や酢漬けにされた野菜、まだ血が滴っているような肉や、じっくり燻された燻製肉、珍しいところでは瓶詰めされた蜂蜜などを売っていた。

 食べ物以外にも、染色した布や、なめした皮革なども売っている。


 ソルヴァルドはロロと違って隠す必要がないので、馬車について歩いている。

 服は買ったときにつけていた腰巻だけだ。

 何か着せてやりたかったが、巨人サイズの服など売っているわけもなく、そのままにするしかなかった。

 ただ上半身に服は着ていないが、その太い手首には鉄製の手枷がつけられている。

 両手を手首のところでくっつけた形で固定する手枷で、力が入れずらいこともあって巨人ほどの怪力でも壊すことは出来ない。


 手枷は要らないと言ったのだが、周りが不安に思うので街の中ではつけて欲しい、と奴隷商に懇願されて一応つけているのだ。

 普通の巨人奴隷はこの手枷に加えて、先に鉄球がつなげられた足枷をつけて、そのうえ鞭を持った監視者が運用する。


 これほどまでに用心深く運用するのは、例の大暴れしたという巨人奴隷が居たからだ。

 そのことを知っている人間は、ソルヴァルドが手枷だけなのを見て、怯えた表情をする。

 もちろんソルヴァルドは暴れだすこともなく、それどころか買い込んだ葡萄酒の樽などを馬車に積み込むのを手伝ってくれさえした。


 手枷をつけた状態ではあるが、掴めさえすれば物を持ち上げるぐらいは出来るのだ。

 そして普通の人間には持ち上げるのが困難な葡萄酒がなみなみと入った酒樽も、ソルヴァルドにとっては軽い物だ。まるで小樽でも積むように運んでくれた。


 そしてそのたびに積み込んだ物をガウェインが開けて味見と称してソルヴァルドと一緒につまみ食いするのだった。

 最初は戸惑っていたソルヴァルドだったが、裏表なく少々強引なガウェインの行動に、いつの間にか打ち解けていった。

 気がつけば通訳のロロを介さずに互いに身振り手振りで意思の疎通を図っているくらいだ。怪力同士でウマが合うのだろうか。

 最後には二人で笑い合って葡萄酒を飲みだす始末だった。


                   ◇


 すっかり日も傾いた頃、買出しの終わったウィルたちは、船の様子を見るために船大工の下へと戻ってきた。

 すると海岸に輸送用の丸太の上に乗せられた巨人の船があった。

 先ほど見たときは矢が刺さり、縁にも折れたところがあったのだが、それらがすっかりキレイに修復されている。


「おお、もう直してくれたのか!」


 ガウェインが喜びと驚きの声を上げると、近くにいた船大工たちが集まってきた。

 集まってきたのは若い船大工が多く、どの顔にも羨望と期待があった。


「旦那も人が悪いぜ、聞けばそっちのちっさい騎士様が噂の『誇りのない騎士』なんだろ?」

「今度は巨人の国で大冒険するんだって?」

「俺たちが船を直したって吟遊詩人に言っておいてくれよ」


 若い船大工は口々にそう言ってウィルを見る。

 彼らのような平民は吟遊詩人が酒場で歌う英雄譚が大好きだ。

 しかし彼ら自身が歌われる対象になることはない。

 だからほんの少しでも、歌の一パートにでも自分たちの事が歌われるかもしれない、と思って先輩の船大工に怒られつつも急ピッチで巨人の船を修復したのだった。

 

「しっかしホントにちっさいな、これで無敗の騎士なのか?」

「今までの試合では全員落馬させて倒してるらしいぜ」

「へぇ! こんなにちっこいのすげぇな!」


 若い船大工たちはウィルをじろじろと見つつも好き勝手言っていた。

 ウィルは確かに今まで無敗だが、相手を落馬させずに勝ったこともある。

 吟遊詩人が歌うときには良くあることだが、随分と誇張されているらしい。


 しかし残念ながらウィルの小ささは誇張されていなかったようで、船大工たちは誰一人としてウィルを『思っていたより大きいな』とは言わなかった。

 終始楽しそうな船大工たちに囲まれて、ウィルは一人憮然とすることになった。


「じゃあな、頑張れよちっさい騎士様!」

「題名は『小さき騎士、巨人の国でのサガ』で決まりだな!」

「いっぱい食って大きくなれよ!」


 船大工たちはウィルに巨人の船を引き渡すと激励の言葉を残して去っていった。

 今日の仕事はもう終了したので、このまま飲んで騒ぐらしい。

 ガウェインはちょっと羨ましそうにしていた。


『どう、ソルヴァルド。この船でガムレに帰れる?』

『はい、ロロ様。船は問題ないようです』


 船大工たちが居なくなってからソルヴァルドとロロに船を確認してもらう。

 元々損傷の少ない船だったのが、問題なく修復されているようだ。

 しかしソルヴァルドは喜ぶロロに水をさすように言う。


『ただこの船は十人乗りの中型船です。私一人では動かせません』


 襲撃に使った船だけあってこの船は中々の大きさがあり、怪力の巨人と言えどたった一人では動かすことが出来ないらしい。

 操船はソルヴァルドが指示を出すので問題はないのだが、単純に人手が足りないらしい。

 ロロを頭数に入れたとしても二人では難しく、最低でも四人は必要だという。


 さすがに今日のうちにロロを帰せると思っていたわけではないが、ここまでとんとん拍子に事が運んだだけに少し残念に思えてしまう。

 ウィルがそんな事を考えている時、ガウェインは厳しい表情で遠くを見ていた。

 

「小僧、馬車の荷物を船に積め」


 そして突然、そんな事を言い出し、戸惑うウィルやサラをよそに自分でもどんどん馬車の荷物を降ろし始めた。

 そのままソルヴァルドにも指示を出して降ろした荷物を船に積み込ませる。


「じっちゃん、どうしたんだよ」

「尾行じゃ、そいつが城に向かって走っていった。すぐに追っ手がくるぞ」


 ウィルは思わず城の方に目を向ける。

 夕焼けに赤く染まるヨークの城は何事もないように佇んでいる。

 その静けさがかえって不気味に思えた。


「そ、そんな、どうしましょう?」

「面倒じゃ、このまま出発するぞ」


 あたふたと慌てるサラにガウェインはとんでもないことを言い出す。

 船に荷物を積み始めたときから嫌な予感はしていたが、あまりにも無謀だ。

 このまま、と言うことはソルヴァルドにロロ、そこにガウェインとウィルを加えてそのまま巨人の国イェリングに今すぐ出発する、ということだろう。


「じっちゃん、無茶だよ! サラはどうするんだよ」

「お前が護ってやればいいじゃろ? 騎士は弱き者を護るためにおるんじゃ」


 ガウェインはなんでもない事のように軽く言う。

 これが地上ならウィルも護ると約束できる。

 しかしこれから向かうのはまったくの未知の海だ。


「このままここに残せば囚われかねんぞ。連れて行くしかない」

「それならロロやソルヴァルドを一旦どこかに隠せば……」

「ばかたれ、そんな後手に回れば状況はどんどん悪くなるわい」


 ガウェインの言葉にウィルは押し黙る。

 確かにヨークの街にいる限り、赤弓騎士団やエイリークの方が地理的状況は有利だ。

 どれほど巧みに隠蔽したとしても、地元民であるエイリークたちの目を欺き続けるのは不可能だろう。


「ウィル君、イェリングに行こう。ロロ君を一刻も早く家に帰してあげたい」

「……サラ、でも危ないよ? 船だって初めて乗るんでしょ」

「ウィル君が居てくれるなら、大丈夫」


 サラは真っ直ぐにウィルの目を見つめる。

 そこには少しの羞恥と怯え、そして大きな信頼がみてとれた。


「分かった。サラは俺が必ず護るよ」


 ウィルは大きく頷き、心の中で覚悟を決めた。


 ウィルも入れて五人で運び出すと荷物はあっという間に船に積み込まれた。

 もともと十人乗りの中型船ということなので余分な荷物を積んでも余裕がある。


「いそげ! 騎士団の連中が来たぞ」


 ガウェインの号令で、サラと荷物を乗せた巨人の船を男四人で海に押していく。

 荷物も乗ってかなりの重量があるが、横向きにした丸太の上を滑るようにして海へと進んでいく。

 そして舳先が海に触れると、ぐん、と船の重みが増した。


「よし、小僧。でっかい小僧と一緒に船に乗れ!」


 ウィルはあたふたするロロを助けながら海水を蹴って船に飛び乗る。

 ガウェインとソルヴァルドは水の抵抗もものともせずに船を押し出して、そのまま泳いで船に近寄ると乗り込んだ。

 そのまま二人は慣れた手つきで櫂を手に持ち、ウィルたちにも渡してくる。


「ほーれ! ほーれ! このタイミングを合わせて漕ぐんじゃ!」


 ガウェインのかけ声にあわせて櫂を漕ぐ。

 最初のうちはウィルやロロにとって慣れない動きで、船はまごまごと進まなかったが、ガウェインとソルヴァルドの動きを真似るうちにどんどん船は速度を増した。


「――っ! ――っ」


 ふと岸の方をみると赤弓騎士団らしき集団が声を上げている。

 かなり距離が離れているので何を言っているのかは分からないが、焦っているのは分かる。遠くて見えずらいがこちらを指差して何か叫んでいるようだ。


 一部の騎士が弓を構えた。

 しかしウィルたちが警戒態勢を取るよりも早く、シグルズらしき騎士がそれを止めた。

 船の中に安堵のため息が漏れる。


「こんなことして、アリエルたちは大丈夫かな?」

「なぁに、面倒ごとはランスロが姫様とどうにかするじゃろ。任せておけばよい」


 あっけらかんというガウェインに、ウィルはいつも老騎士ランスロットとガウェインが喧嘩が絶えない理由をみた気がする。

 昔からこうしてガウェインが無茶をして、その尻拭いをランスロットがしてきたのだろう。思わず脳裏にランスロットの苦虫を噛み潰したような表情が思い浮かぶ。


『もうすぐ日が落ちる。その前に近くの島まで漕ぐぞ』


 ソルヴァルドの指示を聞き、ウィルたちは赤く染まる海に漕ぎ出した。

 この向こうに巨人たちの国がある、そう思うとウィルの心には少しの心配と、大きな期待が膨れ上がった。 


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