巨人の英雄ゴーム・ガムレ
『見えてきた。ガムレ集落だ』
「やっとか……疲れた……」
「なんじゃ情けない。こんなジジイや年下が平気だというのに」
ウィルは櫂を持ったまま、老騎士ガウェインを半眼で睨みつける。
櫂を漕ぐために上半身裸になっているが、老人とは思えない筋肉だ。
そもそも巨人と腕相撲して勝つような人間と一緒にされても困る。
ウィルがそのまま視線を横にずらすと、そこにはきょとんとした顔でこちらを見る巨人の子供ロロの姿があった。
確かにロロはまだ幼くウィルよりも年下だ。
しかしその体躯は巨人らしく大きくて、ウィルよりもひとまわり以上大きい。
そしてウィルは最後に先ほど前方を指差して到着を知らせた巨人を見る。
ヨークの奴隷商から購入した巨人奴隷ソルヴァルドは、巨躯を誇るガウェインすら凌駕するまさに巨人にふさわしい体躯の持ち主だ。
腕は丸太のように太く、この拳は岩のように硬い。
座っているだけで凄まじいまでの存在感がある。
赤弓騎士団の追っ手から逃げるように出航したウィルたちは、十日かけて巨人の国イェリングのガムレ集落に辿り着いた。
出航が夕方だったので、暗闇の海を休める島まで航行したり、本来なら巨人十人で動かす中型船をたった四人で漕いでいることもあって、航海は簡単ではなかったが、ようやく辿り着くことが出来た。
「だ、大丈夫? ウィル君」
成り行きでついてくることになってしまった修道女のサラが心配そうにウィルを見る。
さすがにサラに櫂を漕がせるわけにはいかないのでずっと座らせておいたのだ。
しかしそれがどうにも居心地が悪いようで申し訳なさそうにしている。
「大丈夫、もう着いたんだし、漕がなくて……いい……」
ウィルはぐったりと櫂を離して、船の縁に顔を突っ伏した。
この巨人の船には当然帆も張ってある。
だから風があれば漕ぐ必要はない。
しかし巨人の国までの海域は遠浅の地形で、風が凪ぐことが多いのだ。
「なーに言っとるんじゃ、岸が見えたんならもう一息じゃろが」
『待て、どうも港の様子がおかしい』
ソルヴァルドに釣られて集落の港を見てみる。
そこには軍船であろう大きな船が数隻停泊し、桟橋には完全武装した巨人たちがこちらを指差して何か言い合っている。
『まずいな』
ソルヴァルドはそう言って船内の荷物をあさり、大きな布を取り出した。
それを櫂の先に巻き付けて、頭上に掲げて大きく振った。
『オレは戦士レイフの子ソルヴァルド! ゴーム首長の子ロロを連れてきた!』
ソルヴァルドの上げた大声に思わず耳を塞ぐウィル。
身体も大きいが声も大きい。
サラは耳を塞ぐのが間に合わなかったのか目を回していた。
「どうなった?」
『迎えが来るようだ。このまま動かず待つ』
ロロがソルヴァルドの言葉を通訳して、申し訳なさそうにしている。
家まで送ってくれた恩人であるウィルたちを、まるで罪人でも扱うように迎えていることに対して後ろめたさがあるのだろう。
だがこの巨人たちの対応を見る限り、ロロを罠に嵌めた巨人首長ハーラルの目論見が裏付けられたと言える。
おそらくロロの失踪をヨーク側の陰謀などと言っているのだろう。
『お前たちは恩人だ。いざというときは俺がかばう』
「オレモ、父ニイウ!」
ソルヴァルドとロロはそう言ってくれているが、ガウェインの表情は冴えない。
しかしすぐに面白そうに笑った。
「まぁ、なるようになるわい!」
「じっちゃん、もう少し頭使おうよ」
やがてガムレ集落の港から一隻の軍船が近寄ってくるのが見えた。
◇
近寄ってきた軍船は舳先に竜の頭の彫刻が取り付けられた大型船だった。
それがゆっくりと近づいてくる様子はまるで海竜が鎌首をもたげて迫ってくるようだ。
そのまま軍船はこちらの中型船の横にぴたりと付けた。
ヨークの街にある普通の船と違って巨人たちの船はどれも船底が浅い。
なので大きさに違いのある船が横に並んでも高さはさほど変わらない。
横並びになるとそのまま歩いて渡れそうになる。
軍船には鎧兜に身を包んだ巨人の戦士たちが十数人並んでいた。
兜は角飾りのついた特徴的な形で、目と鼻を保護する仮面のようなパーツのついている。
鎧は板金鎧ではなく鎖鎧でその上に毛皮のついた服を着ている。
手には大きな丸い盾と柄の長い斧を持っていた。
どちらも普通の人間なら両手で持たないと持てないぐらいの大きさだ。
巨人の戦士たちはキレイに整列して横並びでこちらの船を見ている。
その視線は冷徹で、こちらが少しでもおかしな動きをすればすぐに殲滅する、という強い意志を感じた。
ウィルが横を見るとガウェインは舌なめずりせんばかりに喜んでいる。
逆にサラは顔色が真っ青から真っ白になって気絶しそうだ。
ロロは慌ててウィルたちの前に立ち、必死に何かを言っている。
『どうやら本当にロロを連れてきたようだな、ソルヴァルド』
地の底から響くようなしゃがれ声がすると、巨人戦士たちが列の中央を開ける。
そこには天を突くような大きな巨人がいた。
周りの巨人たちよりも更にひとまわり大きく、頭ひとつ抜けている。
まるで神代の時代から蘇ったような大きな巨人だ。
『父上!』
『ゴーム様、生き恥を晒して戻ってまいりました』
ソルヴァルドがその大きな身体をかがめて跪き、ロロは船と船の間を跳ぶ様にして巨人首長ゴームに向かって走っていった。
ゴームは跳び込んで来るロロを手を広げて待ち受けている。
ウィルたちが親子の感動の再会だ、と思っていると轟音が響く。
『バカモノ!』
『わぁっ!』
ゴームがロロを思い切り殴りつけたのだ。
ロロは思いっきり吹っ飛んで軍船の床に転がった。
『お前の勝手な行動にどれだけの戦士たちが迷惑をしたと思っている!』
『うう、ああ』
殴られた衝撃で口の中が切れたのか、ロロの唇から血が一筋漏れる。
うずくまっているロロを見下ろしていたゴームは苛立たしげに舌打ちして、ずかずかとロロに向かって詰め寄る。
しかしその歩みがロロの前で止まる。
そこにはいつの間にかサラが立っていた。
「ロロ君に酷いことしないで!」
両手を広げてゴームの前に立ち塞がっているが、その全身は恐怖によって震え、今にも腰が抜けそうな有様だ。
しかし目だけは怯むことなくゴームを見据え、微動だにしない。
ゴームはそんなサラにチラリとだけ視線を向けると無造作に手を伸ばした。
それはテーブルの上にあるリンゴを取るような、何気ない動作だった。
だがウィルの背筋に凄まじい悪寒が走り、気がつけば走り出していた。
慌てて船を飛び移り、伸ばされたゴームの手首を下から殴りつけるようにして弾き、サラを押し倒すようにして伏せさせた。
その際、柔らかな身体を抱きしめる感触を感じたが、すぐにそんな余裕がなくなる。
先ほどまでサラの頭があった場所に、まるで竜の顎のようにゴームの指が迫り、食いちぎるように閉じられたのだ。
間近で見ると凄まじい迫力だ。
そのまま掴まれていたら骨ごと砕かれていただろう。
ウィルはサラを巻き込まないように素早く立ち上がると、離れるように歩いてこれ見よがしに手で招いて挑発する。
『小人風情が小賢しい!』
ゴームはウィルの挑発にのって、すごい勢いで拳を放ってくる。
びゅうびゅうと風切音を響かせて降り注ぐ拳は嵐のようだ。
凄まじい速度で放たれる拳を全て避けるのは至難の業だが、顔の横を通り過ぎる巨大な拳を見ると、とてもではないが受け止めたいとは思えない。
「待って! 争いに来たんじゃないんだ!」
『何をごちゃごちゃと、望みがあるならオレから勝ち取るがいい!』
ウィルの制止の言葉はゴームに届くことなく、いよいよ本気になって攻撃してきた。
逃げようにも巨人の戦士たちが周囲を囲んでいる。
近寄ると盾でゴームの前に押し出されてしまうのだ。
加勢をされる恐れはないようだが、逃げるのは不可能だ。
『くそっ、ちょこまかと! おいっ、俺の斧をよこせ!』
苛立たしげにゴームが叫ぶと巨人戦士の一人が
本来なら騎士が馬上で使う長大な武器だが、ゴームのような巨人が持つとちょっと柄が長いだけの普通の斧にも見える。
また斧部分も普通の槍斧と違って大きい、先端が重くなりすぎて扱えなくなるので通常は小さいのだが、ゴームの持つ槍斧は斧部分が大きく諸刃になっている。
普通なら持つことすら出来そうにない異様な武器をゴームは軽々と振る。
ウィルは軍船がこちらに向かってくるときに、念のため鎖鎧を着ていた。
だから多少の斬撃なら防ぐことが出来る。
しかしゴームの槍斧は鎖鎧ごとあっさり両断するだろう。
ウィルの背中に冷たい汗が流れる。
その時、キラリと朝日を跳ね返してナニかが船の上に飛来した。
「小僧、そいつを使え!」
ドス、と鈍い音を立てて一本の剣が甲板に刺さった。
肉厚で無骨な造りのその剣はウィルがいつも使っている剣ではなかった。
大小様々な傷によって光を反射しない黒々とした剣。
これはガウェインがいつも腰に差している剣だ。
「そいつは儂の
ウィルが声のする方を振り向くと、巨人戦士たちの列の隙間からこちらを見て笑っている。心配するどころかいつの間にか酒樽まで開けて葡萄酒を飲んでいる。
さりげなくサラを保護してくれているようなのだが、文句のひとつも言いたい気分だ。
「こうなったらやるしかない、か」
ウィルは刺さっているガウェインの剣を引き抜いた。
いつも使っている剣に比べるとずっしりと重い。
攻撃に使うには振り回されそうだが、盾にして防御するには安心できる重さだ。
ウィルが黒剣を構えて向き合うとゴームは意外そうな顔をした。
『小人風情が逃げずに立ち向かうというのか、この雷神ゴームに』
「なんか、またちっさいって言われた気がする」
ウィルはあえて軽口を叩く。
これは訓練や試合じゃない、互いの武器の刃は潰されておらず容易く命を断つことが出来る。本物の実戦だ。
それを意識するとウィルの身体に力が入って硬くなる。
「小僧、儂との訓練を思いだせ。奴らは偉大な戦士でお前よりも経験が豊富かもしれんが、
ガウェインの言葉にウィルの気持ちは更に萎縮する。
確かに巨人たちには
しかしそれはウィルも同じことだ。
だがガウェインの言葉はまだ続いた。
「いいか相手に
ガウェインの力強い言葉に顔を上げる。
子供のように無邪気に笑って親指を立てるガウェインと目が合った。
その瞬間、ウィルの身体の硬さが解けるように消えていった。
なんとも単純なことだ、とどこか冷静な部分が自嘲気味に笑う。
騎士見習いの期間、ウィルは老騎士たちに騎士に必要な技術を学んだ。
槍術、剣術、馬術、弓術、格闘術。
それぞれを老騎士たち一人ひとりが担当して教えてくれた。
ガウェインは剣術の師匠だったのだ。
その師匠から大丈夫と言われた。
それだけでウィルの不安は消え去った。
あの死ぬかと思った訓練を切り抜けたのだ。きっと大丈夫。
ウィルはガウェインの言葉を信じてゴームの間合いに突っ込んだ。
ゴームは驚いた表情で慌てて槍斧を交差して振り下ろす。
ウィルは振り下ろされる槍斧の間合いのギリギリ外で急停止、やり過ごしてから一気に懐にもぐりこもうとする。
そこへゴームの大木のような足から繰り出される蹴りが襲い掛かってきた。
「くっ」
ウィルは黒剣の腹を盾のようにして左腕でそれを後ろから支えて受ける。
まるで馬車にでもぶつかったような衝撃が腕を襲い、間合いの外まで吹っ飛ばされた。
ウィルの動きが予想外に鋭かったのだろう、どこかまだ余裕のあったゴームが表情を引き締める。
その顔には先ほどまでの相手を侮る色はない。
勇敢な戦士との戦いを心待ちにする、英雄の歓喜があった。
『いくぞ、小さな戦士!』
今度はゴームが両手の槍斧を連続で突き、払ってくる。
二人に同時に襲われたかと錯覚するような鋭い連続攻撃だ。
ウィルをそれをギリギリで避け、避けられないものは黒剣で防御してやり過ごす。
ゴームの姿にガウェインの姿が重なる。
訓練の時のガウェインの攻めも苛烈だった。
ランスロットの訓練は理詰めで、どうしてそうなるのか、どうすればよかったのかを考えさせる頭を使った訓練だ。
逆にガウェインの訓練は徹底的に身体を使わせる。
ひたすらガウェインが攻めてくるのを防ぐだけだ。
間違った受け方や避け方をすれば容赦なく吹っ飛ばされる。
そうして身体に技術を叩き込むのだ。
ガウェインの訓練は実戦を想定しているので、攻守の交代などはない。
どれだけ防御しても、どれだけ回避してもガウェインは攻め続けてくる。
反撃しない相手に手を緩める必要などないからだ。
逃げるだけでは、防ぐだけではやり過ごせないということを痛感させられる。
ウィルはゴームの振り終わりにあわせて黒剣を真っ直ぐ突き込む。
ゴームの身体は大きすぎて急所は狙えない。
だからウィルはゴームの太ももを狙った。
ゴームが次の攻撃の為に控えていた右手を防御にまわす。
これによってゴームの嵐のような攻撃が止まった。
今度はウィルが思い切って前に出てゴームを攻め立てる。
槍斧はその広い間合いと破壊力が脅威の武器だ。
だがその分、斧の内側に入られると取り回しが難しく、小回りが利かなくなる。
だが不用意に飛び込むと、先ほどの蹴りがとんでくる。
ウィルは有利な間合いを維持しつつも、決定的に間合いを詰めることが出来ずにいた。
この間合いではゴームは斧を生かすことが出来ず、ウィルは黒剣がまだ届かない。
互いに決め手を欠く状況だ。
周囲を固める巨人の戦士たちは固唾を飲んで二人の対決を見つめている。
もはやウィルを囲む壁としての役割も忘れてただただ見入っている。
巨人の英雄であるゴームと互角に戦う小人の戦士に。
ウィルは自ら埒を開けるために勝負に出た。
突きを主体とした鋭い連続攻撃を繰り出して、一気に間合いを詰める。
突然の激しい攻めに驚いたゴームだが、すぐにそれを捌いてくる。
しかし段々と間合いが詰まり、ウィルの黒剣が届く位置まで近づいた。
その瞬間、空気の大砲を打ち出したような音とともにゴームの蹴りが放たれた。
ウィルの攻撃が誘いこまれた形だ。
連続攻撃の途中に割り込むように蹴りが迫る。
しかしウィルの狙い通りだ。
体勢を崩さないようにあえて最後は踏み込みを甘くして余裕を持たせたのだ。
ウィルはゴームの蹴りを足場にして空中に駆け上がる。
ふわりと空中に舞い上がった瞬間、周りの時間がゆっくりになったように感じる。
地上に居た時は見上げないといけなかったゴームの厳つい顔が見下ろす位置にある。
そのことになんだか優越感を感じながら、黒剣を両手で振り上げた。
そして驚愕しているゴームの脳天めがけて一気に振り下ろす。
『ウオオオオォォォッ!』
ゴームなのか、周囲の戦士なのか分からなくなるほどの雄たけびが響く。
ウィルの黒剣はゴームの立派な兜を両断して真っ二つに割った。
ゴームはその衝撃で白目をむいて倒れていた。
それをウィルが確認すると、先ほどまで雄たけびをあげて興奮していた巨人戦士たちは静まりかえり、一斉にウィルに向けって頭を垂れて、跪いた。
朝日が差す軍船の上で、あまたの巨人に傅かれて立つウィルの姿は、まるで神代の英雄を描いた絵画のような光景だった。
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