武芸大会の女王
ウィルはエルは手を掲げたまま試合場をぐるりと一周まわった。
エルフリード王子と騎士ウィリアムの友情をアピールするためだ。
観客達はこのパフォーマンスに大いに盛り上がった。
事情を知っている側からみると茶番だ。
しかし、観客達にしてみれば、腕試しの為に身分を隠して試合に出場した王子が、正体を見抜かれて戦ってもらえず。
唯一正面から戦ってくれた騎士と接戦を演じ、苦闘の末に破れ、友情が芽生える。
まるで吟遊詩人が歌う騎士物語のワンシーンのような状況なのだ。
決勝戦だった、というのもまた良い方に作用した。
これが初戦ならここまで盛り上がらなかっただろうし、それによって王族が恥をかかされたといって言いがかりをつける貴族も居たかもしれない。
しかしこれだけ盛り上がってしまい、これだけの人間の前で友情をアピールしてしまえばもう心配はいらないだろう。
観客たちはまるで伝説の現場に立ち会ったかのように興奮していた。
この結末にケチをつけるのはいくら貴族でも不可能だ。
エルは試合場を一周すると改めてウィルに手を差し出した。
「俺は親父殿と巡礼に行かねばならんが、また会おう。我が友ウィル」
その晴れやかな表情にウィルは笑みを返して、差し出された手を握る。
「元気でね、エル。次会うときは騎士王になっておくよ」
「なんだと?」
「だって騎士王と戦ってみたかったんでしょ? また、受けて立つよ」
「……ふふふ、はっはっはっ! なるほど、さすがは我が友だ! 楽しみにしておこう」
握手した後に互いに拳を作って、篭手同士を打ち合わせる。
それにまた観客達は大喜びして拍手をした。
二人は降り注ぐような拍手の中、控え室へと戻った。
◇
ウィルが馬を預け控え室に入ると、浮かない表情のロジェが居た。
その手には握りつぶされた手紙がある。
「どうしたの?」
ウィルが問いかけるとロジェは無言のまま、その手紙を差し出してきた。
それを受け取り、しわを伸ばして開いてみる。
そして眉間にしわを寄せて口を尖らせて手紙を突き返した。
「……読めない。ロジェ、読んでよ」
「――へっ? アンタ字読めないの?」
騎士というのは貴族でもあるし、貴族ではないとも言える。
広義で言えば『騎乗して戦う兵士』のことで貴族の場合もあるし平民の場合もある。
狭義では『平民より上で男爵よりも下』という微妙だが平民ではない身分だ。
こう聞くと平民よりも上質な教育を受けているのではないか、と思ってしまうのだが、実はそうばかりとも言えない。
領地を持っている騎士でも、自分の名前すら書けないことがある。
騎士になる子供というのは七歳になると親元を離れて、母方の伯父の元へと送られてそこで訓練と教育を受ける。
なぜ母方の伯父かというと通常の騎士は活躍の褒美として妻を娶ったり、名を上げた兵士が騎士の未亡人を娶る事が多いため、母方の家系の方が社会的身分が高いのだ。
そこで担当する騎士の
この担当する騎士というのが伯父になるのだが、それが全てにおいての先生となるためにその人物によってその子供の教育程度は変わってしまう。
ウィルの場合は見習いになるときにはコーンウォールを疫病の脅威が襲っていた最中で、どの騎士家も見習いを受け入れている余裕はなかった。
そこで特例としてそうした子供たちをティンタジェル城に集めて、老騎士たちが面倒を見ていたのだ。
老騎士たちはかつて『円卓騎士団』に所属したいずれも優秀な騎士たちなのだが、いかんせん彼らは戦乱の時代の騎士だ。まさに『戦う者』たちなのだ。
読み書きや詩作・楽器の演奏といったモノは苦手だった。
領事館を仕切っていたケイのように、高度な知識を持つ老騎士もいたが、そうした人材は当然のように疫病の対処に奔走しており、子供達の教育をしている暇はなかった。
そのせいで今の平和な時代には必須となった、そうした高等教育を受けないままにウィルは育ってしまった。
反対に戦乱の時代であったのならさぞ名を上げたであろう無類の強さだけを持ってしまったのだ。
騎士が宮廷で楽器を片手に、貴婦人に愛を囁く時代に、それらを持たず一騎当千の力を持った少年。それがウィリアム・ライオスピアという騎士であった。
ロジェは勢いをそがれたようで脱力したように手紙を受け取る。
中を読んで爆発した感情は収まったようだった。
「……ま、まぁ、いいわ。ようするにあの仮面の男からの手紙で、アイツの名前はロビン・ノウバディでアタシの父親のドゴージ・オウルクレストではない。ドゴージ・オウルクレストは死んだのだから忘れて生きろ、みたいな事が書いてあるわ」
「でも、ロジェの父親でしょ?」
「そうよ、あの声、アタシがずっと行方を捜していた父親に間違いないわ」
ロジェの家はエセックスの紋章官の家系だそうだ。
代々騎士団直属の紋章官をしていた。
父親であるドゴージは優秀な紋章官として騎士たちに信頼されていた。
だがある日、騎士団の巡回に同行してその途中で消息不明となる。
なんでも移動中に落盤事故があったらしく、それに巻き込まれたようだ。
死体が見つからなかった事から行方不明とされたが、同行した騎士たちは死んだものと思っていたらしい。
ロジェと彼女の母親には領主からいくばくかの見舞金が渡された。
それと小さな村を封建領地として持っていたので二人が生活に困ることはなかった。
それでもロジェは父親の生存を信じて捜してまわったが、結局見つからなかった。
母親はしきりに二人で静かに暮らす事を勧めてきたのだが、ロジェはその誘いを断り、反対を押し切って紋章官となった。
紋章官になったのは父親の仕事に興味があったからだ。
更に騎士と共に色々な大会を周れる紋章官なら、あわよくば父親を見つける事が出来るかもしれない、という思いもあったらしい。
そしてロジェは必死に勉強し多くの紋章を暗記し、有名な吟遊詩人の元に押しかけてはその技術を盗んで紋章官としての実力を磨いていった。
それは女だてらに紋章官になるために必要な事だったが、必死に頑張っているうちにロジェはひとつの夢を見てしまったのだという。
「……薄情だと思うだろうけど、もう父親の事は諦めかけていたの。それなのに、今になってこんな……アタシ、どうしたらいいか……」
ロジェは言葉を途切れさせながら、肩を震わせた。
割り切ったと思った過去からの亡霊が現れたようなものだろうか。
「死んだと思って忘れて生きろって言ってるんだから、そうしたらいいんじゃないの?」
「そんな簡単に割り切れたら苦労しないわよっ!」
「……じゃあ『挑戦』しないで諦める?」
「えっ?」
「父親は見つかったじゃない。なんか戻る気がなさそうだけど、一応目的は達成したんでしょ?」
「そ、それは……でもアンタの紋章官だし……」
「確かにロジェに帰られると困るけど、それでも義務感だけで居て欲しくない。パートナーってそういうもんじゃないでしょ」
「…………」
少々追い詰めるようなウィルの言葉にロジェは黙り込んでしまう。
ウィル自身も自分の言葉に驚いていた。
父親と再会して動揺するロジェを落ち着かせようと思っていたハズなのに。
何故か口から出たのはまるで責めるような言葉だった。
ウィルは慌ててそれを打ち消そうと口を開く。
「あーっと、ゴメン。そうじゃなくて、ええと、そういう事言いたいんじゃなくて……」
しかし想いは口からこぼれない。
捕まえようとする端からほどけるように霧散していく。
そんなウィルの様子にロジェはポカンとしていたが、やがて肩を震わせて笑いだした。
「アンタってホントに紋章試合以外はダメね!」
「……悪かったね、口下手で」
「ほら、難しく考えないで素直に言ってみなさいよ。アタシにして欲しい事があるんでしょ」
いつの間にかウィルがロジェに責めたてられていた。
なぜこうなったのだろう。男性にとって女性とはいつだって不可解なものである。
ウィルは口をへの字にしつつも、抵抗をやめて素直に言う事にした。
「……はぁ、分かった。ヒドイ言い方になるけど、知らないよ」
「いいから早く言いなさいよ」
「――父親の事なんてどうでもいいから、俺と一緒に来て欲しい。俺が騎士王になるためにはロジェが必要だ」
なんて傲慢で自分勝手な言い分だろう。
ロジェが必死に捜してようやく見つかった父親を『どうでもいい』といい、それよりも自分を騎士王にすることを優先してくれという。
率直に言葉にしたら予想以上にヒドイ言い草だった。
しかし完全とは言えないが、この言葉がウィルの心情をもっとも正確に表していた。
ロジェはそんなウィルの言葉に怒るでもなく、呆れるでもなく、笑っていた。
「ホントにひどいわね」
「うるさいな、だから言ったじゃないか」
ロジェが楽しそうに笑っている事に安堵しつつも、なんだか子供扱いされているようでウィルは口を尖らせた。
そんな仕草がより一層子供っぽいのだが、ウィルは気づいていなかった。
ロジェはそんなウィルの様子にますます笑みを強めた。
「しょうがないからアタシが騎士王になるまで面倒みてあげるわ! 感謝しないさいよね!」
さっきまでの落ち込んだ表情は何だったのか、というような晴れやかな顔でロジェはバンバンとウィルの肩を叩いた。
やっぱり女性は良く分からない。
男性にとって女性とは、いつだって不条理な存在なのだ。
◇
大会終了後、表彰式が行われた。
出場した騎士たちが騎乗し武装した状態で貴賓席の王の前に並ぶ。
王の隣で係官が大きな声で試合結果を読み上げて、優勝者としてウィルの名前を呼ぶ。
ウィルが馬を進ませて前に出ると賞品として金貨と大紋章のパーツ『兜』を与える、と宣言された。
観客は再び大きな歓声を上げるが、すぐに係官によって静められた。
「それでは優勝者ウィリアム・ライオスピアに『武芸大会の女王』を選ぶ権利を与える」
係官がそう声をあげると王の下に赤い光沢のある布の上に乗せられた金の冠が運ばれてきた。
複雑に絡まったような草紋模様の華奢な冠で、王の頭上に乗せるには小さい。
王がその冠を無造作に持つと係官が大声を上げる。
「ウィリアム卿、陛下の御前へ」
ウィルはその声に従い、更に馬を進ませて貴賓席に近づく。
しかし貴賓席は観客席の中段にあり、ウィルは馬上とはいえ試合場だ。
とてもではないが、モノを受けとれる距離ではない。
「槍を」
係官の指示に従い、木槍の穂先を王の方へ向ける。
係官はその穂先を素早く掴むと先端を王に向けないように持っていく。
王は横から槍の穂先に金の冠を引っ掛けた。
係官は穂先を掴んだまま、王から離すとようやく穂先から手を離す。
「さぁ、『女王』を指名するのだ」
『武芸大会の女王』というのはその大会で優勝した者が選ぶ『最も愛する者』の事だ。
元々は貴婦人の代理として騎士が戦った場合に、その貴婦人をさして『女王』と呼んでいたものだ。
それがいつしか大会の優勝者が会場にいる女性を指名するようになったのだ。
指名の際のルールというのは存在しないが、一応暗黙のルールがある。
ウィルは槍に冠を引っ掛けたまま、それを高々と掲げてゆっくりと馬を歩かせる。
こうしてそのまま試合場を一周するのだ。
観客席を見ると男たちは興味深そうに好奇心に溢れた目を向け、若い女たちはもしかしたらという淡い期待を抱いて熱っぽい視線をウィルに向けている。
騎士道に則れば、騎士にとって『最も愛する者』というのは主君の奥方になる。
これは『
生理的な欲望を満たすだけの荒々しい愛や、現実を離れた宗教的な愛とは違い、肉体を基本にしつつも優美で抑制された、礼儀に適った愛の作法とされる。
この時に選ばれる女性は願望の対象ではあるが、所有の対象ではない。
愛される女性の究極は遠くにいる存在だ。
騎士はその遠隔を嘆きつつ、彼女の善き資質を高らかに謳いあげるのだ。
こうして騎士は肉欲ではない女性への敬意を抱くことで、人間愛を獲得し、霊的向上の助けとしてより善き者を目指すのである。
恋人や妻が居ても、真実の愛は主の奥方に捧げるのが理想の騎士としての道だ。
とはいえ、理想は理想とされるだけに実践している者は少ない。
実際のところは『武芸大会の女王』には自分のお気に入りの女性、いわゆる肉欲的な意味での相手を選ぶ騎士がほとんどだ。
気に入った令嬢を観戦に誘い、優勝して指名するのはまだ微笑ましい方だ。
贔屓の娼婦やその場で品定めして気に入った町娘を、口説き落とすために指名する騎士もいたりする。
そのせいだろうか、観客席には大胆に肩を露出して大きな胸を覗かせて色っぽい視線を向ける女たちも居た。
彼女らはその豊満な体を大きく揺すり、ウィルに向かって手を振っている。
たわわな胸が右に左にと大きく揺れる様子に思わず視線が釘付けになった。
ぱちり、とウィンクされてウィルは慌てて視線をそむけた。
まだ成人したばかりのウィルに性交渉の経験はない。
ティンタジェル城に若い先輩騎士などが居れば娼館などに連れて行かれた可能性もあったが、居たのは老騎士と老侍女ばかりであり、唯一の若い女性はアリエルだけだったのだ。
視線を逸らした先にはアリエルの膨れた顔があった。
心なしか隣にいるサラの視線も冷たいような気がする。
ウィルは逃げるように二人の前を通過する。
別の女性を指名するつもりがあるわけではない。
決まった相手が居る場合でも一度は試合場をぐるりと一周しないといけないのだ。
一種のパフォーマンスである。
ウィルが試合場を一周してエゼルウルフ王の前に戻ってくると、今度は周回せずにまっすぐアリエルたちのいる方へ馬を進ませる。
そしてまっすぐに槍をアリエルの方へと伸ばす。
アリエルは当然、という顔をしながらも童女のように嬉しそうに微笑んだ。
ゆっくりと冠を穂先から取るとそれを自らの頭の上に乗せた。
その瞬間、観客席から大きな拍手とため息が漏れた。
女性たちからは自分が選ばれなかった落胆のため息、男性たちからは冠を乗せて無邪気に喜ぶアリエルの美しさに対するため息だ。
ウィルはアリエルの嬉しそうな顔に満足すると共に、ちくりと胸が痛んだ。
武芸大会の女王にアリエルを選んだのは間違いのない判断だ。
これからも『誇りのない騎士』として名声を得るためには、アリエルのために戦う騎士という印象は欠かせない。
またウィルの封建的主君はアリエルであり、今は未婚だがやがて結婚した場合には『精微の愛』を捧げる理想の相手ということになる。
しかしそれはとりもなおさず、ウィルとアリエルの間にある距離は『理想』といわれるほどに空いていることを示していた。
ウィルとアリエルが結ばれる未来は現実的ではない、と思われるほどに遠い。
そのことはとっくに覚悟していたことだと思っていた。
しかし遍歴の旅でずっとアリエルと一緒に居るうちに、いつしかウィルはその事が実現不可能と思うことに痛みを感じるようになっているのに気づいてしまったのだった。
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