修道女 サラ


「両者、位置について!」


 ウィルはブルーメタリックの板金鎧に身を包み、大地を踏みしめて前方にいる騎士を眺めた。ちょうど十歩分離れた位置で対峙している。

 相手も同じように板金鎧に身を包み、投げ槍と木楯を持っている。

 ウィルとの違いはヘルムの有無だ。

 相手の騎士は頭部を完全に覆ったヘルムをつけているので顔の判別はできない。

 何者かを示すのは木楯に刻まれた紋章だけだ。


 逆にウィルはヘルムはかぶらずに鎧だけ。

 かなり危険だが、今回は歩行試合ということでこうしたのだ。

 歩行試合では、四方に打ち込んだ杭にロープを張ったものが試合場になる。

 広さはないが、その中でどのように動こうと自由だ。


 そうなると防御力だけでなく、視界の確保も重要になってくる。

 騎乗用のヘルムはスリットが極端に狭く、ほとんど前方しか見えない。

 面頬だけを外して頭部を守ることも出来たのだが、ヘルムは胴鎧と繋がっているため首が固定されてしまう。結局中途半端になるので外したのだ。


「はじめっ!」


 審判の掛け声と同時に相手の騎士が投げ槍を放つ。

 相手の騎士が狙ったのは、ウィルの顔面だ。

 むき出しの頭部はさぞかし無防備に見えたのだろう。

 だが、それはあまりに短絡的な思考だ。


 ウィルはひょい、と首を捻って投げ槍をかわす。

 装甲がなくむき出しということは、防御力が低いというだけでなく、最も機敏に動ける場所ということでもある。

 まぁ、だからといって容易く避けられるかというと、それはまた別の問題だが。


 相手の騎士はウィルの反撃を警戒して慌てて楯を身体の前面に持ってくる。

 ウィルは突き出されて狙い易くなった楯の縁に向けて投げ槍を放った。

 軽く投げたようにみえたそれは、凄まじい速度で楯に激突した。


 バカンッ!

 

 大きな音を立てて楯が跳ね上がり、その衝撃で相手の騎士はたたらを踏む。

 ウィルは持っていた木楯を投げ捨てて、剣を抜きながら距離を一気に詰めた。

 全身鎧を装備して走り回ることが出来るウィルにはわけもない事だ。


 目の前にはバランス崩して慌てふためく騎士の姿がある。

 ここが戦場なら相手を引き倒して剣先を鎧の隙間から突き入れればおしまいだ。

 しかしこれはあくまで試合、そんな事は出来ない。

 それに相手を引き倒したり、組み付いたりすると仕切りなおしになるルールだ。


 試合場には戦う二人の他に屈強な兵士が完全武装で睨みを利かせている。

 彼らはもみ合いになったり、勝負が決まった際に二人の間に入ってくるのだ。

 ちなみにその後ろにはロジェと相手騎士の紋章官もいる。

 ロジェは『赤い二足翼竜』の図柄のコートを着て、手には一定間隔で結び目がついたロープを持っている。

 これで仕切りなおしになった際に互いの距離を測るのだ。


 ウィルは抜いた剣をひっくり返して剣身を握って構えた。

 手甲をつけているので握った手が切れる事はない。

 そのまま振りかぶると棒鍔の部分を槌のようにして木楯に叩き付けた。


 ロングソード術における技の一つ『破甲衝』だ。

 剣の上下を逆に持つことで重量バランスを棍棒に近いものに変えて打撃力を強化する。

 鎧を着た相手に特に有効な技だ。

 バランスを崩していた騎士はそれで完全に木楯を取り落とした。

 慌てて腰の剣を抜こうとしているが、もう遅い。

 ウィルは戦槌と化した長剣を相手の騎士のヘルムに容赦なく叩きつける。


 ガイィンッ! ガイィンッ! ガイィンッ!


 上から、右から、左から、滅多打ちだ。

 騎士はふらりと力を失ったように前のめりに倒れそうになる。

 そこを下から掬い上げるように振りぬいて無理矢理立たせる。

 騎士は頭をふらふらと揺らして立ってはいるが、意識は朦朧としているようだ。

 それでもウィルは油断せずに慎重に相手の様子を観察する。

 老騎士たちとの訓練ではこうなった状態からでも反撃がとんでくるのだ。

 どうやら本当に意識を失っていると確信すると、トドメに一撃くわえて終わらせる。


「勝者、ウィリアム卿!」


 審判が起き上がれない騎士を見て、ウィルの勝利を宣言した。

 ウィルはそれでも倒れた騎士から視線を外さずに観察している。

 しかし騎士は楯持ちに助け起こされてもまだ意識を取り戻していない。

 ロジェがもの問いたげな視線でウィルを見る。

 ウィルは黙って首を横に振った。


                   ◇


「はぁ、なかなか強い騎士っていないもんねぇ」


 ロジェはテーブルに積まれた身代金を数えながらため息をついた。

 現在、ウィルたちはカンタベリーの街の外れ、急遽設置された紋章試合のための試合場近くに天幕を張って生活している。

 カンタベリー大聖堂はアドルムスの監視の目があるし、サラの居たアウグスティヌス修道院は紋章試合に反対している。

 かといって街の宿屋に大所帯で泊まるわけにも行かずこうなってしまったのだ。

 とはいえ、紋章試合を転々とする遍歴の旅では珍しいことではない。

 その証拠にウィルたちのほかにも天幕を張って生活している騎士たちがいる。


「ウィルに匹敵する騎士なんていないからね!」


 困った事態だというのにアリエルは得意げに言い張った。


「姫様、自慢しておる場合ではありませんぞ」


 老騎士ランスロットが呆れた声をあげる。

 アリエルとウィルたちはアドルムスとの会談、エレインとの出会いの後に合流した。

 そしてトーナメントに出場してくる『聖翼騎士団』について話し合ったのだ。

 いくらウィルが強くても三対一では勝ち目が薄い。

 そこで最も簡単な対処として、共闘してくれる仲間を探すことにしたのだ。


 とりあえず、見込みのある騎士を探しながら紋章試合をしているところなのだが、結果は芳しくない。

 カンタベリーのトーナメントは十日後に開催予定で、それまでに騎乗試合や、歩行試合などが行われている。

 トーナメントはメインイベントなので最終日に行われるのだ。

 参加者の数も多いため、途中で予選も行われるが、予選ではチームの勝利よりも個人の勝ち星が評価されるのでまだ一人でも問題はない。

 つまり決勝がある十日後までに共闘できる騎士を見つけなければならないのだ。


 カンタベリーのこの紋章試合は、第一回大会となっている。

 遂に教会が紋章試合を認めた歴史的な大会と言えるが、試合をする騎士にとっては知名度の低い旨みの少ない大会でしかない。

 目玉の賞品である大紋章のパーツ、守護獣の紋章という賞品もあるが、名だたる騎士にとってはいまさら欲しいような賞品ではない。

 むしろこれを欲しがるのは無名の騎士たちになる。

 そして無名の騎士というのは未熟な騎士が大半なのだ。


「協力者っているの? じいちゃんたちに訓練つけてもらえばいいんじゃない?」


 ウィルは未だに協力者を募ることには懐疑的だ。

 急ごしらえの仲間なんて信用できないのではないか、と思うからだ。


「何言ってんのよ。いくらウィルが強くても三対一じゃ勝てないでしょ?」

「そうよ、ウィルなら三対一でも百対一でも勝てるけど、怪我するかもしれないじゃない」


 ロジェとアリエルがまったく逆の言葉で同じ結論を口にする。

 ウィルとしては今までの訓練の中にも多対一の訓練はあったので、その延長だと思うのだが二人は納得しなかった。

 ウィルをほったらかしにして羊皮紙に書かれた参加者名簿を見ながら、あーでもないこーでもない言っているロジェとアリエル。なんだか長くかかりそうだ。


 退屈になったウィルは試合場を散歩することにした。

 鎧から簡素な服に着替えて馬に乗ってぽくぽく歩く。

 試合場は広い草原に柵を作り、草を刈って作られていた。

 専用の試合場があったウィンチェスターと比べると試合場の具合は悪く、地面には大きな石も転がっている。

 それでもそこかしこで歩行試合や騎乗試合が繰り広げられてお祭り騒ぎになっていた。


 いくつかの試合を眺めてみるが、ウィルから見てこれは、と思う騎士はいない。

 唯一目を引いたのは、いつぞやの山賊顔の騎士が試合に出ており、盛大な相打ちをしたのに根性で耐え切って勝利していたぐらいだ。

 逃げられた馬もなんとか捕まえたようだ。


「――、――っ」


 試合場の周囲を回っていると中の喧騒とは別種の騒ぎが聞こえてきた。

 そちらを見ると、修道女サラと同じぐらいの年齢の少年修道士たちが試合の係官に詰め寄っているのが見えた。

 相変わらず紋章試合の中止を訴えているらしい。

 係官はアンゲル人だが、他に手伝いにきているサクソン人やユート人も居た。

 誰もが試合中止を訴えるサラ達を迷惑そうに見ている。


 ウィルは、彼らの行動は逆効果ではないか、と思った。

 彼らの行動はハリストス教徒として正しい行動なのかもしれない、事実、前の大司教までは紋章試合を認めてはいなかった。

 しかし正しいからといってもこのやり方では反発を強めるばかりでユート人がますます孤立してしまうように思えるのだ。


 押し問答を続ける集団に立派な法衣を着た一団が近づいてくる。

 その先頭にいるのがカンタベリー大司教アドルムスだろう。

 ウィルは馬上から降りる。さすがに上から見下ろすのは不敬にあたると思ったのだ。

 おそらく視察か何かだろう、アドルムスは抗議しているサラ達を無視して係官に声をかけた。それを少年修道士たちは悔しげに見つめていたが、サラは一人アドルムスに近づいて声をかける。


「大司教様っ! 紋章試合を中止してください、神はこのような野蛮な行いを認めてはくださいません!」


 一介の修道女が大司教にいきなり話しかけたのが許せないのか、周りを固めていた連中は顔を歪めた。しかし、それをアドルムスが手で制する。


「君たちはまだ『修道請願』もたてていない修練士だろう、半人前が賢しらな口を利く前にもっと勉強をしたらどうかね?」


 アドルムスのやや甲高い声は意外なほど周りに響き渡った。

 辺りの喧騒が静まり、皆が彼らの動向を注視していた。

 アドルムスはゆっくりとユート人修道士、いや修練士たちの顔を見回すと、その中でも一番年上に見える少年を指差した。


「イオアンの福音書十三章十二節、言ってみたまえ」

「…………」


 少年修練士は悔しそうに顔を歪めて、それでも口を開くことが出来ずにいる。

 この時代、あらゆる公的書類はロムルスレムス神聖帝国の言葉であるロムルス語で記述される。これはかつて神聖帝国が全土を支配していた時の名残だ。

 そしてそれは聖書に関しても一緒だ。すべての原本はロムルス語で書かれているので修道士たちは、まずロムルス語を習うところから始めるのだ。

 修道士たちは信仰の力だけでなく、こうした知識の力でも武力を持つ貴族に対抗してきたのだ。


 一人前の修道士となればロムルス語を読むだけでなく記述することも出来るようになるが、まだ修行途中の修練士では読むことすらも覚束ない。

 ましてや聖書には原書である一冊以外にも救世主ハリストスの弟子たちが書いた福音書という本が何冊も存在する。それら全てを暗唱出来る者は少ないだろう。

 アドルムスは何も言わない修練士たち見回して鼻を鳴らす。


「『わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、子羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた』」


 朗々と低くよく通る声で暗唱するアドルムス。

 先ほどの甲高い声とは違ったその声によどみはなく、まるで毎日暗唱しているかのような滑らかさだ。厳かさすら感じるその声は耳に心地よく響いた。

 呆気にとられる修練士たちを睨みつける。


「修道も怠り、口ばかり達者。……その上」


 アドルムスは目の前でうな垂れるサラのフードを乱暴にはがした。


「……福音書にあるような角を持つ。私が君たちユート人を悪魔の獣の末裔と言うのも仕方がないとは思わんかね」


 大司教の言葉に試合場で働いていたユート人たちは悔しそうに俯く。

 そして顔を上げた時に憎々しげに見るのは、アドルムスではなくサラたちの方だ。

 彼らにとっては大司教に貶されたのではなく、馬鹿なユート人によって辱められたとしか思えないのだろう。

 一言も言い返せずにいるサラたちを味方するものはこの場にはいなかった。

 そこへ凛とした声がアドルスムの言葉を遮った。


「大司教、その見解は未だに異端の考えです。それ以上おっしゃりたいのであれば教皇庁にその自説を提出して認可していただいてからにしてくださる?」


 現れたのは老修道女エレインだった。

 堂々と集団の前を横切るとサラとアドルムスの間に立ち、かばうような位置で対峙した。

 アドルムスもエレインを見ると苦虫を噛み潰したような顔をした。


「エレイン殿か。あなたも、もう少し真剣に後進の指導をしていただきたいものですな。このような浅慮な修練士ばかりでは大司教座カンタベリーのかつての中心地アウグスティヌス修道院の名が泣きますぞ」


 嫌味たらしく言うアドルムスの言葉をエレインは正面から受け止める。


「申し訳ありません」


 そして反論もせずに深々と頭をさげて謝罪した。

 それに少年修練士たちは肩すかしを喰らったような顔をする。

 自分たちをかばって論戦を繰り広げてくれるのだろう、と予想していたのだろう。

 アドルムスはそんなエレインの様子に満足すると試合場の奥へと歩いていった。

 それを見て、サラはほっとした表情を浮かべて自分をかばうエレインに近づいた。


「おばあちゃん、ありがとう」


 しかしエレインはサラに厳しい視線を向けると頬に平手打ちを放った。

 ぱん、と乾いた音が鳴る。

 サラは叩かれて目を丸くし、呆然とした。


「サラ、あなたの軽率な行動は多くのユート人が謂れのない中傷を受ける隙を与えたのですよ。それが分かっているのですか」


 サラのアイスブルーの瞳にはみるみる涙が溢れ出した。そして叫ぶように口を開こうとして、何も言えずに口を閉じる。

 自分でも迂闊な行動だったと分かっているのだろう。


「エレイン様、サラ様を怒らないであげてください。我々がいけないのです」


 ユート人修練士の中から一人の少年が歩み出た。

 先ほどアドルムスに福音書の内容を問いかけられた少年だ。

 爽やかな風貌で背が高く、おそらく集団のまとめ役なのだろう、態度の端々に自信が溢れているのが見て取れた。

 ただ先ほどのやり取りを見る限り、その自信は根拠のないものに感じられる。

 そもそも自分たちが悪いといいながらも自信溢れる態度に見える時点で反省の色はない。本心から悪いと思っているわけではないのだろう。

 エレインもまたそんな感想を持っているのか彼に向ける視線は冷たかった。


「そうね、半分は私を引っ張り出すためにサラを唆した貴方たちのせいでしょうしね」


 その言葉は事実だったのか、誰もが気まずげにサラから視線を逸らした。


「そ、そんな……」


 仲間だと思っていた少年たちの行動にサラはショックを受けて走り出した。

 ちょうどウィルの前をうつむいたまま走り去っていく。

 少年たちは申し訳なさそうな顔をするものの誰もサラを追いかけない。

 エレインはそんな少年たちに目を細めるだけで何も言わず、背を向けた。

 それに慌てたのはリーダー格の少年だ。


「エレイン様っ、お待ちください。我々ユート人のために協力してください!」


 どこか芝居がかった調子で呼びかける少年リーダー。


「アドルムス大司教のお言葉を聴いていなかったのですか? あなた方はまだ修練士、そんなことよりももっと自分たちの信仰を深める努力をしなさい」

「しかし、それではユート人の未来が……」

「まるで自分たちがユート人の代表のような物言いですね。貴方たちの行動はユート人を想ってのことではない、貴方たちは革命ごっこがしたいだけ」

「そんなことは!」

「では、私の協力が得られたらどうするつもりなのです」

「エレイン様の人望があれば司教選挙で勝つことが出来ます。アドルムスを大司教から引き摺り下ろせば……」

「イオアン福音書はどうするのです?」

「そんな異端の考え……」


 エレインは首を振る


「イオアン福音書自体は異端の書ではありませんよ。悪魔の獣とユート人を結びつける考えが異端なだけです。しかし福音書の記述がある限り、この考えは無視できません」

「そ、そんなことを言う奴は大司教になったエレイン様が押さえつければ……」

「それがアドルムス大司教とどう違うのです」

「そ、それは」

「結局、貴方は権力者の側に立ちたいだけなのですよ。神に尽くし、人に尽くすのが修道士です。もっと道を学びなさい」


 少年リーダーはそれ以上反論できずに押し黙り、うなだれる。

 エレインはこれ以上言う事はないとばかりに彼らに背を向けた。

 少年たちはうつむいたまま、とぼとぼと解散していく。

 エレインはそのままサラの走り去った方向へ歩き出した。

 そしてウィルの前を通った時に気が付いた。


「ウィリアム様、お恥ずかしいところをお見せしましたね」


 ウィルはその言葉に首を振る。

 正直、ハリストス教の内部事情に興味はない。

 ユート人とアンゲル人の関係についてもウィルには他人事だ。

 ただひとつ気になった事があった。


「あいつらは、一人前じゃないの?」

 

 ウィルは未だにエレインの方を伺っている少年修練士を見た。

 つられてエレインがそちらを見ると、少年は顔をそらして走り去っていった。


「ええ、彼らはまだ『修道誓約』を結ぶ前の修練士ですよ。修道士ほど禁欲的な生活をしているわけではありません。見習いといったところですね、まだ修練士をやめて還俗することも出来ます」

「サラも?」

「はい、まだ十四歳ですから、『修道誓約』は十五歳からなので」

「俺と同い年なんだ」


 ウィルの言葉にエレインは不思議そうな顔をする。


「おや、ウィリアム様はもう騎士なのでは?」


 エレインの疑問にウィルは簡単に事情を説明した。

 主君であるアリエルが意に添わない結婚を迫られている事。

 そのために自分が騎士王にならなければならない事。

 紋章試合に出るために急遽騎士叙勲を受けた事。

 エレインはウィルたちの事情を聞くと頷いた。


「ではもう一人前ですね」

「そうかな? 何か変わったように思えないんだ」


 エレインの言葉にウィルは首を傾げる。

 強いて違いを言うならば自分の紋章を貰ったぐらいだが、まだそれによる税収も入っておらず実感はない。

 しかしエレインは静かに微笑む。


「これから変わるのでしょう。人は成長して一人前になるのではありません。一人前と規定され、ふさわしくあろうと努力することで一人前になるのです」

「へぇ、逆だと思ってた」

「人は皆、違うのです。誰も彼もが十五歳になれば一人前になれるわけではありません。ふふふ、でもこの考えは私の個人的な考え、『異端』ですよ?」


 エレインは悪戯っぽく笑う。

 ウィルはそんなエレインに笑顔を返した。


「そっか、でも俺はその『異端』の考え気に入ったよ」

「ウィリアム様は素直ですね。それは美徳だと思いますわ」


 子供扱いされたのか、褒められたのか分からない言葉だが、ウィルはなんだかくすぐったい気持ちになった。

 そんなウィルの様子を微笑ましげに見ているエレイン。


「それでは私はこれで失礼しますね」


 ひとしきり話すとエレインはサラの走っていった方へと去っていった。

 おそらくサラを探しに行くのだろう。

 ウィルは最初この騒動の行く末を見たら自分たちの天幕に戻るつもりだった。

 しかし、なんだか無性にサラの事が気になりだしていた。

 こういう時、ウィルはあまり悩まない。

 気になったのなら気にしたらいいのだ。

 ウィルは再び馬に跨ると勘を頼りにサラを探し始めた。


 馬に乗ってぽくぽくと街の通りを進んでいると、街中でユート人やアンゲル人をたくさん見かける。

 最初に見たユート人とアンゲル人が修道士たちで、ずいぶん険悪な状態だったのでてっきり二つの種族は仲が悪いのだ、と思っていたが実際は違った。

 露店や井戸端、街の通りと至る所で二つの種族を見かけ、その多くの場合に二つの種族は仲良く暮らしていた。

 ふと気が向いて大きな通りから外れた狭い通りに入る。

 そこはウィルたちのような外から来たものが歩く大通りとは違い、地元の人たちが通うパン屋や雑貨屋、共同井戸といったものがある小さな通りだった。

 井戸の近くでは背中に幼子を背負ったユート人のおばちゃんとふっくらとした体形の声の大きなアンゲル人のおばちゃんが楽しそうにおしゃべりをしていた。

 近くでは小さな子供たちが鶏を追いかけまわしている。

 ウィルはティンタジェル城下町を思い出した。

 その時、隅の暗がりからおばちゃんたちを見ているサラを発見した。

 ウィルは馬から降りて手綱を引くと、ゆっくりサラに近づいた。

 サラは接近するウィルに気づきつつも、身じろぎせずに突っ立っていた。


「エレインが探してたよ」

「……さっき大通りで見ました」

 

 ウィルに視線を向けないまま、サラは暗い声で答えた。


「おばちゃんたちにはユート人とかアンゲル人とか、あんまり関係ないみたいだね」

「紋章試合が行われるから、物が良く売れるんだそうです」

「そう言えば試合場に露店も出てたな」

「みんな、アドルムス大司教のおかげだって……」

「そっか」


 淡々としゃべるサラにウィルは短く相槌を打つ。

 街を見て周る中でウィルも気づいていた。

 教義の事を置いておくと、アドルムスの打ち出した紋章試合の解禁は、カンタベリーの街に多くの利益をもたらしたのだと。

 ユート人を差別するような発言もあるが、それは全てのユート人ではなく、神職に付くユート人に限った話のようだ。街のユート人が人種を理由に不利益を被ったという話は見かけなかった。


「私のやっている事って何なんでしょうか。みんなに言われて抗議したりしたけど、それで喜ぶ人はいませんでした。結局、みんなも私じゃなくてお婆ちゃんを頼りたいだけ……」


 サラの横顔を見ると、蒼い瞳にじんわりと涙が溜まってきていた。

 ウィルはそんなサラに声をかけようとして、口をつぐむ。

 何を言っていいのかさっぱり分からなかったのだ。

 何度か口を金魚のように開いて閉じて、くしゃくしゃと髪を掻き回す。

 面倒になってひらりと馬に跨った。


「難しく考えすぎなんじゃない?」

「えっ?」


 驚くサラに馬上から手を差し出す。


「ほら、掴まって」

「えっ、えっ」


 ぽかんと口を開けて呆然とするサラに、手を差し出し続ける。

 戸惑いながらもサラがその手を取ると、ウィルは力を込めて手を握り、そのまま馬上にサラの身体を引っ張り上げた。


「きゃっ」

「行くよ」


 短く声をかけると馬を走らせた。

 本当は街の通りは襲歩は禁止なのだが、人が少ないのをいいことに襲歩で駆け抜ける。

 突然走り出した馬にサラは驚いてきゃーきゃー叫んだ。

 ただロジェとは違ってその声に恐怖はなく、どこか楽しそうな声だ。

 案外、肝は座っているのかもしれない。


 ウィルはそのまま街の近くの丘の上まで馬を走らせた。

 散々馬上で騒いでぐったりしているサラの横から前方を指さした。

 サラは気だるげにその方向を向いた。

 そこには夕日に照らされて茜色に染まるカンタベリーの街並みが見えていた。

 奥には一際大きな建物、カンタベリー大聖堂が荘厳な姿を見せている。


「キレイな街だ」

「……私も、初めて見ました。街から出たことなかったから」


 それきり二人は無言になってただただ街並みを眺めていた。

 街並みは徐々に赤味を増していった。

 やがてぽつりとサラが呟いた。


「どうして、ここに連れてきたの?」


 サラのウィルを見る瞳はかすかに揺れていた。

 ウィルはその瞳をまっすぐ見つめる。


「俺は、騎士だけど。誇りがないんだ」

「え?」


 サラは問いかけと違う答えに戸惑いの視線を向けた。

 ウィルはそれをまっすぐ受け止める。


「アリエルを守りたいから、戦うのは得意だから、槍をとった。でも騎士がどういう存在で、何をすればいいのか、それが分からないんだ。だから誇りが何かもわからない」

「それって……」

「こないだ騎士叙勲を受けたばかりなんだけど……まだ一人前になれてない」


 ウィルの言葉にサラは口をつぐむ。

 そんなサラの様子を見て、軽い調子で話題を変える。


「馬で走るは気持ち良かった?」

「……うん、最初は驚いたし、怖かったけど、楽しかった」


 驚いたサラは目を丸くするが、先ほどの騎乗のことを思い出して頬を上気させる。

 それを見てウィルは少し微笑んだ。


「色々考えてよくわかんない時は、俺もこうするんだ」


 ウィルの言葉に、サラは自分の大きな胸に手を当てて目を閉じた。

 

「うん、すっきりした気がする」


 サラもまたそんなウィルに微笑みを返す。

 せいせいとした表情をして、年相応の無邪気さが戻ってきたようだった。


「じゃあ、戻ろうか」

「まって、私にも乗り方教えて! 自分で乗ってみたい」

「いいよ」


 だんだんと夕日が傾き、暗くなっていく中で二人の楽しそうな声だけが響いていた。

 

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