2章 大司教座カンタベリー
大司教座カンタベリー
「エゼルバルド様、滞在の間便宜を図っていただきありがとうございました。おかげでとても快適に過ごすことができました」
アリエルはゆったりと微笑む。
ウィンチェスター城にある部屋のひとつで、アリエルはウィルを連れて熊公爵エゼルバルドに別れの挨拶をしている。
部屋は見事な調度品に包まれており、ウィルは思わず部屋の中を見回してしまう。
そしてエゼルバルドの側には狼のような獣耳の騎士ガイが立っていた。
ウィルの視線に気づいてもその黄金色の瞳を揺らしもしない。
「気にすることはない。それよりも、遍歴に同行するなど、本気かね?」
エゼルバルドは本気で驚いた表情を浮かべている。
それほど令嬢が遍歴に同行して旅をするのが非常識な行いなのだ。
しかし常識通りの大人しい令嬢をしていたら、アリエルはガイと結婚しなければならない。アリエルは心苦しそうな演技をして目を伏せる。
「ええ、いくらウィルが優れた武勇を誇る騎士でも、実績もなく
エゼルバルドは感心したように頷く。
「立派な心がけです。儂も何かお手伝いできれば良いのだが……」
アリエルのしおらしい様子にほだされたわけでもないだろうが、エゼルバルドが援助を仄めかす発言をする。
その瞬間、アリエルの目がギラリと光った。
「まぁ、ありがとうございます! でしたら遍歴の旅で必要になるものを融通していただけると助かりますわ。何せ、お礼の為に伺っただけで何の準備もしてありませんもの」
しおらしい様子はどこへやら、勢いよく要求する。
普通ならあつかましい、と一蹴される要求なのだが、エゼルバルドは宴の席でも『父親と思って頼れ』と言ってしまっている。
ましてやアリエルの要求は『おまえのせいで遍歴することになったんだから援助しろ』と言っているのだ。断る事で悪い評判が立ちかねない。
「……む、そうだな。確かにそれはお困りだろう」
アリエルを大人しい令嬢と思っていたのかエゼルバルドは戸惑った様子だ。
それでも即答を控えるあたり、まだ冷静さは残っているようだ。
そこでアリエルは熊公爵の後ろで余裕ぶっている狼男を巻き込むことにした。
「ガイ様も、もしかしたら未来の妻となる女が遍歴に同行するのは心配でしょう?」
もしかしたら、をやたらと強調して言う。
突然話を振られたガイは困惑した様子で口を開く。
「いや、そもそも貴女が同行する必要はないのでは……」
「まぁ、意地悪をおっしゃる。貴方がウィルと戦いとおっしゃるからこうしてウィルが旅立つ事になっているのですよ?」
同行する理由を誤魔化して原因をガイに擦り付ける。
まるで理屈に合っていないが、最初から感情論で押し切った話だ。
そのことをガイも分かっているのか二の句をつげずに黙り込む。
「それは、確かに私が希望したことだが……」
「でしたらお願いできますよね?」
ここでアリエルはニコリと必殺の笑顔を浮かべる。
いままでほとんど無表情だったガイの目を大きく見開き、ぽかんと口を開ける。
その後、ゆっくりと時間をかけて無表情に戻ると黙って頷いた。
こうして援助と言う名のおねだりによってアリエルは長期の旅に必要な馬車や食料、資金などをこれでもかというほど搾り取ることに成功したのだった。
◇
ウィンチェスターから旅立ったウィルたちは、見晴らしの良い草原で休憩をとっていた。
一行の馬車は最初に乗ってきたモノとは違う四頭立ての大型のものになっている。
これはエゼルバルドが王都へと出かける際に使っていた馬車だそうだ。車体にベアクラウンの紋章が描かれていたのだが、ペンドラゴンの紋章に差し替えてある。
エゼルバルドは新しい馬車を手配しようとしたのだが、アリエルがすぐに出発するから、とわがままを言って奪うようにして借りたのだ。
これもアリエルのちょっとした嫌がらせだ。
馬車の中には大量の保存食と資金、アリエルのためのドレスなどが入っている。
「姫様、ちとやりすぎたのではありませんかな」
老騎士が呆れた様子でアリエルに言う。
「いいじゃない、どうせ相手は私を手に入れるつもりなんだから、回収出来ると思ってるでしょ。まぁ、そうは行かないけどね……ふふふ」
アリエルは不敵な笑みを浮かべる。
老騎士たちの乗る馬も新しく若い駿馬に代わっている。
コーンウォールから乗ってきた馬たちはウィンチェスターで売り払った。
ただ一頭を除いて。
「本当にウィルはその子で良かったの?」
アリエルは一人だけ老馬に乗るウィルに尋ねる。
ウィルだけはコーンウォールからずっと乗っている老馬のままだ。
「呼吸が合うから」
そう言って老馬の首筋をぽんぽんと叩くと返事をするように嘶いた。
「ウィル、トーナメントは長丁場じゃ。さすがにそやつでは無理だぞ」
「トーナメントの時はじいちゃんの借りるよ」
老騎士はウィルが一度決めると頑固なことを知っているのでそれ以上は言わなかった。
一方、ロジェは会話にも加わらず一人馬上で四苦八苦していた。
「わっ、ちょ、う、動かないで、あぶ、危ないっ」
手綱を必死に掴んでいるので、揺れるたびに力が入り馬が勘違いしてあっちへふらふら、こっちへふらふらと身体を動かすのだ。
「騎士の扱いは上手くても、馬の扱いは下手じゃな」
老騎士が呆れたように言うが、ロジェは反論する余裕もない。
「は、話しかけないでっ、お、落ちる!」
ふらふらと上半身が揺れて、鐙からずり落ちそうになる。
ウィルは素早く隣に並ぶと猫を掴むように襟を掴んで引き上げると、ひょいと持ち上げて自分の前に座らせた。馬の方は老騎士が手綱を取って誘導していく。
「大丈夫?」
「た、助かったわ」
「乗った事ないの?」
「何度も練習したんだけど、ちっとも上手く乗れないのよ」
「意外だ。何でも上手く出来るんだと思ってた」
「あ、アタシは紋章官だから乗馬なんて下手でもいいのよ!」
ロジェは恥ずかしいのか顔を真っ赤にしてウィルの前で暴れる。
「こんなことなら小型の馬をもらっておくんじゃったな」
老騎士はそう言いながら草原の向こうを見る。
そこには野生の馬がのんきに草を食んでいた。
その馬はウィルや老騎士たちの乗る馬と比べると一回り以上も小さい。
騎士が乗るような馬は百年以上をかけて大陸産の品種と掛け合わせて出来たものだ。本来ブリタニアに生息する馬は小さいのだ。
人一人が乗りまわすぐらいなら小さくても良かったのだが、騎士の装備が重量化するにしたがって馬の大型化への需要が高まった。
またそれだけでなく、重量有輪鍬が発明されると農耕に使う馬も、より大型で力の強い馬が求められた。
そのため、領主たちは独自の飼育場を持つのが常識となり、そこで色々な馬を掛け合わせて大きく力の強い馬をどんどん生み出していったのだ。
騎士が騎乗する馬には大きく分けて三種類ある。
戦闘用の『
軍馬は恐れを知らず勇敢で力も強い馬だ。調教に手間がかかっており、馬の気性にも左右されるため値段は高い。ウィルの老馬も実は軍馬だ。
儀仗馬は騎士の式典用や貴婦人が乗るややスタイルの良い馬だ。大きな歩幅で歩く特殊な歩き方が出来る馬で力も強い。ロジェやアリエルの乗っている馬はこの種類だ。
最後の非去勢馬は安価で色々な用途に使う馬で、貧乏騎士や聖職者が騎乗することもある。荷馬に使うこともあり、現在馬車を牽いているのがこの馬になる。
一人前の騎士はこれらすべての馬を持っているべきである、とされる。
騎士というのはとかく装備に金がかかるのだ。
「どうする? 馬車に乗る?」
ウィルが尋ねるとロジェは大きく首を振った。
「『私は挑戦する』わ! それがアタシの
前に乗せてもらっている上に、足も小刻みに震えているのに意志だけは固い。
そんなロジェに感化されたのか、ウィルは珍しく気合いを入れた。
「分かった。オレが教えてあげる」
ウィルは自分の前に座らせたロジェの手を取って手綱を握らせる。
「ゆっくりやるから力抜いて」
そう言い聞かせると軽く手綱を振って老馬に指示を与える。
「まずは『
「こ、このぐらいなら、なんとか」
老馬は右前脚と左後脚をあげてゆっくりと歩き出す。人間が地面を歩くよりもやや速い程度のスピードだ。
「次は『
「う、うん、まだ大丈夫」
今度は右の前脚と後脚を同時に上げて滑るように進む。次は左の前脚と後脚。
並足よりは速いが、差はさほどない。
「今度は『
「ひっ、は、速い! 速いから!」
並足と同じ脚運びだが、今度は跳びはねるような動きで、一瞬全ての脚が浮く瞬間がある。人間が全力で走るよりは遅いが、結構な速度が出ている。
「最後に『
「ぎゃーっ! 落ちるっ、落ちるぅ!」
左右の前脚を同時に持ち上げて、次に後ろ脚を同時に蹴り前に飛ぶように走る。こうなるともう人間ではどうやっても追いつけない速さになる。
ウィルはそのまま草原を大きく円を描くように駆けまわった。
一面緑の草原にロジェの絶叫が響き渡る。野生の馬も驚いて逃げていく。
ロジェの悲鳴は馬の速度が並足に戻るまで続いた。
ウィルはぐったりしているロジェを地面に降ろした。
「どう? 分かった?」
「……アタシには絶対馬は乗れない、ということがよーく分かったわ」
憔悴しきった顔で言うロジェにウィルは首を傾げる。
説明が下手だったのだろうか、と考え込むウィルに老騎士たちが苦笑する。
「そのやり方で乗れるようになるのはウィルだけじゃよ」
「ロジェは馬車に乗ってなさい。代わりに私がウィルに乗せてもらうわ」
いつの間にか身軽な旅装に着替えたアリエルがふわりと軽やかな動きでウィルの後ろに飛び乗ってきた。
そのまま胸を押し付けるようにしてウィルの腰に抱きつく。
ウィルは
「姫様っ、道中は馬車におってくだされ」
「たまにはいいじゃない。馬車じゃ景色も見えないんだもの」
「しかし、街から離れれば盗賊の類もおります」
「そんなのウィルが倒してくれるから大丈夫よ」
「うん、アリエルはオレが守るよ」
「さすが私のウィルね」
楽しそうに馬上でじゃれあう二人を横目に、ロジェは疲れきった表情を浮かべる。
「どうぞお幸せに、アタシはお言葉に甘えて馬車に乗せてもらうわ」
ロジェの狐耳はぺたりと垂れて、服の下からのぞく尻尾も心なしか萎んでいた。
「もう挑戦はせんのか?」
「挑戦した結果、向いてないって事が分かったじゃない」
ロジェはひらひらと手を振って馬車に乗り込む。
こうして一行はにぎやかな日々を送り、やがてカンタベリーの街に到着した。
◇
カンタベリー大司教座というのはカンタベリーの街の通称だ。
本来は街の一角にある大司教座という教会の領地を指す言葉である。
しかしその大司教座の周りに門前町のように街が発展しているため、街全体のことをカンタベリー大司教座と言うようになったのだ。
この街のランドマークでもあるのがカンタベリー大聖堂。
巨大で美しい白亜の建物で、ブリタニアにおけるハリストス教の総本山だ。
ハリストス教は隣人愛を唱える宗教で、元々はロムルスレムス神聖帝国の国教だ。
ブリタニアでは各地域ごとに土着の信仰を持っていたのだが、ロムルスレムス神聖帝国の教皇が宣教師をカンタベリーに派遣して布教した。
当時ここはケント王国という頭に羊角の生えたユート人たちの王国だった。
素朴で大人しい気質を持つユート人たちはすぐに教義に共感して改宗していった。
それは当時のケント王も例外ではなく、敬虔なハリストス教徒となったケント王は修道院を巨額の費用をかけて改修し大聖堂を建設したのだ。
そうしてカンタベリーはブリタニアにおけるハリストス教の中心地となり、この地にはユート人だけではなく、色々な種族が巡礼に訪れるようになった。
特に背中に羽を持つアンゲル人たちが熱心にこの地を訪れた。
そのため、現在のカンタベリーはユート人よりもアンゲル人の方が多いぐらいだ。
「なんだか静かな街だね」
ウィルは馬上から街の様子を眺めた。
巡礼の地というだけあって、そこかしこに旅の巡礼らしき人々が見受けられる。
しかしそれだけ多くの人がいるのに、ウィンチェスターのような喧騒はない。
服装もなるべく肌を露出しないローブのような修道服を纏っている者が多く、また色も単色で地味なものが多い印象だ。
特にユート人は深々とフードをかぶっているので、その特徴である角が見えないだけでなく顔すらもよく見えない。動きもどこか穏やかでのんびりしている。
そうした人々が集まりつつも粛々と生活しているせいか、森の中の小川のような静かな音しか聞こえてこない。
「いや、そうでもないみたいじゃぞ」
老騎士が街の奥へと視線を向けた。
そこは大聖堂の前にある広場で、大きな天幕にたくさんの人々が集まっていた。
ユート人たちの着ていたのと同じデザインながら赤や青の派手な色のローブを着たアンゲル人たちが忙しいそうにしている。
彼らはフードはかぶらずに顔を晒して翼も見えるように服の隙間から出している。
そしてその前では色とりどりの紋章が描かれた服を着た紋章官、全身鎧を着込んだ騎士たちが列を作り、ガヤガヤと騒がしく待っていた。
ここだけがウィンチェスターの街のようだ。
「なんだか変な雰囲気だ」
ウィルが周りに目をやると、修道服を着てフードをかぶったユート人らしき者たちが受付を遠巻きにして何か言いたげにたたずんでいる。
一方でアンゲル人たちは受付をしたり、案内したりと積極的に動いている。
「随分前からハリストス教じゃあアンゲル人勢力が強くなってて、古い教義にこだわるユート人は閑職にまわされるらしいからね」
青い顔をしたロジェがとぼとぼと歩きながらそう言った。
馬車酔いが酷いので街に入った時にすぐに降りて歩いているのだ。
「なんじゃ教会で派閥争いをしておるのか」
老騎士が呆れた声をあげる。
『祈る人』である司祭は世俗を離れて知の伝道や民の安寧を祈るのが本分だ。
権力闘争に明け暮れるなど言語道断なのだが、残念ながら珍しいことでもない。
何せ大司教という地位は、公爵に匹敵するような権力なのだ。
「どうでもいいわよ。アタシたちの目的は
そういってロジェは列の方へと歩く。
ウィルも馬から降りて手綱を引いて列に並ぼうとする。
その時、列の先頭の方で大きな声が聞こえた。
「このような行いを神はお許しになりません。思い直してください!」
何か列の先頭が騒ぎが起きているようだ。
ウィルは再び馬に乗って上から前方を見た。
遠巻きにしていたユート人らしき修道士が受付をしているアンゲル人修道士たちに詰め寄っているのが見えた。
ロジェが前を見ようとぴょんぴょん飛び跳ねているので、襟を掴んで馬上に引き上げる。
少し暴れたが、前の様子が見えると大人しくなった。
「我々は大司教様の命を受けているのだ。それをお前達は邪魔するのか!」
「大司教と言えど、等しく神の下僕なのです。神の教えをないがしろにして良い理由にはなりません!」
先頭にいる一人のユート人修道女が必死に声を上げる。
顔は見えないが声から察するに女性だろう。
一方アンゲル人修道士たちは蔑んだような目を向けて不遜な態度を崩さない。
そんなアンゲル人修道士に他のユート人修道士たちは苛立った表情を浮かべる。
「あれが派閥争い?」
「そうね、今回の紋章試合はアンゲル人の大司教が許可したものだけど、ハリストス教内部では反対もあったと聞いたわ。それがあの人たちなんでしょうね」
ウィルたちが観察している間にも言い合いはどんどん加熱していった。
更にその間にずっと放置されていた紋章官や騎士たちの間からも不平の声があがりはじめる。その声は受付が進まないことへの文句だったが、その矛先は邪魔をしているユート人に向けられはじめた。
「まずいな、暴動になりかねんぞ」
老騎士が険しい顔をして馬を寄せてきた。
そこへ馬車からアリエルが顔を出す。
「このまま受付の前まで進ませて、あの人たちを止めないと」
「姫様っ! 危険です!」
「放置出来ないわ。彼女たちが斬られてからでは遅いのよ。『我が力の及ぶ限り』最善を尽くすのが私の
アリエルは力強く言い切って、不満げな老騎士に笑いかける。
「そして貴方たちが私の『力』。使わせてもらえる?」
その言葉を聞くと老騎士は目を見開き、さっと馬から降りると流れるような美しい所作で跪礼した。
「主命とあらば、微力を尽くします」
老騎士はいつもの孫娘を見るような目から、主君に向ける真剣な表情をする。
「ウィル、道を開け」
「分かった」
老騎士の言葉に頷くウィル、そして焦るロジェ。
「ちょ、アタシを降ろしてからにし――ひゃあぁぁぁぁっ」
ウィルの操る馬が宙を舞い、ロジェの悲鳴が尾を引いた。
飛び跳ねるように馬車の前方を進みながら、進路を邪魔している馬の尻を剣の鞘で軽く叩く。叩かれた馬は突然のことに驚いて列を乱す。
列の後ろは混乱し大騒ぎになった。
その混乱が先頭にも伝わると暴発寸前だった睨み合いが中断される。
睨み合っていた者達が、列の後ろ、すなわちアリエルの乗る馬車の方を向いた。
多くの者の注目を一身に浴びて四頭立ての馬車が悠然と動きだす。
馬車の脇を八人の老騎士がぴたりと固め、尋常ではない威圧感を発している。
いつもの温和な表情とは違い射竦めるような鋭い眼光にほとんどの騎士が目を伏せた。
これほどの馬車に乗るのが生半可な貴族のはずがない。
騎士や紋章官は自然と道を開け、まるで預言者が海を割るように人垣が二つに割れた。
争っていた修道士たちも息をのんで動きを止める。
念のためウィルも馬車を護衛出来る位置に馬を進めるが、誰一人馬車に近寄ろうとはしない。騒いでいたロジェも今はぐったりしている。
奇妙な沈黙が流れる中、馬車からしずしずと老侍女エマが降りて、受付に声をかけた。
「こちらはコーンウォール公爵アリエノール=コーンウォール=ペンドラゴン様です。皆さま、静粛に願います」
エマもいつもの面倒見の良い、優しい老女ではなく、公爵家に仕える侍女としての顔を見せ上品に、かつ威厳を込めて謳いあげるように言う。
エマの言葉に広場に居た全員の居住まいが正されるようだった。
それを確認して微笑むと、受付をしていたアンゲル人の修道士に話しかける。
「カンタベリー大司教アドルムス様にご挨拶に参りました。案内を願います」
修道士たちはまるでエマ自身が貴族であるように、コメツキ虫のようにペコペコと頭を下げると慌てて馬車を先導する。
老騎士は七人がそのまま馬車の護衛をしながら大聖堂へと向かい、一人はウィルと共にこの場に残った。
馬車が大聖堂へ消えていくと、ゆっくりと止まった時間が解けるように広場に動きが戻ってきた。それから修道士は本来の仕事を思い出したのか、騎士や紋章官相手に
ユート人の修道士たちはもはや相手にもされずに受付から押し出されてしまった。
一人残っていた修道女も苛立った騎士に押しのけられる。
「あっ」
「おっと、大丈夫?」
バランスを崩して倒れそうになったところをウィルが抱きとめた。
はらり、とフードが取れて青みがかった銀髪がきらきらとこぼれた。
肩ぐらいで切りそろえられた髪はふわふわとウェーブを描き、その隙間からくるりと丸まった羊のような角が見える。
ブリタニアではめずらしく小麦色に近い肌の色で大きな目は目尻が垂れている。
ぷっくりと厚みのある唇は修道女にしてはずいぶんと色気が感じられる。
何よりもローブを着ていてもなおはっきりと盛り上がっている双丘に、ロジェの視線が険しくなった。アリエルを見慣れているウィルですら驚くサイズだ。
「はわっ、あ、あの、その……」
二人の胸部への熱い視線に戸惑ってか、修道女は顔を真っ赤にしてあたふたしている。
「何をやっておるんじゃ、まったく……ん?」
老騎士は修道女の顔を見た途端、驚愕の表情を浮かべた。
その視線を感じてか、それとも羞恥の限界に達したのか、修道女は脱げていたフードをぎゅっと引っ張って顔を隠すと脱兎のごとく逃げ出した。
意外とその動きは素早くてその場にいた全員があっけにとられてしまった。
残されたユート人修道士たちは慌てて彼女を追いかけて街外れに向かって走っていく。
「なにあれ?」
「さぁ?」
きょとんとした顔でそれを見ていたロジェとウィル。
しかし老騎士だけはいまだに驚いた表情をしていた。
「……まさか、エレインなのか?」
「じいちゃん?」
老騎士はポツリと呟くとひらりと馬に跨った。
「すまん、ウィル。先に姫様と合流していてくれ!」
「ち、ちょっと、どこ行くのよ!」
珍しく老騎士が慌てた様子で駆けていく。
ウィルは、いつも悠然と構えている老騎士らしからぬ態度が気になった。
「追いかけよう!」
言うが早いかウィルもひらりと馬に跨って、馬上からロジェを引っ張り上げる。
「ちょっとっ! アタシは置いていきな――ひぃいやぁぁぁっ!」
カンタベリーの街に再びロジェの悲鳴が響き渡った。
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