遍歴の旅 エラント
テーブルの上には騎士たちの紋章が書かれた羊皮紙が置いてある。
「五枚もあると
ロジェは楽しそうに羊皮紙を見つめる。
その方法もいくつもあり、紋章の格によって位置が決まったりと色々とややこしいルールがある。それもまた紋章官の知識の内だ。
上機嫌なロジェの前で顔を青くしているのはウィルに負けた騎士の紋章官たちだ。
ウィルに挑戦した騎士たちは、シーズン初日に試合場に来るぐらい無名な騎士たちだ。
当然持っている紋章は少なく、それを初日から奪われてしまえば次の試合すらおぼつかない。そこで、何とか身代金を支払うことで紋章を取り戻そうと交渉に来ているのだ。
紋章試合のルールでは、勝利して紋章を奪っても一年のシーズンが終わればその紋章は元の持ち主に戻される。
初期の頃のルールでは本当に紋章の所有権が移っていたのだが、それではさすがに封土や爵位の移動が頻繁に起きてしまい不具合が起きたのだ。
領主や臣下が試合の結果によってコロコロ代わってしまうのは、さすがに問題だろう。
そこで紋章を賭けて負けた場合でも奪われた紋章は一年で返される、という形に落ち着いた。ただ一年間は勝った騎士のモノになってしまうのでその間に発生する税金収入、褒賞、給料等の権利はすべて奪われる。更に兵役などの義務はこなす必要がある。
完全にただ働きになるというわけだ。
このルール改定によりある程度の混乱はおさまった。
とはいえ、奪われる騎士にとっては死活問題だ。
多くの紋章を持つ爵位持ちの騎士ならともかく、一介の騎士にとっては紋章ひとつでも大事な収入源だ。それが失われるのは非常に痛い。
それに紋章試合で賭け金に出来るのは紋章だけだ。金銭や武具を賭けることは出来ない。
今期も試合に出るつもりなら紋章が奪われたままのは具合が悪い。
そこで交渉によって身代金を払い紋章を買い戻すのだ。
紋章官たちは最初、少女であるロジェを見て組みし易しと思ったのか、強気な態度で交渉してきた。しかしロジェはまったく動じずに交渉しようとすらしない。
それどころか早くも奪った紋章をウィルの紋章に組み込む気満々なので慌てている、というのが現在の状況だ。
紋章官たちは慌ててウィルの武勇を獅子や竜に喩え、ロジェの可憐さを花に喩えて極めて詩的に二人を持ち上げる。こうした言い回しも紋章官に求められるスキルのひとつだ。
もっと大きな試合の時には高貴な観客に向けて自分の騎士を優雅に、格調高くアピールする必要がある。そのためには宮廷風の気取った言い回しが出来ないと話にならない。
ただその美辞麗句も目の前の赤い狐耳の少女の心には響かないようだ。
まるで聞こえていないかのように狐耳は微動だにせず、楽しそうに紋章の
紋章官たちの悲愴な顔は、だんだんと悲惨な顔になってきた。
紋章のやり取りに関しては全部まかせて口は出さないつもりだったウィルだが、さすがに相手が不憫になってきた。
「ねぇ、ロジェ。少しは話を聞いてあげたら?」
「ん? そうね、アタシの騎士様がそこまで言うのならしょうがないわ」
ウィルの一言であっさりとロジェは強硬な態度を崩して交渉に応じた。
それもがめつく身代金を引き上げるような真似もせずにほとんど相手の言い値で紋章を返却した。
紋章ひとつに付き、ソリドゥス金貨六枚、合計三十枚がテーブルに積み上げられた。
それぞれがウィルの賭けた紋章と同程度だったとすると、元の価値の六割といったところだろう。即座に現金化出来ることを考えても安い金額だ。
「王様は蔵にこもって金勘定~♪ 女王は居間でははちみつとパン~♪」
ロジェは上機嫌で童謡を歌いながら金貨を数える。
「はい、こっちがウィルの取り分ね」
そういって半分の十五枚をウィルの方へ押し出す。
老騎士は首を傾げた。
「なぜもっと値を上げなかったんじゃ。奴らならもう少し出す余裕も余地もあったじゃろうに」
「それじゃあ今日で試合をやめちゃうでしょ? あいつらにはウィルの武勇を語ってもらわないといけないのよ。あんな紋章いくら持ってても騎士王にはなれないからね」
ロジェの言葉にウィルは首を傾げた。
「自分が負けたことを吹聴するかな?」
「他に四人もやられた奴がいるじゃない、そいつとの戦いを見たと言えばいいのよ。だから紋章も奪わなかったんだし」
紋章を失っていればお前も負けたんだろう、と簡単に見抜かれるが残っていれば自分は見ていただけだと言い張れる余地がある。
「それでもそんな話わざわざするかな?」
ウィルの言葉にロジェは分かってないな、という顔をして首を振る。
「紋章試合において相手の情報ってのは貴重なのよ。価値がある。あいつらはただでさえ強くないんだから、それを使って情報交換をするわ」
情報の対価を情報で払う、という事だ。そしてそれが繰り返される事でウィルの武勇が徐々に広まっていく、というワケだ。
しかしウィルはそこまで考えて、ふと気づく。
「ん? それじゃあ俺と戦ってくれなくなるんじゃないの?」
「ふふん、それで戦いを避けるような弱い奴に用なんてないわ! それにこのままここで試合してたんじゃ騎士王になれないからね。どうせウィンチェスターに留まるつもりはないんでしょう?」
ロジェの言葉にウィルは少し考え込んで、首を傾げた。
「どうなんだろ?」
「何よ、はっきりしないわね。それじゃあ聞きにいきましょ」
ロジェはそう言うとテーブルの上の金貨を布袋に入れて撤収を始める。
ウィルはその行動力に感心しつつ手伝った。
ウィルたちは貸切った試合場を片付けるとウィンチェスター城に戻ってきた。
客室に入るとアリエルが満面の笑みで出迎える。
「おかえりウィル!」
そしていつものようにウィルを抱き寄せる。
当然のように髪をかきまわして撫でる。
しかし鼻唄混じりのその行為は、それを唖然としてみているロジェを見て中断された。
最初は驚きに目を見開き、すぐに目を吊り上げた。
「ウィル! この女は何っ!」
まるで浮気を発見した鬼嫁のようだが、ウィルは慣れたものだ。
動じた様子も見せずにアリエルの胸元から脱出する。
「俺の紋章官だよ」
ロジェはそんな二人の様子に度肝を抜かれつつも、なんとか平静を取り戻して自己紹介した。
「ろ、ロジーナ・オウルクレストと申します。『亡国の花』と名高きコーンウォール公爵様にお会いできて光栄です」
それを聞いてもアリエルは言葉を発せず、じーっと半眼でロジェを見ている。
「………………」
蛇に睨まれた蛙のように冷や汗を垂らしながら戸惑うロジェ。
アリエルはそのままぐるりとロジェの周りを回って値踏みするように、頭のてっぺんからつま先まで眺める。そしてロジェの横に立ち、耳に口を寄せた。
「……ウィルは渡さないからね」
ぼそりと低い声で言うとニッコリと笑う。
「良くぞ私のウィリアムの紋章官を引き受けてくださいました」
まったく邪気のない無垢に見える笑顔。アリエル必殺の笑顔である。
何も知らない男ならデレデレと鼻の下を伸ばすところだが、ロジェはもちろん顔を引き攣らせて笑みを返すので精一杯だった。
まるで二人の間に見えない火花が飛び散っているかのようだ。
「はいはい、お茶が入りましたよ。いつまでもお客様を立たせてないで、姫様」
そんな妙な空気をあっさり壊して老侍女が紅茶を乗せたお盆を持ってくる。
「はーい、エマ。さぁ、座ってロジーナさん、ウィルの活躍を聞かせてちょうだい」
するとアリエルはコロリと態度を変えて、本当ににこやかに告げる。
今度は先ほどのような悪意の一切ない笑顔だ。
二人の顔合わせが済むと報告会となった。
ウィルが言葉少なに紋章試合を行い五連勝したことを報告する。
「ウィルなら当然ね!」
アリエルは大喜びして話を聞いていたが、すぐに元気をなくした。
「……私の方は収穫なしよ。ある程度の交流は出来るのだけど、具体的な話になるとお茶を濁されるわ」
おそらくはエゼルバルドから暗に何かを言われているのだろう、とアリエルは予想している。しかしだからといって無視されるというわけではない。
むしろアリエルに会いたいという貴族は後を絶たないのだ。
しかしそれは将来ガイと結婚すると思われているからだ、だからご機嫌伺いには来るが具体的な話は一切しない、結婚するまでは意味がないと思われているからだ。
それがアリエルには腹立たしい。
「はぁ、このまま顔だけ繋いでコーンウォールに戻るしかないのかしら」
ため息をつくアリエル。
普段はあまり弱音を吐かないだけに珍しい、とウィルは思った。
やはり誰の助けも借りることの出来ない地で一人奮闘するのは大変なのだろう。
ウィルとしては何とかしてやりたいが、何も出来ない。
戦うことならともかく、交渉や政治のことなど分からないからだ。
そんな自分を歯がゆく思う。
「すぐに戻らなくても大丈夫なんですか?」
報告している間、大人しくしていたロジェが口を開く。
アリエルは困った顔でため息をついた。
「新米領主に出来ることなんてあんまりないわ」
今回もこんな急に領地をあけることが出来たのは、各地を優秀な代官たちが治めているからだ。
もちろん、アリエルに領主としての場数を踏ませるためとか、新たに人脈を築くためとかの理由もある。しかしそれは、現状コーンウォールはアリエル不在でも問題ないということの証明でもあるのだ。
アリエルの自嘲気味の返答にロジェはひとつ提案をした。
「それなら
紋章試合が活発な現在では、騎士が多くの名誉を求めて各地の試合を渡り歩くことを指す言葉に変化しつつあった。
「姫様を連れて
ロジェの提案に声を荒げたのは老騎士の一人だ。
それもそのはずで、そもそも遍歴は騎士が数人の仲間を連れて行う過酷な旅だ。
旅の途中で盗賊や獣に襲われる危険もあるし、病気をした時にすぐに治療を受けられるかも分からない。
騎士が修行として行うならともかく、若い公爵令嬢が行うものではない。
しかしロジェは老騎士の一喝にも涼しい顔だ。
「でも効果的よ。試合の景品にされた姫様が、それを救おうとする少年騎士と一緒に
ロジェの言葉にアリエルが思案顔になる。
「……騎士物語にしてしまおうと言うのね」
「正解です、姫様」
アリエルの答えに満足げに頷くロジェ。
そんなロジェを見てアリエルは苦笑した。
「アリエルでいいわ。貴女はウィルの紋章官であって、私の臣下ではないのだから」
その言葉に虚を突かれた様な顔をしたロジェだが、ニヤリと笑みを返した。
「なかなか話せるわね、アリエル様。もう少し世間知らずかと思ってたわ」
「そう見せてるのよ」
アリエルは平然とそう返すと悪そうな笑みを浮かべる。
先ほどとは打って変わってどす黒い笑みで笑いあう二人。
「仲良くなったみたいで良かった。女の子って結構たくましいよね」
ウィルはそんな二人を見てそんなことを言った。
「……そ、そうじゃな」
老騎士はそう返すのがやっとだった。
アリエルの賛同も得られたロジェは具体的な計画を説明する。
「アタシの提案するルートは、ここウィンチェスターから東周りにブリタニアをぐるっと周って戻ってくるルートです」
ロジェの提案したのは次の目的地は大司教座がある巡礼地として有名なカンタベリーの街だ。
教会のお膝元で長い間、紋章試合からは無縁の都市だった。
教会はずっと『野蛮』で『享楽』的な行いである紋章試合に反対の立場をとっていたからだ。騎士叙勲の際に教会を関わらせる、などの懐柔策によって多少の態度の軟化はあったが、それでもカンタベリーでの紋章試合だけはずっと行われずにいた。
しかし最近になって新しく就任した大司教の方針転換によって規制が緩くなり初の紋章試合が行われる、と話題になったのだ。
そんなわけでカンタベリーでは小規模ながらも紋章試合が行われる。また
「アリエル様、今期の間にウィルに新たに紋章を与える予定はありますか?」
「……残念だけど、無いわ。ウィルはまだコーンウォールのために何の貢献もしていない。それを私の一存で紋章を与えるわけにはいかない」
公爵としての顔を見せて、きっぱりと言い切るアリエル。
ロジェは神妙な顔で頷いた。
「賢明です。そこで、ウィルには自力で
楯に刻む簡易的な楯紋と違い、いくつものパーツからなる豪華で大きな紋章のことだ。
楯紋の上に付く
楯紋を支えるように二匹の
これら六つと
普通、こうした大紋章を持つのは高位の貴族だけだ。
しかし昨今では、紋章試合の勝者に名誉の証としてこうした大紋章のパーツを贈ることが流行していた。紋章も爵位や役職が付いておらず、年に一回報酬がもらえるだけのものだ。一種の勲章のようなモノだ。
そしてシーズンの最後にウィンチェスターで行われる『
大紋章試合の優勝者が必ず騎士王に選ばれるわけではないが、最も騎士王に近づくと言われているのも事実だ。
カンタベリーの紋章試合の
よどみなく今後の日程を説明するロジェに老騎士は胡散臭いモノを見る目をする。
「随分と詳しいな。ウィルの紋章官になったのは今朝のことだろうに」
「言ったでしょ? 必ずアタシと組んでもらうってね。最初からそのつもりで計画を練っていたのよ。ウィルと出会った晩からずっとね!」
ロジェの自信満々な言葉に老騎士は黙り込む。
「……大紋章試合にあわせてウィンチェスターに戻るということは、コーンウォールを丸々一年間も留守にすることになるわね」
アリエルは静かに目を閉じて思案する。
確かに優秀な代官がいるので、何事もなければ領地をあけても問題はない。
アリエルの祖父が、若いアリエルしか継承者が居ない状況を鑑みて、コーンウォールの領政の権限は何人かの代官に分割されており、アリエルはそうした代官をまとめる立場になっているのだ。
なので今までの政策を続行し、代官を信用するのならば、任せることは可能である。
「姫様、さすがにブリトニア中をまわるのに儂らだけでは危険すぎますぞ」
老騎士の懸念は尤もな事だ。隣の友好的な領地だから、という理由で現役引退したような老騎士ばかりで来たのだ。
もっと危険な地域に行くのであれば正規の騎士団を連れて行うべきだろう。
しかしアリエルはそんな老騎士の意見に首を振る。
「いえ、逆よ。これで私が円卓騎士団を連れて遍歴するほうがよっぽど危ないわ。場合によってはその事が引き金で戦争になりかねない」
逆にアリエルは、そうした結果、無用な軋轢を生むと考えた。
今まで接触のなかった領地の公爵が完全武装の精鋭騎士団を引き連れて、領地に侵入する、と考えれば分かることだ。
いくら目的が紋章試合だといっても信用できないだろう。
「むしろ爺たちの方が安全だわ」
それなら退役した老騎士ばかりを連れていた方が、まだ相手を刺激せずに済む、というのがアリエルの考えだった。
アリエルの決断を後押しするようにロジェが唆す。
「アリエル様、カンタベリーはユート人の支配するケント公爵領、その北方にはアンゲル人のノーサンブリア公爵領があります。対サクソン人同盟を組むには最適の相手かと」
ロジェの言葉にアリエルは眉をひそめた。
「あなたは、サクソン人でしょう?」
「はい、ですが、アタシの目的は
平然と言い切るロジェに驚くアリエル。
そして目を閉じて、思案する。
遍歴を理由に各地を訪れ、対ウェセックスのための助力を請う。
可能だろうか? その場合のメリット・デメリットは? 謀殺の可能性は?
遍歴をせずにこのままコーンウォールに戻った場合はどうなる?
アリエルは静かに目を開いて、ウィルの目を見た。
ウィルの湖のような澄んだ瞳は、真っ直ぐにアリエルに向けられていた。
いつもアリエルを見てきた瞳だ。
静かに、しかし強固に覚悟が決まるのを感じる。
「行きましょう、大司教座カンタベリーへ」
凛とした態度で宣言したアリエルに、もう誰も異論を挟まなかった。
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