4*その熱
「仁葉ごめんね。あたしがお弁当を忘れたせいで学食に付き合わせちゃって……」
「んーん、大丈夫だよ!」
食堂から教室への帰り道。申し訳なさそうに眉を下げた梓ちゃんに首を横に振って、笑いかける。
いつもお弁当派の仁葉たち。今日は彼女が忘れちゃったから、仁葉はお弁当。梓ちゃんは学食だったんだ。
高校生になってから一年と一ヶ月にして初めての学食。思ったよりも食堂は広かった。外に木の椅子やテーブルが置いてあったりもしたしね。
だけど、人口密度は予想通り、高かった。
みんな結構学食を利用してるんだねー。あんなに用意されている席が足りてないんだもん。
「今度は仁葉もお弁当じゃなくて、学食にしてみようかな……。梓ちゃん、付き合ってくれる?」
「もちろん!」
仁葉の好きなオムライスもあったわよ、と言われてピクリ。思わず反応する。
「本当? 楽しみ! さっそく帰ったらママに言わなきゃ!」
「あたしもおばあちゃんに言っておくわ」
梓ちゃんは優しいおばあさんと、厳しいおじいさんとの三人暮らし。ふたりともとっても素敵な人で、仁葉も大好きなの。
この人たちが育てたから、梓ちゃんは仕草ひとつひとつがこんなにも綺麗なんだなぁと思うんだ。まぁ、梓ちゃんには重度の暴走癖があるから、さすがのおふたりでもどうにもできなかったんだなぁとも思ってるんだけどね。
『仁葉さん、ありがとう────』
忘れられない、あの言葉。
『梓に優しさをくれて、ありがとう────』
仁葉が初めて光ちゃんとの約束を守れたと思った、あの日。
『仁葉、大好きよ』
梓ちゃんの笑顔に嬉しくなった、あの瞬間。
それが、どれだけ梓ちゃんにとって遠い道のりだったか、わかってしまったから。
男も女もみんな馬鹿だ、大嫌いだと言っていた梓ちゃん。泣きながら過去の話を全て吐き出した彼女のことが仁葉は愛しくて、悲しかった。
そして、梓ちゃんを傷つけた人たちを最低だと、許せないと。強く思ったの。
本当は、梓ちゃんが今もまだ苦しんでいること、知ってるよ。
クラスでも、仁葉以外の人と話したくないと思っているって。仁葉に人が近づくことを恐れているって。
でも、仁葉はそれでも少しずつ努力して、信じようとしている梓ちゃんが好きなんだ。
きっと、いつか大丈夫になるね。
だって、
『ありが、とう……』
そう、たどたどしくもクラスメートにお礼を言えるようになった梓ちゃんは、とってもとっても素敵だったから。
*
教室に戻って来ると、
「あれ、坂元くんがいる」
「珍しいわね」
仁葉たちはいつも教室でお昼をとるけど、坂元くんは一度も教室で食べていたことがない。むしろ、食事姿を見かけたことさえないんだよね。
誰かと食べる約束があるのかも。購買のおばちゃんとおしゃべりをしながらパンを買っているのかも。そんな祈りに近い可能性にかけて、お昼に誘ったことはない。
そんなぼっち飯疑惑が濃厚な坂元くんは、いつも予鈴が鳴ってから教室に戻ってくる。それなのに今日は仁葉たちより早く教室にいる。
っていうか、……眠そう、みたいな?
ゆらゆら、ぐらぐら。頬杖をついて、揺れる頭。
思いきってうつ伏せた方が寝やすいんじゃないかな。
そう思いながら、教室の扉のそばからちらちらと見ていると……。
ゴンッ。
坂元くんは手から顎を滑らせ、おでこを机に強打した。
「え」
「坂元くん、大丈夫⁈」
慌てて駆け寄って、自分のお弁当箱を適当に机に置く。崩れるように横に向けられた顔を覗いてみると、……真っ赤だ。思わず額に手を伸ばす。
「熱い……!」
まるでじゅう、と音がしそうな温度。
これ、かなりの高熱だよ。病院……ううん、まずは保健室に行かなきゃ!
あの日……体力測定の日以来の保健室。
実は、保健室は病院みたいで仁葉はあんまり得意じゃない。注射も薬も嫌いなんだもん。
子どもみたいってよく言われるけど、いくつになっても嫌なものは嫌だよね。
独特の匂いも、雰囲気も、大嫌い。
でも、今はそんなこと言っていられないから。
ごくり。ためらいを呑みこんで、苦しそうな坂元くんの肩を持つ。
「誰か、お願い! 仁葉だけじゃ連れていけないから手伝って!」
*
結局、仁葉と梓ちゃん。それから保健委員の藤原くんの三人で坂元くんを保健室に連れて行った。
仁葉は力がないから、彼の荷物を持って周りをうろうろしてただけなんだけどね。
ぼーっとする坂元くんを支えながら、歩いて。完全に意識を失ったわけじゃないから、ゆっくりでも歩くことができたし、まだましだったんだと思う。
失ってたら、重すぎるし仁葉たちでなんとかできる状態じゃない。逆に意識がはっきりしてたら、きっと彼は断っていたんじゃないかな。だから、ある意味よかったのかも。
それでもやっぱり、辛そうな姿は見てられなかったけどね。
手伝ってくれた藤原くんと梓ちゃんはついさっき、一足先に教室へと戻ることに。仁葉はこの前みたいに「あなたも」と言った先生に頼みこんで、もう少しだけ残っていいことになったの。
保護者の方に直接病院に連れて行ってもらうのが一番だろうと、先生は今電話をかけに行っている。多分その電話が終わったら、仁葉は教室に強制連行なんだろうなぁ。
眠る坂元くんのそばに音を立てないよう椅子を持って来て、そっと座る。
髪をさらりと撫でてみた。汗で頬に貼りついたそれを、絡まらないようにそっと梳く。
熱い息は苦しそうで、見ていて悲しくなる。
撫でていた髪の下。頬と耳の境目に沿うように、一本の線。
────鋭い確かな傷跡。
体力測定の次の日に見かけたやつ。あれ、見間違いじゃなかったんだ……。
跡が残るくらいだもん。結構ひどい怪我だったんじゃないかな。
仁葉にも、小学生の頃の綺麗に治りきらなかった怪我とかはあるけど、こんな場所にはない。膝とかならわかるけど、どうしてこんなところに怪我をしたのかな?
ゆっくりと、その跡を指先でなぞる。
その時、仁葉の手が坂元くんの手に掴まれた。手加減のない、必死な強い力を感じて、ぎゅっと熱が広がる。
「ごめん、」
え……?
「ごめん、ごめんな、」
『光ちゃん、ごめんね』
「守ってやれなくて、俺のせいで……ごめん」
『守ってもらうばかりで、ごめんなさい』
坂元くんの言葉に、仁葉は自分の過去を思い出す。
────坂元くんにも、謝りたい人がいるのかな。謝っても、謝り足りない人が、いるのかな。
夢にまで見るような、そんな特別な人が。
光ちゃんに似てるとばかり思っていた彼の姿が、仁葉とかぶる。違うはずなのに、かすかにリンクしたんだ。
坂元くん。ねぇ、本当の気持ちとか、事情とか。そんなのは知らないけど。
でもね、仁葉、君の欲しい言葉がわかる気がするよ。
「────ありがとう」
息を吸う音が、大きく聞こえる。
「守ろうとしてくれて、ありがとう」
うっすらと開かれた瞳。焦点は合わなくて、ゆらゆら。しばらく宙を漂う。
「────」
聞き取れない、誰かの名前。確かに坂元くんは、囁いていた。
でも、きっとそれは仁葉が聞いていい名前じゃないね。
「坂元くん、大丈夫?」
「え、と、っあ……」
ようやくちゃんと目が合う。小さくにこりと笑った。
「坂元くんね、さっき倒れたっていうか、半分意識失ったちゃったんだよ。覚えてる?」
「あー、……うん。なんとなく、思い出してきた」
ふぅ、と深い呼吸。仁葉の手を離して、頬を伝う汗を乱暴に拭う。
「よかった。今ね、先生がおうちに電話してるよ」
「それで、お前は?」
「え、仁葉? 仁葉は坂元くんが心配だったから、先生が戻ってくるのを待たせてもらってるんだー」
「なんで?」
素早い切り返しに、声を失う。
な、なんでって……。心配だから、って仁葉、今言ったのにな。
「初めに言ったよな。俺には近づくなって」
それなのに、なんで。
掠れた声で告げられたその言葉。それがまるで、泣いてるみたいに聞こえた。
「……君がいつも、さみしそうな。悲しそうな、冷たい瞳をしてるからだよ」
目を見開いた坂元くんの額に手を乗せる。そのままなぞるようにまぶたの上へ。
目を閉じるように促した。
「坂元くん、今日はもうお休みして? 高い熱なんだからしっかり寝て、ちゃんと治さなきゃ」
「すずみ、」
「なにも考えないで。熱の時くらい、ただ甘えていいんだよ」
「……」
「おやすみなさい、坂元くん」
指先から熱が仁葉の中に流れこむ。辛いね、苦しいね。
どうか、夢の中では、君の望む優しい世界が広がっていますように。
仁葉が祈る中。目の端を、そっと雫が滑り落ちた。
吸いこまれるようにすとん、と眠りに落ちた坂元くん。今度は深い眠りみたいだし、きっともうさっきみたいに辛そうな夢は見ないと思う。
シャッとカーテンを引いて、内から静かに出た。
「おまたせ。親御さんに連絡ついたわ」
「わー、よかったー!」
「すぐ来てくれるって。あなたも彼氏のこと、もう心配しなくて大丈夫よ」
かれ、し。………………。彼氏…………っ⁈
「え⁈ ち、違います!」
「あ、もしかしてまだ片思いだった?」
「それもちがーうっ」
ごほっと坂元くんの咳が耳に届く。先生とふたり、慌てて息をひそめた。
坂元くんの方を意識して、囁くように先生と話をする。
「仁葉、坂元くんのことは心配ですけど、そんなんじゃないです。好きな人は、別にいるし……」
「あら、そうなの? ごめんなさいね」
「こちらこそ、あの、勘違いさせちゃったみたいで……」
うう、恥ずかしい。坂元くんと仁葉はそういう関係じゃないのにね。
でも、そっか。光ちゃんのことを知らない人からしたら、仁葉たちの距離は近すぎるのかもしれないね。
仁葉には、光ちゃんだけなのに……。
でも、今のまま坂元くんを放置なんてできない。
そんなことをしたら、取り返しのつかないことになりそう。なにかが起きてしまって、また仁葉は後悔する未来が予想できたんだもん。
だから、もうちょっとだけ。梓ちゃんと、三人で仲よくなれるまで。
それまではこの勘違いを正して回ることはできない。
それでも、仁葉の心の中には光ちゃんだけがいるよ。だから光ちゃん、……気にしないでね。
「じゃあ、仁葉は坂元くんのママが来る前に教室に戻りまーす」
「はい、ご苦労様」
「先生、坂元くんをよろしくね」
ひらり。手を振って、保健室を出る。
扉を閉めたところではぁ、と大きく深呼吸。そのまま仁葉は教室に向かった。
坂元くんの謝罪は、なんだったのかな。熱は大丈夫かな。
心配なことがたくさんあるよ。
光ちゃんに似ている坂元くん。だけど、もしかしたら仁葉と同じなのかもしれない。
後悔を抱えているのかも、しれない。
……ごめん。ごめんね、光ちゃん。
何度謝っても足りないよ。
ちゃんと直接謝れる日まで、仁葉は光ちゃんとの約束を守るけど。
だけど。
ねぇ、光ちゃん。
「いつか、もう一度会おうね」
その、もう一つの約束は、叶いますか?
その光を、追いかけて。 ひい。 @1ovemaple
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