3*その手


「仁葉、次のところ行くわよ」

「待って待って!」


四月末。今日は仁葉のあんまり好きじゃない、体力測定の日。

男子も女子も入り混じり、あちこちで運動させられ記録をとられる。つまり、仁葉の運動音痴が目立つの。


「うう、もうやだ。仁葉は帰りたいです」

「あたしも仁葉がそう言うなら帰してあげたいわよ? でもそうもいかないじゃない」

「どうしても……だめ?」


そっと上目遣いに見つめてみる。お願い、と手を組んだ。


「〜〜だめじゃないに決まってるわよ! いいわ、あたしに任せて! なにがあっても仁葉を逃がしてあげる!」

「嘘ですごめんなさい」


梓ちゃんに言うべきことじゃなかったね。本当にやりかねない人だった。

怖い怖い。


諦めてグラウンドをほてほてと歩く。


「次はなぁに?」

「五十メートル走よ。ソフトボール投げも、立ち幅跳びも済んだから、これが終わったら体育館ね」

「はーい」


じゃりじゃり。砂を踏みしめる。

五十メートル走は同時に六人となかなかハイペースで走っているけど、ちょっと混んでるみたい。梓ちゃんと最後尾に並ぶ。


校舎側をちらりと見ると、体育館にいた男子がソフトボール投げの列に増えている。何人かは記録を測る手伝いのために、距離をとっているように見える。

その中に、坂元くんの姿。

こうして遠目から見ると、坂元くんの髪色だけが輝いて、目立っている。本当、見つけやすい色だなぁ。

びしっ! と立っているわけでもなく、かといって力の入っていないだらけた体勢でもなく。自然なその立ち姿だけでかっこいいなぁと思う。

やっぱり他の人とは違うんだよね。


「仁葉、なに見てるの?」

「ソフトボール投げの方。ほら、見て見て。坂元くんがいるよ」


指差して、梓ちゃんに示すともう! と言いながらもくすくすと楽しそうな黒い反応。


「仁葉ってばそんなもの見て! 目が腐っちゃうわよ!」


腐らないよね。坂元くんはただの人だよ?


「ねぇ。仁葉、は……坂元が好き?」

「え、うん。好きだよ」

「じゃあじゃあじゃあ! あたしのこと、は……?」


思わず口元を押さえて笑った。

梓ちゃんってば、本当に可愛いよね。ヤキモチなんだ。


「梓ちゃん、大好きだよ」


ふるふると震える梓ちゃん。そのまま仁葉に飛びついて、


「らぶ!」


いつもみたいに天使ーっ! と叫んだ。


「仁葉たちー、もうすぐ順番だよー」


梓ちゃんとじゃれていると、クラスの子に声をかけられる。その言葉に振り返った。


「はーい、ありがとう! 梓ちゃん、行こっか」


梓ちゃんはにっこり笑って頷いた。


「はぁ……は、っ……」


わかってた。わかってたことだけど。


「梓ちゃ、ん、はっやい……」


ゼーハーと落ち着かない呼吸。膝に手をつく。

梓ちゃんはぶっちぎりだけど、他のみんなもなかなか早かった。

……あれ、待って。もしかして仁葉が遅すぎるだけ?

どうしたらあんなに早く走れるんだろうと仁葉はうんうん唸る。


「仁葉、お疲れ様」

「梓ちゃん……」


なんでそんな元気そうなの。はい、タオル! と差し出された。

えっと……うん。ありがとう。それはいらないです。

記録用紙にタイムを記入してもらって、グラウンドとはおさらば。体育館に移動する。

その時、用紙が風で飛ばされる。


「あ、待って待って」


追いかけて走って、


「危ない!」


飛んでくるボールが見えた。


「いっ、……」


たくない……?

え、あれ? なに? なにが起きたの?

ぎゅうっときつく閉じていた瞳をそっと開ける。その先には、


「坂元くん……⁈」


右手を押さえる彼の後ろ姿があった。


「っんのばか女!」

「ひゃっ」

「周り見ろよ! こっちはソフトボール投げしてんだ! 危ないだろ!」


どうやら怒っている坂元くんが、飛んできたボールから仁葉を助けてくれたらしい。


「ごめん、ごめんね……」


震える声を絞り出す。

はぁ、と今まで聞いた中で1番重いため息。申し訳なさで体が縮こまる。

すごく、びっくりした。

ぼーっと仁葉が歩いてたせいで、こんな風になって、怒らせる羽目になって。仁葉はまた、坂元くんに迷惑をかけちゃったんだ。

心配して怒ってくれているんだとわかるからこそ、自分のばかさ加減に呆れる。


「っ、仁葉!」

「わっ」

「仁葉大丈夫? 怪我はない?」


そう言って心配してくれるのは、予想通りの梓ちゃん。

気づけば周りには人がたくさんいて。仁葉と坂元くん、それから梓ちゃんの三人を中心に囲まれている。

坂元くんだけじゃなくてたくさんの人に迷惑をかけたんだとようやく気づいた。


「仁葉は大丈夫だよ。坂元くんが庇ってくれたから」


ありがとう、と言おうと振り返って。そしてようやく、彼がまだ手を押さえたままだということに気づいた。


「坂元くん……?」

「っ……」

「もしかして、怪我したの⁈」


やめろ、という言葉は意図的に無視して、腕を掴む。坂元くんの人差し指が赤くなって、腫れていた。


「大変! 保健室に行かなきゃ!」

「別にいい、」

「梓ちゃん、先生に言っておいて」


坂元くんの腕を掴んだまま、離されないように腕を引く。


「え、仁葉⁈」

「ごめん、あとはよろしくね!」


仁葉は校舎に向かって歩き出す。


「痛いよね、ごめんね」

「鈴宮、別に保健室とかいい。平気だから」

「だめだよ!」


仁葉のせいで怪我をしたのに、平気だなんてそんなこと言わないで。坂元くんのその優しさが、逆に辛いよ。

大丈夫なわけないのに、大丈夫って言う。光ちゃんと一緒。

────光ちゃんの嫌いだったところと、一緒だよ。


「すみませーん」


ガラリ。開けた扉の向こうの先生に声をかける。


「どうしたの?」

「ソフトボール投げで男子のボールがそれたのかなー。指に当たっちゃったんです」

「あらー、突き指みたいになっちゃったのかもしれないわね。見せてくれる?」


座ってなにか作業をしていた先生が、ファイルを閉じて立ち上がる。パタパタとスリッパの音をさせて、こちらに歩いて来た。


「いや、大したことないし、大丈夫です」

「だめだって! 坂元くんは見てもらわないと!」


うぅ、困ったな。なんでここまで嫌がるんだろう。

どうしたって、坂元くんは保健室から出て行こうとする。


坂元くんを無理やり椅子に座らせた。そして、彼の肩に手を置いて、動けないようにぐっと押さえつける。


「坂元くん! 仁葉、今すごく心配してるの!」

「は?」

「坂元くんがどれだけ大丈夫って言っても、仁葉のせいで怪我をしたのには変わりないの!」


庇ってもらって、ああ仁葉は怪我しなくてよかったなぁ。なんて、そんなこと考えられないよ。

仁葉は坂元くんのことも、友だちだと思ってるもん。

だから、お願い。手当くらいしてもらってよ。


「女の子に心配させるもんじゃないわ。

さ、早く見せてちょうだい」


にっこり笑った先生。仁葉がじとーっと見下ろした坂元くんが息を吐く。


「……お願いします」


その言葉を理解した瞬間、ぱあっと仁葉は笑顔を浮かべた。


「ありがとう!」


よかった。坂元くんがわかってくれて。

なにかあった時になんの処置もしないなんておかしいもんね。


「はい、これで冷やしてて」


氷を入れた袋が坂元くんに渡される。大人しく受け取った彼は自分の指に当てた。

そっか、まずは冷やさないといけないよね。昔から光ちゃんにしてもらう専門だったから、仁葉は手当てってあんまりわかんないんだ。

そう考えると、光ちゃんはとっても上手だったな。

仁葉もちゃんと見て、覚えておけばよかった。そうしたら、今も先生のお手伝いができたかもしれないのに。


「さ、あなたはそろそろ戻りなさい」

「でも、」

「大丈夫、そんなにひどくないわ」


ほらね? と見せられた患部は、赤いけどそこまで腫れていない。早めに冷やし始めたことが功を奏したみたい。


「じゃあ、お願いします」


ぺこり。小さくお辞儀をする。

またあとでね、と坂元くんにぶんぶんと手を振った。







あれから坂元くんとふたりで話す機会はなく、そのまま次の日。朝は声をかけない約束だし、さらに一限目は選択科目の発展国語。彼と会話をすることはないまま教室移動を済ました。

彼の指にはなにか巻いてあるのは、朝に確認できたたけど……。うーん、わかんない。


「仁葉、怪我なくてよかったわね」

「うん、梓ちゃんにも心配かけてごめんね」

「無事ならいいのよ」


むぎゅう、と抱き締められる。いつもより力が入っていて、ちょっと苦しいけど、大人しくしておく。それだけ心配かけちゃったってことだもんね。


「ね、坂元くんの株は上がった?」

「え?」

「いい人だよね、坂元くん」


梓ちゃんの腕の中。見上げた仁葉は、梓ちゃんにどう思う? と首を傾げる。


「まぁ……よくやった、とは思うわよ?」


梓ちゃんらしい評価。男子を素直に褒めるのが嫌なんだよね。

唇はきゅっと結ばれて、不服そう。

でも、この梓ちゃんがそんな風に言うだけでも十分すごい。


「席に着けよー」


教室に入って来た先生の声に反応する。知らない内に、授業開始時刻になっていたらしい。

発国は吉田先生が担当なんだよね。もたもたしてたら、絶対なにかしら言われちゃう。

仁葉の席でおしゃべりをしていた梓ちゃんが、慌てて席に向かう。


「あ、そうだ。鈴宮」


思い出してよかったーといった様子で出席簿を置いた先生。


「はい?」

「お前、今日居残りな」

「はい⁈」

「サボりのお前と怪我が大したことなかった坂元は、昨日の体力測定の残りをするんだと」


坂元くんの怪我のことはよかったけど、昨日の今日で……? そりゃ、なかったことにはならないと思っていたけど。こんなすぐに体力測定の続きをさせられるなんて。


「うそ……」

「放課後、体操服を着て体育館に来いってさ」


仕方がなく、小さく「はーい……」と返事を返す。チャイムの音に、仁葉はひとり机に沈んだ。







「あ、坂元くん」


放課後、更衣室で体操着に着替え終わると、そこにはちょうど同じく着替え終わった坂元くんがいた。はたと顔を見合わせ、立ち止まる。


「怪我の調子はどう?」

「ソフトボール投げはさすがにできないけど、そんなにひどくない」


よかった。やっぱり本人に訊くまではね、どうしたって不安だもん。

昨日の保健室でのやりとりとは違って、今度は本当だと思うし、やっと安心できる。

そっと息を吐いた。


「お前、は……」

「ん?」


仁葉の方を見つめながらの言葉。

なになに? なんか言ったよね?


「鈴宮は、本当に怪我なかったんだな?」

「え、うん」

「それなら、いい」


怪我をした瞬間は痛くなくても、後から痛みが現れたりするもんね。そういうことを気にしていたんだと思う。

でも、仁葉は本当になにもなかったよ。


「坂元くんのおかげ」


にこにこ笑って告げれば、ふいと顔を背けられる。


「いつもふわふわ適当そうで危なっかしいんだよ、お前」

「えへへ、よく言われるー。いつまでも変わんないねって。ちっちゃい子みたいって、みんな口を揃えてそう言うの」


仁葉だって少しは成長しちゃったりね、してるんだけどね。まぁ……胸とかは変わらない、けど。


「だから、河内はいつもお前に無駄に構うんだな」

「梓ちゃん、世話焼きだよねー。いつも助けてもらってるの!」


彼女の姿が頭に浮かぶ。

……あれ、ここで梓ちゃんの話が出るなんて。もしかして、坂元くんは梓ちゃんみたいな人が好きなのかな?

態度はいつも冷たいけど……。ふふふー、そうだったら素敵だよね。梓ちゃんは正直……うーん、なかなか難しいと思うけど。


「頑張ってね!」

「は?」


坂元くんもまだ気づいてないだろう気持ち。仁葉はこっそり応援してるからね!


その時、またもや記録用紙が風に舞う。ひらひらと仁葉の手をすり抜けた。


「わ、わ、」


うぅ、仁葉ってば本当に学習しないなぁ。また坂元くんに怒られちゃう事態になってもおかしくない。


「お前な……」

「うわーん、ごめんなさいーっ」

「いい。鈴宮は動くな」


仁葉の代わりに坂元くんが取りに行ってくれる。呆れているみたいだけど、優しいよね。

ほら、と差し出された用紙。それを持つ左手と、湿布の貼られた右手。

そして、風で乱れた髪の下。右耳と頬の境目に僅かに見えたのは、傷跡……?

さっと髪はいつも通りに戻り、見えなくなる。今のはなんだったのかな。仁葉の見間違い?


「鈴宮?」

「っ!」

「どうかした?」


用紙を受け取らない仁葉を見てくる坂元くんに、笑顔で首を振る。


「んーん、なんでもない! ありがとう!」


用紙を持って、仁葉は体育館。坂元くんはグラウンドへ。

頑張ってねー! と叫んだ仁葉に、坂元くんは片手を挙げて応えてくれた。




光ちゃん、誰かを守るって難しいはずだよね。なのに、仁葉の周りは守ることのできる人たちがたくさんいるみたいなんだ。

仁葉は守られてばっかりで、光ちゃんみたいにできないよ。

坂元くんと同じで、光ちゃんもよく仁葉を庇って怪我をしていたよね。

ジャングルジムのてっぺんから落ちて。犬に吠えられて。車に引かれそうになって。

怪我をさせてしまうのって、悲しいよ。大丈夫と言われるのって、辛いよ。

この気持ちだけは変わりようがないね。なのに、仁葉はいつまで経ってもドジをしてるんだ。そのことが、とても苦しい。

だから、仁葉になにかあっても、今度は坂元くんのその手で庇ったりしないで。自分を一番に大切にして欲しいと、そう思うんだ。


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