2*その声


「おはよう仁葉ー」

「おはよー!」

「あ、鈴宮、髪跳ねてんぞ」

「え⁈ きゃー、ヤバいヤバい!」


──二年生になって一週間が過ぎた。

クラスにも慣れて、順調な毎日。仁葉は昔から人の名前を覚えるのは早いから、すぐにみんなの名前を呼べるようになった。

朝、教室に入ってくる人がいれば、みんな気軽に挨拶を口にする。今年のクラスはなかなかフレンドリーみたい。

ただひとり……坂元くんを除いて。


「坂元くん、おはよー!」

「……」


自分の席に荷物を置きながら、声をかける。そして、返事のない彼の席の前に立って、机にトンと手をついた。

うーん、毎日飽きずに挨拶してるけど、最近はピクリとも反応を示さなくなってきた。坂元くんってば、仁葉に声をかけられることに慣れちゃった?


いつも通り、頬杖をついて、彼の目線は窓の外。グラウンドの方が気になるみたい。

こんなに外を見るのが好きなんだから、窓際の席だったらよかったのにね。

開いた窓から入る風に、今日も髪が揺れている。

ふわふわ、ふわふわ。ずっと見てたら春のあたたかさから、思わずうとうとしちゃいそうだ。


「仁葉ーっ!」


どっかーん。梓ちゃんが仁葉に飛びついてきた。今日も飽きずにすごい勢いだね。

仁葉が勝手に感じていた、坂元くんとののほほんとした空気。それが、シャボン玉みたいにパッと弾けて消える。


「わー! もう、びっくりしたよー」


見上げればふふ、と楽しそうな梓ちゃん。


「梓ちゃんおはよー!」

「おはよう仁葉! 今日もとっても可愛いわね!」

「えへへ、ありがとう」


にっこり笑って返事を返す。むぎゅむぎゅと抱き締められる感覚が少しくすぐったい。


「あら、坂元もいたの」

「……」

「まただんまり? あんた、本当にムカつくわね」

「朝からうるせぇな……。頭に響く」


顔をしかめて、嫌そうな顔。眉間にしわがくっきりだ。

んー、もしかして坂元くんって低血圧なのかな?

低血圧の人って朝、辛いんだよね。仁葉は違うからわかんないけど、朝はいつも以上に機嫌が悪そうだし……。これは当たってるかもしれない。


「ね、坂元くんって低血圧だったりする?」

「……そうだったら?」


やっぱり! 仁葉の予想、当たりだ!


「じゃあ朝、うるさくしたら辛いよね。ごめんね。もうちょっと大人しくする!」

「そりゃどうも……」


そんな気づかいできるんだ、と言わんばかりの表情。坂元くんの瞳が丸くなる。

仁葉は空気を読めないわけじゃないんだよ。意図的に読まないだけなの。


「あ、でも、またおしゃべりしてね? 坂元くん、せっかくいい声してるんだから聞いていたいもん」


えへへーと笑ってみせる。

だけど、坂元くんからはなんの反応もない。

え、まさかここでも無視? 無視なの? そんなに仁葉とおしゃべりしたくないのかな。

さすがにちょっとだけ悲しくなるよ。


「…………は⁈」


今までで一番大きな声。すごい時間差!

その時、坂元くんの顔を見て驚いた。


「真っ赤だ……」


え、え、なにこれ。仁葉はただ「いい声」って言っただけだよね? それだけでこんな反応なの?

やだやだ、なんかすっごい恥ずかしい!

こんな素の表情で、照れていて。仁葉の言葉に引き出された顔に、胸がきゅううと音を立てる。

思わず胸に手を当てた。


「さ、坂元くん……?」

「っ、」


そっと声をかけると、びくりと肩を揺らした彼。いつもみたいに人を寄せつけないオーラを放っていない。

正直に言って、……可愛い。


「いい声、とか。そんなこと言ってくんな」

「なんで?本当に素敵な声だと思うよ。言われたことない?」

「ない」


それは……うーん、なんでだろ。


「仁葉は好きだよ。坂元くんの声」


胸の奥に響くような声はすごく心地いい。


「あたしの仁葉に赤面してんじゃないわ気持ち悪い。これだから男って嫌なのよ!」

「梓ちゃん……」


安定の容赦のなさ。顔をしかめて嫌悪感丸出し。


「だ、誰が!」


ほらー、坂元くん怒ってるじゃん。男嫌いなのは知ってるけど、ちょっと言い方ひどすぎるよね。


「仁葉には光さんがいるでしょ⁈ なのにこんな奴に好きとか簡単に言っちゃダメよ! あたしに言って!」


なんか最後、違うと思う。

それはそれでおかしいよね? 光ちゃんにだけって話じゃなかったの?

まぁ、確かに梓ちゃんのことも好きだけどさ。


「こう……?」

「うん、光ちゃん! 仁葉の幼馴染のお兄ちゃんだよ! ずっと会えてないけど、大好きな人なんだ」

「……」


……あ、そっか。なんで坂元くんの声が好きなのかわかった。


「坂元くんの声、ちょっと光ちゃんの声と似てるんだ」


大好きだった光ちゃんの声。もう何年も聞いてなかったけど、まさかこんなところで似た声に出会えるなんて!


「俺は光って男じゃない」

「あ、ごめんね。気に障った? でもね、光ちゃんは本当に素敵な人だから……、」

「静かにするんじゃなかったのか?」


冷たい瞳。トーンの変わった、その声。

ここまできて、仁葉はようやく気づいた。

坂元くんを怒らせちゃったってことに。


「……うん、そうだったよね。ごめんなさい」

「ちょっと、」

「梓ちゃん! ……いいの」


今にも坂元くんに掴みかかりそうだった梓ちゃんをとめる。袖をぎゅっと握って首を振った。

今のは、どう考えても仁葉が悪かったんだ。だって坂元くんと違う人と、彼を比べたんだもん。


「坂元くん、本当にごめんね」


顔を歪めるように笑みを浮かべて、仁葉は自分の席についた。

せっかくおしゃべりしてくれてた坂元くんを嫌な気持ちにさせて。本当に、仁葉はばかだなぁ……。







気まずくて、あれから坂元くんに話しかけられないまま三限目を迎えて。今は仁葉が比較的得意な現国の時間。


「二十一pの三行目。『しかし』のところから線引いて」


言われた通り、ピンクの蛍光ペンをキュッと引く。そのまま先生の解説をノートにメモを取った。


「今のところが主人公の心情を表すからなー」


否定に続いているのは本当の気持ち。そんなこと、すぐにわかった。

問題はとっても簡単。深く考えなくても理解できる。

でも、これが現実だとそうは簡単にいかない。

わからないことだらけ。うまくやれないことだらけ。

いつだって仁葉は間違えてばかりだね。

四年前も、五年前も、その前も。ずっとずっと間違えてきた。大切なものを傷つけてきた。

今も、仁葉は根本的なところでは変わっていないんだ。

大切にしたいものがあって。救いたいものがあって。

どうしたらいいのかな。どうしたら、仁葉は光ちゃんとの約束を守れるの……。


「じゃあ坂元」


突然呼ばれた坂元くんの名前に反応する。

立ち上がった彼の影が仁葉の机の上で揺れる。どうやら先生が教科書を読むように指示したみたい。


「そうして彼は────」


きっと次は後ろの席の仁葉だよね。慌てて教科書を目で追って、どこを読んでいるかを確認する。

淡々と、だけどちゃんと聞こえる。とても優しい、坂元くんの声。

よくよく聞いたら、坂元くんの声は光ちゃんの声とは少し違う。光ちゃんより高くて、どこか冷たい。

だけど、だけどね。同じ声じゃなくても、仁葉の求めていた声と違っても。それでもやっぱり、変わらず素敵だと思うんだ。


彼の声に耳を澄まして、心を寄せて。瞳を閉じながら、仁葉はまた少しだけ自己嫌悪におちいりそうになる。

だけど。ああ、もう。……だめだなぁ。

こんな風に落ちこんでちゃいけないよね。

仁葉がだめな子だなんて、ずっと前から知ってるし、そんなのは今さらだ。そんなことを気にしてちゃ、仁葉はまた動けなくなる。

後ろは振り返らない。前だけ見て、足を止めない。そうやって駆けるように、ひたすらに生きるって、あの日そう決めた。

その決意は今も変わっていない。変わることなんて、ありえないから。

だからね、仁葉は坂元くんにまた声をかけるよ。どんな小さなことでも、ちゃんと笑顔を添えて。

何度でも、何度でも。







その日の放課後。終礼も終わり、みんな解放されて自由になる。

部活に行く人。掃除をする人。ダラダラともう一度席に着く人。

そんな中で、坂元くんは……早く帰ろうとする人。

ざわざわ、と揺らぐように響く教室の中。仁葉自身のこくりと唾を飲みこむ音がやけに大きく聞こえる。

心臓、痛い。ドキドキして、苦しくて、……怖い。

そうだよ、すごく怖いの。拒否されたらって思ったら、どうしたらいいかわからなくなる。

だって、大切な人に受け入れてもらえないことの悲しさは、胸に重くいつまでも残るから。仁葉はそれを知っているから。

それでも、


「さ、坂元くん!」


ガタン、と立ち上がり、勇気を出して呼び止める。目の前でリュックを背負った彼が動きを止めた。


「────また、ね。また明日ね!」


おはよう、も。また明日、も。言える間は何度でも口にするよ。

だって、仁葉たちの間に壁はないもん。距離なんて、ない。

ちゃんと伝わるはずだから。


「……うん」


ほら、ね。届いた。

背を向けたまま、確かに頷いた坂元くん。

「また明日」なんて返してくれたりなんて、そんなことはなかったけど。それでもいいの。

仁葉の言葉を受け止めてくれた。受け入れてくれた。

それって本当にすごいこと。すごく、幸せなことだもん。

そのまま言葉を交わすことはなく、坂元くんは教室を出て行った。

実は同じ方面の電車に乗るみたいだから一緒に帰れたらいいんだけど……。でも、それはまた今度。今日はこれだけで十分。

いつか一緒に帰って、寄り道したり。そんなことができるように仁葉がたくさん頑張るんだ。


「仁葉、よかったわね」

「うん!」


頭を撫でて労ってくれる梓ちゃんそばで見守ってくれていた彼女にぱっと笑顔を向ける。


「でも、やっぱりあの態度は嫌いよ。仁葉に対してあんな風で……。あいつ、次に同じようなことしたらただじゃおかないから」


梓ちゃん……。仁葉のこと、気にしてくれてるのは嬉しいけど、やっぱりすごい発言だよ。坂元くんの机を睨みつけている表情は震え上がりそうなくらい怖い。

仁葉は坂元くんが怒ったのは当然だと思ってるんだよ。だって、似てるって言葉は褒め言葉じゃないもん。


「仁葉はすぐ人の嫌がることしちゃうから、仕方がないんだよ」

「仁葉ぁ……」


わかってしてるところもある。だけど、傷つける気なんてないんだけどね。

泣き出しそうな梓ちゃんの表情に仁葉は眉を下げる。


「もしかしたら、仁葉が気づいてないだけで梓ちゃんだって嫌な想いをしてるかもしれないし」

「そんなことないわ!」

「そう?」


首をぶんぶん、と振る梓ちゃん。仁葉はへにゃりと笑ってみせる。

その言葉が本当だったら、いいなぁ。梓ちゃんは仁葉に甘いから、我慢してる可能性だってあるしね。


「じゃあね、もし梓ちゃんが仁葉のしたことで嫌だなーとか思ったら、ちゃんと言ってね。坂元くんみたいに、ばかな仁葉でもわかるようにしてね」


約束だよ、と言えば、そんなことありえないとしぶりながらも了承してくれた梓ちゃん。仁葉は「ありがとう」と抱きつく。

そのまま「帰りましょうか」と言った彼女のその優しい声に、目を閉じたまま仁葉はしっかりと頷いた。




光ちゃん。仁葉は相変わらず間違えてばかりです。

今日は坂元くんを怒らせてしまいました。

空気を読まないのが仁葉だけど、あんな風に苛立たせちゃいけないのに。

なんでも「いいよ」って笑って許してくれた光ちゃんとは違うんだもん。坂元くんが怒ったって当然だよね。

上手く謝ることができたとは思えない。でも、きっと坂元くんは許してくれたと思うんだ。

もう嫌な気持ちにさせないように、明日も変わらず挨拶をして、今度はちゃんと朝は静かにしよう。

そして、休み時間。仁葉はまたきっと話しかけるから。

その時にはまた君の声を聞かせてくれると嬉しいな。



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