1*その色


「仁葉ー! あたしたち今年も同じクラスだったわよー!」


そう言って、友だちの河内かわち あずさちゃんが仁葉にぴょんと飛びついた。薄いグレーのプリーツスカートがひらりと揺れる。


「わ、梓ちゃん危ないよーっ」

「ごめーん。だって、仁葉と同じクラスになれるか不安だったんだもの」

「仁葉は一緒になれる気がしてたよ!」

「やだもう運命みたいね」


ふふっと笑っている梓ちゃんに仁葉も笑顔を返す。


綺麗なミルクティー色のショートヘア。アーモンド型の瞳。モデルさんになれそうな体型。

黄色のシャツにオフホワイトのカーディガン、と膨張色の制服も着こなして。仁葉と違って赤のリボンじゃなくて男子と同じネクタイ、もしくはなにも着けていないのも似合ってるんだ。

勉強もなんでも出来る完璧な美女。それが、梓ちゃんなの。


童顔だし、胸もなく身長も低い幼児体型の仁葉とは全然違う。

仁葉が幼く見えるのは、癖の強い髪をツインテールにしてるのもあるのかな。「プードルみたいで可愛い!」と梓ちゃんが喜んでくれるからこの髪型だけど、大人っぽくなりたかったら止めなきゃね。


梓ちゃんは、出会った頃はあんまり笑わない人だった。人と可能な限り距離を取って、いつもひとりで頬杖をついているような。そんな感じで、手負いの獣みたいな雰囲気をまとっていた。

でもね、今じゃ仁葉と同じ……ううん、それ以上のテンションで話をしてくれるの。

ドジばっかりしてる仁葉を助けてくれるけど、猫可愛がりしてくる。だからまるで親バカなママみたいだなぁってちょっと思ってるんだ。

そんな梓ちゃんは、実は人間嫌いで……特に男子が嫌いなんだって。前に梓ちゃんは辛そうだったけど、それでも話を聞かせてくれたことがある。「よくあることだよ」なんて笑っていた姿がどうしようもなく切なかったし、仁葉も苦しくなった思い出がある。

でもね、今だに男子には冷たいけど、女の子には優しくなってきたんだ。これってきっと、過去を乗り越えてきたってことでしょ? 仁葉はそれがすごく嬉しいんだ。


「あ、そういえば仁葉たちって何組になったの?」

「一組よ。坂元さかもと てるって男が間にいなかったら今年も席が前後だったのに」

「んー、でも河内と鈴宮だから仕方ないよ」


ぽふぽふ、と背中を叩きながら言うと、


「呪いましょうか」


真顔で恐ろしいことを言われる。


「そうね、きっとそれがいいわね。ちょうど名前も輝かしくって鬱陶しいもの」

「梓ちゃん怖いよ」


梓ちゃんのこのヤンデレで暴走気味なところはどうにかならないものかなぁ……。

仁葉の目を見ないで、悪い笑みを浮かべる彼女に身震いする。

なにを見てるのか、考えているのか。訊くこともできない。


「そんなことしちゃダメだよ! ほら、教室に行こう?」


ね? とにっこり笑ってみると、ふるふると震える梓ちゃん。


「マイエンジェル!」

「あはは」


手を組んできらめく瞳。「仁葉は可愛いわねーっ」と騒ぐいつもの梓ちゃんに思わず笑う。

オーバーだなぁ、ほんと。


たくさん笑う、言葉遊び。

わざと頬を膨らませて拗ねてみたり。怯えてるふりをしてみたり。階段でつまづいて脱げたスリッパを慌てて拾ったり。

はしゃいだ日常の出来事。

そんな梓ちゃんとのやりとりは楽しくて。楽しい、から……。


『仁葉は可愛いよ』


その何気ない言葉に、五年以上前のあの日々を思い出す。思わず、声を漏らしてしまった。


「会いたい、なぁ……」


ぽつり。そんな言葉にも梓ちゃんは反応してくれる。


「光さん……?」


うん、と小さく頷いた。うつむいたまま、「えへへ」と誤魔化すように苦く笑う。


梓ちゃんの言う光さんとは、仁葉の五つ上の幼馴染のお兄ちゃん。仁葉の好きな人────西野にしの こうちゃんのこと。

小学生の頃からずーっと好きで。好きで、好きで、いつも光ちゃんの後ろをついて回っていた。

背中ですら、見つめていたら嬉しくて。こっちを向いてくれたらもっともっと嬉しくて。

仁葉が小学四年生、光ちゃんは中学三年生の頃。「仁葉が中学生になったら考えてあげる」って言われて、その時は本当に嬉しかったなぁ……。

中学生になる時には、仁葉は引っ越しちゃったんだけどね。


今でも仁葉の一番は光ちゃん。光ちゃんのことだけが、好き。大好き。

ずっとずっと会えてないし、連絡もとれないけど、それでも変わらない気持ちがある。

梓ちゃんには何度も光ちゃんの話をしてるから、「男子なんて」とぶつくさ言いながらも応援してくれているんだ。すごくすごく嬉しい。

仁葉は幸せだよね。




ねぇ……ねぇ、光ちゃん。仁葉は中学生も終えて、二年目の高校生活に突入しようとしているんだ。

あの約束をした光ちゃんの年────高校二年生になっちゃったんだよ。

お別れの前に交わした、光ちゃんとの約束もずっと守っているよ。

…………今、仁葉ね。

すごく、光ちゃんに会いたいよ。







教室に着いて、座席表から自分の席を探す。仁葉の席は左の窓際二列目の前から四番目。梓ちゃんはそのふたつ前。


「一番前じゃなくてよかったねー、梓ちゃん」

「そうね。これで仁葉と前後だったら文句なしだったのに」

「まだ言ってるの?」


くすくす。笑いながらふたりでじゃれ合う。

そして次の瞬間、視界に入ってきたものに仁葉は目を奪われた。


「……きらきらしてる」


透けるように色素の薄い髪。金髪、だよね。初めて見た。

髪が、窓から入る光に当たって輝いているみたい。


「ねぇ! 髪、綺麗だね!」

「ちょ、仁葉⁈」


男子だし、髪の色も色だから、関わるべからずと思っていたであろう梓ちゃんを置いて、仁葉は駆け寄る。にっこり笑って話しかけるも、ちらりとも目を向けられない。


「春休み中にでも染めたの? この髪色の人、仁葉、見たことないと思うんだけど」

「仁葉! なに話しかけてるの!」

「え? 雑談だよー」

「刺激しないの!」


刺激ってまたひどい言い方だなぁと苦笑しそうになった時、


「うぜぇ」


目の前の彼が言葉を発した。

低くて、少しかすれた声。髪にばかり注目していたけど、声も顔もすごくかっこいい。

綺麗な二重に薄い唇。鋭い瞳のキツいところも素敵。ちょっと長めの髪の色が彼を目立たせている。


「ねぇねぇ、君の名前は────」

「ああん? あんた今なんて言った? 『うぜぇ』ですって? この超絶可愛いマイエンジェル仁葉に向かって⁈」


すごい勢いの梓ちゃんに遮られる。


「優しい優しい仁葉があんたに話しかけてやってるのに、その態度⁈ ふっざけんじゃないわよ!」

「……」

「ちょっと、聞いてるの⁈」

「……」


うーん、カオスだね。


「梓ちゃんいいよー。大丈夫」

「だって、仁葉ぁ……」

「それに梓ちゃんもはじめはそんなことを言ってたじゃん」

「う、や、その。あの頃はあたしも荒れてたのよう」


うんうんわかってる、と宥める。仁葉は別に梓ちゃんを責めてるわけじゃないんだよ。


「梓ちゃんがごめんね」

「……」

「そうだ、名前! 名前言ってなかったよね! 鈴宮 仁葉です。君の名前は?」

「……」

「あ、待って待って。仁葉の前の席ってことはさっき梓ちゃんが言ってた! 今、思い出すね」

「……」

「んーとね、確か、坂元くん! ね、坂元 輝くんでしょ⁈」

「……」

「答えがないってことは間違ってないってことだよね? えへへ。やったぁ、当たりだ!」

「……」


なにも話さない坂元くんの前。ひとり盛り上がる仁葉と、さっきの話のせいで口を挟めない梓ちゃん。

手を合わせて飛び跳ねたり、机に手をついて身を乗り出したり。ころころ変わる表情、仕草。

そんな仁葉と対極の坂元くんは、口を開かない。

はぁ、と重いため息が聞こえた。

発生源は坂元くん。めんどくさいと言いそうなその態度が、やっぱり昔の梓ちゃんと少しかぶる。


「ひとつ、質問に答えてやる」


ようやく話をしてくれたことが嬉しくて、笑いながらなぁに? と言う。


「俺が髪を染めたのは春休みじゃない」

「え、そうなの? んー、今まで見たことないと思ったんだけどなぁ」

「転校してきたんだ」


ああ、そっか。なるほど。学年の切り替わった時の転校生は、普通に教室に入れられてるもんね。

うんうん、と頷く。


「前の学校で問題を起こして、いられなくなったからここに来た」


「え……?」

「だから、もう俺には近づくな」


その瞬間、担任の先生が教室に入ってきて、話は強制終了。名残惜しそうに自分の席につく梓ちゃんと、なにごともなかったかのように頬杖をついている坂元くん。

先生、タイミング最悪だよ……。

ふわり。風に揺られて、目の前の坂元くんの髪が踊っていた。


座席に着いても、じーっとそのまま後ろ姿を見つめる。先生の話はどうせ代わり映えしないから適当でいいや。

まさかの去年と同じ担任だしね。


吉田よしだ 和哉かずや先生──一部ではヨッシーと呼ばれているんだとか。緑色のジャンプを頑張る生き物が頭に浮かぶニックネームをしてるの。


「はい、じゃあ始業式があるから体育館に移動前の席の奴を気にして俺の話を全く聞いていなかった鈴宮は、戻る時に職員室で配布するプリントをもらって来いよ」

「え」

「イケメンは後ろ姿もイケメンだったか?」


にっこり笑った吉田先生。なんだかほの暗いオーラが見える気がする。

これはちょっと怒ってるね?


「えへへ、吉田先生も斜め前から見たらイケメンだよ」

「嫌味か」


その時、去年から引き続き同じクラスの元委員長が「体育館に行かなくていいんですか?」と言った。ようやく本題を思い出した吉田先生に急かされて、仁葉たちは教室を出る。


始業式の最中。つまらない校長先生の話に飽きた仁葉は隣に座る坂元くんに小声で話しかけた。


「ねぇねぇ、坂元くん」

「……まだ話すのか、お前」

「えー、話すよー。仁葉、坂元くんと仲よくなりたいもん!」


呆れた様子だからって気にしないよー! だってその坂元くんの金色の髪、綺麗で好きだしね。


「言っとくけど、こうなった仁葉はめげないから。あんたもあたしと同じように仁葉が好きになるでしょうけど、譲ってなんかやらないわよ!」


うーん、それはちょっと想像できない。多分こんな仁葉を好きになってくれるのなんて、梓ちゃんだけだと思うな。

キッと梓ちゃんが坂元くんを睨みつける。


「……うるせぇな」

「なんですって⁈」

「……」


またふたりは揉める……。坂元くん、ため息吐いちゃってるよ。

梓ちゃんと坂元くんって相性が悪いのかな? もっと仲よくできたらいいのにね。


「あ、ねぇ。坂元くんがそんなにツンケンしてるのって転校生だから? 緊張してるの?」

「は?」

「ならね、大丈夫だよー。仁葉も転校経験者なのです!」


腰に手を当てて、えへん! と控えめな胸を張る。


「学年の入れ替わりの時期だしすぐに慣れるよ」

「鈴宮って、転校生だったんだ」


おお! 初めて仁葉の名前呼んでくれた! でもきっとここで喜んだらもう二度と呼んでくれないよね。えへへ、黙っとこーっと。


「うん! って言っても中学一年生の話だから随分前だけどね」


でもあの日は仁葉の第二の人生の始まりの日だったんだ。緊張したよねー、それもすごく。


「お仲間だから、仲よくしてねー!」

「ないわ」


あらら、ふられちゃった。

手を振っても、顔を背けられておしまい。


「ひ、仁葉っ」

「なぁに、梓ちゃん」

「吉田先生が見てるわよ……」


うわぁ、本当だ。教員たちのスペースから、目を怒らせた先生がちらちらと見えている。怖い。


「これはあとで三人でお説教コースだねぇ」

「まじかよ」

「坂元だけでいいのに」

「一番話してたのは仁葉だけどね」


てへへ、と笑いながらのコメント。その通りと首を縦に振る坂元くんと、そんなまさかと横に振る梓ちゃん。ふたりの対極の反応が面白い。


正直ふたりとも、仁葉に巻きこまれている。でもね、それでいいと思うの。

三人で一緒に怒られて。三人で一緒に罰掃除なんかして。仲よくなるためには、同じ空間に少しでも長くいることが大切になってくる。

きっと、坂元くんは罰掃除もサボらない。なんだかんだで真面目と見た!

こうやって、少しずつ仲よくなっていこう。ピリピリした空気を発してひとりきりなんて、そんなのダメだよ。

小声で、だけどかなり目立ちつつも騒ぐふたりを見て、仁葉はふふーっと口元を押さえて笑った。




光ちゃん、転校生はどうやらわけありみたいです。

仁葉に救えるかな。梓ちゃんの時みたいに、仲よくなれるかな。

……ねぇ、きっとなれるよね。

仁葉ね、坂元くんは悪い人じゃないと思うんだ。

本当に悪い人だったら、「問題を起こした」とか「近づくな」とか、人を遠ざけることをわざわざ言ったりしないもん。

仁葉は頑張るよ。

だって。

だって、他でもない光ちゃんとの約束があるから。



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