第4話


石川県は能登の、七尾線の中。博と青木の二人。飛び乗ったのは良いが、ヒーターはまだ効いておらず、車内は冷えきっていた。寝不足でぼんやりしていた頭と目が、一瞬にして覚めた。そこで震えながら、今夜以降の事を相談する二人だった。やはり、問題は宿の事。これだけ冷えると、テントは応える。青木がアイデアを出した。レンタカーを一週間借りても三万円。それを二人で割ろうと言う事だ。一人分、一万五千円。宿泊は確保できた。五千円で七日間の食事。相当余裕がある。なんせ、一日千円使える計算だ。

 二人は即、羽咋駅前のレンタカーショップに入った。バンを借りて交代で運転し、取り敢えず、能登半島の七尾方面に走った。食事代を浮かすため、当然のごとく三食は摂らず、夜、一食だけだ。何を食うかはその時に決める。その日は、和倉温泉まで行って、まずは大衆温泉を浴びた。温泉に入ると、疲れが取れた。そして今夜の食事だ。酒がメインで、食事は突き出しだけと言う、つけ足しだった。しかし、今夜は足袋の滑り出しであり、二人とも初めての北陸、と言うこともあり、青木の提案で

“能登のご馳走を食べながら飲もう”

と言うことになった。しかし、博は気乗りがしない。まだ旅の始まりだ。金が心配だ。

「俺、金無いって」

「いいよ、貸すよ。だからやろうよ」

「ええ、また借りるのかよ。参ったなあ。ま、いいか。じゃ、借りるよ」

 三年で単位を取得してしまった青木は、深夜のバイトをしており、二桁の貯金をしていた。軟式野球同好会のチームメイトも、全員が知っている。みんな、《青木バンク》と呼んで借金をしていた。博も、チームの反省会の時など、借金をしていた。青木も気安く貸してくれるので、みんな借りやすかったようだ。しかし、取り立ては厳しく、

「まるで、悪徳金融のようだぜ」

と、よく借りた梅原は言っていた。ま、元はと言えば借りる方が悪いのだが。そう言うことで、その夜は、【丸干しイカ焼き(※真イカを、ワタ入りのまま干したもの)】、【くちこ(※ナマコの卵巣を塩漬けしたもの)】のご馳走を食べながら、酒を飲んだ。博は、青木に借金だ。ねらうは、青木が飲んでこの件を忘れてくれる事だが、このねらいは、悉くはずされる。酒を飲んで、青木が忘れる事は皆無だった。近くのラーメン屋に入ると、さすがに暖かい。二人の眼鏡が同時に曇った。締めに、ここ独特の【ざるラーメン】と日本酒を頼み、乾杯した。

「済みませんね、自分探しに付き合ってもらって」

盃を合わせながら、博が言った。

「あったりまえだよ。忙しいっつうのに、いきなり来て、夕方の電車に乗ろう、って言うんだからな。しっかり探せよ」

 盃を合わせながら、激励してくれる。迷惑も十分あるだろう。食べ終わった二人は、気合を入れると、ダウンジャケットの襟を立て、帰路についた。車の中はさすがに、キーンと冷えている。急いで服のまま、そして、ラーメン屋の温もりを抱きしめるように、シュラフ(※寝袋)にもぐりこんだ。

このレベルの寒さには、三年の時に出会った事がある二人。信州に十一月にキャンプに行った時の事だ。キャンプ場なら、水やトイレもあるだろうと、松原湖キャンプ場へ言った。青木はそこから蓼科高原や霧ヶ峰を縦走し、諏訪湖へ降りて電車で帰ってくると言う。博は、小諸城跡と千曲川を散策し、好きな作家である島崎藤村に、思いを馳せて来ると言う。しかし、昼過ぎに着いたキャンプ場は、どうも開いている気配が無い。取り敢えず行ってみると、案の定閉まっていた。しかし、管理人さんがいたので

「ここでテント張らせてもらえませんか」

 と尋ねてみると、

「冬場だからもうやってないんで、施設は使えないけど。テントと水、それとトイレだけだったらいいよ」

 と言ってくれた。丁寧にお礼を言ったものの、管理人さんは訝しげだ。明らかに変な二人だと思っている。

「本当にテント張る気」

 と、つい本音が口を突いて出た。信州の爽やかな空気と、抜けるような青空。雲一つ無い。駅から歩いて二十分かからない。さすがに、蓼科高原からの空気は、清涼感が溢れていた。そんな自然に、二人とも心浮き浮きで来たのに、何かすっきりしない管理人さんの言葉。

「はい」

訳が分からず、不安そうに返事をした。

「なら、いいけど。気を付けてね」

 と、すぐ前の水道の蛇口に取り付けてある、寒暖計を指差して部屋に戻った。何気なく気温を見た二人は、目が点になった。まだ、午後の二時過ぎである。夏なら、暑くて居られない時間帯だ。それが寒暖計のメモリは【零度】を差している。そう言えば確かに、東京のこの時期の風とは違う。爽やかだが、冷気を感じる。二人は、一瞬たじろいだがここまでくれば仕方がない。手早くテントを張り、早めにインスタントラーメンを作って食べた。そして、新聞紙を体に巻くと、そそくさとシュラフにもぐった。もちろん、夕方から冷えてはきたものの、

「心配するほどなかったな」

と、二人ともゆっくり焼酎を飲んで九時ごろ眠った。しかしそれは、寒さの序章に過ぎず、寒さで初めて目を覚ましたのが十二時。それからは、新聞紙を体に巻いたが、焼け石に水。どちらかが一時間おきに目を覚ましては焼酎を飲んで寝る、と言う行為を繰り返す羽目になった。とにかく、冷えて歯の根が合わない。ま、その寒さ自体は良かったのだが、明らかな寝不足だし、一晩で一升瓶が空いてしまうと言う、不測の事態に焦った経験がある。

この経験があるからこそ、この能登半島の車中は、シートの固さを抜きにすれば、寝心地は良かった。寒くて目が覚めるので、翌朝はやはり早く目が覚めた。特に、よく食う男青木は、空腹で目が覚める事が多い。その日は、朝から半島の上を目指して進んだ。国道二四九号線を上り、【輪島】の漆塗り館を見た。輪島を過ぎて、【千枚田】に行った。天草の狭い田んぼを見慣れている博でも、その数の多さには驚いた。さらに上に行き、厳冬期には《波の花》が見られる、と言う【曽々木海岸】を見た。二日目の夜は、ここで過ごすことにした。博は、三枚目の絵ハガキを書いていた。その写真は【千枚田】だった。

「ここの自然は、雄大さは無いけど、落ち着いていい感じだな」

 博が聞くと、青木はすでに眼鏡をはずしてシュラフにもぐり、運転席でシートを倒している。

「はあ。何だって」

 眠いのを我慢して応えているが、半分は何を言っているのか分からない。

「じゃ、おやすみ」

 最後尾の座席を倒して腹這いになり、絵葉書を書き終えると、博も横になった。携帯もテレビも無い。よそからの雑音は入らない。自分達だけの時間だった。博の、心の疲れも少しずつ取れていた。しかし、仕事をしようと言う、気持ちのきっかけはつかめない。

今、気持ちの中にあるのは、教員だが、中学、高校とも採用は少ないと聞く。おまけに、東京都の試験は倍率が高い。そして、教職課程は履修したものの、教員養成系の大学は、それが専門だ。到底勝てるような気はしなかった。それでも、教員を目指すのか。もし、ずっと受からなかったら、冴子との事はどうするのか。それとも確実な所で、求人枠の多い、農業系の会社や生協等に就職するか。どちらにしても、納得できずに就職した場合、続けられるのか。自問してみるが、自答できない。いろんな事を考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。そして、久しぶりに空腹で目が覚めた。はっと運転席を見ると、すでに青木は起きて、外の浜を散策している。

「おはよう。起きてたのか」

「やっと起きたか、おはよう。腹減っちゃってさ、よく考えたら、昨夜、夕方は何も食わねえで寝ちゃったんだよな」

「そうそう。さすがの俺も、腹減ったよ」

「じゃ、行こうか」

 出発は早かった。今日は、【禄剛埼灯台】から珠洲市までを、見て回る予定だ。【禄剛埼灯台】は、日本燈台五十選にも入っている、景色の綺麗な灯台だった。朝日と夕日が、同じ場所で見られると言う。着く前に、途中のコンビニで朝食のおにぎりを買い、燈台のふもとで腹に入れた。そのまま国道の海岸線を走る。今日は博の運転だった。地図で【蛸島漁港】と言う場所を見つけた青木は、昨夜のリベンジとばかりに、自分が奢るから海の物を食べようと誘った。博も、奢ってもらえるなら、断る筋合いはない。そのまま、二十八号線を走っていた。すると、広いグランドのような場所がある。そこで何かのスポーツをしている様子だ。二人とも、野球をしている。その種の匂いがした。ハンドルを、海と反対側へ向けた。そして博は、

「ちょっと見て行かないか」

 と言う。

「見て行かないか。って、もう曲がってるじゃんよ」

苦笑いしながら青木は言った。

「野球だな」

 うきうきした声で博が言う。

「少年野球じゃねえか」

「おい、見て行こうよ」

「おう、行こう、行こう」

 駐車場に車を止めるが早いか、脱兎のごとく二人は走った。この寒い時期に、野球をやっているのは、あまり聞かない。博達は、自分達の始動の基準を、プロのキャンプ開始の時期に合わせていた。プロが動き始めたら、自分達も動く。プロがボールを握らない時期は、自分達も握らず、基礎体力を作っていた。年間を通した練習をした事が無い者が集まっていた。何せ、自分達が作った同好会だから、何をやるにも自分達で動くしかない。なぜなら金も無く、練習場も無い。自分達で試合相手を探して野球をした。社会人や同じ大学のサークルと対戦する事が多かった。社会人はやっぱり、文句なく強かった。大学のサークルも、ちゃんとした練習場があり、やはり強かった。しかし、博達のチーム《日総大フェニックス》も、三年間で一四勝三敗と、こちらもそれなりに強かった。しかし、如何せんお金が無い。大会には出られなかった。そんなチームの二人だ。興味を持つのは当然だろう。見ると、やっているのは少年のようだった。小学校五,六年生くらいだろう。そんな子ども達が、この時期にボールを握っている。多分、詳しい指導者がいるのではないか、と二人は期待した。グランドの片隅で見ていると、軟球が転がって来て、博の足に当たった。

「済みません。ボールを投げてください」

 帽子を取って、グローブを構える。はあはあと息をしながら、頬を赤く染めている。目がキラキラ輝いていた。

「じゃ、行くよ」

 軽く投げたつもりが、子どもには強く感じたらしい。お礼を言う前に、グローブをした手を振りながら

「痛(いて)え」

 と、思わず声に出しで、下を向いてしまった。それもそのはず。博は、チームのエースで、軽く百二十キロのスピードは出る。

「あ、ごめん、ごめん。強かった」

「ば~か。手加減しろよ」

 走って近寄る、青木に叱られた。

「どれ、見せてごらん」

 そう言ってグローブを外すと、なるほど手のひらが赤くなっている。

「わあ、赤くなってる。ごめんね。監督さんかコーチの方はいらっしゃる」

「はい」

 すっかり元気をなくした少年は、監督のもとへ案内した。博達より二十歳くらい年上のような印象だ。画体のいい、いかにも硬式野球出身と言った印象の人だった。お詫びを言うと、全然気にもしないで、笑ってくれた。野球をしている事を伝えると

「そう言う事なら、練習を見て行っていいですよ」

 と言ってくれた。指導者のいない《フェニックス》は、他のチームの練習を、見様見真似。チーム独自の練習メニューが無かった。本格的な練習を見られるとあって、大喜びだった。そして、目を皿のようにして、一つ一つを頭に叩き込んだ。博はその時、さっきの子どもを心配で見たが、そんなものは無用だった。もう、必死にボールを追っている。逆に、あの子の輝いた目が忘れられなかった。

「おい、もういいんじゃねえか。腹減ったよ」

 青木が、堪りかねたように言ったので、監督にお礼を言って漁港へ急いだ。戻る時、選手達全員が、車に向かってその場で

「ありがとうございました。さようなら」

 と、大きな声で言った。車の窓から手を振って応えたが、爽やかな少年達の、きらきらした顔や目が、博の印象に残った。

「ああ、腹減ったぞお。何食おうかなあ」

 助手席で、地図の観光案内を見ながら、青木がうきうきしている時だった。博は、子ども達の見方が、少し変わったような気がしていた。監督のノックを受ける、子ども達の目は、真剣そのものだった。

“あんなふうに、子どもたちの指導をしてみたい”

博は、その時ふとそう思った。しかし、小学校の免許は持っていない。どうすれば取れるのか、そこまで考えるようになった。漁港に着くと、観光案内にあった海鮮丼を食べられる店に入った。青木は、食う気満々だ。

「おい、北陸って食材が豊富じゃん。楽しみだな。今日は、俺が出すから、目いっぱい食えよ」

 出て来た海鮮丼は、二人が思わず眺めるほどの豪快さだ。舌鼓を打ちながら、二人ともあっという間に平らげた。

【蛸島漁港】を後にして、今日の宿泊の予定である【見附島】まで急いだ。途中、【恋路海岸】と言う海岸が広がり、博は、一瞬冴子を思い出した。

“冴ちゃん、どうしてるかな”

 もうすでに、五枚目のハガキを出した博は、【見附島】の絵ハガキを出した。別名【軍艦島】と呼ばれる【見附島】は、奇勝だった。日本海の荒波が作り出した、豪快な島だった。

 その夜、珍しく青木も起きていた。

「あの少年達、キラキラ輝いてたな」

「おお、あの必死な姿。こっちも燃えるよな」

「あの子達も、高校球児になるんだろうな」

「あの中から何人かは、西稜高校に行くんだろうよ」

 北陸の、甲子園常連校【西稜高校】。たくさんのプロ野球選手も輩出している、全国でも屈指の強豪校だ。

「あんな顔見てると、絶対『性善説』だな」

「何だそりゃ」

「児童心理学で勉強したんだけど、子どもは、生まれながらにして、元々真っ白なで純粋な心を持っている。しかし大人になるにしたがって、いろいろな悪さを覚えていくと言う説さ。俺達でも幼い頃って、いろいろ知らなくてさ。純粋だったろう。あ、お前はそうでもないか」

 そう言って笑う博。

「ば~か、俺だって小さい頃は、可愛かったんだ」

 青木も負けていない。

「冗談だよ。そうそう、あの【金沢】駅の子ども見た時、お前、『屈託が無くて可愛いなあ』って言ってたろ。あんなイメージだよ」

「そりゃそうだ。小さい時から、悪い事は、しない。いや、しないし、そう言う事を思いつきもしない。年上や大人から教えられて、だんだん覚えて行くよな」

「そうだよ。だから、今日の少年達を見て、俺、子どもの見方が少し変わったような気がするんだ」

「そりゃ、良いこった。ああ、難しい話ししたら眠たくなっちゃったよ。今日は飲まずに寝れそうだ。じゃあな」

 そう言うと、さっさと寝てしまった。

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