2-04『これまでとこれから』

 結界呪術とは何か。

 超端的に表現するなら、それは地面に棒で線を引いて、《ここから先は自分の陣地ね!》と主張することである。端的すぎてなんだか小学生のごっこ遊びみたいに聞こえるかもしれないが、実際そのようなものなのだから仕方ないとしか言いようがない。

 というか、より正確に言うのであれば《結界呪術》などという分類はそもそも存在していない。まあ現代呪術なんて半ば全てがオリジナルに等しいのだから、そもそも分類別に考えようなどということ自体が間違っている気もするけれど。そういうことではなく。

 要は呪術における結界とは、《結界を作る呪術を使う》ことではなく、《使った呪術によって結果的に結界を構築する》行為を指すという話。

 言うなれば見立て。子どもが地面に円を描いて、その内側を自らの領域と主張するのと変わりない。むしろ、そちらのほうを一種の呪術と表現してもいいくらいだ。なんらかの儀式的行為によって領域を設定し、その内部を自らの管理下であるという概念によって支配する――それを結界と呼んでいるに過ぎない。


 全ての行為には意味がある。その《概念いみ》をより顕著に、わかりやすく確実な形で現実に反映するのが現代呪術だ。

 名前を書くことで所有権を示すように。動物がマーキングによって縄張りを主張するように。

 結界呪術師は、そういった地味で地道な努力によって仕事を為している。そして、その中でも抜きん出て実力を持つ少女こそが――。


「そんな顔で見ないでほしいんだけどなあ。言ったでしょ、出水に呼ばれたから来たって。確かに永代たちが来ることはわかってたけど――それが仕事だからね――でも別に会おうと思って来たわけじゃないんだよ?」


 御厨みくりやとおるという名の少女であった。

 特別指定級呪術師。

 井峯出水や鴻上真代と同格の、呪術師の頂点。

 まるで僕たちが来るのを知っていて、その上で待ち構えていたかの如き彼女は、けれど特別な話は一切しない。ただ偶然出会ったとばかりに微笑んでいるだけだ。

 けれど、それはあり得ない。彼女はこの街の全てを掴んでいる。

 比喩ではなく、完全に言葉通りの意味合いで。

 この街のどこに誰がいるのか。彼女がその気になれば、それがわからないはずがない。彼女は僕らがここに来るということを、初めから知っていた。

 だからこその特別指定級。

 だからこその――御厨透なのだから。


「……知り合いか、永代?」

「あ――ああ。うん、そんな感じ」


 きょとんとした様子の津凪に問われて、僕は押されたように頷く。あまり頭が回っていなかった。

 透は小さく笑って、それから丁寧にお辞儀をしてみせる。


「初めまして。戦闘呪術師の御厨透だよ。逆坂津凪さん――で、いいんだよね?」

「うん、初めまして。逆坂津凪です」

「コトの顛末は出水から聞いてる。六路木むつろぎにようこそ。君もこの街で過ごすんだ、これからいっしょに仕事をすることもあると思うからさ。そのときはよろしくお願いするね?」

「ありがとう。そのときは、こちらこそよろしくお願いするよ」


 人当たりのいい朗らかな笑みを見せて、透はどこまでも柔らかい雰囲気でそこにいた。 

 ふと、そのとき後ろから僕の袖が引っ張られるのを感じた。真代だ。


「おにーさん」

「真代……」


 僕の袖を軽くつまんだだけで、真代はほかに何も言わなかった。それだけでも僕は少し落ち着く。

 まったく、これではどちらが年上かわからない。

 数秒経って真代は手を離し、透のほうに向き直って言う。


「それでは透さん、わたしたちはこれで」

「あ、ごめんね、引き留めちゃって。出水なら部屋の中にいるから。――それじゃ、またね」


 それだけを言うと、透はそのまま廊下の先へと踵を返して歩き去っていく。

 仄かな夜間灯だけが光源の暗い廊下では、透の背中もすぐに見えなくなってしまった。それでも僕は、透の足音が完全に聞こえなくなるまで、縫い止められたようにその背中を見送ってしまう。我ながら、まるで過剰な警戒をしているかのように。

 しばらくして。こちらを振り返った津凪が、胡乱げな表情を作って僕に訊ねてくる。


「……どうかしたのか?」

「いや……別に。なんでもない」


 僕はそう答えたが、津凪は納得していない様子だった。

 逆を言えば、津凪にさえわかってしまうほど、僕の様子はおかしかったということになる。もちろんそれは真代に筒抜けだったし、ということはつまり、透にも伝わっていたということだろう。

 あるいは彼女は、その確認をするためにここにいたのかもしれない。僕はそんなことさえ疑ってしまう。

 僕がまだ罪悪感を抱えているかどうか。

 未だに負い目に苛まれているかどうか。

 透は、それを確かめていたような気がした。


「入りますよ、おにーさん、津凪おねーさん。あまり遅いと出水さんに怒られます」


 静止した僕を再起動するような真代の声。

 それに頷いて、僕は先頭ですぐ近くの扉を開いた。



     ※



「――まあ、要するに封印処分ということだ。わかっていたとは思うが」


 出水さんがそう語る。それが、時原仕種に対する処置ということだった。

 透と別れ、部屋に入った僕たちを迎え入れた出水さんに、例の事件の顛末を聞いているところである。

 といっても真代と津凪は、おおよそのところをすでに聞いているようだった。これはほとんど、入院していた僕のための説明ということになる。


 ほとんど出水さんの資質と化している結社ビルの一室。

 僕らは三人横並びにソファへと腰かけて、正面の出水さんから話を聞いていた。テーブルに並べられたお茶は、ちなみに僕が淹れたものである。これは余談。

 さておき、出水さんは語る。


「時原仕種には、もう呪術が使えない。奴は封印処理を受け入れた。そうなってしまえばただの女子中学生だからな――アイツも。この街で受け入れるのに問題はなくなる」


 封印処理。要は呪術を使えなくなるように呪術をかける、ということ。

 呪術犯罪者への対処としては、それなりに見られるモノだった。といってもそう簡単にできることではなく、ある程度以上の実力を持つ呪術師に封印をしようと思う場合、その対象が受け入れなければ効果を発揮しない。

 逆を言えば仕種は、自らが半永久的に呪術の力を失うことを、受け入れたということだ。


「まあ、そんなことだとは思ってましたけど……いいんですか? 一応、《王国》の呪術師だったんですよ」


 僕は問う。温情溢れる措置だったからだ。

 彼女は犯罪者である。それを封印措置と以降の監視生活によって事実上の放免にするというのは、いわばそういう司法取引の結果だったということだろうが。

 彼女から《王国》の情報を引き出すことができた、ということだろうか。

 正直、それは酷く疑わしい。かの《名無しの王国ネームレス・キングダム》の情報は、現状ほとんど何もわかっていないに等しいのだから。

 言ってしまえば仕種程度、ただの下っ端、捨て駒だろう。そう大きな情報を掴んでいたとは思えない。

 だが出水さんは軽く笑って見せると、口角を歪めてこんな風に言ってのける。


「そんな背景はな、永代。判明しない限り事実ではない」

「とんでもねーこと言い切るなあ」

「時原仕種は反社会的な呪術組織に捕らえられ洗脳されていた被害者だ。反省を示し武器を手放した以上、罪には問わない。それが真っ当だろう――まあ建前ではあるが」

「反発とかあったんじゃないですか? 上がそれで納得するとは思えないんですけど」

「特別指定級呪術師四人分の具申があったんだ、《結社》とて無碍にはできんよ。こういうときに使うのがコネと権力というものだろう?」


 快活に笑う出水さん。つまりは彼女が、そのために奔走してくれたということである。

 仕種を日常に戻すために、わざわざ特級呪術師四人分の同意を集めたらしい。ひとりは出水さん自身で、ひとりは真代とすれば、集めたのは実質的にふたり分だが――それでも手間ではあったと思う。

 なんだかんだ言って、結局は出水さんも優しいヒトなのだろう。


「それに、《王国》の呪術師はほかにもふたり捕らえているからな。上はそれで満足したようだ」

「……夜羽は? 取引を受けなかったんですか?」

「奴は呪力制限を拒んだ。さすがに、恭順を示さない以上は放免もできんさ」

「今は?」

「投獄されたよ。こればかりはどうしようもない。もちろん三谷もな」


 夜羽や仕種たち子どもなら、無理に働かされていたとすれば、まあ最低限の言い訳は利くだろう。

 実際、意志がどうあれ、ふたりにほかの選択肢がなかったことはおそらく間違いあるまい。その点では津凪と同じだ。選び得る先をひとつに縛られているのなら、それは結果論として洗脳と変わりない。

 だから出水さんは手を差し伸べた。

 大人である彼女にとっては、津凪も仕種も夜羽も等しく、助けるべき子どもだ。津凪に手を伸ばすのでいっぱいの僕とは、やはり何もかも違っていた。

 敵わないなあ、と。そう素直に思わされる。


「もっとも、少なくとも佐藤夜羽のほうから情報を引き出すのは難しいだろう。抵抗以前に、おそらく大したことを知るまい。これは時原仕種も同じだし、夜羽が自分と同じ立場だったことも証言している。まあ嘘ではあるまい」

「……三谷のほうは?」

「幹部級の呪術師だったことは間違いないだろうな。どう見積もっても、一般社会にいれば特級レベルの実力者だ。そんな呪術師が下っ端をやるほど、《王国》に戦力が揃っているとは考えたくない。ま、何も喋らんのだがな」


 当事者として、僕には一定の報告を聞いておく義務があるだろう。

 だがそこまでだ。ここから先は《結社》の仕事であり、僕が口を挟むようなことではない。

 僕が訊いておくべきは、だから別のこと。

 津凪のことだ。


「……津凪はどうなんですか?」


 問いに、隣に座る津凪の肩がぴくりと跳ねた。それに僕は気づいたが、かといって今は何も言わない。言えることもない。

 津凪とは反対側に座っている真代は、これまで無反応を貫いている。この部屋で今、口を開くのはほとんど出水さんと僕の仕事だった。それでいいし、きっとそうあるべきなのだろう。


「《王国》に関して、津凪が知っていることは少なくとも喋ってもらったがな。まあ何も知らないようなものだ。向こうの体制や何やらは訊き出せても、その正体に迫ることは難しいだろう」

「場所は? 津凪が逃げ出してきたというのなら、少なくとも《王国》の研究所がある場所はわかるんじゃ」


 訊いておいてなんだが、意味がないことはわかっていた。

 僕がわかっていることを出水さんもわかっていて、だからこう答える。


「とうに破棄されていたよ。なんの手がかりも残っていなかった」


 あの事件のとき、僕らは倉崎真絃を――王国の幹部をひとり逃がしている。奴から状況を聞けば、《王国》はすぐにでも研究所を棄てることだろう。

 いや、それ以前の問題か。倉崎の話で、津凪が意図的に逃がされたことはわかっている。連中はおそらく、その時点ですでに逃げ去っていたことだろう。


「まあ、ならそれはいいです」


 僕は言った。この辺りのやり取りには、念のための確認以上の価値がない。僕が気にするべきはほかのこと。

 すなわち――今後のこの街における、逆坂津凪の扱いだった。

 それが存在するという事実だけがわかっていながら、まるで幽霊のようにその正体を掴ませない秘密組織――《名無しの王国》。

 その最大の手がかりにして、秘密兵器と言っていい存在が津凪である。連中が津凪を取り戻すために、またこの街に来る可能性は無視できるものではない。

 こうして津凪が、当たり前のように僕の高校へ入学したのだ。少なくとも《結社》の結論が、津凪を見捨てるものではないことはわかっている。出水さんはそれを伝えるために、サプライズとして津凪を送り込んだのだろう。

 もう大丈夫だと。少なくとも、この街で日常を過ごすことはできると。僕に教えてくれたわけだ。

 しかし。それでも問題がないわけではない。


「――結社は、津凪を守ってくれるんでしょうか?」


 僕は問う。彼らはいったい、どんな結論を選んだのか。

 鴻上永代は、逆坂津凪を助けると決めた。では《助ける》とはどういうことを言うのか。

 追っ手を一度追い払って終わりか。

 そう、それは違う。僕の目的は――僕の役割は、津凪に当たり前の、ありふれた、どこにでもあるはずの《日常》をあげることなのだから。


「その件だがな――永代」


 出水さんは言う。相変わらずのきりっとした格好のいい表情で。

 あるいはそれを言い出すのを待っていたとばかりに。


「――お前の能力で、津凪が持つ道具としての呪術機能を、解呪することはできないか?」

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