2-03『三人目』
夜も六時を回る頃には、
完全に僕が言うことではないが、とはいえまあ気持ちはわかる。兄妹でふたり暮らしをしている家では、なかなかご相伴には与りづらいだろう。僕も真代も、そんなことを気にしないとはいえ、こういうのはむしろ向こうのほうが気にしてしまう類いのことだ。
鶴羽と桐畑を呼んだのは、言ってしまえば《ついで》に近い。まあ、このふたりがウチを見にきた、という事実があれば、学校での噂もそのうち終息するだろう。僕や津凪が取り立てて話題にされることは減る、はずだと思う。
そんな目的が意図せぬ方向に進んだのは、全て
彼女は彼女で、
「ではでは、私もそろそろ帰りますね。また会いましょう、せんぱい」
などといかにも裏ありげな笑みと言葉を残して、僕の家を辞していった。
こちらにも訊きたいことは多々あったが、それは本人から聞かずとも真代が答えてくれるだろう。というか正直、本人に聞いたことなどあまり信用できない気がする。
ともあれ。そんな感じで、僕の家には津凪と真代だけが残った。
テーブルに腰を下ろし、真代に向き直る。僕の右隣には津凪が座っていて、こちらは静かにお茶を飲んでいた。
まあ、今のところは何も言うまい。津凪には。
「……で、どういうことなの?」
さっそくのように僕は問う。真代は首を傾げて、
「それはいったい、何を指しての質問ですか、おにーさん」
「何をも何も、全部だよ、全部。津凪が僕の学校に来たことも、仕種が普通にここにいたことも。それに関係すること全部、わざわざ僕に隠してたんだ。理由がないとは言わせないよ」
「ないですけど」
「言わせちゃったよ」
頭を抱えたくなった。
真代はどうも、このところ
「いや、でも実際そう大した理由は。おにーさんは入院してましたし、検査とか諸々で忙しかったですからね」
「だからって、何もかも伝えられないってほどじゃなかったと思うけど」
「まあ、驚くと思ったので。津凪さんが学校に来たら。この辺りはだいたい出水さんの手筈です」
「だろうとは思ってたけどね……」
やっぱり、以外の感想は浮かびそうになかった。
「津凪おねーさんの転入を伏せたのは、ちょっとしたサプライズですね。がんばったおにーさんへのご褒美みたいなものなので、もっと喜んで受け取ってくれてもよかったんですが」
「……まあ、出水さんがいろいろ動いてくれたんだろうしね。そこは素直に感謝してるよ」
結局のところ、津凪を取り巻く諸々の件に関して、全てが解決したわけではない。
むしろ何も解決などしていなかった。僕がやったことは、目の前の問題をとりあえず力尽くで薙ぎ払っただけに過ぎず、それは今後再び訪れるであろう問題をまた迎え撃たなければならないということを意味している。
そんな中で、それでもたったわずかでも、津凪に《日常》というものをプレゼントしてあげることができたとするのなら。それはきっと、価値があることだと僕は思う。
この街は、そのために存在しているのだから。
「ぼくからも、改めてお礼を言わせてもらいたいな」
湯呑みを置いて津凪は笑った。
こちらに向き直る彼女に、僕も笑みを返して答える。
「出水さんに?」
「それもそうだけど。もちろん
言葉通り改まるようにして、津凪は姿勢を正した。
こちらを向いて、膝に手を置いて彼女は笑う。笑うことができている。
「ありがとう、永代。君のお陰で、こうしてぼくはこの街で暮らすことができるようになった」
「――――」
「本当に、感謝してもしきれないことだ。ありがとう」
「……津凪」
「うん?」
「ごめんあの無理もう」
僕は口元を抑えた。津凪が目を見開く。
嬉しいことを言ってくれたのに非常に申し訳ないのだが、もうちょっと耐えられそうにない。
やっぱり駄目だ。感謝される、ということに慣れるのは無理そうだった。
「永代!?」
津凪はあわてふためいて、前屈みになった僕の背中に触れる。
だがどうしていいかわからないようで、そのままおろおろと困惑していた。
僕は言う。
「行けるかと思ったんだけど駄目だったヤバい苦しい」
「まだ直ってなかったのか……」
「ここまで来ると筋金入りですね、おにーさんも」
一方、この光景に慣れている真代は呆れた表情を隠さない。
兄としてはもう少し心配してくれても、と思わないこともなかったが、それは無理な願いだろう。
というか僕が逆の立場なら、そういう反応になりそうだ。正直、失礼だし。
「お友達を家に連れてくるくらいですから、いい方向に変わってるとは思ったんですけどねー」
「だ、大丈夫かい……?」
淡々とした真代はともかく、津凪はまだ優しかった。
僕の背中を撫でて、なんとか落ち着けようとしてくれている。
ありがたいと思う一方、そのうち津凪もこれに慣れて、気にも留めなくなってしまうのではという危惧のほうが大きかった。それより早く根治できればいいのだが、さて希望はあるだろうか。
望み薄、だとは思わないでおこう。
「……ごめん、もう治まったよ。ありがとう」
「ここでお礼を言われるのは甚だ釈然としないんだが……ぼくのせいみたいなものだし」
「言われるのわかってて止めなかったから。気にしないでいい」
「ま、はよ治せってことですねー、おにーさん」
しれっと言ってのける真代だったが、結局はそれが正解ということなのだろう。
ともかくとして。
落ち着いてきたところで、僕は話を戻すように真代へ向き直る。
「まあ、津凪の件はとりあえずいいや。上手く運んだっていうなら、それは喜んでおけばいい」
「――それじゃ、《王国》の呪術師たちの件について、ですね」
真代も別に、こちらの話を誤魔化すつもりはないのだろう。
津凪を匿うと決めた以上、これから《王国》と敵対することはもはや避けられない。それがいつまで続くのかさえ僕たちには不明だ。あるいは一生、死ぬまで僕は津凪を守って戦うことになるのかもしれない。
もちろん、それは僕が決めたことだ。
誰かを助けるということは、その責任に最後まで向き合うということなのだから。捨て犬を拾って餌を与えて、また捨てるようではなんの意味もない。僕は津凪の一生を、自分の一生を対価に背負うと決めた。
だからこそ、これから起こり得る問題については、常に考え続けなければならない。
「それじゃ、出かけるとしましょうか」
と、真代はいきなりそんなことを言い始めた。
僕は面食らってしまう。
「え、何? どしたの急に……」
「いえ、なんかもう今日はごはん作るの面倒になってきたので。外食で済ませようかな、と」
「……なん、だと……!?」
真代が。あの節制主義者の鴻上真代さんが。
自ら進んで、外食などという言葉を口にする日が訪れるだなんて。
「いや、別にわたしも外食くらいしたいと思いますよ、たまには。知ってますか? 家事ってとっても大変なんですよ?」
「いっしょに暮してるんだからそれは知ってるけど。だからたまには僕が食事当番やるって言ってるのに」
「わたしの仕事は、たとえおにーさんであっても奪わせません。お黙りなさいですよ」
これである。当然だが基本的に家事は分担している中で、なぜか食事に関してだけは、真代は絶対に譲ろうとしない。
コックがキッチンに人を入れないようにするのと似たようなものだろうか。いや、それは違う気がするけれど。ともあれ真代にはなんらかの言い分があるらしく、結果として僕はときおり真代がいないときに、自分の分の食事を作るくらいしかできないのだった。厨房に立たせてもらえないのだ。
「というか、わかってて言ってますよね?」
と真代。ちょっと膨れっ面になって僕を睨んでくる。
もちろんわかっていた。
「まあ、訊くなら最も適した人がいるからね……」
「――ん? ああ、そういうことか」
どうやらわかっていなかったらしい津凪は、ここでようやくピンと来たようだ。
彼女に向かって頷き、それから僕は立ち上がってこう告げた。
「じゃ、どこかでご飯でも食べて、それから結社のほうに顔を出しに行こうか」
出水さんのことである。
どうせ、来るのを予想して待っていることだろう。
※
ということで。
全国展開しているチェーンのファミレスで夕食を取った(津凪のテンションが非常に高かった)あと、僕らは三人で
といってももちろん、この時間まで結社が営業(?)しているかといえばそんなことはない。
抜かりなく、きちんと出水さんには電話を通じて連絡を入れていた。
『いつもの部屋で待っている』。
1コールで電話を取った出水さんは、それだけ告げると即座に電話を切るというお茶目をしてくれやがった。
やっぱりまあ、そういうことだったのであろう。
気取りすぎという気がしないでもないが、しかし相手が出水さんだと思えば様になっている。というか出水さんには別に、気取っているつもりなんてないのだと思う。僕の行動など、なんであれ出水さんには自明なのだ。対応が塩分激しめなのは、単に忙しいというだけで。
というわけで僕らは、結社ビルの裏口に回る。
夜間だからといって結社からひと気が消えることはない。企業としてはともかく、呪術の総本山としての結社は、むしろ夜になってからが活動の本番だろう。当直の戦闘呪術師が詰めていることもある。
呪術師が多いこの街では、その出番に事欠くことがないからだ。
――彼女には、そこで出会った。
エレベーターで上階まで昇ったところだった。
踊り場に出た僕たちに、横合いから声がかけられたのだ。
「あら。ここで会うとは奇遇ね、永代。それに真代も」
「――……」
思わず黙ってしまった僕のことを、いったい誰が責められるだろう。
だって、こんなことは奇遇ではあり得ない。
確かに夜の結社には、戦闘呪術師が詰めている。
その意味で言うのなら、彼女もまた戦闘呪術師ではあるのだから。この場所で、会う可能性のある相手ではある。それは否定できない。
だがそれは決して、絶対に偶然なんかではない。
彼女は、僕らがここに来るということをわかっていたはずなのだから。
それは別に行動予測とか未来予知とか、そういう意味ではなく。出水さんとは違う。彼女は予測したのではなく、文字通り見ていたから知っている。
そういう人で、それができる人だ。
「……嫌だな、もう。そう睨みつけるみたいに見ないでほしいんだけど」
「別に……そんなつもりはありません。こんばんは――
「嫌だな」
――嫌だな、と。
彼女は再びそう言った。
「
「……そう、でしたっけね」
空気が重かった。それを感じているのが僕だけだとしても。
別段、威圧されているわけでもないし、敵意を向けられているわけでもない。そんなことはわかっている。少なくとも、僕と彼女以外の人間がこうして存在している場で、彼女はそんなことをしないだろう。
それでも。彼女の前に立つといつもこうだ。
委縮してしまう。負い目に潰されて、言葉の作り方がわからなくなってしまう。
――まるで呪いのように。
彼女の前に立つだけで息苦しくなってしまう。発作を起こしたときと、だいぶん近い状態になる。
「なんてね」
彼女は笑った。その笑みに呼応するように、彼女の短髪がふわりと揺れた。
どこか赤に近い茶髪。活動的な印象を与える髪型は、すっと通った目鼻立ちも相まって少し幼い印象だ。実際は僕と同い年。どころか通っている学校も同じである。
もっとも彼女を、学校で見かけることなんてほとんどないけれど。
「冗談。うん、実はそうなんだ。永代たちが来ることは知ってた。まあ、それが仕事だし」
「……そう、ですか」
「ここに来たのは呼ばれたからだけどね。出水から。まったく、こき使ってくれちゃうよねー」
あの出水さんを、呼び捨てにできる人間は限られていることだろう。
だが彼女にはそれが許される。あらゆる意味で、彼女は出水さんとは対等だから。あるいは真代とも同じ。
そう。彼女は、この街に所属する数少ない呪術師の頂点。
曰く、特別指定級広域支配型結界呪術師。
――御厨透。
僕が救うことのできなかった、同級生の少女だった。
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