2-01『回帰/日常』

「――どういう、ことだよ……っ!」


 悲痛な、身を切るような叫びだった。僕はそれを、真正面から受け止める以外の選択肢がない。

 これを悲鳴と呼ぶのだろう。涙なんて流していないのに、どこか濡れて聞こえるのはきっとそのせいだ。


「なあ、答えろ……答えろよ永代えいたい。お前は……俺のことを裏切ったのか……?」

「――違う」


 僕はそう答える。ああ、答えるだけなら酷く簡単だ。ただその通りに口を動かせば済む。

 けれど、それで彼が納得するかは別の問題。事実として彼は首を振った。そんな言葉が聞きたいんじゃないと。


「だったらこの現実に、どう納得しろっていうんだ!」

「…………」

「なあ、言ってみろよ永代! これが違うっていうならなんなんだ、どう説明するつもりだ!!」

「そんなことを、言われてもだな……」

「言い訳なんて聞きたくねえんだ!」


 彼はまるで幼子のように首を振る。力強い動きのようでいて、けれど弱々しい虫の抵抗のようで。

 どうすればいいのだろう。あるいはどうすればよかったというのか。その答えを知る者がいるのなら、頼むから、頭を下げて希うから、どうか教えてほしいと思う。

 いったい僕はどんな言葉を告げれば、彼に納得をあげることができるのだろう。


「……わかった。もう、とやかくは訊かねえ。ただこれだけは答えてくれ――永代」

「わかった」


 僕もそう答える。元より僕に選択肢なんてないことは言った通りだ。

 ただ、そうでなくとも答えるつもりだった。僕にだって、言いたいことくらいはある。

 それを聞いてくれるのなら、たとえ喉から血を流してでも僕は叫びを上げるだろう。


「じゃあ、訊くぜ」


 視線を正面から受けて、僕はゆっくりと頷く。

 だから、そして、彼は言った。


「――お前はいつから美少女の許嫁を隠してたんだっ!」

「いやだからそんな設定ないってば」


 桐畑は聞く耳を持ってくれなかった。



     ※



「残念だ。非常に残念だぜ、永代……悲しい。わかるか? 俺はただ悲しいんだ……」


 桐畑きりはた直智ただちは大仰な態度でそんなことを言う。

 教室の中で、放課後だった。なんの救いにもなっていない。

 というか完全に晒し者だ。

 今、僕は桐畑の脅威的というか狂気的な所業によって、椅子に座ったまま後ろ手に縛りつけられている。ガムテープで。

 ぐるぐるとおもむろにガムテープで手を縛り出した桐畑を、何かの冗談なのかとスルーした僕が馬鹿だったといえば馬鹿だったのだが。ちょっとくらい抵抗していれば、現状も少しは変わっていたかもしれない。

 なんで受け入れちゃったんだろう、僕。

 お陰で僕に選択肢はない。ただ桐畑裁判長による弾劾裁判を、座して受ける以外になくなっている。


「いや、別にお前に彼女を通り越して許嫁がいるという驚異的な事実を、恨んでるってわけじゃないんだ」

「いないんだけど」

「俺が悲しいのはな、永代! その事実を俺に、ほかでもない大親友のこの俺に隠していたっていう、そのことなんだ!」

「…………」


 僕と桐畑は大親友だったのか。それは知らなかった。

 まあ、その評価はおそらく光栄なものだろう。受け入れるとする。さて、どうしたものやら。

 味方はひとりもいなかった。いつもは桐畑を止めてくれるはずの鶴羽つるばここのですら、今回は僕を助けてくれない。

 そして元凶たる少女――逆坂さかさか津凪つなぎに至っては。


「縛られてる……永代が縛られてるよ……っ!」


 笑っていた。

 ものすっごくいい笑顔だった。

 これ、僕もう怒ってもいいんじゃないのかな?


「あの……話を聞いてもらいたいんだけど」


 僕は桐畑に告げる。

 どうしてこうなっているのかといえば、それは当然、転入してきた津凪のひと言が原因である。

 何を言ってくれちゃってるんだという話だった。


「――聞こう。君には黙秘権がない」


 と桐畑。いや、ないのかよ、と僕は思ったが言わなかった。

 周囲は遠巻きにこちらを窺っている。放課後とはいえ残っている生徒は多かった。誰もがこちらを注視している。

 まあ、当たり前ではあるだろう。僕にだって、その気持ちがわからないとは言えない。

 控えめに言っても外見の整った転入生が、来るや否やクラスメイトのひとりを差して《旦那》と呼んだのだ。健全な高校生が、噂話のネタとして俎上に載せるにこれ以上ない話題性は確保している。

 僕だって他人事ならば、そいつは面白い話だと雑談のネタくらいにはしたと思う。


 ただまあ当事者的にはちょっと待ってほしいというか。


「……えっとね。まず僕が津凪と」

「津凪!」


 桐畑が現地を取ったとばかりに叫ぶ。


「名前呼びですか! はあ! 仲がよろしいですなあ!」

「……あの」

「はいなんでしょう永代くんっ!」

「話を続けても?」

「よろしい」

「……。僕と逆坂さんが知り合ったのは、ほんの数日前でして」

「それで?」

「……それで。まあ、ちょっとした成り行きから彼女と関わりができまして。まあ、仲良くなりまして」

「付き合うことになったと」

「違います」


 もう勘弁してください。


「なるほど被告人、あくまでも認知しないと」

「言い方。……いやほら、逆坂さんも転入ってことで緊張してたと思うんですよ。だから知り合いである僕をね、使うことで、話のネタ? みたいなのをね。こう、小粋なジョークのつもりで、言ったんじゃないかと思うんです」

「――とのことですが!」


 桐畑裁判長が後ろを振り返った。

 その視線の先には津凪と、そして細い視線をした鶴羽の姿。


「どうなんですか、転入生の逆坂ちゃん?」


 桐畑が津凪に向けて問う。

 受けて津凪は、大仰にくずおれる振りをしながら、服の袖で目元を伏せる真似をしつつ、「よよよ」と宣う。


「酷いな、永代……ひと晩を共にした仲だというのに」

「ひと晩!?」


 大仰にリアクションを取ってみせる桐畑。


「ぼくとは遊びだったのかい……?」


 ふざけたことを言い続ける津凪。


「ああ、津凪ちゃん! まったく鴻上こうがみはヒドい男だね、かわいそうに……!!」


 なんか乗ってる鶴羽。

 もうどうやって収拾をつけろと言うのやら。僕は頭を抱えた。

 いや、別に悪い気分というわけではないのだが。少し前までの僕は、やはりどこかクラスに溶け込めていなかったところがあったと思う。

 それを桐畑と鶴羽のお陰で――なんなら津凪を含めてもいい――こうして、まあ、雑談のネタくらいは提供できるようになったのなら、それは進歩と呼んでもいいはずだ。別にからかわれるのが好きというわけではないけれど。

 教室に残っているクラスメイトたちの視線が、僕に注がれているのがわかる。それが好意的であるかはともかくとして、少なくとも悪意が込められているわけではない辺り、それはおそらく桐畑と鶴羽のお陰だろう。


 だから、まあ。

 そのお礼くらいは、してもいいと思っていた。


「――え、何? マジで? マジで逆坂ちゃんと同衾したの?」


 ……若干、桐畑はもはや素で訊いている気がするけれど。


「同衾はしてないよ。この街に来たばかりで泊まるところがないっていうから、ひと晩だけ宿を提供したってだけ」

「何をどうすればそんなイベントが起こるんだよ……。日頃の行い? 日頃の行いがいいとそうなるの?」

「僕にそんなこと訊かれても困るんだけど。いずれにしろ桐畑が考えてるようなことはなかったよ。だいたい、言わなかったっけ? ウチにはいっしょに住んでる義妹いもうとがいるって話」


 後半だけは少しばかり、声音を落として僕は言った。ちょうど桐畑だけに聞こえるよう。

 別段、聞かれて困る話ではない。ただ、少しばかり言いづらい雰囲気でも出しておけば桐畑には充分だ。


「あー……そういやそうだったっけ。じゃあ、それ関係なのか」


 桐畑もまた声音を落とす。実際はまったく真代ましろには関係なかったが、都合がいいので僕は否定しなかった。

 この程度の詐術は、まあ呪術師の基礎教養ということで。何も嘘は言っていないわけだし。言葉による縛りでも、意味を持つなら呪術と呼んでいいだろう。


「そういえば桐畑、僕の家に来たいとか言ってたっけ?」

「ん? ああ、まあ言ったけど」

「今日、来る? どうせ津凪もウチに寄るだろうし、なんなら義妹も紹介するよ」


 勝手に勘違いした桐畑を、フォローするように僕は続けた。

 以前から出ていた話ではあるし、ここでそのイベントを消化しておくのも悪くないだろう。


「いいのか?」


 と、そう訊ねる桐畑。僕は軽く頷いて、


「家に友達を呼ぶくらい別に。真代も……義妹もたまに連れてくるよ。なんなら鶴羽もいっしょに」

「お、おう……突然だな。なんか緊張するぜ」

「なんでだよ」


 僕は笑った。友達百人の自宅に押しかけたいなどと豪語している桐畑が、そんなことを言うとは思わなかった。


「別に取って食おうってんじゃないんだし」

「いや、そんな心配はしてないが……」

「あ、そう?」

「……なんか明るくなったよなあ、お前。いや、いいことだと思うけどさ」


 桐畑はまじまじと僕を眺めながら言った。


「僕ってそんなに暗かった?」

「や、暗いってのとはまた違うんだけど。やっぱ壁あったろ? ていうか、あれだな。敬語をやめたのがいちばん大きいかもしれん。少なくとも印象は変わった」

「――それはそうだね。鴻上は少し柔らかくなった」


 と、ひそひそ話を始めた僕たちに、鶴羽が近づいてきて言った。その隣には津凪もいる。

 野次馬はいつの間にか解散しているようだ。まあ、鶴羽が上手いことやってくれたのだろう。

 僕をからかっていたというより、それを通して転入生である津凪を、クラスに溶け込ませることが目的だったのかもしれない。僕のことを婚約者などと放言した津凪が、ちゃんとここでやっていけるように。


「この数日はいろいろと忙しそうだったみたいだけど、それも津凪さん関係なんだよね?」


 鶴羽に問われ、僕は一瞬だけ津凪の顔を確認した。

 その表情に変化がないことを見てから、僕は頷いて言葉を続ける。


「まあ、ちょっとした成り行きでね。引越しの手伝いをしてたと思ってくれれば間違いじゃない」

「そんなときに押しかけてもいいのか?」


 桐畑の言葉に頷いて笑う。


「いや、別に僕が引っ越すわけじゃないしね。津凪も真代に会いたいだろうし」

「それはそうだね。真代にもずいぶんと世話になったから」

「そっか。ならせっかくだし行くとするか! 鶴羽も来るだろ?」

「……そうだね。お邪魔させてもらおうかなっ」

「大したお構いもできませんが」


 あらゆる意味で、ふたりには世話になっている僕だ。僕がふたりに恩を返そうと思うには充分すぎる。

 津凪がこの学校に越してきたのは、間違いなく出水いずみさんの手管があったからだ。

 だが、その先は出水さんでも関われない。これまでずっと狭い世界に囚われていた津凪が、こうしてなんでもない日常の中に入っていけるのなら、それはきっと素晴らしいことだと僕は思う。


 あるいは単純に、僕がそれを望んでいるだけなのかもしれなかった。


「――じゃあ、行こうか。案内するよ」


 善は急げ、ということで。僕は立ち上がり、鞄を持って三人に告げる。

 真代ももう帰っている頃だろう。これくらいの日常は、積極的に受け取っていくべきなのだ。



     ※



 というわけで特に寄り道もせず自宅アパートまで戻ってきた。

 どうせあとで津凪を連れて、六路木の中心たる《唯物結社カンパニー》まで出向くことになるだろうし。その意味で、都合がいいと言えばいい展開だ。


「えと……鴻上はふたり暮らしなんだっけ?」


 と。そう問うたのは鶴羽だった。僕は頷いて答える。


「そうだよ」

「で、確か義理の妹さんなんだよね……? 血は繋がってない?」

「そうだね」

「……なんか言葉がないや」

「お気遣いなく」


 言ってから、さてこの表現は招待する側が言う言葉だっただろうか、と少し考えて、まあどうでもいいと僕は忘れた。

 実際、ふたりを招待するメリットは僕にとって少なくない。

 津凪を連れてくる口実になるとか、津凪が友人を作るきっかけになるとか――そういうことは措いたとしても。単純に僕にとっての都合として。


「まあ、僕って友達少ないから」

「いきなり悲しいこと言われた……」

「いやそうじゃなく。義妹にも、『彼女とは言わないまでも、たまには友人のひとりくらい連れてきてはどうなんですか。そのくらいの社会性は見せてください、安心できませんよ、おにーさん』とか言われてるからね。僕にも友達のひとりやふたりはいるということを、真代に見せてもらおうかと」

「…………そっか! 面白い義妹さんだねっ!」


 なんか鶴羽に妙な気を遣われてしまった。

 違う。そういうことを言われたかったわけではない。


「というか、結局のところ永代と逆坂ちゃんってどういう関係なんだ……?」


 首を傾げる桐畑はスルーして、アパートの階段を上る。

 自宅の前にはすぐ着いた。《鴻上》と記された表札がかけられている。

 ドアノブに手をかけてみると、鍵は開いている様子だった。真代はもう帰ってきている模様だ。

 そのまま押し開き、僕は家の中に声をかける。


「――……」


 そして驚きに硬直した。我ながら珍しく、完全に絶句してしまった。

 それほどに信じられない光景が、家の中に広がっていたからだ。


「お帰りなさい、おにーさ……――なっ」


 同時。家の奥から出迎えるように出てきた真代が、やはり絶句して僕のほうを見る。

 その後ろにいる三人を、信じられないようなモノを見る目で眺めて、わなわなと唇を震わせる真代。


「――馬鹿、な……おにーさんが、家に、友達らしき人を連れてくるなんて、そんなことが……っ!?」

「いやいやいやいやいや」

「家計も楽じゃないというのに、いったいいくら積んだんですかおにーさん!?」

「この義妹いもうと、ちょっと失礼すぎませんかね? ――というか、いや、だからそうじゃなくて」


 僕は首を振る。真代の無礼極まりない発言はこの際、忘れるとして。


「え――何あの芸能人レベルの美少女……」

「うわあ、綺麗な子……」


 後ろで真代の外見に驚愕しているふたりも措くとして。

 真代が僕の背後に驚いているように、僕もまた真代の後ろ――部屋の奥のほうを見て驚いていたのだ。

 正確には、そこに見えたひとりの人間の姿に。

 その人影もこちらを見つけると、にこりと笑ってとたとたこちらに駆けてきた。

 いや、まあ確かに言いはしたんだが。真代が友人を連れてくることはたまにあると僕は言った。

 言ったが――さすがにこれは想定していなかった。

 ある意味で、津凪が転入生だったことよりも遥かに僕を驚かせた。

 そいつが、僕に向かって片手を挙げ、そしてこんな風に言う。


「――や。久し振りだね、お兄さんっ!」


 茶色の短髪。見慣れないが、だが見間違わない。 

 特徴的すぎた口調や、ネズミのパッチーの着ぐるみを今は脱いでいるけれど。それでも一目瞭然だ。

 彼女はなぜか学校の制服に身を包んでいた。真代が通っている中学のものと同じだ。なんでだ。

 本当になんでだ。

 なんで、彼女がここにいる。僕にはさっぱりわからない。


「ちょっと。わたしのおにーさんを《お兄さん》と呼ばないでくださいよ」


 そういうことじゃねえ以外の突っ込みが見当たらないことを真代が言った。

 受けて少女は、軽く肩を揺らすと、笑いながらこんな風に言う。


「ふむ。じゃあこれからは《せんぱい》と呼ぶのがいいのかな?」

「――――…………」


 僕はもう言葉がない。だから、次に続く少女の言葉を、ただ耳にする以外には何もできなかった。


「――時原ときはら仕種しぐさだ」

「な、ん……」

「あれ。もしかして忘れちゃったかな。覚えてくれてると期待してたんだけど」


 当たり前だ。忘れるはずなどあるわけがない。いくら着ぐるみを脱ごうと、特徴的な口調をやめようと。

 自分を殺しにきた相手を。

 真代を殺すために派遣された呪術師を――こんな短期間で忘れるはずなどあろうものか。


「では改めて挨拶だ。なにせ今日から、私はせんぱいの後輩になるからね」


 ――よろしくお願いするのだな、せんぱい?

 と。元《王国》の呪術師、時原仕種は嫣然として微笑んだ。


 ……はい?

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