第二章

2-00『プロローグ/現代呪術の潜む夜』

 ――そもそも現代呪術とは何か。


 それは歴史や宗教、信仰の上に存在を残す原始呪術とは明確に区別される。

 大規模な儀式行為や長い期間に及ぶ祈祷を必要とするそれらでは、近代兵器に代わって《武器》として成立することはなかっただろう。お祈りして雨を降らせることができたとして、それは個人同士の戦闘にほぼ意味を為さない。

 今の時代に呪術が膾炙したのは、それが信仰に語られるよりずっと簡単な――インスタントなとして成立しているからだ。あやふやで曖昧模糊とした原始呪術の概念を、学習可能な現代呪術というひとつの分野として纏め上げた者がいたからだ。


 ただ、現代において原始呪術が完全に滅んだかと問われればそうではない。

 単純なところで、《言葉》がひとつの呪術である。

 誰かと約束を交わすこと。それがひとつの呪術であると、意識している人間はまずいない。だが誰かの言葉が別の誰かを縛っているという時点で、その契約はひとつの呪術だ。《指切りげんまん》でもしていれば、儀式まで完璧と言っていいだろう。


 少し話を脱線する。

 呪術を使うのに特別な才能は必要ではないとされる。

 その適性はどうあれ、時間をかければ誰だって修得できる可能性は持っている。あくまでも技術であり、個人の特性に根差した能力ではないのだから。

 呪術とは、魔術ではない。オカルトではなく、単にそれを地盤とした現実的なスキルなのだ。

 当然、奇跡でもない。呪術には必ず相応の対価が求められる。

 それに特別な名前はない。いわゆるゲーム的な、MP《マジックポイント》的なものは定義されていない。だが、呪術師がその力を行使するとき、必ず疲弊が生じる。精神力とか体力とか、あるいは生命力とか。とにかく何かしらの、人間が生まれつき備えているなんらかのエネルギーが消費されている。

 あるいは、寿命を費やしているという説も存在している。事実として呪術師は早逝することが多い。

 いずれにせよ重要なのは一点。


 精神論ではなく。

 呪術とは、心で使う技能だということ。


 ここで話を戻そう。

 現代呪術とは、人類史において原初の時代より数千年の時を連綿と受け継がれてきた《最古の神秘オカルト》を下敷きに、それを個人の価値観によって再解釈した技術を指す。

 あくまで背景には呪術史の積み重ねがある。これが、いわば弾丸。それが人間の想念の中にしか存在しない呪術儀式が、現実に確固たる影響力を持つための基盤となる。

 その弾丸を、呪術師という射手、自らのイメージの中に創り出した銃口から射出する技術とたとえれば、現代呪術も少しはわかりやすくなるだろうか。

 一例を出そう。三谷みたに秋生しゅうせいという呪術師がいた。

 彼は主に水を操る呪術師だ。《雨乞い》という呪術体系を基盤に、自ら水を撒くことで信仰を再構築、現代呪術として再現する。

 ここで重要となるのが呪術の三大原則だ。


 感染の原則ふれればそまる――何かに接触すると、そこには繋がりが発生するという呪術原則。

 模倣の原則そまればつうじる――何かを真似することで、そこに繋がりを発生させるという呪術原則。

 類似の原則つうじればつながる――似通っているモノ同士は、それだけで繋がりを持つという呪術原則。


 これに則った再解釈をもたらすことで、人間は呪術行使を可能とするわけだ。

 繋がり。重要なのはこれだ。

 相互に影響し合うからこそ呪術は力を持つ。呪力が心に起因するという、ひとつの証明ではあろう。

 心とは、果たしてどこに存在するモノなのか。

 それは他者からの観測なくして存在し得ない概念だ。人と人との繋がりがなければ、そこにがなければ、心など当然の機能でしかない。繋がりを通じて初めて人は違いを認識する。

 だから心とは、人間の裡にあるモノではないのだ。

 それは人と人との間に生じるモノ。人間がひとりで呪術を使うことはない。


 もうおわかりだろう。

 だからそこに、最後にして最初の法則。呪術師にとって最初に意識するべき大前提が見えてくる。

 すなわち。


 ――人を呪わば穴二つ。



     ※



 六路木むつろぎ市が呪術師の街と呼ばれるのは、あくまでも呪術師から見た視点に過ぎない。

 ほかの人間から見れば、六路木なんて所詮は単なる都市のひとつだ。都心部にしてはアクセスが悪いということ以外、大した違いなどありはしない。

 典型的な都市部。どこにでもありそうな繁華街。夜が遅いのは何も六路木に限ったことではなく、現代の日本ではごくありふれた光景でしかないだろう。

 寝惚けた眼を差すように、光が溢れる夜半の市街地。そして当然、光があれば影が生まれる。光源に溢れるということ自体が、それの当たらない場所が存在することの前提でしかなかった。これもまた、六路木に限る話ではない。

 もしもそこに、違いがあるとするのなら。


 多くの場合、六路木を舞台とした夜公演ソワレの主役が、呪術師であるということだろうか。


 その舞台に照明ひかりはない。観客さえ存在しない。言葉通りのひとり舞台で、厄介なのはそれでも稽古とは違うということか。

 いや。ひとり舞台ならばまだマシだった。

 そこに迷い込む者がある場合、舞台のジャンルは残酷劇グランギニョルへと変貌する。


「……って、あんま面白くないなあ、このたとえ」


 くつくつと笑う声がひとつ。その呟きに答えるよう、別の声が闇を震わせた。


「何か言ったか?」


「いや。相変わらず、舞台としては面白い街だと思ってね――ここは」


 今、この場所にはふたりの人間がいる。六路木市街の外れの、ビル群が乱立する裏通りだった。

 ふたりは呪術師だ。

 一方は男性で一方は女性。秘密の話をしているような雰囲気こそあれ、そこには結界さえ敷かれていない。呪術師の密集が多少とはいえないくらいに治安を悪化させているこの街だが、それでも日本であることに変わりはなく、夜だろうと一般人が平気で出歩いている。誰かに聞かれることなど、ふたりは特に恐れていなかった。


「なら、なぜ抜け出てきた?」


 女のほうが、男のほうにそう訊ねた。特に興味があるという風ではなく、単に流れといった体だ。

 それでも、問われた男は満足だったらしい。軽く肩を竦めると、さも愉快そうに彼は笑う。


「所詮は内輪だからね。自分はどうも役者には向いていなかったから。舞台に立つなんて、こうして黒子として出るのが精いっぱいだよ」


「黒子というより黒幕って感じだけど。趣味の悪い」


「手厳しいな」


 痛烈に批判されてなお、男の側は愉快げだ。そんな反応さえ楽しくて仕方ないとばかりに笑みを絶やさない。

 それは、隣に立つ女性からすれば酷く不愉快な事実だ。だが、かといって露骨に不機嫌を露わにするほど彼女も子どもではない。そんなことをしては、ますます男を調子づかせるだけなのだから。所詮は一回きりの取り引き相手。そう気にすることでもない。

 こうして皮肉を返すだけで、精いっぱいだというだけかもしれないが。


「まあ、でも確かに脚本を書くのは嫌いじゃない。演出だって派手に行きたいタイプだからね。ロマン派なのさ」


「……仕事さえしてくれるならなんでもいい」


「心配ならそう口にしてくれていいよ。自分が余計なことをするんじゃないか、って。キミの懸案はそこだろう?」


「…………」


 女性は口を閉ざした。図星を突かれたのかもしれない。

 それを悟ったのか違うのか。いずれでも同じ反応だろう男は、やはり笑みのまま続ける。


「それはないから安心して。本当のところ、自分はもう帰らなくちゃいけない身だ。キミを見つけたのだって偶然でしかない。《王国》には秘密で助力してるんだよ? その心意気くらいは評価してほしいなあ」


「……それは、感謝してるけど。《王国》には本当に報告しないと?」


「元とはいえ同僚のよしみだ――って、はは。それを言うなら、自分にとっては《結社》の呪術師だって元同僚だけどね。まあ、僕としては別にどっちでもいいんだ」


「私が成功しようと、失敗しようと……ってこと?」


「そうだね。こう言ったほうがキミには信用してもらえそうだってことで言うけど、自分としてはキミの目的が成就するか否かには興味がない。キミがここで、なんでもいいから何かやってくれればそれでいい。だから自分にとっていちばんつまらないのは、キミがここで《王国》か《結社》のいずれかに捕まってしまうことだ。それは面白くない――だからこうして、六路木への案内を買って出た。この街で普通に過ごしている限り、君が結社に目をつけられることは絶対にない。それは自分が保証しよう。もちろん、呪術を使ったり、あるいは目立つ真似でもしない限りは、だけど」


「……そう」


「あ、話が長かったかな? ごめんね、よく言われるんだ」


 露ほども反省のそぶりを見せず、男は伸びをして軽く笑った。

 女性に背を向けて、踵を返し、彼は街の外側へと視線を向ける。


「それじゃあ、僕はそろそろ。いい加減に戻らないと、いくら僕でも《王国》に疑われる」


「……わかった。――いや、その前に」


 立ち去ろうとした男に、女は視線を向けず、声だけで問う。

 呼び止められたこと、それ自体が嬉しいかのように男は笑顔で振り返った。


「なんだい?」


「お前は……本当にいいのか」


「何に対して問うているのかわからないけど」


 軽く男は肩を竦めた。その表情は一転してつまらなげだ。

 そんな愚問、訊くに値しないとばかりに。


「自分は面白ければそれでいい。つまらないことの全てが嫌だ。それだけだよ――倉崎くらさき真絃まいとはそういう呪術師だ」


「…………」


「愚問ついでにこちらからも訊き返そう。わかりきっているから聞かなかったけど、そうだね。やっぱり呪術師としては、言葉にしておくことは間違いじゃないだろう。言いなよ、キミの目的を。ここではっきり口にするといい。自分がそれを聞き届ける。それがたとえどんな願いでも、自分がそれを肯定しよう」


 しばらくあってから。

 女性は、この街に来た目的を言葉で告げた。

 それを聞いて、金髪にして紅顔の美少年は小さく微笑む。期待通りの答えだとばかりに。倉崎真絃は愉快気に笑った。

 結局、先に立ち去ろうとしていたはずの真絃は、そのまま彼女が街の光へと消えるまで見送っていた。

 そうして、彼女の影が完全に消えてから、彼は小さく口を開く。


「《王国》を裏切ってまで、アレを手に入れようとする我欲――なるほどそれは素晴らしい」


 けれど、と。

 振り返った真絃は、街の外へと向かいながら小さく笑う。


「――悲しいね。その願いが、もう叶わないモノであることを知らないなんて。ああ、まったく。これを見届けられないのは本当に痛恨だ。こんなに面白そうなこと、次にいつあるかわからないっていうのに」


 実のところ、真絃の興味はすでにさきほどの女性からは離れている。

 彼は、むしろこの街にいるある男のことに着目していた。

 あるいは道具というべきか。もしくは、現象と表現してもいい。ただ自らに備えられた機能だけを全うする、ひとりの男の存在のことだ。


「さて、願いを託される存在である彼がどう出るのか。その願いが、どう足掻いても成就不可能だと知ったとき、それでも彼は足掻くのか。ああ、本当に、これだけは見てから帰りたかった――」


 そんな独り言を、高いビルの先に見える、か細い星の光と月明かりだけに聞かせて。

 倉崎真絃は、六路木という舞台から退場していった。

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