1-12『呪いの言葉』
血を吐き出した真代を見て、僕は当然のように駆け寄ろうとした。
しただけだ。その動きは、こちらに掌を向ける真代によって留められてしまう。
「……だいじょう、ぶ、ですから……おにーさん。そう熱くならないで、ください……」
「真代……」
彼女の呪術は確かに強い。だが、それでも呪術は呪術。当然、強力であればあるほどに求められる代償も大きくなる。
対象が今までに使った全ての呪いが一度に還ってくる――なんて途轍もなく大きな効果を持つ真代の《罪業返し》は、その言葉面ほど便利な呪術ではなかった。
それは彼女が、呪術を使うという罪に罰を与え、禊ぎを与えて赦すための行為。あらゆる罪を漂白し、
それは本来、傷つけるためにしか使えないはずの呪術の在り方を、強引に捻じ曲げているようなもの。
そんな行為を呪術で行っているという矛盾は当然、彼女の肉体に跳ね返ってくる。その呪いの一部を、真代は自らの魂に溜め込んでしまう。それは決して消えることのない染みだ。
呪えば必ず墓穴が開く。
ならば、それを請け負うのは誰か。これはそういう話。
彼女の呪術は、もともと使うことによって呪術師の罪を真代が引き継ぐために作られたモノだった。
人を呪わば穴二つ。
それが避けられないのなら、穴に投げ込む死体を別の人間にしてしまえばいい。
真代はいわば、そのために選ばれた――死が決定づけられた生贄だった。呪術師が積み重ねる罪をひとりで受け止め、代わりに死ぬための哀れな犠牲。あらゆる罪業を背負わされる人形。真っ白な、ヒトガタ。
それが真代という呪術師だった。
その術式を改良して、攻撃的に再構築したものが《罪業返し》であり、それを可能とする技術力こそが真代の特別指定級たる所以ではあるが、限界も当然ある。
彼女はいずれ、その代償を支払うために死ぬだろう。
いや、今もなお生きていること自体が、奇跡と言ってなんら差し支えなかった。
とはいえ、それでもまだ猶予は残っているはずで。
少なくとも真代が血を吐くなど、異常事態だと言ってよかった。
「――いやあ、驚いた。まさか殺されるなんて予想外だよ。本当――
声が響く。先ほどの少年――
けれど姿はどこにも見えない。まるで遠くから拡声器で喋っているかのように、声だけが暗闇を震わせている。
「ん、まあ……でもこれで、自分のほうも一応は目的を達成したってことになるかな。キミの足止めはこれで完成。永代くんは、どうぞ先に向かってくれ。この先で、愛しの津凪ちゃんが待ってるよ」
「お前、は……」
「うん? いやほら、自分の仕事ってそもそも結社を関わらせないようにすることだしね。実際、結社が津凪ちゃんの破壊指示を出してしまうことが、《王国》にとって最も憂慮すべき事態だったわけだからさ。だから表には出ず、裏側で動いてたんだけど、こっちにもいろいろ想定外があってさ、出て来ざるを得なかったわけ。でもさ、給料分以外の仕事をするのってアレでしょ? 面倒じゃない。義理は果たしたし、あとはもういいよ」
あっさりと。愉快そうな口調が響き渡る。
「あ、それとも自分がどうして生きてるのかっていう疑問? それは教えられないなあ。でもわからなくはないでしょ? 自分、これでもキミたちの先輩で、先輩ってことは年上だからね。はは、あの外見ほど若いわけないだろ? その辺りにはもちろんカラクリがある。自分が死ななかったのは、その辺りが理由だね。答え合わせはしないけど」
「…………」
「いや、実際ビックリはしてるんだよ? 負けるとは本当に思ってなかった。素直に感嘆してる。だから手を引くのさ。そもそもその肉体を壊されちゃった以上は、何ができるってわけでもないからね。やりたくてもやれないってのが実際のところかな。こっちの自分もそろそろ限界だし……えーと、そうだなあ。自分を倒した記念ってことで、何か質問があるならひとつだけ答えるけど。何かある?」
言いたいことを一方的に、倉崎は好き勝手に語り散らす。だが僕も真代も、彼のそんな行動を止めることはできそうにない。
それでも、真代は口を開いた。何かを答えるというのなら、せめて聞いておこうと思ったのか。
「――ではひとつ。津凪おねーさんは、本当に自力で逃げ出してきたのですか?」
その問いを聞いて。
声が、「はは」と笑みを漏らした。
「わかりきってることは訊かなくてもいいよ。わざと見逃したに決まってるだろう」
「……やっぱり、ですか」
「当たり前。《王国》の秘密兵器だよ、彼女は。完全に覚醒した状態ならともかく、そうでもないのに《王国》から逃げ出せるような体制を敷いてるわけがない。――
その疑念を、僕が持っていなかったと言えば嘘になる。
果たして津凪が、《王国》にとって最も重要な道具である彼女が、そう簡単に逃げ出してくることなどできるだろうか、と。
しかし逆を言えば、僕には《王国》がわざと彼女を見逃す理由も思いつかない。だから捨てていた考えなのだが、倉崎はあっさりとそれを肯定した。
「うーん、そんなわかりきったことじゃ教えたことにならないよね。んー……じゃあもうひとつ教えとこう。いいかい、よく聞くんだ。自分らはね、別に逆坂津凪を六路木に送ったわけじゃないんだよ。――キミのところに送り込んだんだ、鴻上永代くん」
「…………」
「なぜそんなことを教えるのかって? そりゃキミ、《王国》の幹部だって一枚岩じゃないからさ。仕える王は同じでも、臣下の意思が統一されているとは限らない。だろう? 特に自分は、どうも
僕には、倉崎が何を言っているのかまるでわからない。
そういう性格なのだろう。自分だけが知っていることをひけらかし、けれど絶対的なことは告げず、都合のいいように全てを運ぼうとする黒幕タイプ。
好きにはなれそうにない、と僕も思った。それこそどうでもいいことだが。
それに、今の会話でわかったことがひとつだけある。
彼が――倉崎真絃が、僕のことを知っているということだ。
「そんなところかな。それじゃ、自分は消えるよ。そろそろ限界だ――でも、是非また会おう、ふたりとも」
言いたいことだけを一方的に告げて。それを最後に、倉崎の気配は完全に消えた。
あの男のことだ。そんなことを言ってまだ残っている気もするが、僕らではそれを見破ることはできまい。
真代が、小さく息をついて僕へと言った。
「……すみません、おにーさん。勝てませんでした――どころか、反撃されてしまいましたね」
「いい、謝るな。僕が何もせずいられたのは、真代がいてくれたからだ。いなければここで終わってた」
「なら……少しはおにーさんの役に立てたみたいですね。へへ、やった……」
力なく微笑む真代。その白く美しい髪を、僕は片手で優しく撫でる。
真代はしばらく、気持ちよさそうにそれを受け入れてくれた。
だがすぐに僕から離れると、まだつらいだろうに、自分の足で立って僕に言う。
「……これ以上、ついて行ったら逆に足手纏いですね」
「真代……」
「行ってください、おにーさん」
僕の背中側に回って、真代がぐいぐい背中を押してくる。
「……いいのか?」
そう、僕は訊いた。背後の真代はむっとしたように、
「ここでそういうこと訊きます? それ最悪ですよ、おにーさん。いえ割とマジで」
「……ごめん」
「わたしだって、本当は止めたいに決まってるじゃないですか」
ふっと、背中を柔らかい感触が包み込んだ。
後ろから僕を抱き止める真代。その感触に僕は逆らわない。
「止める方法だってわたしは知ってます。だって、おにーさんは願いで動くから。わたしにはちゃんと、魔法の呪文が残ってます」
「……」
「――行かないでください。津凪おねーさんのことなんて忘れて、わたしのためだけに生きてください」
それが、真代が持っている魔法の呪文。僕の動きを止めるための呪い。
願いに突き動かされる僕だから。ふたつのそれが相反したとき、僕は動けなくなってしまう。
そのことを真代は知っている。知っていながら、それを言わないでいてくれた。
「って、言いたいんです。わかってますよね?」
「……うん」
「でも、それは言っちゃいけない言葉だって、わたしはそれも知ってますから。だから言えません。まったく、わたしの所有物のおにーさんのくせに、わたしの願いなんてちっとも聞いてくれませんね。差別です。ぷんぷん」
冗談めかすような真代の言葉。けれど、それが本心であることは僕にだってわかっていた。
真代は僕の背中に顔をうずめて、それからこんなことを言う。
「でもまあ、赦してあげるとしましょう。それがわたしの呪いですから。最後にはわたしのところに帰ってきてくれれば、それでいいってことにします」
「……ありがとう」
「物わかりのいい義妹ですからね、わたしは。まあそれでも、都合がいい義妹にはなりたくないので。――だから、おにーさん。わたしがおにーさんに呪いを残します。その背中を押してあげます」
「真代……?」
「おにーさんの罪悪感を、わたしが赦してあげるんです。助けてほしいと願われて、そんな言葉に縛られて、ずっとその通りに生きてきた――その通りにしか生きられなかったおにーさんは、だから感謝の言葉に拒否反応が出てしまう。それは自分の望みではなく、ただただ機械的な行動に過ぎないからって……そう思えてしまうから、おにーさんは、誰かに感謝されることに耐えられない。誰かのためじゃなく自分のためにやったことだって思えるから、罪悪感に潰されてしまう」
「……その通りだよ。僕は善人なんかじゃない。そうあるように縛られているだけで、そういう機能の道具でしかなくて……だから僕はきっと、感謝なんてされたくないんだ。僕の動機は、いつだって与えられるものだから」
「馬鹿ですね。そんなことありませんよ、おにーさん」
ぎゅっと僕を抱く真代の両手に、強い力が籠められる。
温かさが伝わってくる。そこから僕は、力を貰う。
「だって、本当に与えられただけのものだったら、本当は助けたくなんてないと思ってたら――おにーさんが、こんなにがんばれるはずがないんです。そんなに苦しむはずがないんです。必死になる理由なんてないんですよ」
「……それは」
「それでもおにーさんががんばれる理由なんて、そんなの決まってるじゃないですか」
真代の手が外れる。それと同時に、とん、と軽く背中を押された。
振り返って見た僕に、真代は笑顔を向けて言う。
「――おにーさんはちゃんと、本心から誰かを助けたいと思ってます。それ以外にありません。それはちゃんと、おにーさんだけの願いです。助けられたわたしが言うんですから、間違いありませんよ、おにーさん」
「……そうだったのか。それは……気づかなかったな」
「本当に馬鹿ですね、おにーさんは。周りの人は、ちゃんとみんな気づいてますよ。でも仕方ありません。そんな馬鹿なおにーさんだからこそ、わたしが背中を押してあげるんです。おにーさんを、わたしが呪ってあげるとします」
――呪い。あるいは誓い。
最も単純な呪いを、ヒトは昔から知っている。それは心を縛るもの。
塞いだ穴を埋めることもできるし、その逆だってできるもの。
「必ず津凪おねーさんを助けて、ふたりでいっしょに帰ってきてください」
それが言葉だ。ヒトは言葉に縛られる。心に逆らっては生きられない。
最も原初の呪いとは、誰にとっても願いの言葉だ。
その約束を守らなければならないと、その誓約を満たさなければならないと――僕らは言葉に縛られる。
かつて、僕がそうされたように。誰かを助けろ。そんな言葉に縛られたときのように。
今度は真代が僕を呪う。それはきっと、この世で最も尊い呪い。
「それがわたしの
「――わかった、任せろ。その
「では、行ってらっしゃいです、おにーさん」
「行ってくる」
踵を返し、僕は駆け出す。
まったく本当によくできた義妹だ。僕にはもったいないくらい。なんだか
ともあれ背中は押してもらった。
助けてほしい。
真代がそう言った。出水さんもそう言った。誰より津凪がそれを願った。
僕は確かにそれを聞いたのだから。やることなんて決まっている。
――彼女たちがくれた
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