1-11『特別指定級呪術師』
達人同士の戦いは、互いの実力が高いからこそ一瞬のうちに決着する。
それが、相互に必殺を狙ったものであるのなら。
少なくとも、
それは確かに聞き覚えのある名前だ。どこで聞いたのかまでは思い出せない――とはいえ、聞いたことがあるという時点で、おそらくそれなり名前の知れた、それでいて話題にはそう上らないような、そんな裏側に属する呪術師なのだろう。彼が「かつて特級呪術師だった」と自称していたことも、おそらく騙りではあるまい。
だからどうした。
そんな些末な事情など、真代には一切関係がない。相手が特級呪術師だろうと知ったことか。
誰であろうと、そいつが
かつて終わるはずだった真代の運命を、延長させてくれた義兄のためならば。文字通りに、どんなことだって彼女はできる。その邪魔をする輩など、殺してしまってもいいと思う。
それはきっと、酷く歪な関係性だろう。永代は真代の所有物で、その逆もまた然りと言える。仮にも義理の兄妹として、それはあまりにもおかしな繋がりだった。
だが、真代は構わない。心からそれを受け入れている。
これは
もしも真代がそうすれば、永代はきっと拒絶することなくその道を選ぶだろう。それだって真代はわかっていた。
けれど、その願いはきっと永代を殺す。肉体ではなく、その心を。彼という人間の在り方を破壊する。
誰かに乞われる形でしか、自らの願望を果たすことができない愛しい義兄。彼がそういう人間だったからこそ、真代は今も生きている。それを知っていて、「ほかの誰かを助けるな」と言うことが真代にはできなかった。
だから変わったのだ。
永代は、全てを捨ててまで真代を助けてくれた。ならば今度は真代が、彼を救えなければ嘘だ。
――ゆえに。
真代は、その障害を許さない。彼の道を塞ぐものを認めない。
たとえそのせいで繋がりが断たれたとしても。彼が埋めてくれた
鴻上真代が特別指定級呪術師となったのは――ただ、鴻上永代を守るためだけだった。
「――!」
真代は、開いた右の掌を突き出す。後ろに立つ永代は今、きっと握り締めた拳から血を流していることだろう。
彼にもわかっているからだ。
今すぐ飛び出してしまいたい気持ちを押し殺し、真代を見守ってくれている。
その信頼に、応えられない程度の自分ならば死ねばいい。
そんな意志を言葉に変えて、真代は目の前の敵を見据える。ただ対象を呪うために。
「そこをどけ、わたしたちの邪魔をするな!」
発声は、特級呪術師である彼女にとって単なる意志の発露に過ぎず、呪術的な意味をそう多く含んでいるわけではない。儀式的行為をほとんど行わずとも、彼女ならば呪いを形にできる。
あくまでも、これは世界観の戦いなのだから。
だが、このとき交わされたあまりにも高度なやり取りを、完全に理解できる呪術師が果たして何人いるだろう。
その戦いは間違いなく、呪術戦闘としての最高峰に位置していた。
真代が叫ぶと同時、手を上げた少年――真絃が指を弾く。
ぱちん、という音と同時、彼を取り巻く空間からいくつかの破裂音が響いた。実在しない精霊が、けれど実体を持って彼を襲っていたのだ。それを真絃は、ただ指を鳴らすだけで防いだ。
続いてぱちん、と再び真絃が指を鳴らす。
真代は一歩後ろへと跳んだ。直後、まるで厚紙を破くかのような男が目の前の空間――今し方まで真代が立っていたその場所から響いた。目に見える形で空気に亀裂が走っていくのを、真代は視線で確認していた。
――凄まじい技量だ。真代ですら驚きを隠せない。
指を弾く。そして音を鳴らす。
ただそれだけで、真絃は防御と攻撃を同時に行っている。いったいどういう理屈なのか、真代にさえ把握できない領域の呪術だった。
ゆえに真代は、ただ起きた現象だけを理解する。空間に走った亀裂を見やる。
当然、空気に罅が入るはずがない。ゆえに彼は《空間》という概念そのものを呪ったということがわかる。生物ならざる概念を、ただ一挙手で汚染する真絃の技量は――おそらく真代を上回っている。
「へえ」
ただこのとき、真代だけでなく真絃もまた、驚きを露わに目を見開いていた。
彼もまた、大きな口を叩く真代を一撃のもとに下そうと目論んでいた。相手の攻撃を防ぎ、返す一撃で倒すつもりだったのだが――呪術を使われるどころか、ただ移動するだけで防がれるとは少し予想外だった。
その動きは、呪術による空間干渉をあらかじめ予測していなければ不可能な動きだ。
気を抜いていたつもりはない。ただ真絃も改めて思う。
相手もまた、自分と同じ特別指定級呪術師。常識の埒外に存在する、怪物であるのだと。
一方、真代のほうは、初めからそれを理解していた。
汎霊論。世には目に見えぬ数多の霊魂が存在するという世界観。それをぶつけて、霊で埋め尽くそうとした真代の攻撃は、ただ指を鳴らすだけで防がれている。
それくらいは読んでいた。凡百の呪術師ならばともかく、相手は特級――この程度で倒せるわけがない。
だが。
どんな呪術でも、使えば必ず隙が生まれる。真代は躱されることも計算の上で攻撃したのだ。一撃を防がれ、返ってくる攻撃もまた防いだ上で――二撃目にて決着をつける。
それが真代の戦略だ。
だから、彼女はこう呟く。真絃の視線をまっすぐに受け止めて。
どちらが《真》かを世界に問う。
「――還れ」
真代の言葉が響いた瞬間、金髪の少年が硬直した。
文字通りに。それこそ時間ごと凍りついてしまったかのように真絃が動きを止める。
真代はその視線を見据えたまま、ゆっくりと歩いて近づいていく。
真絃は動かない。何が起きているのか、おそらく理解さえしていないだろう。
もちろん、それを見ている永代にはわかっていた。彼女がいったい何をしたのか。
最も簡単に言語化するのなら、それは一種の《呪詛返し》に相当する。
――人を呪わば穴二つ。
どんな呪いだろうと、使えば使うほど呪術師の魂は罪を重ね、背負っていく。そこに例外は絶対にない。
その罪を、真代は一気に雪がせた。ひと息の内に禊がせた。
これまでに使ってきた呪いが、一瞬のうちに彼のもとへと戻ってきたということだ。
特別指定級呪術師――誰より呪術を使っているだろう人間だからこそ、これまで多くの呪いを使っているだろう。どんな呪術師でも、自分の呪いには敵うまい。
それが彼女の
罪業返し。
相手が呪術師である限り、真代に決して敗北はない。一対一という条件下において、おそらく真代は世界でも最強のひとりに数えられる呪術師だろう。
真絃の元まで歩み寄った真代は、もう聞こえていないと理解していて、それでも彼に対し告げる。
「――染まれ、白に」
そのひと言と同時。
《王国》所属の元特別指定級呪術師、倉崎真絃は絶命した。
誰が敵であっても変わりない。その通りだ。呪術師である時点で真代は、相手に対して必殺を持つ。
宣言通り。真代は、一瞬で勝負を終わらせてみせた。
そして、次の瞬間に血を吐いた。
※
「――ふむ。なるほど、それがお前たちが手に入れた呪術か」
突如として響き渡った声に、
この場所に、自分たちふたり以外の声が響くはずがないと思っていたからだ。
「確かに強いな。お前たちふたりが組めば、たいていの呪術師は間違いなく殺せるだろう。なるほど捨て駒役ではなく、信頼とともに私の足止めを任されるわけだよ。正直、少し感心した」
「……これは。驚くべきところなのだな?」
すでに、終わったものだと思っていた。
帰ろうとするその足を、そんな声で止められるとは思っていなかった。
その驚愕を、果たして言葉にできるだろうか。
いずれにせよ事実は揺るがない。確実に殺したはずの女が――
その肉体に傷はなく、その魂に淀みなく。ただ厳としてそこにある。
「最悪だ……そんなの嘘だろ、あり得ない」
「そうなのだな。死んだ人間は……どんな呪術でも生き返らない。いったい何をしたのだな?」
夜羽の言葉に頷きながら、震える声音で仕種は問う。
それ自体が、もはや敗北宣言に等しかった。
「――教えるわけがないだろう、と言いたいところだがな。
出水は疲れきったOLみたいな動きで、肩や首を回している。完全に気が抜けている様子だ。
けれど仕種も夜羽も、それを隙だと見做すことなどできなかった。
格付けが済んでしまっている。理解が及ばなかったという時点で――相手の世界観が、自らのそれを超えてしまったという時点で、呪術師としての敗北は決定していた。
「といってもタネは簡単だ。もちろん死んだ人間は生き返らない。呪術では殺すことしかできない――当たり前だ。だったら私は死んでいないのさ。さて、どういうことだと思う?」
「……あり得ないのだな。あたしは確かに、あなたが死んでいることを確認したのだな!」
堪えきれず、仕種は気づけばそう叫んでいた。
そうだ。だってあのとき、出水の肉体からは魂が完全に消えていた。
それは呪いによって死んだ者の特徴だ。そこから復活することなど絶対にあり得ない。
「確かに普通はあり得ないさ。だが、そんなもの普通でなければあり得るという意味でしかない。お前たちはいったい誰を敵に回したと思っている? 私の名前は井峯出水だ。常識で測れるなどと思うな、馬鹿めが」
「――な……」
と。そこまで考えたところで、仕種と夜羽は失策に気づく。
確かに出水から、魂が消えていることは確認した。だがそれが、イコールで死んだことになるかと言うと、絶対にそうとは言い切れない。
出水は語る。おそらくは、ふたりが気づいたことに気がつきながら。
「現代呪術とは、すなわち自己の世界観の現実化だ。それが本当だと信じていれば、その嘘を呪術師は現実に変えることができる。先ほど私が《鬼》という概念を、お前が《ネズミ》という概念を、自己に憑依させていたようにな。さて、ところで疑問なんだが、お前はどうして私の憑依呪術に気づいていながら、その逆には頭が回らなかったんだろうな?」
憑依呪術の逆。そう表現される呪術など、ふたりはひとつしか知らない。
「……
「だって……馬鹿な。そんなの、いつの間に……」
脱魂。それは《何かを呼んでくる》憑依とは逆に、《何かを呼びにいく》呪術。自身の霊魂を肉体から切り離し、霊界に直接接触することで、より高位の霊的存在を――神を降ろすための技法だ。
もっとわかりやすい表現をするのなら、つまるところが幽体離脱。
言われればわかる。それはいわゆる、よくある呪術のイメージにそぐうメジャーなものだ。
「幽体離脱している私を、お前らが勝手に死んでいると勘違いしただけだ」
出水は言う。それは、けれど無理もないことだろう。
そんな危険な行為を、まさか戦いの最中に行う人間がいるなどとは想像できなかった。トランス状態に入り、意識を完全に立つということは、つまり完全に無防備になるということなのだから。一歩間違えば本当に殺される。
何より呪術は、念じれば現実を改変できる、なんていうほど簡単なものではない。その原則に、大前提に適う儀式行為があって初めて可能になるものなのだ。
呪術で言う世界観とは、個人の価値観とはまったく違うのだから。それは世界に根差し、歴史とともに育まれてきた信仰だ。多くの人間がそれと信じるからこそ現実で力を持つ。個人で塗り替えられるものではない。
それが可能なのはこの世でただひとり――逆坂津凪をおいてほかにいない。
「《神》を降ろしたのか、自分の身体に……!」
「驚くなよ。呪術が信仰とともにあることくらい貴様らだって知ってるだろう。なぜ鬼を降ろしたと思う? なぜ神を降ろしたと思う? それらは擬人化できるからさ」
「そんな簡単なことじゃ……っ」
夜羽は呻く。ヒトガタを降ろすのだから、ヒトである時点で模倣しているのと同じだと出水は言っているのだから。
確かに、それは呪術の原則に適う。
通じれば繋がる――つまり、似ているモノは同じ性質を共有するということ。
だが、鬼も神も人に似ているから真似できる、などと簡単に言っていいようなものでは絶対にない。
「だから舐めるなと言ったんだ。気づかなかったなど怠慢としか言いようがないな。まあもっとも、真代なんかはむしろ儀式の簡略化に力を注いでいるから、この辺りはそれぞれだがな」
出水は静かに歩き出すと、先ほど自ら投げ捨てた煙草を拾い上げ、持っていた携帯灰皿にしまった。
その煙草が、まだ煙を上げていることにふたりは気づく。
「観察力がまるで足りんぞ馬鹿どもめ。結社の人間が街中にポイ捨てなどするか。仮に捨てても火くらい消すし、そもそもたった一瞬、お前らの意識を奪うためだけに煙草を投げる? 馬鹿を言うな――それは私を舐めすぎだ。これだって媒介に決まっているだろう? トリップに煙を使うのはお約束だ、馬鹿め」
「…………」
「ん、なんだその顔は。確かに私は永代を舐めるなと言ったがな、それはあいつが舐められやすいから言っただけのことだ。何も言われずとも、私のことは初めから舐めるな。当たり前だろうが、そんなことは。――これでも私は特級呪術師だぞ? ――行動の全てが儀式だよ。一挙手一投足から呼吸の仕方まで全てが計算だ。私は、私がそこにあるだけで呪術だ。年季が違うさ、ガキどもめ」
ふん、と鼻を鳴らす出水。この状況で、彼女はまだ何かに怒っているようだった。
――いったい何に?
首を傾げるふたりの目の前で、出水は怒りを言葉に変える。
「まったく、現代呪術かぶれはこれだからいけない! 真代くらい徹底できるならともかくとして、その程度で全てを知ったような気になるなど言語道断だぞ、いったいどういう教育を受けてきたんだ貴様らは!」
彼女の怒りは、どうやら仕種と夜羽のふたりに向いているわけではないらしい。
――そう。彼女はどうやら、ふたりに教育を施した《王国》に怒っているようだった。
「まさか……貴方」
「は。当たり前だろうが――貴様らみたいなガキ、殺してどうするという話だよ。そんなことをするくらいなら、初めから結社の一員としてコトに当たっている。――私は、お前らを救いにきたんだ」
逆坂津凪を救おうというのに。
その責任を、年下の子どもである永代に押しつけてしまっているというのに。
大人である出水が、津凪と同じ境遇の子どもくらい、救えなくてどうするというのか。
だから彼女は、仕種と夜羽が津凪から受け取った呪術を使うまで待った。それを破り、その対処法を構築し、結社でふたりを引き取るために戦っていたということ。
「ふ、ふざ――ふざけるな……っ!!」
その言葉に、夜羽が叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
だって、それは最悪だ。そんな同情には耐えられない。そんな押しつけがましい救いなど求めていない。
「あんな道具といっしょにするなよ……っ! ボクは、ボクの意思で呪術師になったんだ! お前なんかに救われる謂われなんてないんだよ――!」
その慟哭を、けれど出水は笑い飛ばす。
「まあ、永代になら通じたかもな、その言葉は。だが私には通じない。お前の事情など知ったことか」
「な――」
「は。そりゃそうだろう? 悪さをしてる馬鹿なガキを、指導してやるのは大人の務めだろうが。それを救いと呼ぶのはこちらの勝手で、お前らがどう受け取るかなんざ興味がない。教育なんて初めから全て洗脳だよ。おいおい、世間知らずにもほどがあるだろ、貴様ら。だがこれでひとつ賢くなったな、憶えておけ。――大人は汚いのさ」
「最悪……だ……っ!!」
呻き、夜羽は出水を睨む。その横に立つ仕種は何も言わず、透徹した瞳で出水を見ていた。
それを見やり、ふと小さく出水は言った。
「……ところで。今のお前はどっちなんだ?」
「…………」
「なるほど、まあいい。いずれにせよ貴様らの負けはもう決まった。どんな呪術を授かったのかも確認した。あとは結社に縛られて、とりあえずしばらく反省していろ」
直後。何をされたのかさえわからないまま、ふたりは唐突に気を失った。
くずおれるふたりを、そっと腕で抱き止めて出水は息をつく。
ふたりを線路の脇に寝かせると、彼女も壁に背を預けて力を抜く。どこか弱っている様子だった。
「……ったく。まさか本当に
彼女は懐から煙草を取り出し、火をつけてくわえると線路の先を見る。
出水は、何も全てをふたりに説明したわけじゃない。確かに出水は脱魂状態になっており、それをふたりは死んだものと勘違いしていた。
――だがそれは、受けた呪いを無効化する理屈にはなっていない。
脱魂していようとなんだろうと、呪い自体は受けているのだ。ふたりが身に着けた新しい世界観の呪術は、出水でも破ることができない。それをあっさりと誰にでも渡せる津凪は、確かに放置できない存在だった。
「頼んだぞ、永代、真代。おそらくもう、津凪を止められるのはお前たちだけだ――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます