1-06『夜肌』
腕によりをかけて、という
特に高級な食材を使ったわけじゃない――
この歳で半ば主婦だからだろう、家計を預かっている真代の節約志向は並ではない。ご近所のおばさま方から節約術を吸収してきては、それを家事に反映させている。料理の技量自体を上げることも、その一環だと言っていた。
「まあ、半分は趣味も入ってるんですけどね。わたし、料理は結構好きです。いろいろ考えながら作るの、楽しいですよ」
「……ぼくは料理ができないからね。女の子らしくて羨ましいよ、真代は」
「えっへん。聞きましたか、おにーさん」
ない胸をわざとらしく張る真代。
一方の津凪も、別にお世辞というわけではないのだろう。「すごい、美味しい」と割に貧相な
戻ってきてからというもの、津凪はずっとそんな調子である。
確かに楽しそうではあるけれど、どこか大袈裟というか、空元気であるように見えてしまうのだ。抱く感情は本物でも、それでは塞ぐことができない穴があるみたいで。
そこに、無理やり蓋をしているみたいで。
埋まらない欠落を幻視してしまうのは、僕が呪術師だからなのか。
わからなかった。だから言葉に変えることはせず、僕もそれらしく食事を進めた。
真代も、それに付き合ってくれたように思う。
食事はおおむねそんな調子だった。まるで舞台に立たされて、下手くそな演技を強制されているかのような。
※
「すまないけど、先に休ませてもらってもいいかな? 今日は少し疲れてしまったんだ」
食事を終えたところで、津凪がこう言った。
後片付けは率先して行っていたのだが、それが終わると疲れた表情を隠さなくなる。
「……まあ、無理もないよ」
ちらり、と真代の顔を窺い、それから僕は頷いて答える。
真代は表情をまったく変えなかった。
「先に風呂に入ってきな。着替えは買ってきてあるの、まだ持ってるだろ?」
「そうさせてもらうよ。危うく公園に忘れてきそうだったけどね」
面白くもない冗談を言いながら、津凪は部屋から出て行った。
それを見送って、かつしばらく経ってから、僕は真代に向き直ると言った。
「――さて、真代」
「なんでしょう、おにーさん」
「脱げ」
別に出水さんの真似ではない。いや、ある意味では同じなのだが。
真代も別段、僕の言うことに逆らおうとはしなかった。小さく頷くと、素直に服をはだけさせる。
「いいよ、こっち向いてなくても。背中だけ見せれば充分だ」
「お気遣いどうもー。でも見せてんですー」
「余計いらない。いいから向こう側を向いてくれ、やりづらいだろ」
「こっち向いてたほうが感度いいのですが」
「感度とか言うな。あと、そこまで技量は低くないから」
「……それは信頼してますよ、おにーさん」
普段よりも真代は静かだ。それだけ体力を消耗しているから。
「ちぇ。兄妹とはいえ義理なんですし、もう少しこう、ドキドキしてくれてもいいと思いますけど」
「義理とはいえ兄妹だろ。それどころじゃないし……いや、ドキドキはしたよ。ある意味で」
あるいはヒヤヒヤしたというべきか。
真代は椅子に座り、脱いだ上着を抱え込んで背中をこちらに向けた。
僕はその白い肌に触れる。そっと、右の掌を這わせるように――慈しむように優しく。壊れモノを扱うような気分だったし、それが間違いとは言えないだろう。
その手を通じ、僕は真代の状態を感じ取る。これもひとつの呪術だった。
ただし呪うのではなく、呪いの状態を判別するだけ。これも纏めて《呪術》という言葉の範疇に含まれる。
「……思ったよりよくないな」
僕は呟く。真代の体内では今、自己に跳ね返ってきた呪いが渦を巻いている。真代の魂を蝕んでいる。
――人を呪わば穴二つ。これもそう。
誰かを呪えば、それは必ず自らにも跳ね返ってくる。特別指定級呪術師――この街では最強の六人に数えられる真代でさえ、その法則の例外とはならない。
「そうですか? そんなものだと思いますけれど。普段通りですよ」
それでも真代は、何ひとつ弱音を吐くことがなかった。
呪術に縛られ、呪術に繋がれ、呪術に呪われた鴻上真代は――自らの運命を決して悲観しない。
泰然と受け入れて、僕との日常を歩いてくれる。それを選んでくれている。
そのことに、果たして僕が、どれほど救われたことだろうか。
「……そんなに強かったか、あいつらは」
「まさかですよ。あのふたりくらい、全力になったおにーさんなら勝てないわけないです。実際、わたしはそもそも影を踏んだだけですからね」
「相変わらず凄いな、お前は……」
影踏み。影を踏んだ相手をその場に縛りつけ動けなくする、という原始的な呪術。
真代ほどの才能をもってすれば、もはや影を踏む必要すらない。同じ地面に立っているというだけで、彼女は呪術師すら無力化するほどの力を持っていた。
そんな真代が、あの場で彼らを見逃した理由。
当然、そのひとつは真代が体力に欠けているからだ。日常生活を送るだけならばともかく、あまり激しい運動はできなかった。まして、呪術を使うなど論外だ。
とはいえ、それだけじゃない。特級呪術師の称号は伊達じゃない。
あの程度ならばまだ、真代がここまで追い詰められることはなかったはずなのだ。
だから、そこにはふたつ目の理由がある。
「あのふたりじゃないのなら……
「あのおじさんですね」
こくり、と頷いて真代は言う。
「――あの人はやばいです。正確なことは言えませんが、この街ですらトップ級の呪術師だと思いますよ。何かされたわけじゃないですけど……逆を言うなら、何かされないようにするだけで精いっぱいだったってことですし」
「真代にそこまで言わせるレベルか……案外、はぐれの特級なのかもな、三谷さん」
考えてみれば当たり前の話だが。
見ただけで、「こいつは実力のある呪術師だ」なんてことがわかったりはしない。武術の達人なら、立ち振る舞いや筋肉のつき方とかで実力を見抜くことがもしかしたらできるのかもしれないが、呪術師にそんな基準はない。
強い魔力を持っている、なんて基準もない。魔力なんてない。呪力的なものだってない。あったとしても感じ取ることなんてできるわけがない。
真代が三谷さんを警戒したのは、その判断力や呪術的直感力の高さを鑑みての――要するに勘と経験の話。
あの場で戦い続けたらまずい。
鴻上真代にそう思わせるだけのものを、
呪術師はだいたい変人だし、変人ほど強いように思っている僕だが。
三谷さんが例外なのか、それとも三谷さんも実は変人なのか。どっちにしろ嫌だった。
「認定を受けてないだけで、同等レベルの実力を持ってる可能性はありますね。もちろん感覚の話なので、正確なことは言えませんが」
「それで出てきたってんだから無茶するよ……」
「無茶はおにーさんのほうでしょう。おにーさんがあんなことしなければ、わたしだって無茶せずに済むんですけどねー……」
僕は卑怯にも答えず、誤魔化すように告げた。
「――ちょっと痛むぞ」
「ん……っ」
ぴくり、と真代の肩が跳ねる。僕の呪術が真代に流れ込んでいるからだ。
僕と真代ほどの実力差がある場合だと、もし真代に抵抗されたら僕には解呪さえできない。呪術師の数に比べ、いわゆる《解呪術師》が圧倒的に少ない理由のひとつだ。
難易度が高く修得が難しい割に、信頼されにくく客が来ない――つまることろが金にならない。
よって解呪を専門にする呪術師はかなり稀だった。解呪のために身を預けるということは、命綱を手渡すことに等しいのだから。呪いを流し込まれたら、その時点でほぼ確実に殺されてしまう。
たとえ本気で治療したところで、力が及ばず解呪できなければ疑われてしまうのだ。割に合わないにもほどがあると言っていい。
どちらかといえば解呪が得意な僕が、それでも戦闘呪術師の道を選んだ理由でもある。
「……んん。やっぱり、くすぐったいですね……」
呪詛を、僕は目に見えない鎖にたとえる。呪われている人間は、強固な不可視の鎖で雁字搦めにされた状態だということだ。
これはイメージの問題で、実際にそうなっているというわけではない。ただ呪術には、そういったイメージが重要だった。幻視される鎖を指でなぞり、僕はひとつずつゆっくりと、真代に負担を与えないよう呪術を解いていく。
そのたびに真代は、くすぐったそうに身悶えした。
「んっ、……んぁっ……、ぅん……っ!!」
「……あの、喘ぐのやめてもらっていい? それわざとだよね?」
「仕方ないじゃないですか、おにーさん。わたしの肌は敏感なんです。感じちゃうんです」
感じちゃうじゃねーよ。
「僕は恐怖を感じてるんだけど。お隣さんに聞かれたらどう言い逃れすればいいんだ」
「だって、指先で背中をつぅ……っとなぞられてるんですよ? もはや愛撫じゃないですか」
「もはやじゃないからね。愛撫とか言わないの」
「ないんですか、愛?」
「あるとしても兄妹愛だから」
「じゃあ合ってるじゃないですか。兄妹愛撫です」
「すげえ表現だな、それ……何も悪いことにしてないのに犯罪の気配が香る」
「おにーさんの愛でイキそうです」
「僕は引きそうです」
「天国とかに」
「お願いだから帰ってきて」
それ割と洒落になってないからね、いろんな意味で。
ともあれ。そんな感じで、およそ十分ほど、僕は真代の体調を呪術で調えていた。
その間に交わす雑談には中身がない。そんな時間が、けれど何より愛おしい。ずっと続けばいいとさえ思う。
真代風に言うなれば、愛撫していたということになるのだが。もちろんそういうことではなく。
十分。十分だ。それくらいの時間を僕は施術に使っていた。
それくらいの時間ならあると思っていた。
上半身が終わったところで上の下着だけつけてもらい、続いて足のほうに移る。
身内の贔屓目を抜きにしても、真代は可愛らしい女の子だろう。陶器のように白い肌は、彼女の体力のなさの表れではあったが、綺麗なことに変わりはない。
かといって、僕が義妹に劣情を抱くことなんてあり得なかったけれど。
けれど。
「――上がったよ」
居間に続く扉が開き、脱衣場のほうから津凪が戻ってきた。
午前中に買ってあった柄物のパジャマ(幸いにしてパッチーではない)を着込んだ津凪が。
下着姿の真代と、その足を指で撫ぜている僕を正面から目の当たりにする。
その瞬間、計ったようなタイミングで真代が声を上げる。
「ん……っ!」
一応、堪えようとはしてくれたらしい。だが噛み殺したようなその吐息は、そのせいで逆に本物であることがよくわかるものになってしまっていた。
僕がそれで変な気持ちになることは、何度でも繰り返すがない。絶対にあり得ない。
だが見ている津凪がどう思うかは話が別であって。
「――なんかすまない」
謝罪を受けてしまった。僕はへこたれない。
「いや、そういうんじゃないから。治療してるだけだから」
「お医者さんプレイというヤツだろう? 大丈夫、ぼくにも理解はあるよ」
「全方面から違う。どこで手に入れた、そんな知識」
「気持ちよさそうでいいじゃないか。うん、ぼくは否定しない」
「してるだろ。現在進行形で僕の言い訳を黙殺してるだろ」
「次は津凪おねーさんもやってもらうといいですよ」
真代さんはさっそく裏切るなあ、本当に。
可愛いんだから、と白目で僕は思う。
「では、続けてわたしもお風呂に入ってきますのでー。あとはごゆっくりです」
言うなり真代は立ち上がり、下着姿のまま椅子から飛び降りた。
恥じらう気配すらゼロのまま彼女は着替えを持ってくると、津凪と入れ替わるように脱衣所に向かってしまう。
残された僕は小さく溜息をついて、それから津凪に向き直って訊ねた。
「――だそうだけど、どうする? やってほしいならやるよ」
「こうもお世話になっているのに、そこまで甘えたりはできないさ」
そういう津凪は、さすがにわかっていたらしい。僕と真代が何をしていたのか。
まあ、呪術師なら普通にわかることだ。津凪も津凪で、僕をからかおうとしたのだろう。
「……そんなことは気にしなくてもいいけどさ。まあでも身体を晒すことになるし、無理強いはできないね」
「ううん……いや、別にそういうことじゃないんだ。
「あー、まあ、そうだね。僕が呪術で何かするかもしれないしね」
「それこそまさかだ。ぼくはね、永代になら抱かれてもいいと思っているんだ」
「――あっれ、おかしいな、話が飛んだね?」
そういう話はしていなかったと思うのだが。
呪術師としての信頼の話ではなかったのだろうか。
「本気なんだけどね、これでも」
「おいどうした。大丈夫か?」
「……それ以外には、もう返せるものがないんだよ」
まだ少しだけ濡れている髪が、僕のほうへと近づいてくる。
ウチにあるシャンプーの香りがした。真代が使っているそれを僕は嗅ぎ慣れているはずなのに、どうしてだろう、なぜか強く緊張してしまう。
津凪は正面から、僕をまっすぐ見据えて言った。
「今のうちに、何か返しておきたいんだ。君は断ることを僕は知ってる。――でも、それに甘えたくない」
「それで身体って……発想が貧困すぎるだろ、津凪」
「――なら、永代。もしもぼくがこう言ったらどうする?」
津凪は一歩だけ後ろに下がると、両の手を身体の後ろに回した。
腰を曲げ、上目遣いに彼女は僕を見上げてくる。なんだかくらくらした。
思考が固まっている僕に、津凪はひと言、こう告げる。
「ぼくを抱いてほしい」
「――……お前」
「もしもそうお願いしたら、永代、君は受けてくれるんじゃないのか?」
「本気で言ってんのかよ……」
「本気だよ。いくらぼくでも、冗談でこんなことは言わない。ほかに考えがないから言ったわけでもない。これは、本当にぼくの願いでもあるんだ」
「…………」
「抱かれるなら、ぼくは永代がいい」
僕は何も言わなかったし、何もしなかった。というより動けなかったのだ。
彼女の言うことは当たっている。
つまり、もしも本心から頼まれたのなら、僕はおそらくそうしただろうということ。
だが、そんな関係は酷く歪んでいる。少なくとも僕はそれを望まない。きっと津凪だってそうだろう。
彼女だって何も、僕に恋愛感情を持っているわけじゃない。彼女のそれは負い目だ。そうとわかっていながら裏切る、僕のせいで積み重なった罪悪感。理屈の上では、それに付き合うのは僕の義務なのかもしれない。
それでも、僕にはそれができないのだ。
理屈ではない。僕がただ、そういうモノであるというだけ。強迫観念に近かった。
確かに僕は求められればそれを為そうとする。そういう呪いに縛られている。
だが、だからこそ僕は、そのために感謝などされてはいけない。僕が誰かを助けるのは、単にそういう機能だからというに過ぎない。そこに僕の意思は介在していない。そういうモノでしかあれないというだけだ。
そんな奴は、誰かから感謝など受け取ってはならない。
「――冗談だよ。すまない、そこまで困らせるつもりはなかったんだ」
しばらく経ってから。津凪はふっと笑い、そんなことを言って視線を切った。
結局、僕は自分では選べなかった。彼女がそう言い出すのを、ただ待っていただけだ。
そんなもの、津凪に甘えているのとなんら変わりない。
「永代にだって選ぶ権利はある。ぼくみたいなのじゃ、お礼にすらならないか」
「……そういうこと言ってるわけじゃない。それはやめろ」
「ん――そうだね。ちょっと卑屈になってるみたいだ」
これまでどんな風に生きてきたのかとか、どんな人に出会ってきたのかとか。これからどういう風に暮らしていきたいと思っているのかとか――そういうことを僕は知らない。表面的なことだけだ。
それでも。それでも僕は思う。初めて会ったあの夜と同じように。
津凪がどういう少女なのか、知っているのだと言い張ろう。それが勘違いだとしても、その勘違いを恐れずにいたい。そう思う。そう思えた。
「――よし! 津凪、そこに立て!」
だから言った。突然の言葉に、面食らってきょとんと目を見開く津凪。
僕は構わず、津凪に向かって指示を飛ばす。
「もっとまっすぐ! そう、手は横にびしっと、軍隊みたいにまっすぐ立って。もっと胸張る!」
「な、な――何を言ってるんだ永代?」
驚きながらも、ほとんど言われるがままに津凪は直立した。そうなるだろうと僕は知っていた。
だから。突然のことに対応できないでいる津凪の、目の前に立って僕は。
「――えい」
その胸に、自分の両手で優しく包み込むよう触れた。
言い換えるなら、おっぱい揉んだ。
「んな――っ!?」
硬直する津凪。何が起きたか理解できていないという風に、彼女は完全に固まってしまう。
だが、おっぱいは柔らかかった。前から思っていたが、細身な割に彼女は結構なボリュームがあっていい。
そのままふよふよと指を使って感触を楽しむ。いやまあ正直言うと、ほとんどわかんないんだけど。
僕は僕で、これはこれでいっぱいいっぱいだった。
だが見たか真代。僕をヘタレと言うが、やろうと思えばこんなこともできるのだ。こっちのほうがまだ愛撫だ。
というかもう完全にセクハラだった。
「な――んっ、……ひゃぁ」
抵抗できないのか、津凪はただ呻くだけで、僕の手を受け入れている。
……もう少し暗い抵抗してくれてもよかったのに。ぶん殴られるくらいは覚悟していたのだが。
その辺り、やはり津凪ということなのだろう。僕の思う通りの彼女だった。
そしてこの辺りで、僕のほうも罪悪感が限界に達した。手を離し、視線は逸らして言う。
「――えっと。というわけで、報酬は貰っておいたから」
「え? あ、えと、……あのっ、はい」
「いやね 実は僕かなり津凪のこと好みだからさ。むらむらしてた」
「あうあ」
「なんでまあ、せっかく報酬くれるってことだったんで、貰っておいたって感じ。これでイーブンね。オーケー?」
オーケーなわけがない。
ないのだが、押されて津凪は頷いていた。
「あ、はい。その、お粗末様でした?」
「あ、はい。ご馳走様でした」
僕らは揃って何を言っているのだろう。
自覚はあったが、こういうときは勢いで誤魔化してしまうに限る。
「――ま、そういうことだから。別に僕だって、そりゃ頼まれれば誰でも助けようとはするけどさ。悪人助けるよりはいい奴を助けるほうが気分はいいし、それが好みの女の子ならなおさらだよ」
「永、代……?」
「僕は津凪のこと好きだよ」
これは嘘じゃない。本心だ。
たとえ出会ったばかりだとしても、そんなことは関係ない。
「僕は津凪を、少なくとも昨日よりはよく知ってる。クールな振りして押しに弱いし、真面目なようで咄嗟の事態にはすぐ狼狽える。悟ったようなことを言いながら、ちょっとしたことで子どもみたいに喜べる」
そういう奴だと知っている。
そういう津凪だから、僕は喜んで助けたいと思っている。思えている。
「だから、それでいいんじゃないかな。確かに僕は頼まれれば誰でも助けようとする馬鹿だ。好き嫌いの問題じゃなく、そういう風にしか生きられない。それは事実だよ。――でも、少なくとも僕はきっと、津凪のこと、頼まれなくたって助けたいと思ったよ」
「…………」
「だから、ありがとう。僕のところに来てくれて。僕に、君の力になれる機会をくれてありがとう。僕はそれを、嬉しいことだと思ってるよ」
言ってる間に、なんだかだんだんと恥ずかしくなってきた。
いや、何を言ってるんだ僕は。こっ恥ずかしい。またひとつ黒歴史を重ねた気分だ。
「――真代の言う通りだな」
やがて、津凪は小さくそう言った。
彼女も顔を赤くして、けれど小さく微笑みながら。
「酷い男だ。ぼくにはお礼も言わせないくせに、君はそういうことを言うんだから。最低だよ」
「……ごめん。厄介な男に捕まったと、諦めてもらうしかないや」
「ぼくも厄介な女だからね。その辺はおあいこ、かな」
くすり、と津凪が小さく苦笑する。
だから僕も笑った。声はもうひとつ届いてきた。
「――だからっておっぱい揉む必要はなかったと思うんですが、おにーさん。その辺いかがでしょー?」
「風呂入ったんじゃなかったのか真代……」
脱衣所のほうから、こちらを覗く真代が細い目をしてそう言った。
見られてた。見られてた最悪だ恥ずかしい死ぬ。
「いえ。なんかこうわたしの呪術師的直感が、見逃してはならないシーンの到来を予期したので。ビデオを用意できなかったことが悔やまれますね」
しれっと真代は言う。この女、初めからそのつもりだったということか。
僕と津凪は顔を見合わせ、それから揃ってこう話す。
「……えっと。寝よっか!」
「あ、ああ、そうだな。そろそろ休もうか!」
「――ま、ヘタレのおにーさんにしては及第点ということで、今度こそお風呂行ってきますー」
意思を統一した僕らに対し、真代はにやにやと厭らしい笑みで続けた。
「三十分で足りますか?」
「さっさと入れ!」
僕が叫ぶと、真代はそのまま脱衣所に逃げていく。
その日は、それでお開きとなった。
真代は寝室で、津凪は昨日と同じくソファで、僕も自分の部屋に戻って寝る。
考えるのは津凪のことだ。
連中が――あの三人がまた現れることは間違いない。それをどうにか撃退しない限り、津凪がこの街で暮らすことはできない。
違和感は、いくつかあった。
最たるものを言えば、三谷たちがあっさり帰っていった理由だ。
この街に長居するのは得策じゃないはずだ。にもかかわらず見逃された理由がわからない。
布団の中で僕は考え、考えているうちに眠り込んでしまう。
このところ、あまり寝られていなかったのが原因ではあるのだろう。久々にぐっすり眠ってしまい、結局、僕が目を覚ましたのは午前九時前になってからだった。
居間に戻る。テーブルの上には朝食があり、どうやら真代は普通に学校へ向かったようだった。
並べられた食器の横には、一通の手紙が置いてある。この家にあったメモ帳を千切って、文字だけを書き殴っただけのものだ。
僕は周囲を見渡す。だが、どこを見たところで津凪の姿はない。
視線を残されていた手紙に戻し、その文章を僕は読む。
そこには、こんな言葉が書き残してあった。
――『短い間だけど世話になった。ぼくは王国に戻ることにする。勝手だけど、勝手ついでだから、最後にこれだけ書かせてほしい。気分が悪くなったらごめん。――ありがとう。この恩は一生忘れない』
僕は、発作を起こさなかった。
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