1-03『六路木市内散策デート』

 出水いずみさんと別れ、結社ビルをあとにした僕と津凪つなぎは今、六路木むつろぎ駅の前に来ている。

 名前からも察せられる通り、六路木市内では最も賑わっている場所だ。基本的には市内を環状に巡る地下鉄(六路木には市外に続く鉄道の駅がない)の中で最も北に位置する駅であり、結社の本部ビルからもほど近い。

 至って普通の繁華街だ。呪術師の都市だからといって何が変わるでもなく、全国展開するチェーンの居酒屋やコンビニ、ファストフード店などはひと通り揃っていた。

 というか、六路木独自のものを探すほうが難しいくらいだろう。今どき六路木以外でも、コンビニで護身用の呪術避けおまもりくらいは買えるものだ。


「――てなわけで、この辺りに来れば基本的にだいたいなんでも揃うかな。別に外とも大差ないだろ?」


「そうだね。少し意外ではあったけど、考えてみればここも日本の中だったね」


「駅はないけど、県道とかは通ってるしね。ここから六路木市、みたいな看板もある。日頃から何千人かそれ以上の単位で、出入りは普通にあるんだよ」


「そうでもなければ、こんな風に普通のチェーン店が開いてたりするはずもないわけか。搬入とかできないからね」


「陸の孤島みたいなイメージされてることが多いけどね、そんなわけもない。表向きには普通の街なんだよ。津凪の侵入が割と見逃されてたのもそれが理由だね。そこまでいちいち見張るような機能も人員もない。街に呪術師が来たから、だからなんだって話だし。――あの結界の本当の機能は、実のところ別にある」


「考えてみれば、当たり前ではあるわけだね。何も呪術師しか住んでないってわけじゃないんだから」


 僕の説明に、頷きながら答える津凪。彼女にこの辺りを案内するのが、今日の目的となっていた。

 出水さんによる鶴のひと声で、僕と津凪の同棲が決まったからだ。あえて命令口調で言ったのは出水さんなりの気遣いだったのだろうけれど、それでも僕は気が重い。

 主に、真代ましろになんて説明すればいいのか、という点において。

 嫌だなあ、と僕は肩を落とす以外になかった。あの義妹いもうとは、基本的に義兄あにに対する遠慮とか敬意といったものが欠如しているため、どんな目に遭うか知れたものではない。

 真代に無断で決めてしまった以上、何を言われても甘んじて受け入れるほかないのだが。


 結局のところ、津凪との共同生活を受け入れたのは僕の判断だ。

 誰に押しつける責任もない。津凪も出水さんも、僕にそれをすることはしなかった。だから断ろうと思えば、少なくとも断ることはできたわけだ。僕自身の意思として。

 実際には結社からの正式な仕事の依頼として、僕は津凪の世話を請けている。


 大前提として津凪に住む場所はない。先立つものもまったくない。そもそも稼ぐ手段すらない。

 この街で、津凪は戦闘呪術師として生きていくつもりだと聞いていた。

 だが問題がある。津凪は呪術師だが、所属している機関が機関だったせいか、公的な呪術師としての資格を持っていなかったのだ。偽造の違法ライセンスなら所持しているということだが、いくらなんでもそれを根拠に戦闘呪術師の仕事を斡旋することなど結社にはできない。問答無用で警察に送られない時点で、むしろありがたいと思うべきだ。

 その辺りは、出水さんが持ち前の特権でグレーな力を行使するらしい。

 もともと情状酌量の余地さえあれば、割と融通を利かせてくれる。筆記試験だけで資格が取れるはずもなく、資格の取得前から個人で多少の呪術を使うことは普通にあった。その程度では罪にさえ問われない。


「――津凪。お前はやむにやまれぬ事情で違法組織に捕らえられ、呪術を使うことを無理やりに強制されていた――。いいな?」


 とは出水さんの談だ。彼女は詳しい事情を聞くこともなく、そういうことにしてしまった。

 もっとも、津凪の場合は本当にそういう状況にいたらしき気配がある。それを聞かないことにした以上、僕から言えることなんてなかった。

 ともあれそういう事情もあり、しばらく分の生活費は結社から――というより国から補助される。その申請に時間がかかってしまうため、一定期間は結社が肩代わりしてくれるらしい。


 そういう呪術被害者援助の制度システムは、普通に存在するものだった。

 呪術とは、基本的には技術だ。学びさえすれば誰もに使える可能性がある。問題があるとすれば、そういったとは異なり、中には特別な適性を必要とする呪術があるという点だ。


 そういった特殊な適性のせいで、非合法な呪術組織に捕まってしまう子どもは、残念ながら一定数存在する。

 元より、呪術師になる人間は出自が特殊な場合が多い。変態が多いのはそのせいだろう。僕や真代にとっても、決して他人事というわけではなかった。

 呪術が世界に認知されて以降、人間の失踪事件は著しくその数を増した。

 特に幼い子どもが、まるで神隠しにでもあったかのように消える事件は今もなお後を絶たない。誘拐された子どもたちは、なんの要求もされないままに社会から消えてしまう。


 僕は、津凪もその手の子どものひとりだったのだろうと当たりをつけている。


 もちろん、そういった特殊な環境に置かれた子どもは、きちんと国家に――結社に救出されることが多い。それも戦闘呪術師の仕事のひとつだ。

 だが大半の場合、彼らは助けられたところで親元に帰ることがない。呪われた人間は、その呪いを周囲に撒き散らしてしまうから。

 穴はふたつでは足りなかった。一度開いたそれを、埋めることなんてできないのかもしれない。


「さて。ちょっと進んだ先にモールがあるから、そこで必要なモノを買っておこうか」


 僕は言った。今日ふたつ目の目的が、津凪のために必要な生活必需品を揃えることだ。

 逃亡生活はせいぜい十日ほどだったらしいが、そのときに持っていた着替えなどの荷物はこの街に入ったときなくしてしまったそうだ。ストーカー氏の撒き散らした呪いに当てられた際、どこかに置き忘れたという。

 そこまで案内するよ、と告げた僕に、津凪は申し訳なさそうな表情を見せた。


「……こういうとき、お礼のひとつも言えないというのは意外に堪えるね。何から何まで世話になってるのに」


「意外に律儀なこと言うな……」


 それは思わず漏れた言葉だったが、津凪は心外だと頬を膨らませた。


「む。意外とは失礼な。これでもぼくは、受けた恩は忘れないタイプだよ」


「ああ、いや、別にそういう意味で言ったわけじゃなくてさ」


「受けた恩には尽くして返すタイプだよ」


「それなんで言い直したのかはちょっとわかんないけど」


「尽くすタイプだよ」


「もうただの自己アピールになってる……」


「これから厄介になるからね。不束者ながら、それくらいは言っておいたほうがいいと思って」


「嫁入りするみたいに言うなよ」


「似たようなものだろう」


 確かに、と思って僕は笑い、「なんなら三つ指もつこうか」と津凪も笑う。いや、それはいらないけど。

 僕だって別に、津凪が受けた恩をあっさり忘れられる性格ではないことくらいわかっている。僕としてはそれでも構わなかったし、むしろ忘れてもらったほうがいいくらいなのだが。そもそも恩を押し売ったとも思っていない。

 ただ、津凪はそこまで器用ではないと思う。器用な振りをしているが、本質はもっと不器用だ。

 わかった気になっているだけかもしれない。それでも、少なくともたった一日、あるいはそれにすら満たない程度の時間をいっしょに過ごしただけの僕でさえ、わかった気になれるような奴だということは間違いない。

 僕が意外だと言ったのは、津凪がどうこうという問題じゃない。

 呪術師にしては、というだけの意味だ。

 誰かを――どころか自分さえ傷つけてでも成し遂げたい何かがある人間しか、呪術師なんて道は選ばない。大原則に例外はない。呪術では、傷をつけることしかできないのだ。


 もっとも、それは彼女が自ら呪術の道を選んでいれば、という話でしかないのだが。

 なりたくて呪術師になる人間ばかりではない。ただほかに、道がなかっただけなのかもしれない。


「――まあいいや。それじゃ、とりあえず行こうか」


 僕はいい、津凪が頷くのを待って歩き出す。

 隣を歩く彼女は笑顔で、僕に向かってこんなことを言った。


「こんな昼間に、同い年くらいの男の子と歩くのは初めてだよ、ぼく」


「初デートの相手が僕で悪かったね。ま、エスコートくらいはがんばるから、大目に見てもらえると助かる」


「ふむ。永代はもしかして、慣れているのかい?」


「どうだろうね。慣れてるとしたら、それは真代の相手だと思うけど」


「……ふふ。なんだか楽しみになってきたよ。こんな風に街を歩けるなんてね」


 言葉の通り、嬉しそうな表情を津凪は見せてくれる。

 たったこれだけのことで、彼女のそんな表情を見られるのなら。


 人助けにしては、珍しく悪くない気分だ。



     ※



 最低限の買い物を済ませ、それから僕たちはふたりで街中を散策した。

 この街の中は、外とほとんど変わらない。それでも、見るもの見るものを珍しそうに、楽しそうに津凪は眺めている。まるでひっくり返ったおもちゃ箱の中身に、瞳を輝かせる子どものようだ。

 僕は、それを後ろから眺めていた。諸々の費用は結社が立て替えてくれるし、このデートは《津凪の保護》という名目で任された正式な仕事だ。――つまり結社から報酬が出る。

 僕はお金がない。真代とのふたり暮らしにかかる費用は、全て僕が呪術師の仕事で稼ぎ出さねばならない。真代が戦闘呪術師になることに、僕は反対しているから。


 呪術師は稼ぎがいい。どんな簡単な仕事だろうと、例外なく命に関わるせいだ。

 だからお金がないとはいえ、まるで贅沢ができないというわけではない。真代の洋服代や交際費くらい、小遣いとして渡せなければ兄の肩書きが廃ってしまう。割とキツキツなことは否めないが、ド貧乏というほどでもない。

 というわけで。たまには僕も、少しくらい贅沢をしたっていいだろう。


 昼頃、僕は津凪を連れて行きつけのラーメン屋に向かった。個人的には、六路木でいちばん美味いと思っている店だ。

 名を《灰海軒》と書く。読みが《はいかいけん》で正しいのかどうか知らないし、本当言えば儲かりそうにない店名だと思っていたが、そこそこ程度にはリピーターも多い様子で、少なくとも潰れそうな気配はない。

 だいぶ濃厚でこってり寄りだから、正直言って女の子を連れてくるのに向く店とは言いづらい。でも、あえて僕はそこを選んだ。そのほうが、津凪はきっと喜ぶと思ったから。

 その予想は、どうやら幸いにも的中したらしい。


「ラーメン屋さんに入るの、ぼく初めてだよ……!」


 なんだか緊張した面持ちでそんなことを言う津凪。


「食べたことないの、ラーメン?」


「いや、さすがにそんなことはないよ。ただインスタントばかりだったからね。お店で食べるという発想はなかった……」


「発想って」


「食べるのが遅いと追い出されるというのは本当なのかい?」


「それはもっと上級者向けの店」


「上級者向けとかあるのか……」


「ごめん。ない。ニュアンス」


 そんな会話をした。いい感じに中身がない。

 やがて運ばれてきたどろどろのスープに、津凪はいいリアクションを見せてくれた。


「え。なんだいこれ、泥?」


「おい。店員に聞かれたら怒られるぞ」


「だってこれ、え? うわ、すごいな……これは重そうだ」


「それが癖になるから好きなんだけどね、僕は。だからあっさりにしておきなって言ったのに」


「むぅ。でもせっかくなんだ、永代と同じやつがいいじゃないか」


「……ま、好きにすればいいさ。伸びる前に食べようか」


「うん。――いざ」


 結論から言えば、津凪はなんとか完食することができた。

 もうしばらくはラーメンを見たくない、とお腹を抱える津凪は、それでも楽しそうに笑っている。

 安い買い物だと僕は思った。


 昼食を頂いたところで、続けて腹ごなしにゲームセンターに向かった。

 これで映画にでも行けば本格的にデートコースだな、なんて内心で思いながら、大音量の電子音が響く店内へと入る。

 津凪のテンションは終始高かった。


「クレーンゲームだ、クレーンゲームだよ永代!」


「まあ、ザ・ゲーセンって感じだよね。やったことない?」


「ああ……! や、やろう! やろう永代!」


「いいよ。どれがいい?」


「え、えっと……そうだな。あれなんてどうだろう?」


 ひとつの筐体を津凪は指差す。太ったネズミのぬいぐるみが景品だ。

 ただ、あたかも今見つけた風に言う彼女が、実は店に入った瞬間からその筐体に釘づけだったことに僕は気づいていた。


「……なんかこう、悲しい目をしたネズミだね……」


「ああ、きっと助けを求めている。永代なら見捨てないだろう?」


「求められてるかなあ……?」


 デフォルメされた、ずんぐりむっくりしたネズミのキャラクター。名を《パチモンネズミのパッチー》というらしい。

 ……道理で悲しい顔をしているわけだ。生まれた瞬間から悲しみを背負っている。パッチワーク風の模様が絶妙にサイケデリックで、はっきり言ってまるで可愛くないと僕は思う。

 何を考えて、これを商品化しようとメーカーは決断したのだろう。


「今行くぞパッチー……!」


「パッチー好きだったの、津凪?」


「す、好きとか嫌いとかではないよ。助けを求められた断らないというだけだ」


「そっかぁー……」


「なんだいその目は?」


「いや別に。ほら、パッチー助けてあげてきなよ」


「う、……うん。行ってくるよ」


 百円を握り締め、筐体へと向かう津凪。本日最高のテンションを見せていた。

 今日は平日だ。あんまりはしゃがれると、恥ずかしいとかいう以前に注意されてしまいかねないのだが、それを止めようとは思わなかった。

 こんなことで、ここまで喜んでくれているのだ。野暮なことは言いたくない。

 最悪、呪術師免許を見せれば言い訳は利く。


 ――まあ津凪はパッチーを救助できなかったのだが。


「どういうことかな!」


 憤慨しながら、津凪が僕の襟首を掴む。どういうことかなはこちらの台詞だった。


「ねえ、ちょっと、津凪さん? あの、苦し――」


「なんだい、あれは! あんなゆるゆるのクレーンでは、パッチーの手を取ってやることができない……っ!」


「そんな詩的な表現されても。あんなもんだよ、普通」


「馬鹿な……それではパッチーは一生、あの狭い檻の中で暮らすというのかい!?」


「どうかな。人気がなくなったら撤去されると思うけど。なんかこう、見てるだけでアレだし、パッチー」


「か、可愛いじゃないかパッチー! 何が不満だというんだ、永代!?」


 がくがくと僕を揺さぶる津凪。首が締まるからやめて?


「わかった、わかったって! 次は僕がやってみるから」


「なんと。永代はあんな絶望的な状況からさえ、パッチーを助け出せるというのか……」


「うん。えっと、もうなんかその表現ホントやめて」


 だんだんと僕までパッチーに感情移入してきた。

 無実の罪で捉えられた哀れな被害者みたいになりつつある。どういうことだろう。

 まあ、とはいえ取れると思う。このゲームセンターは割と良心的だ。五百円あればいけるだろう。

 僕だって高校生。呪術師の知り合いより数は少ないが、普通に高校生の友達だっている。みんなでここに遊びに来ることが、決してないわけじゃなかった。

 アームで少しずつ押すようにして、パッチーを穴のほうへと移動させていく。

 結局、駄目押しに百円を継ぎ込むことでパッチーの救出(?)に成功した。

 がこん、と取り出し口に現れるパッチー。両手で抱えるほどの大きさがあった。


「はい、プレゼント」


 パッチーを津凪に手渡す。

 津凪は受け取ったパッチーを両手で抱き締めると、満面の笑みでこう言った。


「うわあ、パッチーだあ……」


 嬉しそうだった。めっちゃ嬉しそうな津凪さんであった。

 なんなの。パッチーそんなに大人気なの? 僕、存在すら知らなかったんだけど。

 ぎゅっとパッチーを抱き締め、津凪は愛おしそうにその頭を撫でながら言う。


「ありがとう、永代。パッチーを助けてくれて」


 僕は発作を起こした。


「ああっ!?」



     ※



「――済まない、気が抜けてしまったんだ……」


 店が少し騒ぎになったので、僕は気力で外まで移動し、裏通りで息を落ち着けた。

 幸い、コトが《ぬいぐるみをあげた》程度のことなので、発作は割とすぐに収まった。感覚的なものだが、感謝の度合いが大きければ大きいほど、僕は強い発作を起こすらしい。本当に面倒な体質である。

 逆に言えば、ただ単に口だけで感謝を言われても、それだけでは発作を起こさない。どうもイメージの問題らしかった。

 近くのコンビニから、津凪が水を買ってきてくれている。それを受け取って僕は答えた。


「いや……大丈夫、謝んなくていい。僕の厄介な体質が悪いだけだ」


「でも、聞いてあったから。それを忘れたのはぼくの落ち度だ」


「……それじゃ、なおさら謝るのはやめてくれ。たまに謝られることでも発作が起きる」


「そう、なのか……」


「こっちはあんまりないけどね。でもほら、感謝って単語には謝るって漢字が含まれてるから……なんてね?」


「……ぼくが言っていいことじゃないけど。でも本当に難儀な体質だね」


「同感だよ」


 水を一気に呷る。五百ミリのペットボトルの、半分くらいをひと息に空けた。

 通りから少し外れた裏道では、表の喧騒も遠く感じる。僕らはビルの壁に背中を預けて、横に並んで立っていた。

 しばらく続いた無言のあと、ふと津凪が思いついたみたいに言う。


「今日は楽しかったよ。さっきも言ったけど、こんな風に友達と街を歩くなんてこと、ぼくは初めてだったから」


「……そっか。拙いデートコースで申し訳ないけど、まあ、楽しんでくれたなら何よりだよ」


「気を使ってくれたんだね」


「どうかな」


 僕は肩を竦める。そんなつもりは特にない。


「ただまあ、言うなら好きになってもらいたかったんだよ。この街を」


「六路木を?」


「そう。せっかく来たんだからね。それがたとえ逃げてきたんだとしても、この街に住むんだったら、どうせなら楽しく暮らしてほしかった。そんなとこだよ」


 僕と真代もそうだ。津凪と同じで、この街に外からやって来た。

 それを僕は後悔していない。だから津凪にも、この街に来たことを積極的に楽しんでもらいたかった。


「なるほど。確かにぼくも、好きになれそうな気がするよ」


 津凪が呟く。横を見ると、彼女は狭い路地から空を眺めていた。

 その表情は儚げだが明るく、嘘はないように思える。


「……ならよかった」


「うん。……よかったよ、本当に。いい思い出ができた」


 津凪の視線を追って、いっしょに狭い路地から空を見上げた。

 細く見える空には青が広がり、雲ひとつない。あるいはここから見えないだけか。

 僕は言う。


「ま、普通に仕事だったってだけだけどね。津凪といっしょに遊んでるだけでお金になるんだ、これほど楽な依頼もない」


「永代が言うと、『だから恩には着なくていい』としか聞こえないよ」


「……そんなつもりはないんだけど」


「仕事だっていうなら、生活用品を買って終わりでもよかった。助成金が出るのはそこまでだろ? せっかく依頼で稼いだお金を、ぼくのために使ってたら意味がない」


「言ったじゃない、この街を好きになってもらいたかったって。だいたいそんな適当な仕事したら、出水さんに殺されるよ」


「なら、今日の分のお金はちゃんと返しておくよ」


「デートの分くらい男が持つものだよ」


「頑固だね」


「呪術師だからね。自分のことしか考えてないんだ」


「そうだね。そういうことに、しておこう」


「――――」


 僕は答えず、隣に立つ津凪の顔を見つめた。

 首を傾げた津凪の正面に立ち、手を壁について僕は近づく。限界まで顔を近づけて。

 いわゆるところの壁ドン体勢である。いや本当は違う意味らしいけど。


「……津凪」


 耳元で、僕は彼女の名を呼んだ。津凪が小さく身じろぎする。


「ちょっと歩こうか。家に戻る方向でいいかな」


「うん。ぼくも気がついたよ」


 こくり、と彼女は頷いた。傍から見れば、きっと僕たちは、人目を避けつつも道端でイチャつくアホのカップルに見えることだろう。

 もちろん僕がいきなり盛ったわけではなかった。そのことは津凪もわかっている。

 彼女はなぜか小さく笑って、どこか寂しそうな表情でこう言った。


「――どうやら、誰かに見張られてるね」

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