0-02『プロローグC/呪術戦闘に関するノウハウ』

 名乗りを上げる……や否や僕は横に走り出す。

 怪物と化した男は当然、僕の声など聞いていない。傾ける耳が物理的に存在するかも怪しいところだ。

 それでもこちらはプロの戦闘呪術師であり、公的な許可を得ているのだから、一応のため名乗っておくというのが僕の流儀だった。別に強制されているわけでもないため、守らない呪術師のほうが多いけれど。

 もっと言えば、名前は呪術の媒介になる。可能なら知られないほうがいいとさえ言えた。

 この現代社会において、本名を隠して生きるほうが難しいのだが。というか実際、無理だと思う。


「――っ!」


 ぶよぶよとした黒い肉が腕(っぽい部分)を振り上げ、そのまま重さ任せに叩きつけてくる。落とす速度は速くとも、振り上げる行為が遅すぎるため、避けること自体は容易だった。

 だが、ここは廃ビル。脆いコンクリートは殴りつけられるだけで抉れ、飛び散った破片がこちらに向かってくる。 僕はそれを、足を止めずに走る抜けることで躱す。

 というか、呪術では割とどうしようもない。無機物に――生物以外のモノに呪術で干渉するのは高等技術だ。僕にできることじゃなかった。

 そして、その意味で言えば。


「……これ、不味くないですかね?」


「今さら何言ってんだ、お前」


 呟きは、今し方の攻撃を見てのこと。呆れた声音の奥崎さんは、つまり気づいていたのだろう。

 怪物が砕いた床の破片は、正確に僕をめがけて飛んできた。それは物理法則を若干ながら無視した軌道だ。

 呪術の干渉を受けているらしい。このビルが、というよりも――僕自身が。

 先ほど僕は、呪いに塗り潰され裏に隠れてしまった元のストーカー氏の声を聞くために、あえて呪いの一部を自分に移した。そのせいで、彼と僕との間に《縁》ができてしまっているのだ。

 呪詛。呪われた者を不幸に陥れる、呪い。

 破片が的確に僕を狙うのは、おそらくそのせい。負わなくてもいいハンデだった。


「……仕方ない。いったん返します」


 走ったまま、右手の呪銃を掲げる。その照準は、目の前に屹立する彼へ。

 これが実銃なら、的の大きさを加味してようやく当たるかどうかというところか。少なくとも僕に、走ったまま正確な射撃をする技術はない。

 だが呪術において重要なのは正確な狙いではなく、という行為そのもの――繋がりを作る儀式のほう。そもそも僕は実銃なんて持ったこともない。それはこの国じゃ銃刀法違反だ。

 呪銃に込めるのは鉛弾ではない。呪いだ。僕にかけられた縛りを込める。

 がんじがらめに纏わりついた、不可視の呪いを呪銃に注ぐイメージ。

 もともと《白翼カラス》はそれが得意だ。能動的に呪うのではなく、かけられた呪いを弾に込め撃ち出す《呪詛返しカウンター》用の呪具。ある呪術師からの預かりもの――。


「――行けっ!」


 叫び、そして引鉄を弾いた。互いの間のつながりに沿って、見えない呪いが射出される。

 それは音を、あるいは光をも超える速度で彼に突き刺さり、貰った呪いを返還した。ずん、と体重に負荷をかけられたみたいにして、怪物の動きが遅くなる。


「……馬鹿じゃねえのか」


 奥崎さんの声。呟くようなそれが、けれど僕の耳まで届いた辺り、聞かせるつもりで言っている。

 しかしまあ、その通りだ。自分から呪いを貰っておいて、単にそれを返しただけ。はっきり言ってなんの意味もない行為だった。

 そもそも呪詛返しとは呪われる前にそれを防ぐための技術であって、食らった呪いを返すものではない。呪術師の技能としては二流がいいとこだし、自縛を鑑みれば三流以下だ。

 それでいい。僕はできることを、できる通りにやるだけ。

 そして全力で彼を助ける。

 さらに連射を重ねた。腕に、頭蓋に、足に胴に心臓に――呪銃を連射して撃ち込んでいく。だが、いくら撃ったところで、それで彼を救えるわけではない。どころか倒すこともできない。怪物は平然と、再び攻撃を再開した。

 それでも僕は撃つのをやめない。何発も何発も、呪銃の弾丸を撃ち込み続ける。図体の巨大な怪物は、躱そうとさえしなかった。そんな理性、そもそも消えているのだろう。


 だから。先んじて違和感に気づいたのは、彼ではなく奥崎さんだった。


「……おい待て。お前、さっきからいったい何してる?」


 怪物の挙動は次第に速度を増し、僕は躱すのでやっとというくらい。

 だから正直、答える余裕なんてなかったのだが。

 無視すると怒り出しそうな人だったので、がんばって返事をする。


「見ての通り……ですよ! 呪銃の弾を撃ち込んでるんです」


「見りゃわかることを言うなボケ。そんなこと訊いてんじゃねえんだよ俺は」


 答えても怒られた。まったくなんて人だろう。

 まあいい。この業界で生きていくのに必要なのは、変態を受け入れる度量である。慣れと諦めでたいていのことは乗り切れる。

 この程度の理不尽など、特に気にすることでもなかった。


「それ、とっくにだろうが。込める呪いがないんじゃただの空砲だ。撃つ意味がねえ」


 考察を聞かせるのは、反応から真偽を確かめるためか。いずれにせよそれは的を射た推測だ。

 よく見ているものだと思う。偉そうにも少し感心してしまった。

 さすがは奥崎さん。若手で最強格という評価は、どうやら正当なものらしい。


「確かに呪いは撃ってません。当たり前じゃないですか、僕は彼を助けるんですから。呪ってどうするんですか」


「それじゃ解呪にもならないだろうが。いったい何を狙っている」


「確かにこれは呪詛でも解呪でもないですけれど。それでも――これは呪銃ですよ。狙って撃つ、という儀式やりかたそのものに意味があります」


 撃ちながら僕は答えた。そう、これは一種の呪術的な儀式だ。

 呪いはかけていない。だが呪いをかけていなくとも、自体はできている。それを撃ち込むことはできる。

 正確には、繋がりという概念そのものを。

 ……そろそろいいだろう。


「さて、と」


 言いながら立ち止まり、僕は空いている左手を懐に入れた。

 そこに仕舞い込んでいたもうひとつの呪具を、呪銃を持つ手とは逆の手で握る。


「……呪刀? 鴻上、お前……」


 奥崎さんの胡乱な声に、今度は答えを返さなかった。

 代わりに行動で答えを示す。

 立ち止まった僕を、もちろん怪物は狙ってくる。振り下ろしでは遅いと悟ったのか、彼はまっすぐ突くように、片腕で僕に殴りかかってきた。

 それを、今度は躱さない。もちろん防ぐわけでもない。

 ――迎撃する。

 左手に握り込んだ黒い小刀ナイフを、僕はまっすぐ前に差し出す。その切っ先に怪物の握る拳が触れた瞬間、


 ぱんっ!


 と、まるで風船が割れるような音を立てて、彼の右腕が

 驚愕する怪物。それを認識するくらいの知性は残っているのか、硬直したように動きが止まる。

 それは隙だ。助けるために付け入る隙。

 まっすぐ、僕は前に走った。巨体の懐へと潜り込むように近づくと、その心臓をめがけて呪刀を突き立てる。


「餌だよ、《黒牙ワンコ》」


 ――瞬間、先ほどより大きな破裂音が響いた。


 彼を覆っていた黒い肉壁が、呪いとともに弾けて消える。物理的な実態ではなく、カタチを持った呪いだから。

 ひとたびそれを剥いでしまえば、内側から全裸状態の痩せた男――ストーカーさんが姿を現す。気絶はしているものの、きちんとヒトガタは保っていた。

 高さ二メートルくらいから降って来た男を、別に受け止めてやろうとは思わない。普通に床に落っこちて、割と痛そうな音を立てた。ま、それで死ぬことはないだろう。足から落ちたし。

 念のため、彼に近づいて様子を確認する。

 息はしていた。呪いの残滓も感じられない。

 なら、もう大丈夫だろう。


「――鴻上」


 いつの間に階段から降りていたのか、すぐ傍まで奥崎さんが来ていた。

 彼はこちらを、なぜか鋭く睨みつけながら言う。


「マジで解きやがったのか、あの呪いを。ぶっちゃけ無理だと思ってたぜ」


「どちらかというと、呪うよりは解くほうが得意なものでして」


 などと言ってはみたが、これは実のところ半分くらい嘘だ。

 自己解呪の《白翼カラス》と他者解呪の《黒牙ワンコ》――この二つの呪具の力を借りただけ。僕の実力というわけじゃない。これを持っていれば誰でもできる。ふたつとも、かなり質のいい呪具なのだ。

 僕ではその力の半分も引き出すことはできないのだが、それでも充分すぎるほど強力だ。

 本当は、カラスやワンコなんて呼んでいいような呪具ではない。白翼とか黒牙とか呼ぶのが恥ずかしいから、可愛げのあるあだ名を僕がつけただけだった。


「解呪が難しいのは、複数の呪いが複雑に絡み合っているからです。なら、それをひとつに纏めてしまえばいい」


 なんとなく、求められている気がしたので解説してみた。

 求められたら応えるのが僕という人間だ。同業者とはいえ手の内を明かすのは本来ならよくないのだが、いい奴であるところの僕は断らない。

 というか、たぶん奥崎さんは普通に気づいている。現に言った。


「最初に呪銃で撃ってたのは、を作るためだったわけか。自分と相手にではなく、別々の呪いをひとつに纏める繋がりを」


「そういうことですね。ひとつになった呪いなら、こいつ――《黒牙ワンコ》を使えば一発で断てますから」


 呪銃《白翼カラス》と対になる、呪刀《黒牙ワンコ》を軽く振るう。

 役目の終わったそれを仕舞い、肩を竦めながらこう言った。


「正直、賭けではあったんですけど。幸い、このストーカーさんの呪術が下手だったので、まあなんとか」


「……お前」


 何かを言いかけて、しかし奥崎さんはすぐ首を振って笑った。

 獰猛に。その様はたとえるなら獅子に似ていた。それも飢えて凶暴な野生の獅子だ。

 刺さる視線に、どこかこちらを値踏みするような気配が感じられる。染めたらしい短い金髪と、目元を隠す派手なサングラスが相まって、なんだか粗野な不良に目をつけられたみたいな気分だった。

 蛇に睨まれた蛙と言い換えてもいい。僕は蛙ではないし、たぶん奥崎さんも蛇ではないが。


「なるほど、面白い――で、どうしてくれんだ?」


「……どうしてくれる、とは?」


 突然、そんなことを言い出した奥崎さんに狼狽える。

 何か不味いことをしただろうか。混乱した僕に彼は笑って、


「そりゃお前、オレの得物を奪ったんだぜ? せっかく戦いに来たってのによ、不完全燃焼もいいとこだ」


「や、そんなことを言われましても」


「だから鴻上。――お前、コイツの代わりにオレと戦えよ」


 なんつーことを言い出すんだ、この人は。勘弁してほしい。


「お前も聞いたことくらいあんだろ? オレは戦うのが大好きでよ、だから呪術師になったんだ。だからいっつも同業に喧嘩売っててな。どうも戦いの中にいねえと、生きてるって感じがしねーのが嫌なんだよなあ」


「いやそんな拗らせた厨二病みたいなこと言われましても」


「ぶっ殺すぞ」


 怒らせてしまった。正直すぎたかもしれない。

 いや、この人が本気で言っているらしいことはわかっている。そういう評判も、噂ながらには聞いていた。

 何度となくされる話だが、とにかく呪術師には変わり者が多い。

 そしてその多くが《自分だけはまとも》だなんて妙な勘違いをしているため、自分以外の変わり者を話のタネにすることもまた多かった。

 だから噂が届くのだ。狭い業界ということもあって、有名人の話は耳を塞いでも運ばれてくる。

 その意味で、奥崎さんの戦闘狂っぷりは有名だ。どいつもこいつも、何かひとつの方向に針が振り切れているらしい。本当にまともな呪術師なんて、下手をすると僕くらいじゃないのかと不安になってきてしまう。


「……いくらなんでも、仮にも同業者なかまと戦うってのは、さすがに」


「んだよ、ノリの悪い奴だな。一戦くらいいいじゃねえか」


「いや、今ので割と消耗してますし、そもそも僕じゃ奥崎さんの相手にはなりません。実際、ほとんど呪具頼りでしたし」


 やんわりと断ってみたものの、食い下がられたらどうしよう。断り切れる自信がない。

 戦々恐々とする僕だったが、意外にも奥崎さんはあっさり引き下がった。


「ちっ、まあ仕方ねえか。最近じゃもう、同業者は誰もオレと戦ってくれねえんだよなあ……」


 そりゃそうだろう。戦うのが好きな呪術師なんてそうそういない。

 引き下がるのが早かったのは、もう何度も断られているからのようだ。僕はほっと息をつく。

 待機していた世羅さんから連絡が入ったのは、ちょうどそんなときだった。


『――お疲れ、ふたりとも。終わったようだね』


「世羅か」


 今回の呪術交信は、僕と奥崎さんの両方に繋がっている。

 複数の人間に纏めて繋がりを作れる辺り、世羅さんも相当のベテランだ。


『回収班はもう向かってるよ。数分もしないうちに着くと思う。外で待ってるから、合流して早く帰ろうか。鴻上くんは明日も学校だろう?』


「ええ、そうですね。帰って少しでも寝ておきたいです」


 偶然とはいえナイスフォローだ。頭の中だけで、世羅さんに礼を告げておく。

 奥崎さんも特に何も言わなかったため、ふたりで揃ってビルの外へと向かった。すでに待っていた世羅さんと、そこで合流を果たす。


「いや、お手柄だったね、鴻上くん。君と組むと楽でいいよ」


「……どうもです、世羅さん」


「今回の報酬には色をつけておくよう、結社カンパニーの担当に伝えておくよ」


 世羅さん笑顔でそう言った。割と直情思考っぽい気配の奥崎さんとは違い、世羅さんはなんとなく胡散臭い。失礼な話だが。

 まあ、お世辞だろうということで受け取っておき、ひと足先に帰らせてもらうことにした。

 僕はあくまで高校生。戦闘呪術師としては所属なしのフリーであり、世羅さんや奥崎さんとは違う。

 彼らはこの街を本拠とする呪術組織――世界でも最大規模を誇る呪術の総本山、《唯物結社カンパニー》の正式な所属呪術師だ。呪術師は国家資格であるため、試験にさえ受かれば名乗ることができるのだが、この街でプロの戦闘呪術師と言えば、普通は《結社》の所属を言う。


「――ところで鴻上くんは、卒業したらどうするんだい?」


 帰りしな、そんなことを世羅さんから問われた。

 なんだか不機嫌になっている奥崎さんは、ずっと黙り込んでいる。


「それは、卒業したら結社に入らないか、というお誘いですか?」


「ま、わかっちゃうか。そういうことになるね」


「……正直、先のことってあんまり考えてないんですよね」


 僕はそう言った。別に濁したわけではなく、これは普通に本心だ。

 数年前、義妹である真代ましろを連れてこの街に移り住んでからというもの、彼女を養って暮らしていくだけで僕は精いっぱいだった。それは今も変わらない。

 だから卒業したらどうするかとか、未来の予定を立てることがどうにもできていなかったのだ。


「何度か誘われてるみたいだし、別に人事は僕らの仕事じゃないからね。あまりとやかくは言わないけど。ただ、個人的には是非にと思うよ?」


「考えておきます、とだけ」


「そうだね。うん――それで充分だ」


 何がツボだったのか、世羅さんは愉快そうに笑った。

 僕は頭を下げ、「それでは」と告げて先に現場をあとにする。

 実際、かなり疲れていた。ストーカーさんを助けるためだけに呪術を無駄撃ちしたため、体力はともかく精神力のほうに相当の負荷がかかっている。

 明日も早いし、帰って眠ってしまいたかった。


 ――というか、黙って出てきたからなあ。

 真代が怒っている気がする。ご機嫌取りに、コンビニでアイスでも買って帰ろうか。



     ※



「……で、世羅?」


 鴻上が去って少しあと。それまで黙っていた奥崎が口を開く。


「お前、どうして鴻上を先に返した」


 その理由はもう言っただろう、と世羅は言わなかった。


「それはもちろん、奥崎が僕に訊きたいことがあるんじゃないかと思ってね」


「……何者だ、あいつ」


鴻上こうがみ永代えいたい。フリーの呪術師。さっき聞いた話によれば、義理の妹とふたり暮らし」


「おい」


「呪術師としての二つ名コードは《竈猫かまどねこ》だ」


「……二つ名持ちコードホルダーかよ。道理で――つーかいや可愛らしい二つ名してんなオイ」


「ぼくがつけたからね」


「お前かよ。……だがそういや聞いたことはあったな。フリーの戦闘呪術師の中に、一銃一刀の変わったスタイルの奴がいるとかなんとか」


「鴻上くん本人は、『好きで使ってるわけじゃありません』とか言ってたけど」


 呪術師は基本的に名を隠す。そのために使われる仮の呼び名が《二つ名コード》だ。

 もっとも、この現代社会で本当に名前を隠すのは難しい。調べればわかってしまう程度のものであり、だからもっぱら形骸化した制度ではあるのだが、それでも慣例的に実力者の証として流布される。


「言っておくけれど、彼について知っていることなんてそうはないよ。知っていても教えないけどね――それは職業倫理ってヤツかな」


「別にそこまで期待してねえよ。つーか戦ってくれんならオレはお前が相手でもいいんだ」


「そう聞くとなんかクソ野郎みたいだね」


「なんでオレが男に手を出そうとしてる感じになってんだよ馬鹿かお前」


「どちみち、ぼくじゃ君には勝てないよ。直接戦闘が苦手だから、こうして裏方をやってるんだ」


「……なんか、あいつと上手いこと戦う方法とかないもんかね……」


 その言葉を世羅は質問ではなく、単なる独り言として受け取った。答えなら知っていたのだが、訊かれていないのだから答えなくてもいい――そう言い訳するために。

 そう。鴻上永代と戦いたいのなら、それは簡単に実現できる。

 

 そうすれば彼は断らない、というより断れない。命令するように「戦え」などと言うから彼は逃げたのだ。もし初めから「戦ってほしい」としていれば、鴻上には断ることができなかった。

 一連の会話は、遠隔で世羅も聞いていたのだ。


 とはいえ、世羅が意図的に隠してやるのはその情報くらいのもの。それ以上の肩入れを彼はしない。

 ――鴻上は奥崎に目をつけられた。この男は執念深い獣だ。気に入った相手は必ず壊そうと執着する。今のところ鴻上は、奥崎にとってせいぜい《次に戦いたい候補》程度だろうが、この先まではわからない。

 そこまでの実力を、鴻上がのだが。

 世羅だって、言葉の通りそこまで鴻上の事情を知っているわけじゃない。というかほとんど知らなかった。奥崎よりは知っているものの、所詮は何回か一緒に仕事で組んだ程度だ。どちらかと言うなら、奥崎とのほうが付き合いは長い。


「ま、義妹ちゃんを紹介してくれるなら協力しないでもないんだけど」


「いや俺に義妹なんていねえよ」


 都合よく勘違いした――というより勘違いするように言ったのだが――奥崎に肩を竦めてみせ、世羅は笑う。

 世羅は呪術師が好きだ。変わり者が多く、それぞれがいろんな事情を抱えている。そういう他者の背景を、垣間見るのが世羅の趣味だった。悪趣味だった。

 だから覗き見主義の男らしく、しばらくは傍観していようと彼は思う。

 もしかすると、いずれ面白いことになるかもしれない。



     ※



 ちょうど満月だった。もっとも街が明るいのは、月明かりよりも文明のせいだろう。

 コンビニでアイスを買った僕は、空を見上げながらそんなことを考えていた。

 同棲する義理の妹――鴻上真代は甘いもの好きだ。そして逆に、仕事とはいえ僕が夜中に出歩いていることは、どうやら気に食わないらしい。それで何度も叱られていた。

 真代も一応、呪術師の資格は持っている。だが戦闘呪術師としての仕事はしていない――というより、僕がさせないようにしていた。僕がひとりで働いていることが、真代はかなり不満らしい。

 だからご機嫌を窺うためにアイスを買った僕だったが、通用するかは怪しいところだ。

 

 表通りを逸れ、自宅アパートへの近道となっている裏道を歩く。

 呪術の総本山とさえ呼ばれるこの街は、その割に文明の明かりで溢れている。だから表通りならこんな深夜でも街灯を欠かすことはなかったが、さすがに裏道ともなれば話は別だ。

 もちろん、慣れた道で迷うようなことはなかったが。

 なるべく早く帰宅しようと、帰り道を急ぐ。そのときだった。


 舗装された地面に倒れ込んでいる、ひとりの少女を見つけたのは。


「――えぇ……」


 さすがに驚く。呪術師の街に住んでいる僕も、夜中に倒れた女の子がいれば驚くに決まっている。

 別に、この街の誰もが呪術師というわけではないのだから。むしろ数としては、一般人のほうが遥かに多い。

 僕は慌てて、倒れ伏す少女に駆け寄った。


「もしもし、大丈夫ですか?」


 俯せになった彼女を抱え起こすと、少女はうっすら瞳を開けた。

 そして――その双眸の色味に息を呑む。

 はっとした。夜の中でさえ鮮やかな深い漆黒。まるで宝石のようだった。周囲の闇に溶け込むことなく、はっきりと存在感を放つ。

 流れる長い髪も黒。日本人としては珍しくもなんともない外見なのに、どうしてか強く心を惹かれる。夜という概念がヒトガタを模したら、ちょうど彼女のカタチを取るだろう。そう確信させるほどに黒の似合う少女。

 ――その瞳と目が合った。

 素人目に、少女に目立った傷はない。服が乱れていることもない。さっと調べてみたところ、呪いがかけられている気配もなかった。

 目が合った少女は、驚いたように僕の顔を見つめて、それから薄く口を開く。


「えっと。申し訳ないんだけど、どうか助けてくれないかな……?」


「…………どういうことでしょう?」


 いろいろと驚きがあって、そんなつまらないリアクションしかできなかった。

 一方、彼女のほうには心得があったらしい。意外にはっきりした口調で、こんな台詞を宣った。


「――ぼく、お腹が空いて動けなくて」


 同時、きゅうっ、と可愛らしく、少女のお腹の虫が鳴く。なるほど面白い。お約束のわかっている奴じゃないか――そう現実逃避した。

 ひとつ、溜息を夜闇に混ぜ込む。

 一瞬だけ空を見上げ、それから彼女に視線を戻し、僕は言った。


「――アイス食べます?」


「ご馳走様でした」


 いただきますを通り越しやがった。

 なんてこと、突っ込んだりはしなかった。

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