塞がりのカースコード

涼暮皐

第零章 プロローグ

0-01『プロローグB/戦闘呪術師に関するエトセトラ』

 ――人を呪わば穴二つ。

 それが、戦闘呪術師が最初に学ぶ言葉だった。


 もっとも、大半の人間が初めから聞いたことくらいはあるだろう。ことわざの中でも有名なひとつだし、その意味くらいは誰もが知っている。

 それでもわざわざ教わるのだから、重要な言葉だということはわかるはずだ。理解できなくても、別に構わないといえば構わないのかもしれないが。

 なんのことはない。

 その言葉の意味するところが、理解できなかった奴から死んでいく。それだけの話なのだから。


 呪術は危険だ。危険だから呪術と呼ばれると言ってもいい。

 ゆえに取り扱いには注意がいる。説明書なんて読まない派の人間には基本的にオススメできない技術である。劇物、猛毒の類であり、資格がなければ使えない。

 翻って、つまり戦闘呪術師の資格をわざわざ取得する奴なんぞ、その大半が変わり者というか変人というか――もっと言えば変態だ。誰かを呪うとき、その呪詛は確実に自らをも蝕む。そこに例外はない。呪術の法則システムは絶対だ。

 そうとわかっていて、それでも禁忌に手を出すのだ。変態ばっかりでも不思議じゃない。


 ――とはいえ。だからといって。


「ストーカー相手から手酷く振られた腹いせに呪おうとして、……しかもそれを失敗した挙句に呪詛返しカウンター喰らって呪い撒き散らしながら逃げ回るとか迷惑すぎるよなあ……」


 深夜の街中。眠らない都会の中心……から少し外れておねむな郊外。湾岸地域の一角で、使われているのか怪しいビルの一階に身を潜めながら。

 僕はそう、暗闇の中へと呟いた。

 やってられない。丑三つ直前に叩き起こされるほうの身にもなってほしいと切実に思う。呪術師に変態が多いとは、決してこういう意味ではなかったと思うのだが。

 手持ち無沙汰を慰めるよう、右手に握った拳銃の弾倉を確認する。といっても別に弾丸なんて込められていないし、そもそも別に実銃じゃない。かといってオモチャというわけでもなく、これは呪銃――つまるところが呪いの道具アイテムだった。


『気持ちはわかるけど、仕方ないよ。これも仕事だからね』


 声が届く。それは虚空から、鼓膜を通じず脳髄を直に揺さぶる音だ。

 これも一種の呪術。元は呪った相手に幻聴を聞かせるための技法だったが、離れた場所に意思こえを届けるという特性から、今はもっぱら連絡手段に成り下がっている。いや、成り上がったのかもしれない。


『というか、嫌なら請けなければよかったのに。ぼくらと違って君には拒否権があっただろう?』


「別に、嫌だったってわけじゃありませんよ――世羅せらさん」


 頭の中で響く声に、空気を震わせて僕は答える。

 小声だ。それこそすぐ隣にいても聞き取りづらいほどの音量。それで伝わる。

 呪術という名のつながりを通じて、僕の声は、別のビルで待機している仕事仲間の彼まで届く。


「仕事自体は歓迎なんですよ。これでもひとり養ってますからね、お金が欲しいんです……この話、世羅さんにしたことありましたっけ?」


『いや、初耳だね。何か事情があるんだろうとは思ってたけど……まさか鴻上こうがみくん、その歳で子持ち?』


「そんなわけないでしょう。僕、まだ高校生ですよ?」


『だよね』


 頭の中に、他人の声が響くというのは慣れるまで結構な違和感がある。

 まるで思考を覗かれているような。


「妹がいるんです」


『……へえ?』


 言葉に、向こう側で少し驚いた気配。といっても呪術越しだから、あくまで感覚だったけれど。

 二秒の間があってから、世羅さんはこんなことを訊ねてきた。


『義理の?』


「なぜ真っ先に確認するのがそこなんですか」


 僕は苦笑。世羅さんは温厚で人当たりのいい外見の、そして実際に優しい人なのだが、それでも呪術師――こういうところは少しだけ変わっていた。

 どちらかといえば、まだまだ常識人側のかたではあるけれど。


「……まあ、そうなんですけど」


『へえ、いいねえ、義理の妹! 浪漫だよねえ』


「その浪漫はちょっとわかりたくないです」


『てことは、わかってるってことだよね。いや、ぼくはさ、昔から義理の妹が大好きでね』


「ひとつ確認しますけど、いるんですか、義理の妹」


『いないよ』


「その前提に立ち返ると今の台詞めっちゃ気持ち悪かったんですが大丈夫ですか世羅さん」


『小学校に入学するときから、僕の夢は義妹が百人できるかなだった』


「大丈夫じゃないですね」


『義理の姉なら二百欲しい』


「大丈夫じゃないどころですらないですね」


『今度ぜひ、君の義妹ちゃんをぼくに紹介してくれないかな』


「この流れで紹介するわけないでしょう」


『あはは』


 世羅さんは小さく笑い、だから僕も少し笑った。世羅さんなりの冗談だったのだろう。……冗談だよね?

 いずれにせよ、空気感としてはそれくらいだった。

 仮にも命を賭した仕事の最中に、僕らは雑談に興じている。それだけの余裕があるというよりも、それくらいの余裕を持っていなければ呪術なんて使えない、ということだ。

 呪術。

 誰かを呪うためのすべ

 ただひとつ現代に遺された神秘は、けれど凄まじい欠陥品だ。なにせ、何かを害する以外には何もできない。呪われる誰かも呪う誰かも、呪術と関わった時点で傷を受ける。それでも僕らが、呪術を手放すことはない。奇跡と崇めて使い続ける。


『それで、じゃあ何が不満なの?』


 首を傾げて――見えるわけじゃないから、これは勘だ――僕に問う世羅さん。僕は肩を竦めて――これはきっと世羅さんには見えている――答えた。


「いいですか、世羅さん。――僕はいい奴なんですよ」


『……、はい?』


「僕だって、本当は自分のことだけ考えて生きていたい。都合のいいことだけ受け入れて、理性と打算だけで暮らしたいとは思っています。ええ、世羅さんみたいに」


『なんかさらっと馬鹿にされた気がするけど、その前の発言が意外に衝撃的で、世羅さんちょっと言葉がないよ』


「でもですね。そんなこと僕にはできないんですよ。いえ、別に僕だけじゃないと思うんです。人間、意外とそうそう冷たくなれるものじゃないと思うんですよね。正味な話、他人の不幸を心底から罪悪感なしに願える人間って、むしろ稀少なんじゃないかと僕は思うわけです。困っている人がいたら、実際に行動に移すかどうかはともかく、まあ助けたいと思うでしょう? 重たい荷物を抱えて階段を上がる老人を見て、これはもう背中から突き飛ばしてやる以外にないぜ! なんて考える人間そうはいません。違いますか?」


『それはそうだろうけど極端っていうか、そこまでイッたらもう社会生活も危ういよ』


「で、僕は助けちゃうんですよ。荷物を持ってあげちゃう。本当はやりたくないのに、罪悪感に勝てないからどうしても手を出してしまう。根っこが善人なんです」


『なんだろうね。この、間違ったことは言ってないしむしろ褒められて然るべきなんだろうけど、どうしても認めたくないっていう感覚は』


「お気になさらず」


『君は気にしなよ』


「ともあれまあ、だから今日も来たわけです。お金が欲しかった、それも事実。でも手が足りないと聞きましたし、世羅さんとは何回かご一緒してますからね。少しでも助けになれるなら、と思ったわけです、不肖この僕も。――あ、感謝の言葉は絶対に言わないでくださいね?」


『もう君が何を言ってるのかわからなくなってきたよ、ぼくは』


「ここまでが前置きです」


『長かったねー』


「本題。――そんな思いを抱えてきたというのに、蓋を開けてみれば呪術に失敗して暴走したストーカーの処理ですよ。いやもう思いましたね――ふざけんなと」


『僕も思うよ。誰にとは言わないけど』


「言わなくてもわかります」


『言われなくてもわかってないことはわかってた』


 難しいことを言う世羅さんだった。やはり変わった人だ。

 と、そこで脳内に感じる世羅さんの雰囲気が少しだけ変化を見せる。


『さて。そんな君に報告――奥崎おくざきがやらかした。あと十秒ってとこだ、対象が向かうよ』


「――ええ」


 僕は答えた。その気配は、僕もすでに感じ取っている。

 というか、わからないはずもなかった。

 ビルの二階――つまりこの一階から見た天井部分が震えている。文字通り、それこそ地震でも起きたのかと思うような振動を僕は感じていた。

 右手の呪銃を強く握る。僕はコイツを《白翼カラス》と呼んでいた。

 揺れは次第に強くなっていく。それでも、脳内に響く世羅さんの声だけははっきりと認識することができた。


『いつも通り、《声》は遭遇し次第、切断する。武運を』


「ありがとうございます」


『あと三、……二』


「一」


 ――ゼロ


 数えた瞬間に、ビルの天井が崩落した。

 二階の床に大穴が空き――現れたのは体長にして三メートル、横幅も同じくらいはあろうかという巨大な黒いぶよぶよ。


 要するに怪物だった。


 そう、怪物。あるいは化物。いずれにせよ比喩ではなく、天井をぶち抜いて登場したものは、モンスターだとしか表現できない。醜悪なその容貌は、それだけでひとつの呪いだった。

 たとえるならば、墨汁で真っ黒に塗りたくった鶏のもも肉を、文字通り山のように積み重ねたカタチ――とでも言えば伝わるだろうか。それがヒトガタを原形としていることなど、怪物がかつて人間であった事実を知らなければ気づけまい。呪いに爛れた肉が膨れ上がり、ひとりの人間を怪物へと変貌させた。

 壁際にいた僕の目の前、だだっぴろい一階部分のど真ん中に怪物は落下してきた。ここにいれば崩落に巻き込まれないことは世羅さんが計算済みだったけれど、念のため自分でも降ってくる瓦礫の様子を確認する。

 幸い、落ちて跳ね返ってくる破片ですら、僕に当たるものはないようだ。さすがは世羅さん、変態だが仕事は確かだと、脳内だけで称えておく。


「――というか奥崎さん。わざと逃がしましたよね?」


「あー? はっ、たりめーだろ。オレがこの程度の雑魚を逃がすとでも?」


 声に答え。その主は崩落の向こう、二階に続く階段からゆっくり下りてくる。

 今回の仕事を請けている最後のひとり――奥崎おくざき無剣むけんさんだ。この街でも若手では最強格の戦闘呪術師として、割と有名な人である。

 いっしょに仕事をするのは、これが初めてのことだった。


「……こうまで行くと、人間に戻すのはかなり骨ですね。できればその前に片をつけてしまいたかったんですが。どうしてこんなことを?」


 僕は訊ねる。

 呪いと時間は関係が深い。一度かけられた呪いは、解かない限り必ず時間とともに進行する。この場合、時間が経てば経つほど彼は人間からは離れ――やがて戻れなくなってしまう。


「あァ? お前も呪術師のクセに妙なこと聞きやがるな。そのほうが面白えからに決まってんだろが」


「…………」


「見てみろよ鴻上、コイツはもう呪いを振り撒くだけの散布機だ。生きているだけで害悪となる劇毒の塊――呪術師じゃなきゃ、直視しだだけで目が潰れるぜ?」


「……でしょうね。なまじ実力差がありすぎたのと、おそらく自分で呪詛を解こうと躍起になってほかの呪いを重ねたんでしょう。取り返しがつかなくなる」


 ――コトの顛末はこういうこと。

 この怪物、元は人間で呪術師のストーカーさん。ストーカー対象の女性に手酷く振られて逆上し、彼女を殺そうと呪いをかけたのだという。

 だが、この場合はかけた相手が問題だった。その女性もまた呪術師であり、しかも男とは比べ物にならないほどの実力を持っていた。彼女は無意識のうちに呪詛返しカウンターを成立。なんとかけられた本人がまったく気づかない間に呪いは跳ね返り、ストーカーの男は自らの呪いで自爆してしまう。

 なんとか正気を保ちながらこの辺りまで逃げてきたものの、彼の身体は周囲に無自覚のまま呪いを振り撒く、言うなれば猛毒の散布機となり果てていた。

 呪術とはそういうものだ。どう扱ったところで、何かを害さずにはいられない。

 僕たちは、その対処のために派遣されてきたということだった。


「――おら、どうせもう手遅れだ。お前もしばらく適当に逃げてろ。最高にヤバい段階まで至ったところで、このオレが手ずから殺してやる」


 ニヤニヤと愉快そうな奥崎さん。彼はこちらを見ていなかった。

 奥崎さんの興味は、完全に目の前の異形へと注がれている。戦闘呪術師とは言葉の通り、呪術を使った戦いを生業にする、いわば傭兵に近い職種だ。その中でも、奥崎さんは最も戦いに、そして血に飢えた生粋の戦闘狂バーサーカー

 そんな噂を聞いていた僕だったが、まさか助けられたはずの相手をあえて放置するまでとは、いくらなんでも考えていなかった。


 僕はふう、と息をつき、それから右手を軽く上げる。

 呪銃の照準を目の前の異形に。それを挟んだ向こう側にいる奥崎さんと、その一瞬、目が合った。


「あ? なんだお前、何して――」


「《白翼カラス》」


 無視した。ぱん、という乾いた音がビルの内部をわずかに反響する。

 僕が引鉄を弾いた音。それを通じて、呪術が射出された音。

 照準を合わせるという行為は、指を差すという行為のいわば代替。原初の呪い。声を届け、声を聞き――その繋がりを呪いと呼ぶ。


 その瞬間、僕の耳に声が届いた。先ほどまで、世羅さんが僕に声を届けていたように。

 僕は、呪われてしまった彼の声を、頭の内部で響かせる。


「う、――ぐ」


 耐え難い吐き気がした。空いた左手で、思わず口元を押さえてしまう。

 異形と化した彼は、もはや人間ではないモノに変わっている。渦を巻くような呪いの塊と、わざわざ自分を繋いだ僕は、その余波に煽られてしまっていた。


「……何してんだお前、馬鹿か?」


 呆れたような奥崎さんの声が鼓膜を揺さぶる。そりゃそうだ。だって今の僕は、わざわざ自分から呪いを受けに行ったようなものなのだから。いくら呪術に耐性のある呪術師とはいえ、好き好んで呪いを引き取る馬鹿などそうはいまい。

 ――どうでもいい。今は奥崎さんの声など聞いていられない。鼓膜を揺らす音よりも、呪術こころを通じる声のほうが、僕には強く聞こえている。

 そう。確かに聞いた。僕は確かに、彼の言葉を聞き届けた。


 ――助けてくれ、と。


 そう叫んでいる彼の言葉を、僕は自身で受け止めた。

 

 そんな言い訳を、自らの中に作り出すよう。

 ……ああもう本当に、だから嫌なんだ、こんなこと。本当は僕だって、こんなクソ間抜けのストーカーなんて見捨ててしまいたい。

 人を呪わば穴二つ。

 自業自得だ。死んだところで文句は言えない。コイツは確かに、逆恨みで女性を殺そうとしていた。死んだほうがいい人間だと、言ってしまって構わないだろう。


 それは選択ではない。僕の願いではあり得ない。今の僕には自由がない。

 こんな奴、はっきり言って死んで償えくらいには実のところ思ってしまっている。助けたところでどうせ捕まるが、改心した彼が罪を償って出所して善人になって出てくるなんてお花畑みたいなストーリー、僕は微塵も信じていない。絶対ない。それを本当に救いと呼ぶのかどうかさえ怪しい。

 ――それでも。助けたいと思ってしまったこととは矛盾しなかった。

 確かに死んだほうがいい人間なのかもしれない。けれど、はいても、なんてこの世にいない。そう僕は信じている。

 

 僕って人間は根がよすぎて、目の前で困っている人間がいると、手を出さずにはいられないのである。やれやれ系だ。

 そういう風に、ねがわれたのだ。


 だから。

 一歩を前に、僕は歩む。


「……まさかテメェ、この状態から奴を人間に戻すつもりか?」


 奥崎さんが、驚いたように声を上げる。まあ、この人は驚くのだろう。

 僕にとっては当たり前だ。そちらを見ずに口だけで答える。


「ええ。頼まれてしまいましたからね、仕方ありません」


「なんのために――いや、


 奥崎さんが視線を上げる。それと同じように、僕も目の前の異形を見上げた。

 近づいた僕を、彼は殺そうと近づいてくる。助けてくれ――という呪術を通じて聞いた声は、あくまで呪術で消えかけた彼の内心とつながっただけであり、この怪物がそんな殊勝なことを考えているわけではない。

 目の前の小さな僕のことなど、今すぐにでも喜んで押し潰して壊して取り込んで殺したいとおもっていることだろう。最悪だなコイツ、いやホントに。


「――できんのかよ、お前。この状態から、コレを人間に戻せるっつーのか……?」


 奥崎さんは僕に訊ねた。当たり前の思考だろう。

 だから、僕は正直に答える。


「いやまあ、ちょっとやってみないことにはわかりませんけど」


「おい」


「ただ……まあ、やってやれないことはないかな? と思いますけれどね」


「――そうかよ」


 奥崎さんが口を閉ざす。援護はしないが妨害もしない――そういう意味だと僕は受け取った。ありがたいくらいの話だ。


「さて、行きますよ……えっと、知らないストーカーさん」


 銃を左手に構える。預かり物の呪銃。僕を呪った相手の置き土産。

 その力を借りて僕は戦う。戦い尽くして彼を助ける。

 なぜなら、僕は。


「――戦闘呪術師、鴻上こうがみ永代えいたい。今から貴方を助ける男の名前です。感謝だけはしないでください」

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