epilogue 稀によくある異世界での楽しい旅

【どうしたのだあるじ】


蝦夷に生息する固有種鳥――雪輝鴒シマエナガという名の小動物――が、足元で〔神言板アポカリプス〕をアイヒシュテットに掲げる。


「別に何でもないよ、プレヴォー」


【げんきがないようだ。きゅうそくすべき】


「疲れたわけじゃないんだ。大丈夫。心配してくれてありがとう」


【とんでもないことでございます】


持っている板に雪輝鴒シマエナガが炎を吐きつける度、黒い文字が変化する。


言葉を持たないパートナーとコミュニケーションを取れるのは便利だが、記された言葉を見ていまいち本当に意思疎通が出来ているのかアイヒシュテットは怪しく思う。


この地に来るまでプレヴォ―は馬だった――正確には、麒麟という霊格を宿した馬だった。


その霊格がこの地で何らかの影響を受け、馬の肉体が昇華し、竜になった。


鳥ではなく、竜。見た目どう見ても雪輝鴒シマエナガでしかないのに。


意味が分からない。アイヒシュテットは何一つ納得していない。理解だって追いついていない。問い詰めたいことだらけだ。


が、それを無視してしまうくらいには、今の状況は何もかもが普通ではない。


「なんだ内裏様。疲れてるのか?」


「何ぞ気になる事でも?」


「眠るなら、えんもご一緒します」


玄奘の用意した馬車の中。自分の向かいの角席で眠るシホの隣座席には犬と猿。自分の隣りに雉。アイヒシュテットは三匹に向かって作り笑顔で答える。


「いや、本当に大丈夫だ。気にしないでくれ、ありがとう」


この三匹の正体は玄奘曰く、先に敵対していた死霊どもとの事。まさか元死霊達が仲間としてついこようなど夢にも思わなかったアイヒシュテットである。


「昨日の敵は今日の友」という言葉が日ノ本にはあるらしいが、アイヒシュテットにとってそれは中々に受け入れがたい格言であった。何故なら彼は曲がりなりにも高位聖職者であり、立場的にも思想的にもアンデッドの類と仲良くするなどあり得ざることであったからだ。


――いくら偽りの記憶を植え付けられ操られていたとはいえ、彼女らが死者の類である事には変わりがないわけで。


死闘を繰り広げた記憶も払拭されていない、というよりまだ生々しくアイヒシュテットの中に残っているのに、心から仲間として受け入れるというのは難しい。


そもそも生者を恨み死の国へ誘うと言われている怪物と、仮にも聖職者という身分の自分が一緒にいること自体が危険なのだ。その事実を世間に知られればどんな未来が待ち受けているかなど語るべくもない。


――それでも、慣れるしかないし、バレないようにするしかない、のだろうなぁ。


シホの従者でもあるという話が無ければ即刻討伐していただろう自分に付き従う者たち。


この地で得た自分の地位を考えれば、必要な支出として目を瞑らなければならないという計算はできるアイヒシュテットであるが、前途多難であることに違いはない。


――聖なる御使い、麒麟の思し召し、でもあることだしなぁ。


その問題に比べれば、この小鳥の翼にどんな細工を施せばモノを持つことができるのかなどなどの、普通ならば絶対に無視することはないだろう疑問云々も些末な話にアイヒシュテットには思えた。


「多分日ノ本の何処かであるとは思うんですよね雰囲気から言って。だとすると北に行けばいい気がしませんか? そもそも随分飛びましたからね。これSGM情報で皆には秘密なんですけど、僕等がいた場所、月なんですよ。びっくりですよね。そこからここまで飛んだんです、僕の舵取りで。まぁ計算無しにいきなり大気圏突入しちゃいましたけど? 日ノ本みたいな小さな国にピンポイントで不時着出来るわけ、普通ないんですよね。ありえないんですよ。ありえない、――で、す、が! できたんです。やっちゃいました、やってやりましたよ! これって凄くないですかー? ちょっとズレたら海だったわけですし、ふふ」


玄奘の、北を選んだ、言い分はこうだ。


それに従い、一行を乗せたやたらと座り心地のいい幌馬車はとりあえず北を目指して進んでいる。


確かに気がついたら氷河や海、火山や密林の真っただ中など目も当てられない。


だがなんだろう。この「私頑張りました」感。「ありえない環境から復帰してやりました」感。アイヒシュテットは御車台にいる玄奘に一言物申そうかと思い、ふと迷い、暫し逡巡し、結局やめた。彼が上機嫌で小さく鼻歌を歌っているのに気付いたからだ。


【わたしのぶれす てくにかるなひ。 わかる? たんじゅんさぎょう ぢゃ ないわけ】


【しょくにんきたこれ!】【ひゃっはーひだー!】【まってたー!】【てんさいあらわる!】【かみこうりん!】


足元を見れば雪輝鴒シマエナガ――玄奘曰く幼生期の驪竜――を中心に、シホの木霊達が延々踊っている。


手にはプレヴォーと同じ〔神言板アポカリプス〕を持ち、会話ごっこをしている様だ。


アイヒシュテットはプレヴォー達の会話が気になり、〔神言板アポカリプス〕をちらっと覗いてみる。丁度その時、眠っていたはずのシホが大きく息を吸う音が聞こえた。


「あ……」


おはよう、か、おきた? か。


アイヒシュテットが何と声をかけるべきか悩んでいると、シホは気だるそうなトーンで


「腰のそれ何」


と言った。


彼女はアイヒシュテットが腰に巻いている異形のベルトを見ている。


「あ、えっと。どうかな」


どうかな、とは何がどうなのだ、と言いたげなシホの半眼に、アイヒシュテットは苦笑で返した。


「いいと思っているのかね、どうなのかねそれはファッション的に、正直に」


平坦なシホの言葉に、アイヒシュテットはちょっとだけ照れながら


「これは、かっこいいな」


と、ニヤニヤする。


「……そのセンス……」


シホは何かを言いかけ、断念し、小さく息をついてからまた目を閉じた。


「げんじょーおうちまではどのくらいかかります?」


「さて。どのくらいかかる事やら見当もつかないよ」


「うまいなかったから」「うまいこといかなかったから」「うまいこといったつもり?」「ばじとうふうのことよ」


「でも日ノ本は小さいから人里までそんなにかからないとは思うけど、あ、それは知ってるでしょ?」


「ぼくらききたかったわけじゃなし?」

「このこむすめがきいたから」

「こころのこえできいたから」

「ままさんままさーん」

「くっきんぐすとーっぷ」

「え、こむすめ?」


アイヒシュテットは意味がわからず玄奘を見る。


「あー。驪竜ですねー。その子メスらしいですよ木霊の話では」


玄奘が前を向いたまま陽気な声を上げた。


「君達は、動物と意思の疎通ができるのか?」


「あんたもどうぶつです?」

「せんみんふぜいが」

「えらそうに」

「なにさまのつもりか」

「さんしたが」


――くっ……こいつら……。


予想の斜め上を行く詰問にアイヒシュテットは言葉を詰まらせた。


だがそんなアイヒシュテットを早々に無視して、驪竜の雛と小人達は小躍りしながら再び騒ぎ始める。


「つぎー」


「たべものー」


「しばりで?」


正面を見るとシホが、けだるそうに馬車の壁にもたれかかったまま薄目でそれを眺めていた。


その姿を見て、アイヒシュテットは彼女の今後を勝手に思い、今何を考えているのかを勝手に想像する。


自分と彼女の境遇は似ている。彼女は目的の祭具〔キリ〕を得られなかったし、[媛巫女]にもなれなかった。自分が黒龍石を持って帰る事を熱望されていた様に、彼女もさぞ〔キリ〕を持って帰り[媛巫女]になる事を熱望されていた事だろう。


彼女だって自分と同じく未解決な悩みをいくつも抱えている――そこまで考えが進んだ時、アイヒシュテットは唐突に気がつく――。だというのに、彼女のあの達観した、飄々とした態度はどうだ。


アイヒシュテットはシホという人間の大きさを改めて思い知った。


彼女に比べて、ちまちまと悩みを繰り返す自分は何と小さな存在か。彼女は悩まない。考えて解決出来ないものを考えた所で意味は無いという事なのだ。彼女の様に視点を広く取り大局を眺められれば、個人の抱える悩みなどくだらなく意味の無い捨て置くべき愚かな葛藤に過ぎないと断じれるのだろう。


彼女の考えを想像し、アイヒシュテットは気が付く。得られなかったという失点は他の加点でカバーするしか無い。失敗を取り繕わない。後悔しない。彼女はきっとそう考えているのだと。それだからこそ出来るあの所作なのだと。


――ならば私も、それに倣うべきだ。


自分も取り返したい。黒龍石で得られただろう恩恵以上に、自分は祖国の力にならねばならない――アイヒシュテットの中に一刻も早く祖国に帰りたい気持ちが募る。


しかし一方で、待て待てと、彼は自分の感情を俯瞰し自制をかける。


――たしか……そう、[急いては事を仕損じる]、だったか。


一歩一歩着実に事を進めなければ思わぬ災難に足元を掬われかねない。彼が思いだしたそれは日ノ本の文化[ことわざ]に存在する金言である。


足元の小さな住人達を見るシホを眺めながら、アイヒシュテットは彼女に習い、顧みることをやめようと決心する。


「えくれあ」

「あらびあーた」


【たべたい】


「いえす」

「すぐにたべたい」

「いますぐつくるか」

「かきゅうてきすみやかにたのむ」

「おんぷちゃん達。食べ物縛りだったんじゃないの?」

「このこがいうから」

「こころのこえで」

「あなたがひいたのは、れ」

「ままさんままさーん」

「くっきんぐすとーっぷ」


「おんぷちゃん達さ、そこの三人も混ぜて最初からやってよ」


「あ、いや俺は」


「おもしろそうじゃのう」


「僕は、その、どっちでも……」


変な方向に向かう遊びから密かに顔を背けつつ、アイヒシュテットは思う。

今、自分がすべき事。


それは――シホの様に[気楽に構える]という事。


一度全てを捨てて気楽に構えてみる事で、かえって見えてくるものもあるのではなかろうか。


思いつめ、ともすれば知らず知らずに自分を追い込みがちだった性分を少しずつ変えていく。


それはきっと、自分の成長の手がかりになり得る。


漠然にではあったが、アイヒシュテットはそんな予感を得る。


彼女はシホを見て、内心で呟く。


だからこそ今だけは、と。


案外、そうする事で征くべき道まで見えるかもしれない。と。


もしかしたらきっと――。



――ふふ。……楽しい旅になりそうだ。



アイヒシュテットは湧いてくる不思議な高揚感に身を委ねつつ、眠っているフリをした。




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