⑦-3

アイヒシュテットはシホ達を視認しながらも、意識を完全に覚醒出来ずにいた。


シホが蜘蛛の巣に捕らわれた時、アイヒシュテットは白昼夢とうつつの境を彷徨っていた。



祥二郎には家がなかった。


彼の家はその日を休む仮宿であり、少なくとも彼にとっては、そこは帰らなければならない場所ではなかった。


シホは家に居たがらなかった。


シホにとっての家は、病と無理やり向き合わされる逃げ場の無い檻だった。



この世界の創造主、リチャード=グレンヴィルには、家があった。



彼は世界の技術革新がしたくてこの世界を作ったのではない。


彼の目的は結論として不明だが、その開発の足取りを見れば、彼がこの世界を[家なき子の家]となりうる設計を心がけたであろう節は読み取れる。


リチャードの考察記録によれば、彼は、【家を作る事は大人の証であり、人は誰しもが多かれ少なかれ大人になろうとし、大人になれた者は、様々な意味において、結果として子を持つに至る(直訳)】と残している。


【その建前は国や人種を問わず、差はあれど、世界に住む人々はその形に添ってきた。(直訳)】


自分の先祖がそうだった様に、自分もそうあるべきだと彼は思っていた。


彼は彼なりの、独自の方法で大人になろうと、幼少時には既にそう考えていたようだ。


大人になった彼は、彼の住まう世界とは違う新しい現実世界に出会った。


彼は迷わず行動した。


その世界を今いる世界に手繰り寄せる為、寝食も忘れる程熱狂的に、思いつくあらゆる手段を駆使して彼は己の欲望と向き合い、取っ組み合った。


人が健全に人たるを得るに必要な環境を模索し、彼は新世界に築いた足場にその考察と、自分の持ちえる全ての知恵と技術を注ぎ込んだ。


そうしてやがて出来上がったものは――神の如き思考物。


どこまでも果てなく成長し続けるそれを、彼は仮に[想起点]と呼んだ。


彼の理想は理解を得られない事の方が多かったが、その副産物は多くの協力者を呼んだ。


声をかけてくれる存在。気をかけてくれる存在。悩みを打ち明けてくれる存在。ライバル視する存在。利益を掠め取ろうとする存在。


様々な意図を持って、世界中の才有る者達がプロジェクトに関わり――何より彼自身がその分野において飛び抜けた天才であったが――協賛者も次第に増えていった。


時間と共に新世界の造形は深まり、様々な技術が次々と投入され、幾つもの限界突破ブレイクスルーが起きた。


だが、彼はやり過ぎた。


彼の思想設計を体現した機構システムは、人類の根源に迫りすぎた。


深く深く機構に入り込んだ彼は、その意識を、相克を起こした世界サーバーファームに分割管理され、彼は彼の家もとのせかいに帰る事ができなくなってしまった。


彼は様々な手を使い帰還を試みた。


だがかつての仲間達は、その足がかりを大掛かりな改変で無効化し、彼は[ブラックボックス]の中に閉じ込められた。



殻の様に閉じられてしまった世界を、彼は[殻界(ヤー=シェリ)]と呼んだ。

彼の意識はふわふわと、宛もなく新世界を漂った。


人間の感覚では気の遠くなる程の膨大な時間を、彼は果ての見えない彷徨に費やした。


そうして節目が、ある日訪れる。


殻界ヤー=シェリは、時を経て、とある国の科学者達によって発見され、紐解かれようとしていた――。


その国の名は、日本ジャポン


最初に殻界ヤー=シェリに接触した科学者――その名を、倉敷総一朗。


総一朗は、人間の欲望の根源を探求する賢者であった。


彼は、当時リチャードを取り巻いていた全ての人間が恐れ忌み嫌ったソレを、心の奥底から渇望していた。


『自分を還してくれるなら、その果てにあるものを君に譲り渡そう』


故にリチャードは取引を持ちかけた。総一朗にとってのソレは探求の極みであったが、リチャードにとってのソレは、世界が完成し全てが始まる創世への至りでしかなかった。



◆◆◆◆◆◆



祥二郎はリチャードに招かれ、伴われ、[彼とこの世界]の歴史を巡った。


それから次に、彼の希望か、過去か、区別の付かない白昼夢に招かれた。


幸せな家族。家族の団らん。季節の催事、誕生日の祝い、ホームパーティ――


テレビでしか見た事が無い、絵に描いた様な海外のそれを、あたかも実体験しているかの様な臨場感を持って、祥二郎は見せられた。



――それでも、祥二郎はやはり憧れを感じなかった。



喉が渇いた人間の為に代わって水を飲む事は出来ない。


よく見えるからといって、目の悪い人に無理やり眼鏡を掛けさせては争いになる。


シホを通じて理解した事は、祥二郎に個々の課題の分業――本当の意味での他者への尊敬――を学ばせた。


だから祥二郎は、持っていた棒を投げて、天井高くに設置されているくす玉を割り、リチャードを祝福した。


リチャードの問い無き問いを、青年は肯定した。


帰れぬ人々が、帰れる人々を祝うのに、祝えない理由は無いと祥二郎には思えたからだ。


少なくとも祥二郎の中には、祝福出来ない理由が無かったのだ。





アイヒシュテットの放った〈運命の光クラウソラス〉が、空に浮かぶ役小角の祭具〔雪洞ぼんぼり〕を貫いた。


途端に、けたたましい音を立てて空にヒビが入り雷光が走る。


同時に、役小角はおぞましい断末魔の叫びを上げた。




「うとみありいれすぽお! Aアーチャンネルでブロードキャスト! 祭式モード略式典礼ダブルヘリックスコイル!!」


苦痛に呻き、割れた陶磁器を擦り合わせた様な音を発していたシホは、音の停止とともに正気を取り戻した。彼女は地面に伏す役小角を睨みつけると、これ以上ない怒りを言葉に乗せて、木霊達の名を叫び指示を飛ばした。


「おこなの?」

「げきおこふぁいやー」

「ぶちぎれとかこわい」

「あーちゃんやむなし?」

「べーすることはふかのう」


慌てふためいた木霊達が、あわわわという恐怖に震えた声を出しながらシホの体の上を移動する。


「入力祇装デバイス始祖鳥ダレッツォコード! 奉納形式黒御酒神楽バッカナリア! 絶対に許さないッ!!」


「ぴぴきゅ」「ぴきゅきゅ」「ぴききゅぅ」「ぴきぴき」「ぴきーきぃぴぴぴ」


配置についた木霊達が、油の切れたブリキ人形の様な動きと音を出してぎこちなく踊りだす。


シホは宙に浮いたまま両手を合わせ、祈りの姿勢で空を見上げた。


少し間を置いて、空の一部が剥がれ落ち、そこから一条の眩い光が地へ照射された。光は役小角のサイズに合わせるよう収斂すると、範囲内の全ての物を一斉に焦がし始める。


三秒後、役小角は瞬く間に発火し、あっという間に消し炭となった。





《《クエスト:美しき海の詩をクリアしました。

 クエスト:お内裏さまの本気をクリアしました。

 ミッション:蝦夷防人願わくば光よをクリアしました。

 ワールドクエスト:メルキオールの命題Iをクリアしました。》》



アイヒシュテットのぼんやりした視界の左側に、数行の文字が浮かぶ。



《《――Caution! 

〔黒龍石〕を入手しました。

〔神威:聖騎士の腕輪〕の効果により〔黒龍石〕は消滅しました。

〔神威:聖騎士の腕輪〕が〔神威:神将の腕輪〕に進化します。

〔神威:神将の腕輪〕の効果により〔聖獣麒麟〕は〔瑞獣驪竜〕に統合されました。

[職能:内裏]が開放されました。従者眷属使役可能枠が拡張されました。

宿星ギフト:聖刻]の効果により[巫女神様の雛インヴィティーズ・シホ]との[血族化クランアライアンス]に成功しました。

WWCワールドワイドクラス覇王の証チャンピオンベルト〕を入手しました。

[職能:闇の皇太子]が開放されました。能力が継承されました。

[ワールドパス]が発行されました。――》》



来訪する啓示エピファニー


それは過去に何度も体験している、アイヒシュテットの知らない文字で示された理解不能な啓示だ。意味は判らないがこの文字が見えた時には大きな変化が起こる。その事だけはアイヒシュテットにも理解出来ていた。


彼はその経験から文字の雰囲気を読み取り、自分が巻き込まれているこの事態に何らかの決着が付いたのだろうと察した。


「シホ……を、助けないと」


シホは透明な糸に半分囚われたまま宙に浮いていた。アイヒシュテットは彼女の元へ急ごうと体を起こしかけるが、急速に体から力が抜け再び地に横たわった。


うまく力が入らない身体を揺さぶるようにし懸命に起き上がろうともがくも、体は以前森で倒れた時と同じ状態になっており、どうやっても上手く起き上がる事が出来なかった。


「アイヒシュテット君! シホさんは本気です! 逃げますよ!」


そこへ役小角の消失で拘束を解かれた玄奘がアイヒシュテットの元に駆け寄ってきた。


玄奘は動けなくなっているアイヒシュテットの上半身をやや乱暴に抱き起こすと、そのまま動かないよう告げ右手を宙空に翳す。


「敵は消滅した様に見えたが。もう終わりじゃ……」


「何言ってるんですか、地獄はこれからですよ! 虚数空間シアターでの直列励起はシホさんの全てを具現化させる超常世界を生成します。見られたくない色んな過去や秘密が全てさらけ出されてしまうんです。どんな人間だってそんなの嫌ですよね。だからシホさんは、自己の安全を顧みず世界そのものを壊しにかかってるんです!」


「しかし、置いて行く訳には――」


「馬鹿言わないでください! わかってます? アレはヤバ過ぎるんですって! 魔王どころじゃないんです! 破壊神そのものなんですよ!? 巻き込まれたらあっちの世界の我々もただでは済みません!」


玄奘は左腕をアイヒシュテットの首に回し彼の頭を腕と胴で抱え込むと、右手で宙をなぞり始めた。アイヒシュテットはもっと状況を確認したかったが、微妙に柔らかい感触に顔を圧迫され言葉を発する事が出来なかった。


「行きますよ! 私の体にしっかり掴まってくださいね!」


何が起こるのか判らないながらも、アイヒシュテットは玄奘に促され両手をその背中に回した。小さな玄奘はアイヒシュテットに抱きしめられる格好になったが、構わず宙を指でなぞったりつまんだりの操作を繰り返す。


玄奘はこの場を脱出する為の何らかの準備をしているのだろう。自分は玄奘に掴まっているからそれで何とかなるのだろうが、未だ宙吊りのままのシホはどうなのか。――アイヒシュテットはシホの生命の安全を危惧し、そのままの姿勢で玄奘に問いかける。


「shwだいじょbnおか(シホは大丈夫なのか)」


「ちょっ!? やめっ! 殴りますよ!」


アイヒシュテットが無理やりしゃべろうとすると、玄奘の左腕がきつく締まり今度は息をする事すら困難になった。


「胸がないからって喋ろうとしないでください! 私こう見えても淑女レディーなんですから!」


やがて二人は淡い光に満たされて、その空間から掻き消えた。

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