⑦-2
「ぐっ、ぁくっ、ぅむっうー!」
役小角の顔がみるみる内に真っ赤に染まる。
ビッグデータの集合体――人格を得るにまで至ったAI――が、それ故に備えてしまった煽り耐性の低さ。それはAIの思わぬ弱点が露呈した瞬間でもあった。
シホの口から出た言葉は児戯と言える些細でつまらない単語の羅列に過ぎない。だがNPCをこの世界の住人として運用するためのこの世界に用意されたパーソナリティ運用エンジンは、優秀過ぎたのだ。
役小角に用意されたそれは敏感にして多感過ぎた。シホの想像を超えた感情の起伏に彼女は未来の可能性を得た。新鮮な驚きを得た。それ故に――嗜虐心を刺激され――とても楽しそうな笑顔で、調子に乗って追撃してしまった。
「――だよねー。あれー? どしたのかなぁ? お顔が赤くなってきちゃった? 顔真っ赤にしてどしたのー? ねぇ? 怒った? 怒ったの? ねぇ今どんな気持ち? ねぇねぇどんな? どんなお気持ちですか? やっぱお子様だから怒っちゃったかなぁ? あー、ごめんねー? お姉さんそんなつもりはなかったんだけどぉ、ホントの事言い過ぎちゃったかもぉ。あはははー♪」
シホのわざとらしい笑い声の中、役小角はわなわなと体を震わせ、地面に顔を向けたまま呻く様な小声を漏らす。
「――ねばいいのに」
「んんんん? 何かなぁ? 何ですかぁ? しゃべり方、忘れちゃったのかなぁ? それとも頭――」
「ゃああああああぁぁっっ!! ダマれえええエェッ!! っけんなババアァァァッ!! ひんむいてやるぅからなあぁッ!!」
想像を越えた人らしからぬ、否、恐らくは本来人が持っているのだろう感情そのものの発露。癇癪を起した子供の空気をつんざく様な悲鳴にシホは度肝を抜かれた。
誤算だった。耳を塞ぐ事が出来なかったシホは鼓膜が破けるのではないかと思う程の音の衝撃に気を失いかけた。
――うはっ、やり過ぎたか。でも、手がかりゲット。
はっきりしない視界の中、役小角が背筋を活用して気合で上半身を起こしているのが見えた。
反射的にギュッと眼をつむったせいか、眼を開けた時視界が少しぼやけていた。
そんな彼女の目が捉えたのは、その顔に浮かぶはっきりした憤怒。
顔を真赤にした役小角のあまりの激怒っぷりにシホは反射的に引いてしまった。
『〈シホ! 沙汰を申し付ける 《
怒りに任せて仕掛けてきたNPC。予め構えていたシホは自分の体に起こった変化で力の正体を看破した。役小角によって発動させられた〔神楽舞台〕の備える
〈明鏡止水〉が解析した被使用スキルは〈真言〉と〈雷糸〉。これらによる複合的信号介入。
解析情報と事実を対照し逆算しシホは全容把握を試みる。彼女はそうして得た仮説の裏付けを取る為、眼球運動によるコマンド操作をもって[過去の不具合・修正メンテナンス情報]を検索し、該当しそうな案件を拾い上げ精査する。
彼女が拾い上げた
――[聖人]の〈奇跡〉に区分される〈真言〉は、本来使用用途にない[
不感と言ってもそれは感覚データのやり取りを一時的に無視するという挙動であり、
リソースは有限だ。会社としてそう判断した事についてはシホも理解出来なくはない。だが彼女はそれを見て、何だかたまらない気持ちになった。
会社の一部の人達が会社の一部の都合しか考えず従事者への安全に関わる問題を放置している。会社が守るべき労働者への安全配慮の義務だって会社の考慮すべき都合であるはずなのに、作業の効率化に偏って本来会社という法人が考えなければならない社会的建前を意図的に排して妨げている。そんなアンバランスさは、理解は出来ても納得は出来ない。
肉体への余波が考えられる感覚器機構界隈の既知の不具合は未だ修正されていない。数カ月前の
〈雷糸〉で接触しても認識されない
生きている、しかし無視されているだけの
如何に催眠系の干渉に対して絶対的耐性を持つシホや玄奘でも、内側から操作されたのでは抵抗力を発揮出来ない。信号は彼女の認識をすり抜け直接
――この子何なのよ。ただのNPCじゃないのは確かだろうけど。
不正とはまた違う、システムに精通していないと知り得ない[世界]の脆弱性を突いた罠。果たしてただのAIに、そんな事を考え思いつき実行出来るものなのか。
いくらAIが自立思考出来ると言っても、基本的にはその根幹には人の手による介入がある。調整に基づきAIの行動様式は整えられるが、改竄者がこの状況を予想してピンポイントにこの調整をしていたとは考えにくい。そもそも動機が不明だ。シホにはどうしてこんな回りくどい方法を取る必要があったのか理解出来ない。
キャストデータをあんなにおおっぴらに改竄しておいて、取らせる行動だけ律儀に世界の枠内で完結させる事にどんな意味があるのだろう。個人かグループかも判らないが、改竄者の技量を想定すれば非効率極まりない非合理的な行動ではないか。
――AIを闇堕ちさせる道化ロールプレイとか?
九官鳥に悪い言葉を教えて喜ぶ人種がAI相手に同じ事をしているのか。だとしたら随分と無駄に覚悟と根性と才能を使っているイタズリストだとシホは内心で苦笑する。
それは根拠の無い空想としても、何らかのトラブルによって自走を始めたAIのエラーという線だってあるかもしれない。AI故に発想が世界の枠を超えられない――そのギリギリを突いてきたという可能性は、十分に考察する余地があるとシホは思う。
だがそれがAIの進化か、ウィルス等によるただのAIの汚染か、結論をこの場で導くのは無理だし愚だ。それよりも次に自分が知るべきは罠の範囲だとシホは頭を切り替える。
仮説が正しいなら――罠がこの世界のルールを外れていないなら――〈真言〉使用者はその権能を発揮している間、被干渉者に敵対的干渉をする事は出来ない。
この前提は現実に矛盾している。そして矛盾しているのはこれだけではない。シホの作戦が役小角の拘束を解けなかった事もそうだ。
あの盛大な取り乱しっぷりで強い集中力と繊細な操作を要求される〈雷糸〉が解除されないのは矛盾だ。もしこれらの矛盾が矛盾ではなく世界の枠に収まった正規の挙動だとするならば、トリックの種は一つしかない。
それは、〔
作成及び維持条件が厳しすぎ一見伝説の設定に思われがちな〔
そして目の前にはそれと思われる材料がある。[喪礼式]に偽装されているが、用いられている[祭壇]は十中八九神霊樹の前にあるアレだろう。
役小角は〈雷糸〉を使っているフリをして、実際は
後は〔
――さぁ、ボクの仮説、試させてもらおうじゃないか。
シホは目を凝らして周囲を探る。その時――
「はいなー」
「よんだー?」
「あれれー?」
「なんかへんかも?」
「きのせい?」
「は? ――ちょ、勝手に……出てくるな! 呼んでない!」
木霊達が勝手に出てきた事にシホは泡を食った。
木霊は筐体支配程度で管理下における様な
――無し無しさっきのナシ! こいつらやっぱ
シホは内心で自己の仮説を全力撤回した。
「キミ、これどうやって!」
「ふ、ふふ。なんです? こんな事もわからないのですか?」
混乱するシホの姿に優越を感じたのか、役小角が平静を取り戻す。今度はシホのほうが慌てふためき言葉を詰まらせた。
「ふっ。仕方がないですね。教えて差し上げましょう。これから私は、貴方の[
「中二はいいから! 答えになってないだろ頭悪いのか!」
お前の脳内妄想に構っている暇はないとばかりにシホは反射的に苛立ち罵倒を浴びせた。
「今やめたら許す! いい子だからやめなさい」
「頭悪くないし! 子供じゃない! いい
シホの木霊がシホ以外の命令を受託する。この世界の仕組みとして絶対に有り得ないはずの現実に、シホは最悪のシナリオを思い浮かべ恐怖にも似た焦燥を憶えた。
世界の表層に位置するNPCAI程度がシステムの中枢にリンクするなど不可能だ。システムの根幹、最もブラックボックスに近い
――いや、それはない。
AIによる干渉など有り得ない。シホは仮説を強く否定する。
人類がその発祥を正確に探し当てる事が出来ない様に、この世界の
しかし現実は――役小角に呼び出された木霊達は、シホの頭や肩に乗っかり踊っている。
彼女は追いつめられる。答えのとっかかりすら見えない自分に焦燥する。このトリックを暴かないかぎり、最悪自分は――自分達は、死ぬ。
「六聖球モード! 感覚リンク後MAIアロケーションシフト直列励起で再起動」
役小角の指示に、木霊達が一瞬顔をこわばらせる。
「まぢで?」
「やるの?」
「ほんとに?」
「やめたほうがーやめたほうがー」
「いなかのおかあさんないてるかもよ」
これは木霊に設定されている定型警告である。
直列励起は特例権限に属する権能で、許可無く使用する事を厳重に禁じられている
「いいからやりなさいよ! 馬鹿なんだから!」
「ちょっと! バカはそっちだ開くんじゃない! 見えちゃうだろ!」
シホは直感した。セーフティは働かない。
木霊たちの踊りが激しくなると、シホの筐体に文様が浮かび上がり、それは徐々に発光し始めた。
「うそ! うそでしょ! ちょっ何やってんのキミら! 運営働けよ!! 乗っ取られてるだろ!」
「三次元並行平射接触命令式起動。反射防衛扉稼働。多角経路迷宮展開」
役小角の指令で木霊の踊りが、激しい縦振りからゆっくりとした横振りに変わり始めると、光は寒天で出来た蜘蛛の糸状に結晶化し、シホを中心に拡散して巣を作った。
横にも上にもその果てが見えないほど平面拡散した糸は、じりじりとシホを宙へ持ち上げ始める。糸が拡散――ネットワークを形成――したショックで意識を失ったシホの頭は、力なく前に垂れた。
「やった……扉が……やりました、やりましたよ媛宮! これでメレディス様を――!」
役小角はもぞもぞと地を這いながら、シホの足元を目指し動き出した。
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