⑦-1 メルキオールの命題

巨大な落雷群からシホと玄奘を完全に守り切ったアイヒシュテットの受動パッシブスキル〈複散形花序障壁キクタヴィローサ〉だったが、航宙舟ケルヴィナまではカバーできなかった。枝分かれした落雷がスキル範囲外にあった航宙舟ケルヴィナの尾翼を撃つと、瞬時に浮力が失われた。


落下した凧はかろうじて胴体着陸したものの大破。シホと玄奘は着陸に合わせ華麗に凧から飛びのき無傷だったが、アイヒシュテットだけは大地に投げ出され地面を派手に転がった。


「いやぁ、対空防衛トラップですかね。ひどい目に会いました」


玄奘がシホと一緒に地面に転がっているアイヒシュテットの元へ歩み寄り言う。


「おーい、アイヒ? おーい」


仰向けに倒れているアイヒシュテットに向かってシホが声をかける。しかし彼は目を閉じたまま、呼びかけに答えない。


「あれ? おーい。アイヒ? おーい。……ねえちょっと、こら、聞こえてるー? おーい。おーいってば、ちょっと。いい加減起きないかアイヒ!」


アイヒシュテットの上体を助け起こしたシホは、彼を目覚めさせようとその身体を小刻みに揺らした。が、アイヒシュテットはピクリとも動かない。


反応がない、そうみるや彼女は彼の頬を軽く叩いたり、つねったりを何度か繰り返す。それでも、アイヒシュテットはピクリとも動かなかった。


「あれ。これ信号そのものが……ちょっと変じゃない? ……ねぇ、ステータスの確認してもいい?」


「已む無しですね。強制パーティ可権限使うので私にリーダーください」


「うぃ」


玄奘はアイヒシュテットを抱えたままのシホの左手を右手で握ると、左手でアイヒシュテットの右手を取った。


「リーダー受諾。インヴァイト実行。ジョインさせます」



《 管理者権限によるコマンドの実行を確認。

パーティー:加入者〈アイヒシュテット〉

強制加入により、リーダーが〈アイヒシュテット〉に設定されました 》



「アイヒ君って珍しい人ですね、自動受諾設定になってます。――完了です。ステータス確認お願いします」


「うぃ」


玄奘が手を離すと、シホは左手でアイヒシュテットの唇に触れた。


「シャーシゲージ、規定値。バッドステータス、無し。反射境界面ループバック、成功。データ送受信損失無し。――うーん? 特に問題無いかなぁ。少し重たいけど、それ以外はおかしな設定も無いみたいだし……これ以上はボクじゃ調べらんないか」


「そうですか。じゃあきっと、急激な負荷による一時的なものかもしれませんね。普通は基礎閾値を超えると権能がカットされますが、アイヒシュテット君のはアレなので」


「ふーん。チート無双と思いきや意外なデメリットだ」


「ですね。でも、死んでるわけじゃないですから、そのうち気が付くと思いますよ?」


シホは少し考えていたが、何かに思い当たったのか頷きつつ一人納得し、そっとアイヒシュテットを地面に寝かせた。


「それよりもあれを見てください。何者かが罰当たりな事をしているみたいです」


シホはボソリと「ありがとね」と呟いてから立ち上がり、玄奘の指さす辺りを見回す。


広大な荒野に先程まで満ちていた死者の軍団は全て焼き尽くされていた。


くすぶる残骸からは今もまだ煙が上がり続けており、星空がその煙によって半分ほど隠されている。


あの時は遠くてはっきりと分からなかったが、一本だけ生えた神籬ひもろぎのかかる巨大な木――神霊樹――の前の神葬祭の祭壇が[葬礼の祭壇]となっている事に、彼女はここで初めて気がついた。


彼女は異常を察知する。区画エリアにおける中心的な役割を果たす祭壇オブジェクトの仕様変更は、その支配権利を所持している者にしか行う事が出来ない。そのルールを無視した存在がいると。


シホは宙空で規則的に手を振ると、情報の照会をする為シホだけに見える立体虚像操作卓コンソールヴィスタを出して指先でそれを操作した。


「支配者名と所有者名にZoRVAゾルヴァってあるんだけど何? 先客?」


シホの問いに玄奘は小さく驚き、シホと同じ様な動作をした後宙空を凝視した。そして見ている視線よりやや下げた位置で細かく両手の指を、何かを叩く様に動かす。


「検索でヒットしないです。プレイヤー名ではないですね。たぶんデフォルトの名、いや、デフォルトは法則に従いPIcardピカードなはず」


「法則ってホストサーバー名とか特殊運用AI名とかってやつ?」


「ちょっと待ってください? これ、どうして、いや、なんで……どうやって――」


玄奘の指の動作速度が上がる。その動きは、まるで見えない物体を強く叩いているかの様な異質なものだった。


玄奘の宙空を凝視する真剣な眼差しが、徐々に歪んでいく。その瞳には小さな光で出来た文字が何行にも及んで映し出されており、その文字は次々と下から上へと流れていた。


「もしかして、さっきの黒い渦と何か関係ある?」


「ここじゃ何とも……待ってください――何かいますね。環境設定変更しますから、シホさん周囲を見てもらえます?」


「うぃ」


玄奘がそう言って指を幾つか動かすと、視界の色が一瞬だけモノクロに変化した。すると今まで存在しなかった神霊樹の祭壇の前に、玄奘とそっくりの姿をしたNPCが姿を現した。


「あほべるちゃんのコピーがいるんだけど何あれ」


シホは眉をひそめた。玄奘そっくりの筐体を持つそのNPCは、匿名化設定をして得意げな顔でこちらを見ていた。


コレはどういう意図での演出なのか。成り済ましにしては間が抜けすぎている。


システムで名前の確認が出来るこの世界において、名を非公開設定にし偽名を名乗った所で意味は無い。PCかNPCかは名前の表示欄の色ですぐにわかるし、物語の演出上空気を大事にしてNPCの名前が伏せてあるケースはあるのかもしれないが、それにしたってプレイヤーゲストにはエリア内NPC検索という機能がある為どうせバレる。そんなもので騙せるのはせいぜいシステム側の住人キャストくらいなものだろう。


だがそんなシホの視線を無視して、その偽物は玄奘のしぐさを真似ながら一礼すると、シホ達の方へ歩き出した。


「お初にお目にかかります神霊樹の巫女パロールドネ。私は、玄奘と申します。偉大なる殻界ヤー=シェリの導きで、混沌の盟主ゾルヴァに従い、お待ち申し上げておりました」


「あほべるちゃん何だこれ」


シホが邪険に言う。本人を目の前にこういう事やる所はうまく複製したなと思いつつ。


「えっと……役小角っていう内裏を補佐する三人官女の一人です。私の姿を真似たというよりは、GM用筐体が全てこの姿なのでだと思います。固有技能の〈複製擬似ミラーストライピング〉を発動させている様ですし。本来なら、シホさんがこのイベントをクリアして、[媛巫女アリアドネ]になれた時に登場するはずだった[守護神官ネメストレル]なんですがー――」


「なんか顔色悪くない? 病弱?」


「いえ、死霊化している効果ですね。先の二人と同じくイベントのデータ自体が改竄されているのでこれ――」


「何だよ! 君らのミスかよ!」


「ちがっ! 私のせいじゃないですよ! デザインしたのも設計組んだのも管理しているのも私じゃないですから!」


「そもそも何でGMは君をモデルにしてるのさ」


「安い国に外注したからですよ! 他にも下請けとか孫請けとか伝言ゲームの末どうしてこうなった? ていうのが色々あるんです!」


色々ってなんだよ、と食い下がるシホに対して玄奘は色々は色々ですと答えになっていない返答をする。そのやり取りを眺めていた役小角は、収集がつかない空気を察して待つのをやめ、仕掛けた。


『〈玄奘 頭が高い 控えおろう〉』


「えっ!?」


役小角が右手を上げ糸人形を操作する要領で指を動かすと、玄奘はシホから数歩離れ、平伏し地面に額を押し付けた。


「そんな! 私SGMなのにどうして!?」


『〈玄奘 頭が高い 控えおろう〉』


役小角が右手の指を細かく動かすと、玄奘は口を閉じて言葉にならない声を発した。


それを見たシホは、すかさず役小角に向けて右手を突き出すと、拳を握り左へ引き寄せた。


突如シホを中心に上から空気の圧力がかかり、半径五十二メートル内の空気が外に向かって押し出される。


役小角は異変に気が付き身構え様としたが、それよりも早くシホの見えない力が役小角の袖口を掴み、彼女の動きに合わせて引っ張られた。役小角は踏みとどまろうとしたが堪え切れずバランスを崩し、そのまま地面に派手に転倒する。


「ナイス〈空気投げエアグラスプ〉! さすがシホさん!」


役小角の転倒と同時に玄奘を縛っていた拘束が解かれた。


急いで起き上がった玄奘は、宙に指を伸ばし何かを操作して

『〈音声入力コード 《戒める 神導の 紙垂 》 実行リターン〉』

と、言い放った。


突如バチバチと派手な音を立てる電気の錠がうつ伏せに倒れた役小角の両手両足に巻き付いた状態で現れる。


「役小角は非力ですが支援に長けたキャストです。自身に戦闘能力はありませんが、雷糸という技能で傀儡を――」

『〈玄奘 頭が高い 控えおろう〉』


先程よりも大きな声で役小角が言霊を紡ぐ。その声に、玄奘が弾かれたような痙攣をしその場に崩れた。


役小角は縛られ這いつくばったままだ。だが筐体はともかく、その権能までは封じきれなかったのだろう。油断した! とばかりにシホは顔を歪め腕を突き出す。


「この――!」

『〈シホ 頭が高い 控えおろう〉』


一瞬早く、役小角の権能がシホに束縛の効果を発揮した。名前を呼ばれたシホは発しかけた声を無理やり押しつぶされ、同時に体の力を奪われその場に崩れ落ちる。


――今のタイミングで競り負けた!?


平伏の姿勢を取らされた体はその芯を凍らせられたかの様な寒気によって硬直し、指一本動かせ無くなっていた。


役小角は地面に縛られたまま「刻圏、広すぎ、最悪」と小さくボヤきながらも、芋虫の様に体をくねらせてシホの方を向く。


「想定外の事故は起きましたが、まぁいいです。咄嗟の判断では致し方無いでしょうが、〈交換転移モデュレーション〉を選択出来なかった時点で勝負は付きました。貴方には生きる部品となってもらいましょう」


そのセリフに、これは何か良くないフラグが立とうことがおきようとしている、この流れはすぐに断ち切らなければ面倒くさい事になる展開ヤツだ、と、シホは予感する。が、そういう時に限ってフラグは折れない、危機はやってくる、とも思った。


実際奇妙な力が働いていて体は動かせそうにない。暴力による解決は難しいだろう。シホは苛立ちを募らせる。つまらない使い古された王道的シナリオに。


「このっ――」


無意識に、思わず口をついた言葉が声となって外へ出た。


――あれ? 声出るじゃん。


それに気づいたシホは、役小角の能力に何らかの穴があると確信した。


――よぉく考えよう。メタ見は大事だよー。うーう、うーう。うううー。


動作を制限するスキルはいくつもあるが、シホは役小角の使ったソレに心当たりが無い。


知覚演出エフェクトが無かった事を考えると、その能力の本質は催眠系か、或いは秘匿接触系である可能性が高い。


ただ、催眠に絶対耐性を誇る玄奘や自分に催眠系能力での被支配効果が発揮されるのかは疑問だ。秘匿接触系についても同様で、シホや玄奘を同時に縛り続けるにはそれこそL3級の演算能力でもない限り不可能だろう。大規模な仕掛けも必要なはずだ。


これについての種は今知る情報だけでは判らない。


発動条件は多分多重任意設定――例えば武術士の超絶技巧エクストラスキル〈三尊通〉に代表する、意図した意思による発動の他に相手の攻撃意志にも自動反応するカウンタータイプ――かも知れない。


そうであれば先ほど競り負けた辻褄は合う。


――とすれば、相手がこっちに集中している限り先手を取る事は無理かも。


とは言え、どうせこの状態では暴力による解決は不可能なのでそれは考えても仕方がない。と、考えを切り替えようとした時、シホの頭に妙案がひらめいた。


「キミさぁ、その格好で何格好つけてんの。しかもその口調、中二? キモっ」


彼女は自分のその思いつきを考えとしてまとめる前に、ソレを実行した。


意図的に、挑発的な嘲笑を彼女は大袈裟に謳い始める。


「かっこいいと思ってんの? ねえ? それ大人っぽいとか思ってやってんの? はずぃ。はずかしー! まじうけるんだけど。ムービーとってあげようっか? 俳優デビューしちゃう? イイネが増えるんじゃない大爆笑で。ねぇ、ねぇ? イモムシみたいに這いつくばりながら、泥だらけだけど逆転の自分かっこいいって勘違いキメるのどんな気持ち?」


あからさまな挑発。壊滅的な語彙に程度の低い言葉。


面倒くさい事を避けたいというシホの性格が、ここで流れフラグを折らねばという彼女の意志に力を与え、それらはシホにとって語彙の不足を補って余りある、想定以上の怪演となって役小角を引きつけた。


「は!? 何を! ……んぐっ、……そんなわけっ――ちがっ、思ってないし!」


――お、やっぱあほべるちゃんに似てる。わかりやすい。顔真っ赤になってきた。


攻撃姿勢を取らないよう注意して喋る分にはどうなのか。という何となくな思いつきによるダメ元作戦だったのだが、思いの外効果が見られた。


それは細かい事はやってみてから考えようと言う彼女のモットーが、彼女にミラクルを引き寄せ始めた瞬間であった。

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