6-②
「ようこそアイヒシュテットさん。私は物語の導入進行をお手伝いさせていただく、神霊樹の
彼女は天空という背景によく映えていた。
やや切れ長の瞳に鼻筋の通った美しい顔立ち。陶器と見まごう白い肌には瑞々しさが有る。
その腰まで届く艶のある黒髪は清楚な印象を際立たせ、彼女のまとう見事な金糸の刺繍が施された十二単と巫女服を合わせたような着物は、彼女の格の高さを雄弁に語っている。
その姿はさながら天界の女神。それはきっと過言ではない。
圧倒的な存在感を示した十河詩織と名乗るNPC――この世界で言うところのキャスト――は、プレイヤー――この世界で言うところのゲスト――に微笑みかける。
唐突に広がった視野に虚を突かれたアイヒシュテットだが、彼は眼前に広がる雲の海に圧倒されながらも、自らが仮想世界への接続に成功したのだと理解し平静を取り戻す。
「それでは早速ですが、チュートリアルを始めさせていただきますね」
初めて体験する仮想世界の圧倒的な情報量に気圧され気味だった彼は、それでもなんとか彼女の言葉に「はい」とお辞儀する。
そうして、何事もなく、レクチャーは始まった。
「最初に、体がきちんと動くか確認してみてください。この世界ではコッペリアと呼ばれる筐体を通して、自由に歩いたり飛んだり泳いだりできます。どうぞ」
アイヒシュテットが彼女を凝視していると、彼女は大きく両腕を伸ばして、左右に振ったり前屈したりと体を動かし始める。
「さぁ、同じように」
アイヒシュテットは勧められるがまま、見よう見まねで体を動かす。
「基本動作の操作は大丈夫ですね」
体が軽い。いくら動かしても疲労感が湧かない。
言われたようにするアイヒシュテットの動作を見て、彼女は微笑む。
「では次に、この世界の基本操作【アナライズ】の動作確認です。私を視界の中心に収めつつ、見ようという意識を強く持って、両目を少し大きめに開けてください」
アイヒシュテットは言われるがまま彼女に従う。
「もうちょっとだけ大きめに」
言われるまま更に眼を見開く。するとアイヒシュテットの視界に見慣れない記号や文字浮かび上がる。
《 ―― System message ――
カテゴリー:Usher Cast
Solid-State Chassis E:∞
種族区分:E-object
所属結社:CRIMSON BERYL 》
彼女の頭上には【十河詩織】という文字が浮かんでいた。
「はい、これは視線に捉えた対象の情報を照会するアナライズという機能です。基本的には公開されている設定だけ見る事が出来ます。この世界ではこのように、対象を意識的に見る事によって色々な情報を知る事が出来ます。見たい文字を凝視するとさらに細かな情報も見られますよ。他にも支援デバイスのターゲットを定めたり、距離測定や温度測定などの環境確認、私に対しては出来ませんが、友人登録をする事も出来ます」
アイヒシュテットは言われるがまま機能を試す。文字を凝視した途端、勝手に追加の説明文字が表示された。
《 ―― System message ――
所属結社:CRIMSON BERYL
・結社情報:イベント進行αテスター
・コメント:楽曲提供させて頂いています、[くりべり]です。宜しくお願い致します。》
「他にも物語の分岐に差し掛かった時や諸条件によって[エピファニー]という情報窓が出てきたり、システムメッセージという情報窓が出たりしますので、それらは本番環境で確認してくださいね。――じゃあ最後に、簡単な物語の導入部分をご覧頂きゲームスタートです。お疲れ様でした。私の出番はここまでです。いつかまたお会いできる日を楽しみにしています。それでは、素敵な冒険を! グッドラック!」
彼女の言葉の終わりと同時にアイヒシュテットの視界は暗転した。
突然訪れた闇とともに全身が硬直し、意識が薄れる。
アイヒシュテットの記憶は、ここで途切れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――は、ただの映像だから。通信網の立体映像キャプなんて一般人は普通見な――ら珍し――もしんないけどね、頭――うっとするのは――ちゃってるせ――と思うから、その場で足踏みすると治るかもよ」
視界は滲んでいるが、段々と景色が見えてくる。――アイヒシュテットはシホの声で意識を呼び戻された。
そこは幾筋もの竹の網に囲まれたとても狭い籠の中だった。
網の外には闇が広がっている。床に張り付いている淡い光が籠の中をうっすらと照らしている。ぼんやりした頼りない明かりの中、彼はそこでシホと玄奘を認識する。
玄奘とシホは背中合わせになり、お互い壁に向かってせわしなく手を動かし何かをしていた。二人は夢中になっておりアイヒシュテットの立ち姿勢のままの居眠りになど全く気がついていない様子だ。二人の様子を観察しつつも、彼はずっと警戒していた風を装う。
――おかしな夢がまだ続いているのか?……。
ふわふわと身体が浮きそうになるこの感覚はアイヒシュテットにとって不思議な体験だった。平衡感覚の狂いを感じる度、彼はシホの助言に従い足踏みをする。するとすぐに感覚が修正される。そんな事を数度行い、彼はぼんやりと疑問を浮かべた。
後どのくらいコレは続くのだろう。
進捗を玄奘に聞いてみたいが、役に立ってもいない自分が彼らの邪魔をするのは気まずい。だが暇を持て余すこの状態は如何ともしがたい。ここは勇気をもって問うべきか。アイヒシュテットがそんな逡巡をしているさなか。急に玄奘の動きが止まる。
――終わったのか?
玄奘は壁に手を翳し、壁の一点をじっと凝視していた。
反対側を向いているシホは、壁に向かってまだ両手を動かしている。彼女の右手が右上から左下に動くと、部屋の外にその動きをなぞるよう白く淡い線が現れて、右手の中指と薬指を開くとその線が太くなる。さらにそのまま人差し指を下げると線が曲がり、今度は左手を上げると折れた線から二股に線が延びた。
左手の親指をくるくる回すと部屋自体がそれに合わせてくるくる動く――。その線が何を意味しているのかはアイヒシュテットには判らない。だが何度かその動作を重ね、シホの左肘が曲がる動作をした時、遠くの方に光の渦を巻き込んで回る丸い漆黒の球体が現れたのにアイヒシュテットは気が付いた。
彼女の右手の手首がくるっとひねられると、作ってはそのままにされていた沢山の光の線がその球体に向かって伸び、繋がる。
「ブロードキャストのタイミング任せる」
「まかされます?」
いつの間にかシホの頭の上で足を開いて座っていた木霊が立ち上がった。
木霊がやったのか、暫くすると張り巡らされた沢山の線に水銀の光沢を持った物質が滑らかに流された。それと共に、竹の網の枠と枠の間に見た事の無い角ばった文字や様々な模様が一斉に浮かび上がり、それらは次々と下から上へと流れ始めた。
「ゲートは……破壊され、いや、これ、解放状態でロックされてる。あれか! トラフィック異常数値」
「意図的なブロードキャストストームですか」
「いや、ループとかじゃないな。何だこれ……
二人は流れていく文字を眺め押し黙る。文字を読めず状況を理解出来ないアイヒシュテットにはその時間がもどかしく思えた。
――私にはあの黒い球しか見て判るものはないな。漆黒の球体か。……竜でも中に住み着いていたりして。だとしたらこれぞまさに【黒竜石】、なんて。
それは無いか。と内心で呟きつつ、アイヒシュテットはぼんやりと黒い球体を見つめる。
球体の周りで枝状に分裂してる線の中には、その先端からキラキラと光る粒を撒き散らしているものがあった。
まるで枝を食いちぎられ、その先から樹液が流れ出ているかのように飛び散る光の粒。それらは外へ広がる事無く次々と球体に吸い寄せられ、飲み込まれているように見える。
光の線や粒を吸い込み飲み込んでいくその様はまるで捕食だ。アイヒシュテットにはその球体が不思議と孵化する前の卵のように思えた。
「シホさん、あれって、何だか、何ていうか……こっちの――飲み込んでます?」
「生き物じゃあるまいしその表現はどうなんだい? でも、うーん。飲み込んでる、というよりは、うん、違うね。たぶん、反転……いや、意味のわからない別の法則性に沿った信号に変換して、構成要素を、増幅? させてるんじゃないかな。だからトラックするとこんな結果が出るのかも」
少し考え込んでから、シホが急にせわしなく動作し始めた。
「ここで降りよう。ログアウト出来ない今の状態でこんなのに接触したら、ボクらの脳みそ木っ端ミジンコだよ」
彼女がそう言った途端全ての景色が闇になり、一拍後闇がひび割れる。ボロボロと剥がれ落ちるそれは例えるなら薄く黒い板のようななにかで、それらが剥がれ落ちた場所からは控えめな光が差し込んできた。崩れた黒い板の欠片は細かく裁断された紙くずのように細かくなっていき、やがて枠となっていた竹もろともパラパラと崩れ落ちて消えていった。
視界が晴れる。
薄暗い夜明け間近の鷺色がかった空が見えた。
「転送完了です」
空に輝く星は普段目にするものに比べるとやや明るい。
辺りを見渡せば、そこには広大な荒野が続いていた。
所々僅かにへばりつく様に生えている枯れ草や回転草らしき影。手のひらに乗る大きさから抱えて持てるくらいの石や岩。そして砂に近い水分を含まない赤い土。
そんな景観の中で一際目立つ存在――一里先にある、一本だけ生えた巨大な木。
緑の帽子にも見える程密集した枝葉を持つ、樹木にしては規格外の大きさを誇る大樹。――その巨木は、自身がこの空間の主だと主張せんばかりの存在感を示していた。
「あれが、話に聞く、神霊樹、なのか」
アイヒシュテットは余りのスケールに感嘆の声を漏らした。しかし圧倒されているのはアイヒシュテットだけの様だ。
「囲もうとしてる?」
「その様です」
感動するアイヒシュテットを置き去りにして、二人は状況の把握に努めていた。
巨木の伸びる小さな丘の麓から、数千の――先ほど屠った武者と同じ姿をした――軍勢が、鶴翼の陣形からアイヒシュテット達を包囲せんと展開し始めていた。
「あれを押しのけて神霊樹に行くのってどうやるの。馬に乗って無双とか?」
「大丈夫です。今回はイレギュラー案件なので私、お手伝いします」
辺りを警戒したまま真顔で二人はやり取りする。
「ここでやめて解体とか出来ないの?」
「無理ですね。技術的にも状況的にも」
「そういうの開き直りって言うんだよね社会では」
「いいんじゃないですかね。ここ、社会とは呼べませんので」
「あのさぁお手伝いとかいうけどさぁ……そもそもあほべるちゃん、役立った事ある?一度でも。実例上げてみて?はやく。どうぞ」
「え、いや、それは……ぐぬぬ。まぁ、見ていてください」
玄奘は目の前の何も無い所に指を翳し、宙をなぞったりつまんだり回したりした。そして両手を空にかざして深呼吸すると一声。
『〈
玄奘が言葉を口にすると周囲の地面が盛り上がり、三人を大地ごと空へ浮遊させた。
浮上するに連れて土が下へボロボロと落ち、中から平べったい小型の
「天竺の乗り物〔ケルヴィナ〕です。これでとりあえずの安全は確保です」
そう言って玄奘は自分の両袖にそれぞれ手を突っ込むと、もぞもぞする何かを取り出した。
「よろしくニキー!」
「キタやでー!」
シホに付いている木霊と同種の小人人形が、玄奘の両手に掴まれたまま手を上げて挨拶した。
「私には攻撃能力がありませんので、これに支援させますね」
新しい木霊はもぞもぞと玄奘の手から這い出すと、アイヒシュテットの両肩に一体ずつ飛び乗った。それを確認し、玄奘は下の亡者の群れを指して号令する。
「さぁ出番ですアイヒシュテット君! その超激レア
興奮した笑顔で玄奘はけしかけたが、アイヒシュテットは何の事を言っているのか全くわからずきょとんとした。
「あれ? あんなにノリノリで使ってたのに使い方わからないんですか? ――あ、そうか。リンクの時間差で感覚共有がされなかったのか」
そう言うと、玄奘は左手を上げて、こうです、こう。とアイヒシュテットに言った。
アイヒシュテットは訳が判らないまでも、玄奘に従い左腕を上げてみる。すると左手につけている手甲から幾筋もの光の紐が伸びて、その先に銀の鏡面が現れた。かと思うと光の紐はその中に潜り込み、一秒ほどで先端に掌ほどの大きさの丸みを帯びた三角の石版をくっつけた状態で外に出てきた。
「いいですか、〔
アイヒシュテットはその説明を聞く前に、過去何度か使った経験がある気がして何気なく周りを一回り見た後、魔弾を放るイメージを浮かべてみた。
直後、勢い良く幾つもの魔弾が四方八方に飛び始める。
「ってー! ちょ! まだ説明終わってないのに、どんだけ理解力高いんですか」
「理解というか、なんとなく?」
「なんで疑問形なのさキミ」
風を切る何百もの魔弾が機関銃の様な音を立てて亡者の軍勢に降り注ぐ。
着弾した魔弾はけたたましい音を上げて粉塵と化し、そこに玄奘の木霊が放つ小さな火矢が飛んで引火すると、地上に大きな爆炎が渦巻いた。
「ファッ!? ぐぅこわれ」
「ほげっ、もえすぎンゴーー!」
爆炎は次々と粉塵に燃え移り、地上は辺り一面が火の海と化す。
《《 クエスト開放条件を満たしました。
――
クエスト:お内裏さまの本気を受諾しました。 》》
「空で使うと爆撃用に勝手にカスタマイズされるんですね。知らなかった」
「壮大な火葬だなぁ。祭礼以外で初めて見た」
シホが四つん這いで下をのぞき込んでいると――その光景に触発されたのか――彼女の襟元から五体の木霊が這い出してきて、彼女の背中の上に集まり踊りだした。
「まだまだいくよー!」
「まる たけ えびす に おし おいけ」
「あね さん ろっかく たこ にしき」
「し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう」
「せきだ ちゃらちゃら うおのたな」
木霊達の踊りに呼応するかの様に、三人を乗せる凧から低い金属音が響き始める。
重厚な金属板の下から機械音が漏れだすと、凧の両舷に翼が伸び、後方に尾翼が現れた。
「あの、火気管制制圧するとか困るんですけど。
「おんぷちゃんにいってよボクじゃないもん!」
凧には武装が施されていたらしく、変形を終えると凧の底面部や両翼から追尾型炸裂弾や光熱線が四方八方に発せられ、亡者の溢れる大地に降り注いだ。
炎渦巻く大地がたちまち衝撃波と光の刃が縦横無尽に行き交う地獄と化す。
「あべるー! 姉さん六角ってどういう意味?」
「すみませんわかりませんデザインしたの私じゃないんで! アイヒシュテット君こっち見ないで集中してください! 船のスコア以上にアイヒシュテット君が活躍してくれないと後で怒られ――あー、じゃなくて、えーっ、頑張ってください!」
「GM大変だなぁ」
「ろくじょうひっちょうとおりすぎ」
「はっちょうこえれば とうじみち」
「くじょうおおじで」
『とどめさすー!♪』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《《クエスト開放条件を満たしました。――
クエスト:お内裏さまの本気を受諾しました。》》
唐突に視界の端に現れる読めない文字の羅列。
それは聖堂教会に語り継がれる神の御使いからの啓示[
それらが凶事の前兆であることをアイヒシュテットは知っている。
一度なら偶然。だが二度なら必然。
彼は黙々と、近い順に〔魔弾〕を亡者の群れへ投げ入れ爆炎を広げていた。
その作業中。彼はその中に、粉塵が広がらない箇所を一つ見つける。
亡者が一掃され何も無い所だったが、明らかにそこだけ空気が歪曲し、粉塵の流れを変えていた。
「そこ、なんか変じゃないか」
その様子にアイヒシュテットが注意を促す。後ろの二人に声をかける。だが二人は何かを話していて、騒音のせいもあってかアイヒシュテットの声に気が付かなかった。
再度注意を促そうとしたその時、アイヒシュテットが異変を感じたその場所へ偶然、船から光の熱線が放たれた。
――何だ? 今、確かに……。
熱線が不自然に曲がる。
アイヒシュテットは目撃した。焦がすでも反射するでもなく、透明な何かに当たってそこを水が伝う様に熱線が流れた。
その一瞬の光によって見えた影に、彼は息を呑んだ。
――あれは……玄奘?
アイヒシュテットは慌てて振り返る。
そこに玄奘を確認し、彼は混乱した。熱線が歪み流れた場所、光がそこに映した人影は、アイヒシュテットの目には玄奘そっくりに見えたからだ。
「二人共、そこを見――っ!」
アイヒシュテットが二人に声をかけようとした瞬間、辺りが閃光に包まれた。
にわかに訪れた天を割るかの如き雷轟と衝撃。空気を歪め押し潰す突風が三人を襲った。
稲妻の直撃を受け船は急速に浮力を失い、真っ逆さまに落下を始める。
――啓示が出ていたのに、油断した。
アイヒシュテットは警告を活かせなかった自分を悔いるが、為す術なくその意識を手放した。
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