⑤-3

「さて」


死霊の再生速度が大幅に落ちたのを見て、青年は振り返り空に浮かぶ御輿に視線を向ける。


「どうした。人形劇は終わりか。ならば次の余興といこう。余、てずから貴様の首をはねてやろう……ん? ……」


青年は腰に下がる剣の柄を掴む。だが剣を抜こうとしたその時、彼は足元をふらつかせよろよろと後退し、踏みとどまった。


「ほう。彼奴等やりおったか……悪運の強い――」


地に膝を付きそうになるのをこらえ青年が一言呟くと、その体が発光し辺りはまばゆい光に包まれた。


光が徐々に収まると、その場には青年の隣に玄奘の姿があった。


「うまく戻って来られましたね。これも私の日々の行いが良いからです。アイヒシュテット君はよくよく感謝してくださいね私に。あ、そんな事よりシホさんは!? シホさんのところに行かないと、あ、あれかー!」


光の収まりと共に玄奘はシホの元へ駈け出した。


アイヒシュテットも玄奘に着いて行くか迷ったが、その前に回りの状況を確認する。


辺りはまるで隕石でも降ってきたかの様な酷い荒れ方をしていた。焼けた大地、えぐれた地面、何かが焦げた様な異臭。空には相変わらず謎の物体が浮いたままだったが、それを守っていたはずの死霊達の姿はどこにもない。


「凄いなシホは。あの死霊達をも倒したのか……」


先ほどの光景を思い出し、アイヒシュテットは周りの有様からシホの戦いが熾烈を極めていただろう事を想像した。あれに巻き込まれては、如何に死霊といえど太刀打ち出来なかったのだろうと。


「……ん??」


アイヒシュテットは周囲の確認中、自分の出で立ちが全く変わってしまっている事に気がつき思わず二度見した。



“この再スタートはサービスだから、まずは落ち着いて聞いて欲しい。君の筐体は僕が分解してしまったからもう戻せないんだ。すまない。仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、君が初めてこの世界に来た時、君は、きっと言葉では言い表せない希望、いや、ときめきみたいなものを感じてくれたと思う。これから帰る殺伐とした世界の中でも、そういう気持ちを忘れないで欲しい。そう思って、この企画を立てたんだ。暫くはL1レイドボスの体を使ってほしい。じゃあ、行こうか。アイヒなんとか君。グッドラック!――――”



死霊に受けていた傷は完全に治っていた。


痛みも倦怠感もない。むしろ十分休息した直後の様な調子の良ささえ感じる。アイヒシュテットは鳩摩羅什からの説明を思い出し、これがそういう事なのかと納得した。


――要は体力回復と、装備が一新されたという事なのだな。


アイヒシュテットは説明通り自分の体が[世界側の体]というものになったのだと理解したが、その違いについてはあまりピンと来なかった。


「支援します!」


遠くで玄奘が叫んでいる。シホの戦いはまだ継続中の様だ。玄奘の余裕の無い声にアイヒシュテットは一抹の不安を憶えた。


死霊は滅び、特に危険も見当たらなかった為――こうしてはいられない。自分にも何か手伝える事はあるだろうか――とばかりに、アイヒシュテットはシホの元へ向かおうと駆け出し、転倒した。


――なんだ?


足元を見ると、土色の茨がそれぞれの足に巻き付きながら上ってくるのが見えた。


アイヒシュテットは蔓を解こうと片足を引き上げたが、蔓の刺が靴に引っかかり外す事が出来なかった。もう一度試すと今度は蔓が地面から一気に伸びて、持ち上げた膝まで何重にも蔓が絡みついた。


――食人植物の類か!?


蔓を外そうと力いっぱい動けば動くほど蔓は伸びた。アイヒシュテットは慌てて立ち上がろうとしたが、一気に伸びた蔓が全身に幾重にも絡み付いており、あっという間に身動きを封じられてしまった。


――ただの植物ではないな、これは――。


女子供ならいざ知らず、ただの食人植物程度の拘束を自分が解けぬはずはない。


悪い予感が脳裏をかすめる。アイヒシュテットが剛力の覇技をもって蔓を引きちぎろうとすると、それに反応したのか蔓についていた花の蕾が急に開いて、咲いた花から黄色い花粉が飛び散った。


無防備にそれを浴びてしまったアイヒシュテットは、急速に意識が遠のいていくのを感じた。


――これは、眠り粉。


これが何かを理解した時にはもう、アイヒシュテットは既に意識を奪われていた。




◇◇◇


彼女の翼は折れている。荒れ狂う風の渦に逆らわず、それでも己が力を精密に制御し、わずかな隙間を確実に捉えては身をねじ込ませ前へ進む。逆巻く激しいうねりは、渦潮の重い水流さながらに彼女を容赦なく締め付けた。


傷の裂け目から血しぶきが上がる。


筋力を調整し、傷の裂け目が広がらぬよう庇ってもそれには限度があった。


しっかりと足で掴んだ己が主の体を気遣いながら、彼女は己の意志を示す。


我は大空を覇する現界の王。


退かぬ。媚びぬ。顧みぬ。


竜王は吠える。


――さぁ神殺しの大樹よ。我が眷族の怨嗟を捧げよう。


喰らうがいい。その呪いに満ちた禍々しき大管おおくだで。


鎮座し貪る贄の裾野に、我、災いをもたらさん――


巫女は問う。


邪竜に願い全てを差し出す。


竜王は吐く。


――この世ならざるうつつに囲まれ悪鬼に従う下賤の巫女よ。契約は成った。その身に黄泉路を開く鍵を託そう。汝にヤー=シェリの祝福を。


翼竜は巨大な湖に落ちた。


水面に波紋が広がり、湖面に巫女を繋ぎ止めていた薔薇の蔓が、その衝撃ではじけ飛んだ。


風が渦巻いていた空は次第に落ち着きを取り戻し、水面に出来た波紋もやがて消える。


湖面に立ちあがった巫女は手を伸ばし、空を確かめる様に手を振った。


まるで空を掬い取らんとしたその仕草に、アイヒシュテットは見覚えがあった。


アイヒシュテットは彼女が浮かべていたその微笑みも、過去にどこかで一度だけ、見た事がある気がした。少なくともアイヒシュテットにはそう思えた。


彼女はふっとアイヒシュテットの方を見て、優しく微笑んでいた。



◇◇◇




世界が白い靄に染まる。


遠くから喧騒が聞こえる。


白い世界に色が戻り、ぼんやりと世界に形が浮かび上がる――。


アイヒシュテットは気力で目を覚ました。


花粉の罠に抵抗する意志が辛うじて完全なる眠りの呪縛の完成を妨げた。だが体は金縛りの状態で動かない。頭の半分がまだ眠っているのだ。


薄目を開きかろうじて意識を維持してはいるが、気を抜けば再び眠りに落ちるだろう。


「見よ厳流。あの若造、どうやら、聖銅じゃぞ?」


遠くで死霊達の声がする。意識を失ってからどのくらい経ったのか。滅したと思っていた死霊がどうやら再び戻ってきたようだ。


L1エルワンだからって、べ、別に騒ぐほどの事もないぜ。あの程度でおと、お、おとなしくして、られるかっての。本当の戦闘ってヤツを、教えてやるよ!」


アイヒシュテットは意識を目に集中し目一杯開けた。そうする事で何とか二体を視認出来た。


「こいつ!」


勇ましい声を出していた巌流がそれに気づき、物凄い勢いで後ずさる。胤舜も防御姿勢を取り小さな悲鳴を短く上げた。


「安心なさい。その者は動けません。直にまた眠るでしょう」


別人の声。高く澄んだ綺麗な声の主は、アイヒシュテットの視界ギリギリの位置にいた。


見覚えのある民族衣装。トーンは違えど聞いた事のある声だ、と遅れて認識できたのは、そのシルエットを覚えていたせいだ。


それは以前、初めてこの国に訪れた時に案内役をしてくれた女性。後に玄奘より説明を受けた時告げられた名は確か――大和大国の媛巫女、詩織。


あの特徴的なシルエットを見間違うはずはない。彼女は自分を助けてくれたあの時の女性に間違いないとアイヒシュテットは確信する。


舞媛ジュピトリア! どうかお気をつけを! そいつは爽やか青年風に見えますが、あの顔で本性はおぞましいケダモノです! そいつは俺の胸を揉んだだけじゃ飽きたらず、俺を無理やりいた上で、裸の俺を、無理やり! 蹂躙して――」


「そうです媛宮! 妾も力で強引に服をがれ、そのイヤラシイ目の前に裸身を晒された上、道具で、うぅ、汚された。生涯一度たりとて受けた事の無い辱めを――」


死霊達が詩織の元へ走り寄りその足元にすがりつく。


――何だと!? 一体何を言っている?!――


聞き捨てならない事実無根の虚偽を涙ながらに訴える二体に初心な青年アイヒシュテットは戦慄した。


――くそ、何て事だ! これは罠だ冤罪だ! 何という告げ口! いや違うそこじゃない! 一体何を考えているんだあの不死族の二体アンデッドどもは!


「それは大変でしたね。可哀想な我が子達。でも安心なさい。薔薇綱は女神すら縛る呪いの植物。放っておいても衰弱死するでしょう。捨て置きなさい」


その様なケダモノに手を触れる事はないと言わんばかりの雰囲気で彼女は告げた。その言に死霊達は喜び、彼女に平伏して何度も礼を述べる。


言いたい事は多々あったが、その光景から間違いなく彼女が死霊の首魁だとアイヒシュテットは理解した。


彼女を倒さなければ何度でも死霊は呼び出されるのだろう。そうとわかってもアイヒシュテットは体を動かせない。どうやっても動かない体にアイヒシュテットが焦っていると、彼女の視線が死霊達から動いた。


「あちらは――」


詩織の視線の先はアイヒシュテットではない。彼女はシホの方を見て「――大典礼を完奏するには、もう少しかかるでしょうね」と呟いた。


その声に死霊達がシホの方向を見る。


――まずい、こっちに来い!


「さぁ子供達、あの祭壇を破壊するのです。ヤー=シェリに背く異教の巫女を、御神ゾルヴァに捧げましょう」


死霊の標的が自分からシホ達へ移ったことを知りアイヒシュテットの焦りが増す。彼は体を無理矢理にでも動かそうとがむしゃらに気張るが、体にはそれが伝わらない。


「挽回するぞよ、覚悟せよ」


視界の端で、胤舜が槍を構えるのが見えた。


胤舜の投擲姿勢に反応し、〔さざれ石〕の穂先が紫色に輝く。


そして一息し、胤舜が槍を放つ。



その時。鳥居ゲートが現れた。



  ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



天に浮かぶ赤い門。


轟音と共に空に広がる闇をこじ開け、それは突如現れた。


位置は丁度シホの真上。シホの周囲に展開する無数の輝く円陣から、幾筋もの光が放たれ赤い門を照らしていた。地面に描かれた円陣を構成する光は、外縁にそれぞれ異なる紋様を浮かび上がらせており、個々の円陣は隣り合った円陣と連動してゆっくりと動いていた。


赤い門の中心に縦の光が走ると、両開きの扉が開いて中から光が溢れ出す。押し入ってきた地吹雪の様な白い光の粒子の奔流の後、そこに人影が現れた。


「祭壇とのリンケージを確認。自動オート干渉支援序奏エイジング開始しました」


「無敵バリアーだ!」


胤舜が放った槍は、術後硬直中のシホを狙っていた。


槍はまっすぐシホの左胸をめがけて直進した――が、それに反応して、シホの周りの地に伏せられていた六角形の水晶の甲羅が勢い良く何枚も飛び上がり、それらが槍の行く手を遮った。


槍が甲羅に接触すると一瞬甲羅が押し返し抵抗するも、けたたましい音を立てて甲羅は槍に粉砕された。


槍は甲羅を二枚、三枚と楽に打ち砕き、全ての甲羅を易々と貫通するかに見えたが、五枚、六枚を貫通し七枚目に到達した所で槍は甲羅を砕ききれぬまま推進力を失い、ヒビの入った甲羅と共にその場に落ちて掻き消えた。


「おー、びっくりした。無敵じゃないかもと思ったよ」


本当に驚いたのか、シホはヨロヨロとその場にへたり込んで大きく息をつく。


赤い門から現れた人影は、玄奘の衣装と形は似ているが遥かに上品な風合いの衣装を着ており、天狗と呼ばれる怪物の面をつけていた。


その者は重力を感じさせない身のこなしで地に降り立つと、右の手刀を刀に見立てて、居合と呼ばれる剣技の動きで空を一閃する真似をした。すると、空に浮いた石を吐き出す建造物が全て横一文字に寸断され、音もなく霧の様に霞んで消えた。


謎の大規模な術を謎の行動で打ち消した冗談の様な力を振るったその者は、腰を落とした姿勢から楽な姿勢に戻り、つけていた面を外す。


舞媛ジュピトリア、お下がりを。あの老人、恐るべき手練です」


厳流はいつの間にか持っていた短刀を構え詩織の右前に立った。胤舜も詩織を庇う様に彼女の左前に立つ。


地に転がされたアイヒシュテットには門より降り立ったその人物をうかがい知ることはできなかったが、それが敵でなさそうな事に安堵した。


「へへっ。奥の手間に合った」


地べたに座り込んだシホが力なく笑う。


「無理をしたね、シホ。五玉ぎょくを並列励起するとはね」


――この声は……。


遠くからかすかに聞こえてきた声には聞き覚えがあった。


アイヒシュテットが思い浮かべた人物は、世道の宮司、歴史学者ラナードだ。


何故、彼が此処に。いやそれよりも、彼は一体何者なのだ。あの力は一体――。彼の振るった力に度肝を抜かれたアイヒシュテットは、状況を整理出来ずただただ呆然とする。


「そうだよ。ボクのコスパはキミの働き次第なんだから頑張ってよね」


「これは期待に答えないと大変な事になるだろうね」


「もちろんだよ。保護者としての務めに期待するのだね」


かなり親密な間柄なのか。アイヒシュテットは二人のやり取りからそう推察する。


宮司と巫女。確かに考えてみれば同僚として親密であっても不思議ではない。だがあの感じはそういう風ではない。それ以上の親近感――例えるなら親戚か、それに類する間柄のやり取り。少なくとも職場の同僚という雰囲気ではない。


「いやぁ、綺麗に捕まってますね! アイヒシュテット君?」


――!?


虚を突かれ驚くアイヒシュテットを覗き込んだのは、その顔に満面の笑みを浮かべた玄奘だった。


アイヒシュテットを見つけて駆け寄ってきたのだろう玄奘は、持っていた短刀で手際よく彼に絡みついていた蔓を切った。途端アイヒシュテットの体にたちまち力が戻り、頭にこびりついていた睡魔が吹き飛んだ。


「いったい何が――」


「書き換えが間に合わないと判断して典礼干渉先を[天戸あまど]に切り替えてたみたいですね。途中まで構築した祭具が投げ捨てられててびっくりしました。あんな事してたらいくらキャパがあっても全然足りなくなりますよ。私が来たから何とかなったものの私が駆けつけなかったら皆で全滅、囚われの身です。アイヒシュテット君も私に感謝してもいいですよ、ただ感謝は言葉だけではなく、高価な物品をもってお願いしますね」


「え、あ、ああ」


そういう事を聞いたのではなく――。専門用語を並べられたアイヒシュテットは、そっちじゃないと言いたい気持ちを飲み込んだ。多分この少年にそれを伝えるのは至難だ。


長居は無用とアイヒシュテットはとりあえず頷いて立ち上がろうとした。――が、足に力が入らない。


「いやー立つのは無理ですよー流石に、衰弱デバフ入ってるんですから。しょうがないので私が引きずっていってあげます」


そう言うが早いか、玄奘は背中に荷物を背負う要領でアイヒシュテットを担ぎ、彼の足を引きずりながら小走りでシホの元へ走りだした。


一方その頃シホはといえば、彼はラナードと何やらやり取りをしていたようだ。


「クエストキーはラナードが持ってたのか。バグだと思ってたよ」


シホは掌くらいの銅鏡を受け取ると、小刻みにその縁を指で無造作に何度も突付いた。


「お、起動した。ノミナルグライドパス――――確認。おっけー行ける。じゃあ行くね。後よろしく」


「待ってくださいー! はぁ、まにあ、った!?」


アイヒシュテットを背負ってやって来た玄奘の首根っこにシホが手を差し込むと、玄奘は甲高いおかしな声を上げてその場にへたり込んだ。玄奘はアイヒシュテットを背中で担いでいたので丁度彼に組み敷かれる格好となり、真っ赤な顔でシホに悲鳴に近い不明瞭な発音の意味不明な言語で抗議した。


「なうろーでぃーんぐっ!」


起動した銅鏡の鏡面から光の枠線がいくつも吐き出される。それらは三人を覆う竹籠型の光の網を形成し、かと思えば急速に収縮して三人をその場からかき消した。

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