⑤-2

「こやつ、何なのじゃ、気味の悪い」


アイヒシュテットが光の塵となったその場所にまばゆい光が生まれた。逆巻く光の粒子の奔流が発生し、そこに、何者かが現れた。


その者はアイヒシュテットと同じ顔を持ち同じ背恰好をしていたが、明らかに違う種類の気迫を纏っており、衣装も装備も全くの別物であった。


一目で上質と判る金や白金をあしらった紅蓮のマント。その下に見えるのは複雑な彫刻が施された黄金の防具一式。合間に見える上等な衣服には気品すら有り、宝石を散りばめた豪奢な装飾品の数々は、聖騎士というより王族的な雰囲気を醸し出していた。


だがそんなものより死霊達が異質に感じたのは、その視線であった。


そのせいで雰囲気がガラリと変わっている。まるで彼の体に悪魔的な何かが憑依し顕現したかの印象を死霊達は得ていた。


「よくぞ余を開放した。その方達、褒めて遣わすぞ」


「何を、痴れ者が!」


間髪をいれず、先ほどアイヒシュテットを葬り去った胤舜の光の槍が、一直線に青年の心臓目掛けて飛んだ。得体のしれない何かを即座に敵とみなし、胤舜は必殺の一撃を初手から繰り出していた。


心臓を穿つ必殺の呪いを帯びた閃光が、確実に青年の胸部を突く。


「わきまえよ」


――様に見えた。


実際は、槍の穂先は彼の胸に届いてはいなかった。よく見れば、彼の胸元には芹らしき花を象った光の紋様が浮かんでおり、槍はその紋様の壁に阻まれ停止していた。


「余に霊装カムイある限り、この覇道妨げる事まかりならぬと知るがいい」


槍が軽い音を立てて地面に転がる。胤舜は手を翳し召喚術よびよせと呼ばれる見えない力で槍を戻そうと試みるが、槍は何の反応も示さない。


「愉快だな、亡者――」


青年が左腕を空に翳すと、つけている黄金の手甲から数本の紐状の光が空に伸びた。同時に、青年の頭上に黒い霞がかった滲みが生まれ、そこから徐々に鈍く光る水銀で出来た楕円の板が現れた。


光る紐がその板の中に潜り込むと、紐はそこから丸みを帯びた三角の、角だけ鋭利な刃状になっている石版を引きずりだした。


「――我が友を屠った褒美をくれてやろう」


「躱せ! 巌流!」


光の紐は目にも留まらぬ速度で石版を投じた。二人をめがけて四枚の石版が同時に飛んだが、巌流と胤舜はギリギリの間合いでそれらを回避した。しかし石版が地に触れた瞬間炸裂した衝撃波は二人の体を逃さず、二人は共に着地を失敗し地を転がった。


石版を投げた紐はすぐに空に浮かぶ銀盤に潜ると、同じ形状の石版を掴み再び石版を放つ。


鋭い風切り音をあげ、板は両者に向かって寸分違たがわずまっすぐに飛来した。両者はまた紙一重で直撃を避けるもかまいたちを纏った石版はその体や衣服を幾重にも切り裂き、先ほどと同じく炸裂した石版の衝撃波と破片により負傷を重ねた。


「くぅっ!」


体術に劣る胤舜がその攻撃で僅かにバランスを崩し着地を失敗する。そこに一枚、狙いを定められた石版が胤舜を目掛けて飛んだ。


石版が胤舜の頭部に直撃すると思われた寸前、その間へと巌流が割って入り飛来する石版を殴りつけた。その一撃で板は粉々に砕け散ったが、次の瞬間、巌流の〔発火する拳〕がその粉塵に引火し、胤舜をも巻き込んで爆発を起こした。


炎に包まれ苦悶の声を上げる死霊達に向かって、焚き火に薪をくべるかのように石版が次々と爆炎に向かって投げ込まれる。


爆炎が広がり、幾つかの板は二体の死霊を直撃してからさらに大きく爆発した。拡大する炎の海から脱出する為、死霊達は無様に転がり、這いつくばってはまた転がり、を繰り返して何とか爆炎の外へと逃げおおせる。


炭まみれになった二体は呻きを上げつつも、懸命にその場に立ち上がろうとその身を震わせた。


「ちょっとばかし、涼しくなったぜ」


巌流の服はその大半が燃え尽き、焼けただれた肌が露わとなっていた。


「まだまだ……この程度では!」


胤舜の衣服もその大半を切り裂かれ炭化していたが、巌流に比べると炎による損傷は少なかった。だが肌を露出していた部分は同じ様に重度の火傷を負っておりただれていた。


二人のダメージは深く、その顔は苦悶に歪んだままだ。


「余の温情を拒み何とする。その身に安寧をくれてやろうというに」


青年はつまらなそうに死霊達を見下ろす。死霊達は彼のその異様さに畏怖しながらも、視界からその姿を外す事無く、警戒しかつ反撃の隙を窺っていた。


「糞が……何なんだよこいつ!」


「巌流。このままではこやつに押し切られる。一気に仕留めるぞ」


その様子を見て青年は表情一つ変えぬまま、しかし左手の指先を僅かに動しながら苛立ちの溜息をついた。


「汚らわしいまなこを並べまだ余を見るか――」


それを合図に死霊達は一気に飛び出した。


先ほどアイヒシュテットの腕を焼いた巌流の拳が、青年の顔を目掛け打ち出される。同時に胤舜は懐から鉄扇を出し、それを走りながら地面になぞりつけ、それにより掘り返されたわずかな土を青年の方向へ飛ばした。


飛ばされた土は紐状に固まっており、胤舜の鉄扇と地面とを結んでいた。鉄扇を起点にした土の鞭が胤舜から青年までの直線の土を大地から引き剥がし、一本の線となって大きく波打つ。


蛇の様に鋭く青年の脚に巻きつかんとのたうつ土の蔓と、その脇を走る炎熱の衝撃波が同時に青年を襲う。


「――身の程を知れ! 汚物が!」


青年の怒号が大気を震わせたその刹那、死霊たちの攻撃が霧散した。


信じられないものを見せられた死霊たちが驚愕のあまり硬直する。その一瞬の隙に、地に散らばっていた無数の石版が死霊達を取り囲み、その周囲を大地ごとえぐり取る程の大爆発を巻き起こした。


死霊達の短い絶叫とともに爆発の衝撃波が死霊達を上空へと跳ね上げる。そこへ何枚もの――大きさを半分以下にし形をより鋭利にした――石版が、楕円の銀盤から直接死霊達めがけて撃ち出された。


石版は次々と死霊達の体に深く突き刺さると、漏斗状に膨らんで傷口を広げ、そこからおびただしい黒い体液を吸い出し辺りに撒き散らす。


「散華せよ」


彼の一言の後、死霊達の体に食い込んだ石版が一斉に破裂し二体は空中で細かな肉片となった。そしてそれは瞬く間に発火し、枯れ落ちる花火となって地へ降り注いだ。


「許しを請い仰ぎ見るべきであろうに。たわけが」


アイヒシュテットを倒した死霊達はその青年の圧倒的な力の前に滅んだ。


しかし青年の頭上に浮かぶ銀盤はまだ消えはしなかった。地面にばら撒かれた肉塊から視線を外し、彼は空を見る。


青年が睨む視線の先。そこには空に浮く神輿があった。


彼は次に倒すべき獲物に意識を向けたまま腰に下がる剣を抜く。それはアイヒシュテットが持っていた聖剣とは違う輝き――銅とも銀ともつかない無機質な光沢――を持つ刃だった。


剣は青年の意志に呼応して、その刀身を虹色に輝かせた。


そして数歩、ゆっくりと御輿に向かって歩き出したところで


「――亡者ごときが、霊装カムイだと……」


彼はその歩みを止めた。


青年は剣を鞘に収め、憤怒の表情で肉塊の落ちた辺りを見る。その動きに合わせて彼の頭上に浮かぶ楕円の銀盤からは数枚の石版が顔を出し、その左手からは光の触手がゆらゆらと上へ伸びた。


青年の前に肉体の再生が間に合わず骨をむき出しにした全裸の巌流が、再生作用による蒸気を上げながら、かくかくとふらつきつつも立ち上がり拳を構えていた。


着ていた衣装の復元はまだなされていなかったが、拳に有る武装だけは完全な形で再生していた。先程まで眼帯がされていた巌流の右目は虹彩が金色に変色しており、青年が巌流に振り返ると、その眼が一瞬キラリと光った。


青年はその瞳を正面から睨みつけた。そしてその様な魔眼ものは効かぬ。と、誇示するかの如く、彼はその瞳をまっすぐ見つめたまま嘲笑した。


その挑発に巌流が獣じみた咆哮を上げ――仕掛ける。


予備動作無しの高速移動で一気に青年との距離を詰めると、先ほどアイヒシュテットを吹き飛ばし腕を焼いた必殺の拳を青年の顔に叩き込もうとした。


当然、それを阻む様に、先程と同じく青年と巌流の間に石版が現れる。


必然。この展開を予想しえない巌流ではない。


巌流は直進を止め、拳を叩きつける寸前地を蹴ると、脚を振り上げ正面の石版を天空へと蹴り上げた。巌流が発動させた覇技〔烈風脚〕の追加効果で、周囲の気圧に変化が生じにわかに突風が発生する。それはたちまち竜巻となって巌流の周囲を取り巻いた。


青年を守護する石版の配置が、風圧の影響で僅かにズレる。巌流は蹴りあげた脚の踵を、そのまま青年の頭に狙いを定めて、力の限り打ち下ろした。


「なぁっ!?」


それは、巌流の上げた叫声だった。


踵が空を切り――いやそうではなく。恐らくは見えない何かに阻まれ軌道を無理やり逸らされたのだ。


その為に、連絡されるはずの次の一撃に僅かな隙が生まれた。追撃として打ち出されるはずだった拳の予備動作中、巌流の体は複数の石版によって穿たれた。


「学習の無い」


石版が上腕に食い込んだ事で骨が折れ、巌流の拳があらぬ方向を向く。炎を宿した拳は石版に接触し、そこを中心に大爆発が起こった。


衝撃で大きく吹き飛んだ巌流は、空中で石版の追撃を受け再び弾けた。


「なんじゃ、あの花は」


立ち上がれずその光景を目にしていた胤舜は、巌流の高速の強襲を遮った芹の花の存在を視認していた。それは自分の槍を遮った時にも一瞬見えた花であった。


あの壁は視認する事が不可能な域に達した高速の攻撃をも難なく遮り、しかも相当な強度を備えている。――正面からの攻撃は通らない。


はじけ飛んだ巌流は肉片となり、再び火の粉となって辺りに散らばった。だが胤舜はその光景に臆する事無く立ち上がり――いつの間にか拾っていた――槍を構えた。


「同じ技を二度は受けん。〔さざれ石〕の力、とくと見るが良いぞ」


胤舜は槍を片手に構え懐から札を取り出す。先ほどアイヒシュテットの力を封じた蜂を呼び出す為の呪符だ。


祭具を兼ねた槍〔さざれ石〕が、淡い緑色の燐光をまとう。それに合わせて、呪符の紋が発光しそこからおびただしい数の蜂が飛び出してきた。


そこへ、青年が石版を飛ばした。


その石板は真っ直ぐには飛ばなかった。物理運動の法則をねじ曲げた予測不可能な曲線軌道を描き、青年から目を離さねば死角となる絶妙な角度から胤舜を目掛け滑り込んだ。


「見切ったと言うに! 術の最中といえどわらわに隙など無いわ!」


だが胤舜は先の巌流の戦いで見抜いていた。その投擲が一般的な物理法則に則った物質の移動ではない事に。


石版は今まで重力の影響を受けている様に偽装していた。それはこういう不意打ちをいつか繰りだそうと狙っていたからに違いないと。


石版は放り投げられているのではなく、瞬時に敷かれた見えない軌跡レールを沿って移動しているのだ。予測する着弾点からその経路を逆算し石版の軌道を見抜いた胤舜は、恐ろしく洗練された槍裁きで石版を次々と叩き割った。複数の同時攻撃を物ともせず、胤舜は片手で複数印を組むと、術式を完成させ蜂を前面に展開した――その時、


「ほう。知恵はあるか。では知識はどうだ。これは爆導索という」


青年の黄金の手甲から、光の紐が胤舜に向かい鋭く伸びた。


「んぁっ!?」


青年が左手の指をパチン、と鳴らすと、突如紐の周りにまばゆい火花が走り、大爆発が起きた。叩き割った石版から撒き散らされた粉塵が、光の紐によって生じた火花により引火し、周囲の粉塵と割れて砕け落ちた石版に引火したのだ。


青年の頭上に浮いていた石版が、その爆炎に次々とくべられる。短い悲鳴の後胤舜は蜂と共にその場で盛大に燃えた。


「所詮は傀儡か。プレイヤーならばその様な愚挙はせぬだろうよ」


追撃する石版が胤舜を細切れにした。肉塊となり炎上する胤舜と、既に灰となった巌流を見下ろしながら、青年は攻撃姿勢を崩さぬまま呟いた。


「死霊達は肉塊の核たる細胞を元に急速な細胞の増殖による再生をしている。そしてこの死霊達の核は、物質を依代としたものではなく[星幽アウゴ]という非物質を用いている。

星幽とは無から有を生み出す[魔法]の支点であり、主物界に存在する境面触媒である。

[星幽核]を依り代とした存在は、力の根源であるその創造主たるものの力が枯渇しない限り、何度でもその力を汲み上げる事で蘇る……だったな。友よ」


星幽核そのものを破壊する事は難しい。多次元的に存在するそれを個別に破壊したところで、ソレはすぐに別次元の星幽核によって同期複製され元に戻ってしまう。


青年はその仕組みを知っていた。自分の半身たる聖騎士と記憶の共有をした彼にとって、その対処は容易い事であった。


大元を断つか、何度でも殺し尽くし大元の力を枯らす事。それこそが死霊共を殲滅せしめる方法なのだ。


青年は動きのあった肉塊を見つけては石版を飛ばし、発火させ、焼き尽くすという単純な作業を執拗に繰り返した。滅びる事を許されず記憶を継続する死霊達にとって、それは地獄の業火で焼かれる苦痛を何度も味わう事を意味するが、それを理解していて尚青年はそれを続けた。


何度も、何度も。何度も。


「木偶どもが。貴様らの所業を罰するにはまだ生ぬるい。余が手ずから永劫の苦痛を味わわせてやろう。精々悔い改めるがいい」


産まれる苦痛と死の苦痛。その間に訪れる果ての見えない不安、繰り返される恐怖。嬉々とした――けれど無表情な――殺戮者の記憶が、死霊達の記憶領域全てを埋め尽くす勢いで蓄積していく。


青年は延々と淡々と百を超える死の苦痛を死霊達に刻み続け、文字通り死霊達を完膚なきまでに叩き潰した。

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