④-2

「仲間は逃げたのか?」


巌流、と呼ばれていた少年死霊がアイヒシュテットの方へ足を向ける。


「賢い選択だなぁおい」


「巌流よ」


先ほど胤舜と名乗った少女の死霊が、歩を進める巌流を呼び止めた。


「雑魚に構うなってか?」


「この調べコード媛巫女級アリアドネクラスやもしれんぞ」


「はぁ?」


胤舜の指摘に、巌流からニタニタとした歪んだ笑みが消える。


「チッ…やるじゃないか。舞殿アトリエ破壊を優先するぞ」


死霊達の話の内容はわからないが、それでもアイヒシュテットには彼らが何に興味を向けているのか理解できた。死霊達が何らかの理由で自分を無視し、シホを攻撃しようとしている、と。


――何て不利な戦いだ。


勝ち目がまるで見えない。


彼はちらりとシホを見た後、迷いなく聖剣を抜き、宣誓の構えを取る。


『〈戻れ(リロード)! 運命の光クラウソラス〉』


自分より遥かに格上であろう死霊二匹に対し、彼は迷いなく強襲した。


アイヒシュテットを完全に無視して歩を進めていた胤舜は虚をつかれ、天井から降り注ぐ無数の光の剣に貫かれた。巌流も死角からの攻撃に反応が遅れ、背中から腹を貫かれ地面に片膝をつく。


「はぁ?」


言葉とも取れない巌流の声。アイヒシュテットは自己の敏捷性を極限まで高める覇技を用いて、位置的に近い巌流に疾風の如く迫り、素早くその心臓に左の掌をあてがう。


「やっ! テメ!」


死霊故に肉体が崩れかけているのか、アイヒシュテットはやや盛り上がった柔らかい肉に掌が沈むような感触を得たが、彼はそのまま躊躇せず〔大聖詩篇〈聖釘ヘレナ〉〕を打ち込んだ。


アイヒシュテットの手を中心にまばゆい青色の光が溢れたかと思うと、突き抜ける衝撃が死霊を襲った。死霊は真っ直ぐ後方に数メートル飛ばされ、そのまま地に落ち十数回転がった後、地を滑った。


ぬしよ、面白い物を持っとるのぉ」


アイヒシュテットの斜め前方で、光の剣により体を地面に縫われ這いつくばっていた胤舜が、槍を支えにして無理やり上体を起こしていた。


その動きに光の剣が反応し激しく青い雷を発していたが、胤舜はそれを苦にするどころかむしろ涼しげな顔でこちらを見ている。


「西洋の聖騎士とかいう異教のともがらが持つ戒めの洗礼じゃな。彼奴に背を向けるとこいつが飛んでくるのじゃ」


そう言うと、胤舜は自分に突き刺さった複数の光の剣のうちの一本を抜き、上へかざす。光の剣は最も激しく青い雷を迸らせ、掴むその手を焼き腕の皮膚まで蒸発させたが、胤舜は声一つ上げず嬉しそうにそれを見ていた。


「気を逸らすと食らうってか。この変態野郎が」


どんな頑強な鎧を着ていたとしても鎧越しに肉体を破壊するアイヒシュテット渾身の一撃を受けた巌流も、平然とした表情で毒づいた。


巌流はゆっくりとその場に立ち上がると、服についた土埃をわざと大袈裟に払い、殊更無傷である事をアイヒシュテットに見せつける。


――心臓を〈聖釘ヘレナ〉で破壊しても立ち上がるのか。


相手は死霊。とりわけ不思議な事でもない。


――であるなら、頭を吹き飛ばすだけのこと。


アイヒシュテットは二撃目を狙い構えた。


だが今度は巌流の方が一瞬早く、彼の想像を超える驚くべき速度で一気に間合いを詰めてきた。


――ッ?! 早い!


アイヒシュテットは巌流の拳の軌道を直観で読み素早く身を引いた。十分に警戒していたはずがすれすれの回避――むしろ躱せたのが奇跡と思えるほどの一撃だった。


――間合いを取らないと――!


アイヒシュテットは崩れた体勢から無理やり剣を手にした右腕で巌流をなぎ払う。だが剣が巌流に触れた途端、アイヒシュテットは体を上空へと跳ね上げられた。


――ぐぅっ!?


何をされたのかわからない瞬時の攻撃。その衝撃で持っていた聖剣が手から離れた。聖剣がその手を離れた事で、死霊を拘束する光の剣が掻き消える。同時に右腕に焼けつく痛みが走る。巌流の攻撃は確かに躱したはずだった。が、何らかの方法により右腕の一部が焼き焦がされていた。


追ってアイヒシュテットを中心に竜巻が発生した。彼は中空でかまいたちの渦に飲まれ体中に細かな裂傷を負ったが、跳ね上げられた浮力は風によるものではない。どういう体勢からか、アイヒシュテットは巌流に腹部を蹴り上げられていたのだ。


アイヒシュテットはかろうじて体勢を立て直し何とか両足で着地出来たものの、受けたダメージにより体が痺れ、結局はその場に崩れ落ちた。


「〔三尊通〕からの〔爆裂拳〕〔旋風脚〕コンボは初見殺しなんだがなぁ、うまく外したな!」


「だがこれでは妾の〔禁扇〕に出番は回って来ぬやもしれぬ。加減してたもれ巌流や」


アイヒシュテットは立ち上がろうとするが、生まれたての子鹿のように脚をガクガクと震えさせてしまいうまく立つ事が出来なくなっていた。重心を安定させられず、立ち上がりかけてはよたよたとその場をふらつき、どちらかの膝をついてしまう有様だ。


そして何度目か、立ち上がろうとよろよろと動き回ったその時。


アイヒシュテットは何か紙のようなものを踏んだ。


地面を見ると、足元に沢山の紙がばらまかれていた。


「〔しき〕を踏んだか」


胤舜が笑う。


玄奘の撒いたものではない。アイヒシュテットがそれをよく確認しようとした時、足元から――正確には紙に書かれた模様の中から――光るミツバチのような虫が湧きだした。


虫は次から次へと滞る事なく湧き続け、あっという間におびただしい数の虫がアイヒシュテットを取り囲んだ。


「その〔蜂雷燦ほうらいさん〕はぬしの力を奪い、主をじわじわと葬る。遊びもここまでじゃな」


アイヒシュテットを取り囲んだ虫の放つ雷が、彼の皮膚を焼いた。体中の力が抜け、両膝が地についた。


――この痺れ、この虚脱感……どこかで……。


アイヒシュテットは既視感に襲われた。金縛りとは違うこの体の自由を奪われる感覚、いや、もっと正確に例えるなら、動く意志を削ぎ取られる様な感覚。


筆舌に尽くしがたいこの奇妙な感覚をアイヒシュテットが体験したのは、恐らく初めてではない。


どこかの空で、どこかの試合で――必勝を確信した瞬間、体に走った衝撃。


フラッシュバックする刹那に見えた雷光の玉。


気を取られた刹那、アイヒシュテットはその左胸に下から上へと突き上げられる巌流の拳を受け、体を勢い良く空へ飛ばされた。


「お返しだよ! バカめ」


空中に突き上げられたアイヒシュテットは、その視界に尖鋭の影を捉えた。それは彼が気付くと同時に彼の胸元に落ち、彼の胸元を貫いた。


声にならない漏れた息が、血を伴って口から小さく溢れ出た。アイヒシュテットを貫いた影は槍の穂先――それは胤舜と名乗った死霊の得物だった。


視界の端で下を見れば、胤舜は地面に槍を深々と刺し、退屈そうにそっぽを向いている。地に潜った槍の先だけが、アイヒシュテットの胸元に現れ、彼を刺し貫いていた。


槍は落下した彼をそのまま地に縫いつけた。アイヒシュテットの肉体――を構成する筐体の皮膜データ――が、ペンキの欠片が剥がれ落ちるかのように剥離し始める。


「ふがいないのう。媛宮も認める[殻界の侵犯者デュアルペネトレーター]、どれ程のものかと思うておったが」


息を詰まらせたアイヒシュテットの筐体が、彼の意志とは関係なく小刻みな痙攣をおこす。


「もうよい。始末してくれるわ」


胤舜の手に握られた槍の穂先が回転しアイヒシュテットの胸を鎧ごとえぐる。槍を中心に渦巻き状の空気の断層が発生し、アイヒシュテットの体は無作為に切り刻まれた。


筐体を破壊された彼はそのまま光の粒子となり、やがて消滅した。





― daydream's bell - side boy I Tip.3 ―





あぁ、あれはまるで――



窓の向こうに見える真っ白な病室。


全身に器具を取り付けられた少女は、大きなカプセル型の容器に入れられていた。


その体はやせ細っていて、息をしているのかも疑わしいほどやつれていた。



彼女に会いに少年はここまで辿り着いた。


彼女に伝えたい事があって少年はここまでやって来た。



だが少女はもう、話をする事が出来ない。


長い時間、彼女を見つめ続けていた少年は、息苦しさでふと我に返る。


呼吸をする事も忘れ、いつの間にか溢れていた涙を拭う事もせずに、少年は少女に見入ってしまっていた。



何の為に自分はこの日を迎えたのか。少年の心は軋む。



少年は自己に問う。


もし彼女が目覚めたとして、自分は彼女と話しをしてもよいのか。


自分の携えてきた想いを、彼女に伝えてもよいのか。


自分という存在を、彼女の前に表しても良いのか。



彼女がどう反応するかはわからない。それは自分にとってもいい結果になるかはわからない。――いや、きっとならないのだ。



そんなことを言いに来たの?


だからそれがなに?



思いつくのはネガティブな未来。彼女のサインに気が付けなかったおのが無能への後悔。


だが過去へは帰れないのだ。


溢れた涙を腕で無理やり拭い去り、少年はもう一度しっかりと少女を見た。


そうしたらその時――本当に偶然に――彼女のその手に握られている紐のような布が目に飛び込んできた。



リボン。



“ボクがこの世からいなくなってもさ、誰もそんな事知らないまま楽しい事は巡っていくわけだよ――――”



見失うもんか。


昨日の事のように鮮明に思い出される彼女の影に、少年は心の中で呟く。


あの時俺は何て言えばいいかわからなくて黙ってしまったけれど、言うべきなのか迷ってしまったけれど、今ならそれにだって、答えられる。



“なんでプレゼントがリボンなわけ? キミは本当にセンスの欠片もないなぁ――――”




少年はあの時の、彼女の笑顔を思い出す。


そして内心で語り掛けるように呟く。



そうかな。でも確かに破天荒で、少しだけ斬新過ぎたかもしれない。



“ボク髪短いからあんまに合わないと思う。まぁ、気が向いたらつけてあげるよ。気が向いたらね――――”



少女の手に巻きつけ握られたリボンを見ながら、少年は彼女に――きっとうまくは出来ていないだろう事を自覚しつつ――微笑みかける。



この壁を超える事は出来ないけど、俺はいなくなった君をちゃんと見つけ出した。


次は君に、いや、お前に会いに行く。


そしてあの時伝えられなかった気持ちを、きちんと言葉にして伝える。


ありのままをそのまま、無理矢理にでも絶対に伝える。


そしてこう言ってやる。



――だからって手に巻くのは、王道過かっこよすぎじゃないかな。

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