④-1 ゴルディオン監獄

シホから任せると指示を受けたものの、アイヒシュテットは困惑していた。


目の前に現れた死霊は少しの油断も許されない相手。そう彼の直感が告げていた。


一見無造作に槍を携えている少女の様に見えるが、その歩幅、姿勢は、瞬時に攻撃へ移れる重心を維持している。その立ち振舞には隙がなく、アイヒシュテットは攻撃のタイミングを掴みあぐねていた。


――くっ。プレヴォーさえいれば……。


聖剣に残されている聖粒輝量では超絶技巧を発動させられない。いつもであれば麒麟からの譲渡で事足りる問題だが、相棒とは未だ繋がりが回復しておらず支援など望めそうにない。相手が死霊では直接吸引も不可能だ。


アイヒシュテットが不利を感じるのはそれだけではない。


相手の持つ得物は槍だが、彼は槍試合になる事だけは絶対に避けねばならなかった。


投擲骨槍ゲイ・ボルグ〕は投擲専用の槍である。三十もの神聖刻印を施された聖具は破格の攻撃力を誇り携帯にも優れているものの、相手の得物と物理的に打ち合えるだけの強度は無い。うっかり薙ぎ払いを受け流そうものならそれだけでも簡単に折れてしまうだろう。


何とも心許無い話ではあるが、とは言え切り札は既に切ってしまっており、あの恐るべき化け物を倒すにはこれを用いる以外に手段は無い――のだが。


――それでも、一撃で決めなければ!


あの隙の無さである。正面から仕掛けても到底当たるとは思えない。外した瞬間敗北が決まる――アイヒシュテットの額から緊張による汗が頬を伝った。


「向こうが気になるかや? 異教のともがらよ。巌流を倒したその手腕は見事であった」


アイヒシュテットを賞賛するその少女の死霊は、彼とは正反対の、余裕の笑みを浮かべていた。


「なれど武芸の方はどうなのかのう。その方、妾と腕比べと参ろうぞ。久方ぶりの趣向よ」


右手に持った異形の――実用というより祭典用に近い――槍を軽々と数度回してから、死霊はゆっくり槍を構えた。


アイヒシュテットの槍を構える手に力が入る。


彼の様子を見て、死霊は満足そうに笑みを浮かべ、高らかに名乗りを上げた。


「やぁやぁ妾こそは、蝦夷朝廷神殿槍術師範、宝蔵院胤舜なり。かしこくも我らが舞媛の勅命により、朝敵を征伐する為にここに参っ――」


――はっ!? いや――勝機!


奇跡が起こった。


奇妙な振り付けの後、身を固め喋り始めた死霊はどう見ても無防備そのものだった。


アイヒシュテットは半瞬の混乱後、胤舜の名乗りに乗じて槍を投擲した。名乗りに気を傾けた胤舜は完全に不意を付かれ、聖騎士の空気を読まない最速の投擲を躱しきれぬまま胴を槍に貫かれた。


青い稲妻が槍全体から放出され、死霊は言葉にならない悲鳴と共に宙へ弾かれた。不死族を縛る強力な青い雷光が、槍に胴を貫かれた少女をバチバチという音とともに激しく焼き縛る。そのまま地面に倒れ槍にその体を縫い付けられれば、倒しきれずとも動きを封じる事が出来るはず――だったのだが。


――ッ!? そんな!?


死霊は器用に体を動かしバランスを取り戻すと、軽やかに地面に着地した。


稲妻の衝撃で数歩よたよたと後退し、結局はその場に尻餅をついたものの、地に縫い付けるには至らなかった。


「なんということじゃ。西洋の騎士とやらは、なんという無粋――」


――いや、まだだ!


――アイヒシュテットは素早く腰に下げた道具袋から銀の短剣〔冥府返し(フラガナッハ)〕を取り出すと、それを胤舜に向かって投げた。


短剣は攻撃が終わったと油断し槍を見る胤舜の眉間に突き刺さると、青い炎を盛大に上げて燃え始めた。


「はぇ? なんじゃあ? ぐ?! ぐぬうぅぅぅ――!?」


「勝敗は決した。その短剣はお前の不死性が強いほどよく燃える。疾く成仏するがいい」


額の短剣を引き抜こうとした胤舜の両腕は炭化し、手がかかる寸前でそれは胴体から離れ崩れ落ちた。断末魔を上げているのか、しかし声帯を焼かれた喉からはか細い息の音が漏れ出るばかりだった。


体全体に炎が周り悶絶する胤舜を背にして、アイヒシュテットはシホ達の様子を見た。


――こちらは片付いたが、事態はどうなっている?


空に浮かぶ御輿から臙脂色の雲が、空の裂け目に向かって伸びていた。


先ほどまで一つしかなかった空の裂け目が今は無数に出現しており、その幾つかから逆さまになった砦のような構造物がゆっくりと降りてきていた。


ずっと続いている低い地鳴りに紛れて、〔天翔光挺プシュパカラタ〕から微かに歌が聞こえてくる。


「音符ちゃん達! 防壁展開早く! チャフまいてデコイ配置! 防壁は三重にして二枚目を反鏡防壁に! 天井にフレア散布急いで!」


シホの号令が響く。


次の瞬間、けたたましい破裂音と共に無数の火花が煙を引いて空に昇った。


「第一波来ます!」


玄奘の叫び声の後に、空に浮かぶ逆さまになった砦から複数の石の塊がシホをめがけて打ち出された。


吐き出された塊はまるで意志を持っているかのように降下する軌道を不自然に変え、地上から打ち上げられた煙の尾を引く光を追う。


空中で爆発が起き、爆音は衝撃波となってアイヒシュテットの場所まで届いた。アイヒシュテットは体を伏せて衝撃波をやり過ごしながら、その圧倒的なやり取りに度肝を抜かれた。


衝撃波が通り過ぎアイヒシュテットが顔を上げると、シホと砦の間に何層にも重なった緑色の光の円陣が複数現れているのが見えた。そこから――ごつごつした塊を吐き出す砦に向かって――火を噴き出している角ばった石や激しく燃え盛る火の槍、煙を伴った光る石などがいくつも打ち上げられている。


砦が吐き出す塊はそれらに殆どを撃ち落とされ、地に落ちる前に小規模な爆発を起こして消失した。


「干渉素子が反鏡防壁に到達したよ! 演算フォローお願い! 輻射で焼き切れそうにない場合は転送、やしろで拾えれば出力を下げられるから!」


火花に向かわなかった、もしくは撃ち漏らした砦からの投石がシホめがけて降り注ぐ。だがシホの前に瞬時に現れた半円の壁がその直撃を遮る。


石は発火し粉々に砕け散った後あちこちに逸れた。バラバラに落下していく燃える塊は、地に付く前に激しく光って燃え尽きていた。


「おんぷちゃんたち! 六聖球モード! 感覚リンク後MAIアロケーションシフト並列励起で再起動! 紋様全力展開!!」


「はいなー」

「きたこれ!」

「ていへんだー」

「なにこれぶらっく」

「さびざんふかひ」


木霊達が丸まり球体になると、シホの身につけている奇妙な装飾具に空いている隙間にそれぞれがはまり込んだ。球体が装飾具の台座に収まると、それらは銀色の光を発した。


――なんだあれは。どこから……。


次々と起こる超常現象に加えて、今この瞬間目の前で見せられている現実にアイヒシュテットの混乱は極限に達した。シホの背後の何もなかったその場所に、[舞殿]と呼ばれる日ノ本の儀式場が突如現れたからだ。


神楽舞台エグゼキュータブルファイル展開!」


シホが舞殿の中央に立ち一言発すると、その周りに無数の板状の光が浮かび上がった。シホはそれらを次々と指でなぞっていき、全てに触れた途端、彼女を中心とした縦に長い卵型の、円柱に近い光の囲いが現れた。


――幻覚ではなく……実物? 実物が瞬時に構築されたのか? そんな事――。


可能なのか。


アイヒシュテットはその疑問を飲み込む。目の前に見える舞殿は幻覚ではなく、間違いなく質量を持った本物の物質で出来ている。


見せられているのは、無から有を産み出す奇跡。


アイヒシュテットは立ち上がりながら、世道の奇跡の起源が自分達の信仰に依るソレとは根本的に違う――[神々の魔法]――と呼ばれる類のものである事を確信した。


入力祇装デバイス天宇受賣命アメノウズメ〕、奉納形式〔神酒神楽スピール〕」


彼女の周りに豆粒程の小さな星型の光が無数に現れる。それらの一つがシホの指先で軽く弾かれると、粒は別の粒にぶつかり違う粒へとぶつかるという連鎖的な衝突を始めた。


その動きが早くなっていくのと比例するように、シホの後方数メートルに現れた木造の祭壇から、蛍の淡い光に似た小さな球体状の光源が次々と産まれていく。


光源は宙に浮いたまま落ちる事無く、祭壇内をゆらゆらとたゆたっていた。


「神殿を形成。完了。ゲネラルプローベ全テーブル省略。典礼〔神座かみくら〕を発動。三、二、一――」


カウントダウンが尽きると淡い小さな光は一斉に動き出した。


一度ぶつかると赤に、二度ぶつかると青に、というように色を変え、三度ぶつかった光は色に応じた音を出し別の色に変化する。


「情報可視化技術を転用した三次元プログラミングソフトウェアです。音の有無と種類の有無、光の有無と種類の有無、主体的位置情報の有無と相対的位置情報の有無などでコードを形成し、世界の情報に干渉しているのですよ」


いつの間にか、玄奘がアイヒシュテットの横に立っていた。


彼は説明らしき何かを口にしながら、模様の書かれた紙を地面に撒いていた。


アイヒシュテットはそれを一目見て、それが何なのかを理解する。


――どうして結界符を?


それは東方に伝わる[護摩の結界]という不可侵の領域加護を設置する為の祭具だ。


過去に読んだこの国の調査資料の中にもあったが、この札と似たような物はグロックドルムにも存在する。勿論稀有な道具である事に違いはないが、アイヒシュテットは自国でも少数の導師がそれを使用しているのを見た事があった。


「少しの間アレはシホさんにお任せします。シホさん[invitees]ですから」


「イン……? それは――」


「アイヒシュテット君はシホさんが終わるまで後ろのアレを抑えてくださいね」


玄奘の言葉にアイヒシュテットは振り返る。


死霊は既に屠った。アイヒシュテットはそう思っていた。だが、目の前に信じがたい現実があった。


二体の死霊が、無傷の姿でそこに立っている。


それどころか、先程より格段に禍々しい雰囲気を漂わせこちらを、否、シホに狙いを定めていた。


「私はこれから状況を修正する為席を外します。すみませんがアイヒシュテット君。頑張ってくださいね」


「え、いや、あ……」


アイヒシュテットが玄奘に話しかけようとした瞬間、地面の札が強烈な光を放ち視界が真っ白になる。光はすぐに消えたが、目の前にいたはずの玄奘の姿も無くなってしまっていた。

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