③-3
三人は走った。
シホ達の言う
あらゆる方向から襲い来る東国の兵士[武者]は完全に生気を失っていた。体は土気色でところどころ肉が崩れ落ちており、その姿は何処から見ても亡者だった。持っている剣は錆ており、着けている武具も腐食の為半分は朽ちている。
「落ち武者の死骸って事はここやっぱり――」
「囲まれてます! 正面の敵を――」
「私が道を切り開こう!」
落ち武者と呼ばれた亡者達は動きが遅い。だが三人の行く手を遮るようにどこからともなく急に現れては迫ってくる。このままでは拉致が明かないとばかりに、アイヒシュテットは腰に下げていた聖騎士の象徴的宝具である聖剣を抜くと、聖職者の権能を発揮する際の宣誓を行った。
『〈quo vadis〉』
アイヒシュテットは
光の剣は正確に亡者達の心臓部分を貫くと、そのまま衝撃波を発生させ押しつぶし、亡者を地面に縫い付けた。
『〈iterum crucifigi〉』
それでも尚もシホ達に向かおうと蠢く亡者達に対し、アイヒシュテットは二言目の
「何それ凄いんだけど!」
「シホさん前、前!」
走りながら振り向くシホの行く手に、彼女を遮らんと新たな亡者が現れ立ち塞がった。玄奘の声でそれに気がついたシホは、腕で空を切り裂く鋭い動作で亡者に向かって何かを投げつける。
投げつけられた小さな物体は亡者の額に当たると、全く同じ速度で跳ね返りシホの手元に返った。額を丸く穿たれた亡者は、一瞬遅れて額から足先まで幾筋もの亀裂を生じさせ、一、二秒後には全身が砂と化し地に崩れ落ちた。
――――今のは!?
その様子を見て、今度はアイヒシュテットが驚く。
それは間違いなく神の加護を起源とした洗礼の類――祈るべき主神のいない世道の洗礼に神の加護が宿る矛盾は、高位聖職者であるアイヒシュテットでも説明の付かない事象であったからだ。
「このまま真っ直ぐ!」
シホはアイヒシュテットに叫んだ。叫びながら彼女は複数の小さな物体を両手で放った。
複数の物体は亡者の間を跳弾し、それらを次々と砂に化しては彼女の手元に正確に戻る。
恐るべき精度の投擲。アイヒシュテットがそう思いつつ彼女に注意を向けた時、彼は異変に気付いた。
「止まれ! シホ!」
「シホさん!」
玄奘とアイヒシュテットが同時に叫ぶ。シホの投じた物体が手に返ったのとほぼ同時に、崩れ落ちる亡者の影から人影が飛び出していた。
「っとと!」
シホもそれには気づいていたらしく、玄奘とアイヒシュテットの叫びよりも早く彼女は左横へステップしていた。
直後シホのいた場所に人影が飛び込んだ。膝蹴りの姿勢からその場に着地した影は、そのまま体を器用に捻り飛び上がった。合わせて脚を跳ね上げシホの頭を蹴ろうとしたが、シホはそれをわずかに屈んで躱す。
だが影はそれを見越していたのかすぐさまその踵を落とし、屈んだシホの頭を狙った。シホはそれを素早く察知し、猫さながらのしなやかな動きで瞬時に後ろへと飛び退く。紙一重の差で踵が目標を外れそのまま地面を打ち付けられると、鈍い衝撃音とともに地面がくぼみ、土煙が舞い上がった。
「いいぞ! 巫女のくせにやるじゃねぇか。アリだな!」
不意の一撃による
明らかな初見殺しである連絡技をシホが回避できたのは、彼女の類稀なる感と幸運によるものなのかそれとも。アイヒシュテットは素直にシホの
そしてそれは敵対者に対しても同じである。その者はアイヒシュテットから見ても恐るべき力を持つ手練れだ。しかし土煙の中に浮かび上がったシルエットは、その力の大きさに反して意外なほど小さな存在であった。
ボサボサの髪。右目に黒の眼帯。手足だけが露出した見慣れぬ民族衣装。煙が晴れて現れたその姿は、どこからどう見ても年端の行かない少年にしか見えなかった。
見た目玄奘と同じくらいの――十歳そこそこの――その子供は、恐るべき能力を披露した後、笑いながらシホを称賛した。
「アイヒ君! あれは死霊です!」
言われるまでもなくアイヒシュテットもそれには気づいている。初めこそその姿形に惑わされたが、土煙が晴れて
関節の制限がない身体の可動範囲。超人的な筋力。そして今見えている生気のない青白い蝋のような質感の肌は、代謝を不自然に制御する死霊系擬似生物に見られる大きな特徴であった。
――それでいて知能も高そうだ。恐らくかなり高位の死霊か。
相手の力量を即座に自分より格上と判断したアイヒシュテットは、迷いなく剣を〔誓いの構え〕にし、宣誓した。
『〈Libera me, Domine〉』
アイヒシュテットが
死霊がそれに気が付き空を仰ぎ見るのと同時に、そのうちの一本が死霊を狙い降下した。
「なんだぁ?」
死霊は降ってくる剣を、気だるそうに頭を掻きながら難なく回避した――その瞬間。
「ぁぇ?」
理解できない現象に死霊は声を上げた。
躱したはずの剣が、死霊の左足の甲を貫き地に刺さっている。
死霊に躱された剣は確かにそのまま地面に突き刺さった。だがその事実を改変したかのように、剣が死霊の軸足にしていた左足の甲に刺さった状態で現れたのだ。
『〈de morte aeterna in die illa tremenda Quando caeli movendi sunt et terra Dum veneris iudicare saeculum per ignem――〉』
剣は次々と死霊を目掛け降り注ぎ、その手足や胴体を貫いた――厳密には死霊は拳で剣を撃ち落とそうと、若しくは足で蹴り飛ばそうと試みていたが、その全てが寸前で、死霊の体を剣が貫いている状態にすり替えられた、というのが正しい――。
「何あれこわっ。〔
一部始終を見ていたシホが表情をやや引きつらせながら低いトーンで言う。
「いえ、あれは
シホ同様玄奘もあからさまに訝しがる。
アイヒシュテットの宣誓が終わると、十二本の剣は死霊に強烈な電撃を放出した。
青い光が溢れ、死霊が断末魔を上げその体を膨張させる。
――そのまま蒸発しろ。
神の使徒円卓の十二熾天使を示す十二本の戒めの洗礼が浄化の炎を生みだし、膨らませる。アイヒシュテットが仕上げを行おうと手に持つ聖剣を掲げその聖粒輝を解放しようとした――その時。
「――ッ!? 馬鹿な!?」
死霊に突き刺さっていた光の剣が、一斉に霧散した。
「いったいどうやって――」
「侮り過ぎて痛い目を見たな巌流。良い気味じゃ。この勝負、そちの負けじゃな」
バタリと力なく倒れた死霊から目を離し、アイヒシュテットは声のした方へ注意を向ける。
そこにいたのは、恐らく同型の死霊個体。足元まである束ねられた黒髪。朱古力色の、肩紐とベルトが一体になった腰布。白い手袋と黒のソックス。鋒鋩、刃、鎚を一組にした槍を持つ少女が、笑みを浮かべながらゆっくりと歩いてきていた。
「どうやって……何をした!」
「ふむ。其の方、何を驚く? ただの日除けのまじないぞ」
「……日除け?」
上級のアンデットは太陽の元でも活動できるというが、そういう事を言ったのではないだろうとアイヒシュテットは考える。恐らくは何らかの手段で、あの死霊は聖なる光を遮る術を行使できるのだと。
彼は己の記憶をたどりながら剣を鞘に戻し、そのまま鎧の背中に手を回して、そこに固定していた短剣ほどの長さの棒を取り外した。
純粋な不死属性が聖騎士の神聖儀式に抵抗するなど不可能。少なくとも自分は聞いたことがない。だとすると。
――アレは複合属性か。
仮説が事実なら、それは想像を絶する位階の不死族。恐らくは
切り札たる〔
であるならば、奥の手――この〔
アイヒシュテットは手にした棒を一度拗じり左右に引っ張る。棒を伸ばしてその大きさを三倍にしたあたりでカチリと音がしたので、彼は次に棒を逆側にねじった。そのことでばね仕掛けが作動したかのように棒は伸びて、その長さを更に三倍にした。同時に棒の先端から穂先が飛び出す。
聖人・ボルグの骨から作られた魔道兵装。常に聖騎士の聖粒輝を吸収し続けるこの蛇腹状の投槍は、不死族悪魔族に投げることで雷となり炸裂、霊核をも爆散させる特効を持つ。
アイヒシュテットは組み上げた槍を構えて、歩いてくる死霊の隙を窺う。
――間合いまで、あと少し……。
どのような初動であっても見逃すまい、と、彼は最大の注意を払いつつ死霊を睨みつける。
だが、死霊は突然足を止めた。ソレはアイヒシュテットを完全に無視し、ふと、空を見上げた。
そして、空に向かって恭しく一礼する。
「媛宮。この者は妾が。御身がお手を煩わせるまでもありますまい」
釣られてアイヒシュテットも視線をあげる。
そこには、小さな小屋のような何かが、浮いていた。
『〈code 《寂寥なる 固陋の 庭園》 return〉』
響いてきたのは女性の声。
発せられたのは不明の言語。
しかし澄んだ音色だ。何もわからないその言葉の響きにアイヒシュテットは決して少なくない恐怖を覚えた。
彼は気づいたのだ。自身の本能が、良くはないことが起きる前兆だと警鐘を鳴らしている事に。
「あれ、もしかして〔
術式の宣誓音――歪んだ空気を通り抜け響く音――に、空を見上げた玄奘が口を開く。
「ちょっ! やばいやばいやばいやばい!」
間を置いて、シホが大声を上げた。
シホが見上げる先――シホから見て〔
「空が――裂けている?」
シホの動揺した叫びの後、アイヒシュテットがそう漏らす。
滲んだ赤が徐々に周りへ拡散し始め、滲みの強い部分から色が徐々に灰色へと染まっていっていくその光景を形容するなら、それが一番的を射ていると彼には思えた。
アイヒシュテットは死霊への警戒を緩めないよう注意しながらも、灰色に染まった中空を視界の端に捉え続ける。
変化はほんの僅かな時間で起きた。灰色に染まった場所に黒い亀裂が走ったかと思うと、亀裂は大きく裂け広がって、そこから巨大な構造物が姿を覗かせた。
眞空断層を生み出したしわ寄せで発生した力。衝撃波は空気を震わせ風を起こし、地面に到達したと同時に大地をも震わせた。低い地響きが空間そのものを駆け抜けて、大地に立つものの心を挫き跪かせんと示威する。
「ちょっとキミ! こんなところで〔
せり出してくる巨大な何かを見て、シホは絶叫とも付かない大声を上げた。
「[
「様子が変ですよ! あの人、もしかすると[代操]かも」
「じゃあさっさと確認して! PK対処はキミの仕事でしょ! おんぷちゃん! 紋接干渉に注意! アイヒ! そっち任せたよ! 作戦変更! ここで迎撃する!」
半ばやけになった口調でシホは号令を飛ばした。
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