③-2
シホと名乗った少女はいったい何者なのか。
――キミも行くんでしょ? 双魚の社――
彼女がどこまで自分の事を知っているのかはわからない。自分の身分や目的はもしかしたら玄奘なる少年からきいているかもしれないとも思ったが、様子を見ているとどうもそんな感じではない。
彼女の態度は、例えるなら同業者のソレだ。
アイヒシュテットは自分に対する彼女の認識に奇妙なズレを感じながらも、しかしそれをあえて修正せず曖昧なままにした。彼女の話を聞く限り、彼女の目的地は自分の目的地と恐らく同じ――黒龍石のある祭壇――だとわかったので、藪をつついて蛇を出すことも無いと考えたからだ。
「大和大国の媛巫女といえば今をときめく実力派ミュージシャングループ、クリムゾンベリルの十河詩織ですよ? メインボーカルですよ! いやー凄い! この仕事やっててよかったですよ!」
そして奇妙なズレを言うならばこの少年、玄奘についてもそうだった。
彼曰くその女性――十河詩織(そごうしおり)――は、この日ノ本を代表する大和大国の媛巫女で、世道では最上位級の存在であるという。オリコン連続云々、ミリオン何とか云々、何とか賞云々勲章云々という玄奘の話の大半は、理解する事ができなかったので適当に聞き流した。
「あ、覚えてないですか? まぁしょうがないですよね、チュートリアルは短いですし。ジャクタマ軍団に運ばれてきた時にはびっくりしましたけど、あ、びっくりしたのは数的な意味でですよ? でも見ただけで私はピンときましたね。あぁ、なるほどそういうことかって。アイヒシュテット君もシホさんと一緒で特別の一人なんだなって」
アイヒシュテットはその言葉を受け、この少年と意思疎通を図るのは難しい――深く言葉の意味を考えると堂々巡りに陥りかねない――と感じ、面倒事を避けたい一心でそれ以上の確認を諦めた。
だが玄奘はアイヒシュテットの様子などお構いなしに、意識の無いアイヒシュテットを引き受けた際の事をさらっと触れた後、興奮気味な口調で【十河詩織なる謎の人物に推薦されたアイヒシュテット】の絶賛を継続する。それはまるで有名人に会えたという感動をアイヒシュテットにぶつけるような勢いで次々と堰を切ったように彼はあれやこれやと語り始め、その内に一行は目的地に辿り着いた。
◆◆
双魚の社を抜け、不死山の風穴を経由し、広い樹海を一時間程歩いて辿り着いた先は、重厚で落ち着いた輝きを放つ石材で建てられた遺跡だった。
玄奘の話では、樹海には最深部の道を開く為の[天戸の聖域]と呼ばれる遺跡が三箇所あり、それぞれ歌、踊り、
「ここでの奉納を終えれば大祭壇まで直ぐです。さぁ、行きましょう!」
――ここは……なるほど。
見覚えのある場所だった。
樹海と呼ばれたこの場所は、正しい手順を踏まなければ先へ進む事が出来ない仕掛けが施されている。その説明にアイヒシュテットは奇妙な納得感を得た。
手探りでは進めない場所。そこで長い時間をさまよった記憶。
だがはっきりとは思い出せない。確かに見た夢を思い出すことができなくなった起床後数分のような状態。
そんな気持ちを抱きつつも、アイヒシュテットは言われるがまま進む事を選ぶ。先に二人が遺跡に入ったことを確認してから、アイヒシュテットも中へと進んだ。
入ってすぐ目についたのは、ドーム状の天井と丸みを帯びた壁だ。
音の響きを計算しそうなっているのか。その場所はアイヒシュテットの祖国にある
「流石のボクでも
「詩織さんが大和大国の媛巫女じゃなかったら絶対、引きずってでもお願いしたかったところですが、アイヒシュテット君は見た所凄いデータ量をお持ちのようですし、何よりあの方の推薦という事であれば、『貴方以外にありえない!』と、期待が膨らむのは極々自然な流れなのですよ? アイヒシュテット君」
「そうだ。キミには期待しているのだよ? アイヒ君」
先に中に入ったシホと玄奘が交互におどける。その声は誰もいない劇場内に思いの
「期待に添えるかどうか……」
反響しない程度に、アイヒシュテットは苦笑を混じえつつ返す。
彼は劇場内を歩きながら、自分のミスで手順をしくじらせるような迷惑は絶対にかけられないと気負った。
次の手順にはどうやら自分の演奏技術が求められるようだ――アイヒシュテットの胸中に、正直少なくない不安が募っていく。
演奏を生業にしている身ではない。シホや玄奘の期待に答えられるかは疑問だ。
だがこの場合、本当に重要なのは集中力と意志力だ。と、彼は要点を理解していた。
うまくやれるかどうかという理屈ではなく、やるかやらないかという思い切り、決定を迫る気合こそが重要なのだ、と。
もし失敗し失望されたとしても、何とか頼み込んで機会を繋ごう。どんな高度な演奏であっても、演奏である限り不眠不休の練習で必ずやり遂げられる。命を落とすわけではない。たったそれだけの事ではないか。アイヒシュテットはそう自分に言い聞かせた。
「大丈夫! くっそ下手だったら帰ればいいだけだから! まぁそんな人をしおりちゃんが紹介するとは思えないけどねー」
見通したのかというタイミングでシホはアイヒシュテットに笑いかけた。
――全く大丈夫じゃないよ! そういうところはあいかわらず――。
絶妙なタイミングでプレッシャーをかけてくるシホに対して、アイヒシュテットは反射的に内心で呟き、ハッとした。
彼の中に唐突に湧いた既視感がシホに応えようとした笑顔を半端に阻害した為、彼の顔は半分引きつったおかしな表情になった。
「緊張していますか? アイヒシュテット君。ではこの私が、その緊張を忘れられるよう少しタメになるお話をご披露致しましょう。えー、こほんこほん。――この社が建立されたのは、今からおよそ百年前。床と外壁には磨き抜かれた御影石が使われており、その建築方法は、街づくり全般を司っている興部町の工部省、邪馬一族の門外不出の秘で――」
「あほべるちゃん? いらないいらない。そういうのいいから。ちょいちょいあほな説明を挟んでくるな、ってアイヒはうんざりしてるよ?」
「いや、私は別に……」
シホはさもアイヒシュテットの意を汲みとったかのように言う。確かに図星だが――指摘する程の事でもないとアイヒシュテットは思う。
「私そういう役割ですから。その為にいますから!」
「そういうのはおんぷちゃん達でいいんじゃないの?」
「そういうのはまだ実装してないんです!」
今の既視感は一体何だったのか。アイヒシュテットは一瞬考えたが、すぐにその考えを振り払った。
既視感なんてものは脳の錯覚に過ぎない。緊張し過ぎで脳が少々トラブルを起したのだろう。アイヒシュテットはこれから行う演奏に気持ちを集中すべく深呼吸し、軽く頭を振り正面を見据える。
建物の入り口から中央舞台に向かっては下りのスロープになっており、真っ赤な高級絨毯が敷かれていた。客席にはキルトの様な布が敷かれ、そちらの色は黒だ。
「椅子はどこに……」
「椅子は無いんだよ。御座を敷くからね」
客席を見て何気なく呟いたアイヒシュテットの声にシホは舞台上から答えた。
――いつの間に!?
アイヒシュテットは知らぬ間に先を行っていたシホに驚き、慌てて小走りで舞台へと向かう。
「
舞台の脇にある階段から急いでアイヒシュテットが舞台上に出ると、シホは目の前の何もない空間を指でなぞったりつまんだりし始めた。
「試すみたいで悪いけど――」
その奇妙な様子を観察していると、アイヒシュテットの目の前に突然、宙に浮かぶ光る羊皮紙のような物が現れる。
「っ?! これは……?」
「初見でどこまで出来るかちょっとやってみてもらっていい?」
どういう原理なのか。数枚重なったその紙にも見えるソレは、宙に浮いたままで落ちる気配がなかった。記されている文字や記号ははっきり見えるが、紙そのものはやや透けていて、掴もうとした指は何の感触もなくそれを通り抜けた。
――物質ではない、魔法の類か……譜面?
その事自体にも驚いたが、それよりもアイヒシュテットを大きく驚かせたのは、紙に記された内容だった。
書かれている文字は初めて見るものだったが、何故か不思議とアイヒシュテットにはその意味が理解出来た。記されている記号や文字がアイヒシュテットの頭の中に感覚として飛び込んできて、瞬時に旋律が頭の中を駆け巡る。
「……っ?!」
次の紙を読もうとしてアイヒシュテットはまた驚かされる。紙はアイヒシュテットが先を読みたいと思った途端、まるでそれを見越したかの様にページが独りでに捲られたのだ。
――これは――
驚きはある。謎は全くの未解決だ。けれどそれよりも彼の心をつかんだのは、その譜面に記された音の羅列であった。
ページが進むに連れ、アイヒシュテットの頭の中が音のイメージで溢れていく。
「Kanon und Gigue in D-Dur für drei Violinen und Basso Continuo」
最後まで読んで、アイヒシュテットはその楽曲の名を思い出す。名前だけを、思い出した。
「そうそれ。パッヘルベルのカノン。そのスコアに出てる主旋律をお願い」
シホはそう言うと両手に持った棒を打ち合わせ、拍子を知らせるジェスチャーをした。
アイヒシュテットは剣の鞘にくくりつけてあった袋から竜笛を取り出し、口元を舌で軽く湿らせてから構えた。
そしてシホが合図をする一瞬前に、アイヒシュテットは息を吸い込む。
僅かな一瞬の差が彼の意識をぐっと高め、景色と同化していく様な独特の感覚、極限の
第一音。
竜笛のハスキーな音色が空間を渡り行く風の様にドーム内に響き、その場に渦を巻いた。
「おおおおお、これは!」
玄奘が歓喜の声を上げる。圧倒的な充足感が玄奘を、シホを、空間を満たす。
響き渡る音の波。
留まり、跳ね、巡る音。
歌い出した竜笛は、たったの数小節で簡単に奏者の技巧の高さを証明した。
「空間の感応測定値が閾値超えてます! このまま木霊を呼び出してぶっつけ本番でも余裕でイケますよ!」
「いいね! ははっ! 流石しおりちゃん!」
玄奘の言葉を待たずして、シホは既にやる気になっていた。感動と驚きで表情は弛緩し、頬には若干赤みが差している。
「よし、このままいっちゃおう! おんぷちゃん達!」
シホに呼び出され、どこに隠れていたのかシホの服の隙間から五体の人形が飛び出した。
「〔
「あいー!」
「はいなー!」
「よばれたー!」
「きたこれ!」
「これでかつる」
彼女の一声で人形達――木霊――が一斉に踊りだした。
すると舞台のほぼ中央に立つシホを中心に、縦長の円柱状をした光の膜が宙から滲み出る様に現れる。
「
彼女の言葉に呼応して半径二メートル半程の光の膜の内側に、爪程の大きさのトゲトゲした球体状の粒が無数に浮かび上がった。
粒はそれぞれ色を持ち、それらは時間の経過とともに様々な色に変化していく。
無造作に拡散しているその粒の一つをシホが指で軽く弾くと、高く澄んだ音がした。
弾かれた粒が別の粒にぶつかるとまた同じ音がして、色の違う粒に当たると違う音色を響かせる。
「ゲネラルプローベを開始。臨界まで五十七秒。祇社への経路接続確認」
色の粒はぶつかるごとに速度を早め、光の膜に当たっては跳ね返り別の粒を弾く。色のついた粒はやがて光の尾を引いて線となり、光の筒内を飛び回った。
シホは左腰につけていた小さな袋から指先くらいの大きさの銀の玉をいくつか取り出すと、それを両手の親指以外の指の間全てに挟んだ。
「おんぷちゃん、タイミングよろしく! アイヒの
銀の玉を指に挟み込んだまま、シホは腰紐に挟んだ二本の棒を取り出して、その棒をそれぞれ両方の手に握りこむ。木霊達がカウントダウンを始めると筒内で飛び散っていた粒が、急速に数十箇所に収束して長方形の鍵盤ブロックを作った。
光琴ブロックはシホを取り囲む様に螺旋に配列され、下から上へ向かってその色を少しずつ変化させる。螺旋の鍵盤が完成すると同時に、カウントは尽きた。
シホの両手は大きく振られ、その手からは六つの銀球が飛び散った。
シホの持つ棒が、筒内を跳弾する銀球が、鍵盤を打つ、こする、押す、なぞるなどの動きでそれぞれ異なる様々な音を紡ぎだす。
シホの参加により、竜笛の演奏はにわかに楽団のそれへと早変わりした。
空間が、重厚で繊細で清らかな音色に満たされていく。
押しては引き、寄せては返す音の調和。それは世界への問いかけ――漣の様な無垢の声となって、天戸を徐々に開かせていった。
◆◆◆
やがて演奏は終わり、辺りに静寂が戻る。
周りの空気が淀み、景色がパレッドの中の混ざり合う絵の具のように歪む。
床も壁も天上も全てが立体から平面となり、それらは無造作なタペストリーとなってアイヒシュテットの目の前を覆い尽くした。
一瞬の真っ白な世界。
まばゆい光からの暗転。
暗闇から徐々に視力が戻ると、そこはアイヒシュテットが愛馬とともに訪れたあの森の景色だった。
「転移成功ですねー」
「っぽいけど、なんかおかしくない?」
驚きで頭がいっぱいのアイヒシュテットをよそに、二人は訝しげな表情であたりを見回している。うまくいったのだという達成感に包まれたアイヒシュテットとは異なる、明らかな警戒色が二人にはあった。
「あべる、マップの――見て? ……邪馬台の死霊ヶ原って何?」
「あれ……?」
突然吹いた一陣の風が激しく木々の葉を揺らした。
その音にアイヒシュテットがふと空を見上げると――そこには月色に輝く、変わった形をした
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