③-1 支流の交わり

――名前からすると男の子だな。


彼が着ている独特の綺麗な衣装にも見覚えがある。この地域の神官、宮掌くじょうの制服をやや綺羅びやかにアレンジした物だ。恐らくこの既視感は、前にこれと同じ服を着た誰かとこの少年を重ね見てしまったせいだろう。


「あ、はい。えーと、ここは、どこでしょうか」


アイヒシュテットは自分の勘違いをごまかす為強引に話を逸らした。


「ここは世道が管理する宝瓶宮と天秤宮の入り口、大黒私立アシュヴィン総合病院です。どうです? 凄いでしょう。ここは大黒一族が運営する施設の一つでもあり、我々が統括する社の入り口でもあるんです。という事はつまりですね、社の入り口は条件を満たした人しか入れない仕様になっているので、大黒一族はそれを代わりに見極めて資格付与をやってくれるんですね。我々の少ない人員をカバーしてくれているわけですよ」


早口でまくし立てる様に自分の興奮を吐露する彼を見て、アイヒシュテットは少し驚く。


何て頭の良いよく喋る子供だろう。と。


「――それでですね、ここはスタッフがほぼジャクタマで、あ、ジャクタマっていうのは私の勝手につけた名前で、貴方の肩に止まっているそれです、それ。正式名称は木霊というんですが、汎用型なのでそう呼んでいるんです。私はね。でも大黒では大門と呼ばれていてですね、英語で言うとエコーですね、呼ぶ者次第で如何様にも何処にでも現れ無数に増えるっていう。とにかく便利なスタッフなんですが、ちょっとデザインに問題があるというか、私がデザインしたわけじゃないんですけどね――」


――しかし話がノルと止まらないタイプか……。


何の話をしているのかわからなくなってきたアイヒシュテットは、内心焦りつつもとりあえず笑顔で頷いた。


ラナード邸にいたという事は多分ただのスタッフではない。であるなら外交特使として振る舞うべきなのかと彼は逡巡する。子供という見かけで彼を低く扱ってはこちらの姿勢を問われかねないが――。


「――けですよ。で、話少し戻りますがこっちの方はオウコッペといってですね。オウコッペとは現地人の言葉で、運命の支流が大きな流れに束ねられる場所という意味なんですが、上の興部町とは趣向も意味合いも色々なものが違っていてつまり別物なわけですよ。オウコッペは日ノ本には属していない自治区で翼竜種の中でも希少な三亜種の一種黒麒麟と共生する竜騎エフ民族タルアルテュールの民が暮らしている大黒一族と共存している土地でしてその面積はおよそ三百六十キロ平方メートル。住民はおおよそ四千人。基幹産業は興部町が酪農と林業でオウコッペは水産業が盛んなのですがこんな内陸でどうして水産業と思われるかもしれませんが実はここは海と――」


彼の話はアイヒシュテットの予想を上回る長さで続いた。


――何て事だ。まだ続くのか。


最初の内は不思議とこの長話も苦痛とは感じなかった。それは彼がほとんどの話を聞き流していたというのもあるが、こんなに楽しそうに熱心に話す子供を彼は見た事が無かったからだ。話の内容はともかく、この子猫に懐かれた様な気分はそう悪いものではなかった。


けれどもそれが十数分も続くとなると話が変わってくる。意味の判らない話を長時間聞かされ続けるというのは意外と苦痛なものなのだと彼はこの時初めて知った。


――これはもしかすると、まだまだ際限なく続くのか……?


まさかと思う反面、まだ話の中腹にすら届いていないのではないかという最悪の予想が徐々に彼の中で膨らみ始める。彼に対する姿勢どうこうより先にまずこの状況を何とか体良く切り上げたい所だが、しかし話を止めるにしても案内が淀み無さ過ぎて転換点を差し挟む隙がない。大人の諸事情を考えると尚更にして彼の話の腰を無理に折る事は憚られた。


「――できるのは僅かなわけです。で、竜騎エフ民族タルはそのうちの半数以上を占めますがここでは香( B L)石( T)を生産する事ができないので騎竜出来る民のほとんどは出稼ぎに出ているわけですね。香( B L)石( T)というのは竜の生体に必要なもので、そもそもこれを創造した蒼星の預言者エルクレイデスというのは――」


「おいあほべる、もうそろそろやめないか」


アイヒシュテットは後ろからかけられた声に即反応し、未来永劫続かに思われた長話をぶった切ってくれた偉人の顔を拝もうと振り返った。


アイヒシュテットが振り返った視線の先――そこには、沢山の木霊と呼ばれる人形を載せた――もしくは人形に占拠された――見覚えのある少女が、呆れ顔をして立っていた。


「あんまり時間がないんだからさっさと準備しないと。ごめんねキミ、付き合わせちゃって」


白に赤の独特な民族衣装を着た少女は、少し鼻にかかったハスキーな声で言った。


「いや、私は別に」


「そっか。ならいいけど。アイヒ……シュテットっていうのか。ふーん。ちょい長いね。アイヒでいい?」


少女の視線が自分の眼ではなく頭上を向いていたのが少し気になったが、アイヒシュテットは「ああ」と短く返した。


「うぃ。ボクはシホでいいから。ちゃんとかさんとかいらないから。さっさと行ってさっさと片付けてさっさとキリ回収したら現地解散ね。それでいいでしょ?」


「シホさん、私は今重要な話をしていて――」

「あほべるちゃんさ、ここじゃないとダメなの? 今じゃなくてもいいよね? 歩きながら話せるよね? この頭は飾りなのかい?」


「いでででわかりました! わかりましたから――あああ!」


シホと呼ばれた少女の両拳でこめかみをぐりぐりと押され玄奘が悲鳴を上げる。


「じゃ、よろしくね、アイヒ」


頭を抱えてうずくまる玄奘を放置して、彼女は笑顔でアイヒシュテットの左肩を右手で叩いた。


「え、あ、ああ。よろしく」


彼女の笑顔にアイヒシュテットは何故かどきりとした。表情がまるで変わって、思わずこちらの心が緩んでしまうような、そんな感覚に襲われた。


彼女とは状況的には初対面のはずだが、その馴れ馴れしさには憶えがあった。単に不快を感じさせない雰囲気が有るだけなのかもしれないが、遠い昔から知っているような不思議な親近感が湧いたのだ。


見覚えがあるが思い出せない。その正体が何なのかを確かめるべく、アイヒシュテットはシホを呼び止めようとした――のだが。


寸前で、どう話しかければよいのか肝心のセリフが浮かばず、彼はそのまま固まってしまう。そうこうしている内に――そのアイヒシュテットの様子を知ってか知らずか――横から玄奘が空気を読まずに彼の右手を引っ張り、ぶんぶん振りながら話しかけてきた。


「アイヒシュテット君は篠笛歴が長いんですか? 大和大国の媛巫女直々の推薦とかよっぽどですよ。あっちの世界では有名なアーティストさんだったりします?」


諌められたにも関わらず、玄奘は相変わらずのイタズラっぽい笑顔でアイヒシュテットに絡んだ。


――あっちの世界?


何を言っているのかわからずアイヒシュテットは一瞬考えたが、「あぁ。たぶん、よくわからないがそれなりに」と、有耶無耶で曖昧な返答をした。


玄奘がアイヒシュテットの竜笛の事を知っている理由は容易に想像できた。竜笛を吹いたのはこの国では一度きり、〔召奏術式〕を試したあの時だけだ。呼び出せたのは聖獣ではなくシホと名乗った彼女だったのだが、彼はその件を聞いていたのだろう。


あっちの世界というのも、彼は自分がグロックドルムから来た人間だと知っているからそのことを指しているのだろうし、竜笛の演奏について一家言あるというのは事実だ。


アーティストという単語の意味は分からないが、彼は竜笛と篠笛の区別がついていない程度の知見であるようだし、この国では演奏者の事をくくって、あーてぃすと、と、そう呼ぶのだろう。アイヒシュテットとしては、下手な謙遜は嫌味だろうと考え無難に答えたつもりでいた。


「うわーやっぱり! 今度サインください! ついでにもっと詳しくお話を――」


「おい!」


「あ、はい! すみません」


玄奘は再びシホに怒られた。


十代半ばの女性が十歳くらいの彼を叱る光景はまるで姉弟のやりとりの様に見えて、アイヒシュテットは思わず内心でクスっと笑ってしまった。


「ちょっとキミ、アイヒ」


「え! あ、いや」


そのタイミングでシホがアイヒシュテットを呼んだので、彼は必要以上に驚き思わず肩を震わせた。


「……何驚いてるの? 早く来てよ、キミも行くんでしょ? 双魚の社」


そう言ったシホの冷たい眼と呆れた視線に、アイヒシュテットは一瞬背中が奇妙にゾクッとした。そしてその感覚が嫌いじゃないと感じた自分に少し遅れて驚いた。


――なんだこれは……そんな趣味はないはずなのだが……私は、疲れているのだろうか。……そう、これは疲れ。これは疲れが溜まっているからだ。


誰にともなく自己弁護をする自分に気づかぬまま、しかしそれでも気を引き締め直す必要があることを彼は強く感じていた。

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