②-3

気が付くと、アイヒシュテットは柔らかな布地のベッドに寝かされていた。


正面には真っ白な天井。見渡すと真っ白な壁に窓が一つ。白で統一された小部屋には家具も調度品も見当たらない。


――ここは……。


アイヒシュテットはゆっくりと上体を起す。


体には痛みもけだるさも残っていない。それどころか心地の良い目覚めの後のような調子の良さを感じる。


――一体誰が、どうやって……あ。


上体を起こした時、アイヒシュテットは自分の鎧の留め具がいくつか外れている事に気がついた。


きっと寝かせるのに鎧を外そうとしてくれたのだろう。留め具を直しながら、彼はベッドから立ち上がる。


そしてそのまま、彼は窓に向かって歩いた。


窓からは長閑な日ノ本の町並みが見えた。瓦と呼ばれる屋根を持つ木造の建物が、向こうの通りに何棟も規則正しく並んでいる。こちらの建物と向こうの建物の間は百ヤード程開いていて、その間は広い通りとなっていた。


通りの中央には芝生が敷かれ、その左右を舗装された道が伸びている。芝生の中ほどには噴水が百ヤード程の等間隔で設置されており、様々な形をした噴水からは緩急をつけて水が吹き上げられていた。


その脇では小さな子が何人か遊んでいる様子と、母親とおぼしき女性達が少し離れた場所でそれを見守りつつ談笑している様子が見えた。


――ここは……。


その光景にアイヒシュテットは見覚えがあった。彼は唐突に、自分がまだ幼かった頃に訪れたとある町を思い出していた。


その町の名は――オウコッペ。オウコッペとは現地人の言葉で[運命の支流が大きな流れに束ねられる場所]という意味であったと思う。


アイヒシュテットの記憶では、オウコッペは翼竜種の中でも希少な三亜種の一種[黒麒麟]と共生する[竜騎エフ民族タル]アルテュールの民が暮らしている町だ。


その面積はおよそ三百六十キロ平方メートル。住民はおおよそ四千人。基幹産業は酪農と林業。大黒という長一族が率いる原住民に迎られたアルテュールの民が、遊牧をやめ定住し発展を遂げた歴史を持つと彼は覚えている。


オウコッペと我が国とは友好条約や通商条約などを結んで既に十年以上経っているが、オウコッペは物流と経済が内々で完結している為、我が国との貿易実績はほぼ無いに等しい。


主だった交易といえば、株分けと呼ばれる黒麒麟種の翼竜を譲りうける際、儀礼の一環として香( B L)石( T)を融通するくらいだ。


――そうだ。ここはオウコッペにそっくりだ。


しかしこれはどういう事か。アイヒシュテットの記憶は酷く曖昧だ。彼がここを訪れたのは一年もさかのぼらない割と近い過去のはずなのだが、思い出せる記憶は十歳にも満たない子供の時分、という印象がある。


幼い頃、この町の魚介類の市場で威勢のよいセリを見た。親の目を盗み、妹を連れて様々な珍しいものを見て回った。持っていた貨幣は使う事が出来なかったが、町の人間は皆気前が良く親切で、自国では食べられない色々な珍しいものを食べて回った。


懐かしさを強く感じる。だのにこの光景を見るまで、アイヒシュテットはその思い出を完全に忘れていた。


何故今、急に思い出されたのか。


オウコッペは隠れ里の地下に作られた人口の集落。地上は森に囲まれた内陸にあり海に面してはいないが、地下都市は海と繋がっているのだ。


そして地下都市には本物の太陽がない。しかし地上と変わらない明るさを維持している。その謎もアイヒシュテットはその時に聞いた。


地下都市の天上には、よく見ると木の葉を敷き詰めた鱗の様な石がびっしりと敷き詰められていて、それ自体が空の様に光っているから青空の様に見えるのだと。


加えて、太陽の様に見える大きな光は地上で集められた光を収束させたもので、地上の光量が落ちると光は地平線に沈む。


――地上は森に囲まれた内陸……オウコッペ……興部おこっぺ町――


その知識はアイヒシュテットの曖昧な幼少時の思い出が、思い過ごしや空想ではない事を裏付けた。


空を観察した彼は唐突に思い出す。


――そうだ、ここはオウコッペだ。


興部町とは、オウコッペの地上にある行政上の都市名なのか。だとすると、地下は治外法権の大黒一族が取り仕切る特別区……だが何故……この記憶は、どうして――。


アイヒシュテットの頭の中には、ここまで思い出しておきながらまだ何かを思い出せていない様な違和感がある。


彼は目を覚ましてからずっと感じているもどかしさの正体が判らず、小さな苛立ちを募らせ始めていた。


――だが私は、ここに来ているはずだ。市場には海の神として竜が祀られていた。海が繋がっているのなら、黒龍石の話も、或いは……いや待て、それ以前に、妹? 


自分に妹などいない。


それは間違いない事実であるのに、アイヒシュテットは本当にそうだったかを一瞬疑った。


混乱は漠然とした不安をかきたてた。記憶の少女は妹ではない誰かだ。では、彼女は誰なのか。


記憶の食い違いの元を辿ろうとすると、記憶の齟齬が大きくなっていく。


――ダメだな。まだ全快というわけじゃないのか。この件は後回しにしよう。


彼は目を閉じ大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。


考えたい事は色々ある。自分がどうやってここへ来たのか、そして自分はどのくらいここにいたのか。ここがアイヒシュテットの知る地下都市オウコッペなら外の様子から時間を計るのは難しい。部屋には時計も暦も見当たらない。


いやそれだけではない。一般的な立方体ではなく円筒型の造りをした珍しい間取りのこの部屋には、どこを見ても扉らしきものすらない。


――――ッ?!


アイヒシュテットが部屋を見回し思わず二度見したもの。彼は扉が隠されているのかと思い壁を調べる為動こうとして、ふと思い直し、寝台の脇に立った。ベッドの上に乱雑に置いた毛布を先に直してしまおうと思ったのだ。彼は両手で毛布を掴んで、毛布を放る動作を何度か繰り返し皴を伸ばしてそれを畳む。その後シーツのしわを伸ばし枕の位置を直そうとして――――。


「…………」

「…………」


枕の下に、小人の人形があった。


彼はソレに見つめられていることに気が付き、二度見の後その場に固まった。


精巧に作られているその人形の眼とアイヒシュテットの眼があった時、アイヒシュテットにはその人形が瞬きをした様に見えた。


「っ、え?――」


「よんだですか? それはきっとぼくのことです?」


子供の様な声をしていた。それも間の抜けた、なまりのある舌ったらずな、特徴的な音声が人形から


――なん、だと!?


「ねおきはよくないようだ」


枕から、人形がもう一体這い出て来た。


「にゅういんせいかつでいらいらしたの?」


ベッドの隙間からもう一体這い出て来た。


「きおくにふせいなせっしょくがみられます?」


カーテンの端にしがみついていた人形が話しかけてきた。


「つれてかえるのこのひと?」


「かってにやったらおこられるかも?」


「きんきゅうなときはじぶんでかんがえろっていってました?」


「いつどこでなんじなんぷんなんびょう」


「わたしきになります」


「じっちゃんのなにかけて?」


「そうだじっちゃんがいってた」


「じゃあいいかも?」


「いいのだ」


「いこう」


「だれがいく」


「だれでも?」


「ぼくらで?」


『みんなだぁ!』


なまりの混じった舌ったらずで奇妙な人形達は、一斉に駆け出し部屋の隅へ移動する。そのうちの一体が立ち止まると、振り返ってアイヒシュテットに手招きをした。


――ついて来い、と言っているのか?


行くしかない。それ以外の手掛かりは無いのだから。


アイヒシュテットはその招きに応じ人形達についていった。


小人達が集まる部屋の隅まで歩くと、彼らは互いに手を取り合い『せーの』と掛け声をかけて腕を前後に振った。


直後、金属歯車がかみ合う音がしたかと思うとアイヒシュテット達の立っている床が、ゆっくりと下がり始める。


――これは……絡繰りというやつか……。


日ノ本が誇る門外不出の技術をアイヒシュテット達は絡繰りと呼んだ。アイヒシュテット達聖職者達が用いる法術等とは違い、絡繰りは使い方さえ知っていれば誰にでも扱える運動制御技術の一つである。


一枚床は半径一ヤードの円状に分離し、重力を制御しつつゆっくりと降下を続ける。扉をつければ済む話なのに、この様な無駄な技術を惜しみなく投入する感覚は日ノ本特有のものだとアイヒシュテットは思う。


彼らは細かい事にこだわりを持ち洗練させるのが好きなのだろう。徐々に下がっていく床を見ながらアイヒシュテットはその技術の高さに感心した。


降下する床は一階への直通である様だ。窓からの景観から先ほどいた階は三階だと思われるが、二階分の距離を降りたところで広い部屋に出た。


部屋の中央には直径十尺深さ四尺程の人工池があり、その中央には水瓶を担いだ双子の女性像があった。


双子の像は天秤のオブジェを中心に向かい合い、天秤の中央部にそれぞれ手をかけていた。双子が担いでいる水瓶からは、天秤の左右それぞれの秤皿に向かって勢い良く水が吐出されている。


「ひめさまきたー」


足元にいた一体の人形が突然走りだす。と、他の人形達も一斉に走りだした。


するとどこに隠れていたのか、そのフロアの至る所から沢山の人形達が現れて、同じ方向を目指して駆けて行った。


「ひめさまだー」


「ひめきたこれー」


「これでかつる!」


その数はざっと五十体以上いると思われた。アイヒシュテットも彼らが走って行った方向へ向かう。


途中、人工池を横切ろうとした時、天秤の皿の外側で人形が一体、溺れもがいているのが見えた。


――まさか……溺れているのか?


アイヒシュテットが手を差し伸べると、ソレは懸命に泳いで彼の指にしがみついた。


手によじ登ったソレを彼はそのまま池から掬い上げると、池の縁に降ろそうとそっと腕を動かした。


「かたじけない」


だが人形は無表情のまま礼を言ったかと思うと、そこに降りずアイヒシュテットの腕を器用によじ登って肩に辿り着き、そこであぐら座りをして「はふぅ」と一息ついた。


――何なんだコイツは……。


「やぁ、気がつきましたか」


不意に後ろから声をかけられアイヒシュテットは反射的に振り返る。


そこには少年か少女かわかりにくい整った顔立ちをした子供が、人懐っこい笑顔でアイヒシュテットを見上げている姿があった。


「あっ、え、貴方は……?」


アイヒシュテットはその顔に既視感を覚えた。


つい先日会った気がする。が、よく思い出せない。


よく思い出そうとしても先程から頭の中にあるモヤのせいで、思い出そうとする集中力が妨げられてしまうのだ。


「玄奘と申します。先日歴史博物館にお越しいただいた際、おもてなしをさせていただいたスタッフの一人です。館長のラナードとの食事会の時、給仕もさせていただきました。私の事、覚えていましたか?」


その少年は十歳位に見えるが、言葉使いはしっかりとしていた。しかしやや早口な軽い口調で話す彼を見て、アイヒシュテットは既視感がやはり自分の思い違いであると思った。はっきりとは思い出せないが、それでもその人は、こんなに愛想のいい人では無かった気がする。

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