②-1 始まりの地
大樹祭とは、疫病退散を願って始まったとされる――毎年七月に行われる――興部町に伝わる祭りの事を言う。具体的には、
だがここ興部町では、長らく媛巫女が途絶えている事から代替の儀式を継続していた。
興部町での大樹際の主な流れは、まず神社で
祭りは古くから町に伝わる由緒正しきものであるが、仕切りは村単位で行われる為、様式は村ごとで少々趣が異なる。主な違いは祭壇の様式や御輿、たいまつの造り等で、その中でも
巫女は洗礼を受け祠に入り、幾つかの祭礼を済ませて神霊の名の元に
その為どの村も
アイヒシュテットはふと、情報提供者であるラナードの言葉を思い出す。
――初代の
そういえば、あの時ラナードは難しそうな顔をしていた。候補者はいるのに煮え切らないというか、歯切れの悪い言い回しだったような――アイヒシュテットは気になって、玄奘にその事を尋ねてみた。
「あぁ、あれですか。そうですね……宮司ならそういう答え方をされるでしょうね」
「では、
「さぁ。それはどうでしょうか」
玄奘は眉一つ動かさず真顔で答えた。
「? ……でも、その方は巫女なのでしょう? 難関をくぐり抜けた――」
「巫女といえどもただの巫女です。神霊樹の
アイヒシュテットの言葉を遮るように玄奘は言葉をかぶせた。
その語気は少しだけ上がっており怒りの感情の発露にも見えた。だとしたら何に対してのものなのか――それが理解できず、アイヒシュテットは言葉をつまらせる。
彼のそんな顔を見たからなのか、玄奘はほんの僅かだけ狼狽した様子を見せたが、やや視線を落とし、すぐに取り繕うような声で「その巫女は気難しい方で面倒くさがりのゴミく――……稀有な方なので、来ていただけるかどうか、判り兼ねます」と言った。
玄奘の声は小さく聞き取りにくかったが、聞き返してはいけない内容だった気がしてアイヒシュテットは寸前で口をつぐむ。うっかり口を滑らせたと言うにはあまりに滑らせすぎだった感が否めず、本当にうっかりであったのか彼には玄奘の胸の内が読めなかったのだ。
そうして、彼は沈黙を強いられる形で黙々とただ歩かされる羽目となった。
玄奘に誘われるまま向かった先は、白い綱や奇妙な形に切りだされた紙などで装飾を施された小部屋のような空間だった。
「普通の人間では渡れませんから、その馬に乗って俵環に入ってください」
「俵環とは?」
「そこの円です。その中心で待機してください」
小部屋の中は東の国の法術【結界】が施されているらしく、その触媒なのか一面に砂が敷き詰められていた。中央には藁を編んだ縄を幾重にも編んだ綱の様なものが円形に置かれており、玄奘はその中心部分を指して「そこに麒麟に騎乗した状態で待機してください」と指示した。
「この辺りでよいでしょうか?」
言われた通りアイヒシュテットは麒麟に騎乗し、俵環の中央まで麒麟の足を進める。
「結構です」
玄奘が合図すると、間もなく俵環がうっすらと光り始めた。
「これは――」
「封を解きます。そこから動いては駄目です」
途端、地面の砂一面に光り文字が浮かび上がった。
それは『
◆
にわかに訪れた落下感覚と闇は、一秒にも満たない時間で消え去った。再び彼が目を開けると、辺りは木々の生い茂るとても暗い森だった。
それから。
どのくらいの時間が過ぎただろう。アイヒシュテットはかなりの時間森を彷徨い続けた。
彼が駆る麒麟は一日千里を行く聖獣であるが、その脚を持ってしても森を抜ける事はできなかった。二千マイル以上離れたこの地にさえ数日で辿り着いたというのに、どこまで行けども彼の愛馬は、森の出口に辿り着く事ができなかったのだ。
――日ノ本にある不死の山の山麓にある迷いの森は、死霊が生者をその地底へと引きずり込む――だったかな?
アイヒシュテットは事前に読んだこの国のとある事件資料を思い出す。それは
――話半分、と、思っていたが……迷いの森か。
長い時間走り通して、アイヒシュテットは漸く馬の足を止めた。
その移動距離は、優に三千里を超えていた。
◆
国号[えみし]とは、元は魂の行き来を祀る
その
日ノ本の議会は民衆より支持を集めた民衆の代表者[議会議員]達で構成され、議会はその多数決をもって議題に対し決裁を行うという仕組みで運営されている。だが議会議員の選出は国土に比例した定数を割り振られている事から、必然的に中央に位置する五島中最大の島国[
つまりこの国は、連邦制を謳いながらも大和大国が単一で議会を牛耳り支配する、大和大国の思うがままの[形式的連邦議会制国家]であった。
それでも王政である[
官から民へ様々な独占・寡占事業が開放され自由化した事により産業は発展し、土地は開け街道は整備され、日ノ本は蝦夷の時代には考えられない程豊かな国へと変わった。
超自然的天災[神風]によりこの国はほぼ鎖国状態である為、世界のほとんどはこの国の事を地図と文献でしか知らないが、少なくとも文化水準はグロックドルムより遥かに高い。
だがそんな日ノ本にもまだ、蝦夷の時代より、今も謎に包まれた秘境が数多く点在している。
その一つが、大和大国の中央辺りに位置する不死山麓の樹海だ。
神話の時代、この地を守る神霊が天上より降臨するまで、悪魔の降臨を防ぎ続けた砲台が[不死山の火口]であったという話がある。その運用をしたのは人間ではなく、悪魔との戦いでその麓で散った人間の戦士の魂を再利用した――つまり死霊化され使役された――者達だった。
その者達は不死の神官[
悪魔に死霊をぶつける神話のセンスがこの国にある[もったいない]という精神からなのか、単に効率主義からなのかは判断がつかないが、少なくともこの部分については流し読みでいいだろうと当時のアイヒシュテットは思った。
あの時きちんと精査をしていれば、もしかするとこの苦境から抜け出せる
いや、それは結果論だ。胡散臭いお伽話を正面から分析しようなどとは予言でもない限り思うはずはないし、ましてや自分がその場所に放り込まれるなどそれこそ夢にも思わなかったのだから。アイヒシュテットは馬を歩かせたまま小さく溜息をつく。
前方は木々と闇。後方も木々と闇。
見上げれば、空を完全に覆いつくした枝葉。
その姿はまるで森の鱗だ。幾重にも絡む枝々はその葉を密に交錯させており、かたくなな姿勢で空を拒んでいる。
もうそろそろ昼の刻だというのに、木漏れ日を落とす気配はまるで無い。木々の幹と地面一帯に生えているぼんやりと青緑色に光る苔が、手元を確認出来るくらいの明かりを支えている。
麒麟の
もう何周しているのだろうか。走り抜けられない事を理解したアイヒシュテットは、うんざりしながらも慎重に森を抜ける手掛かりを探りながら馬を進めていた。
馬の歩く音以外の物音は無い。薄暗さも相まって本当に気味の悪い場所だ。
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