②-1 始まりの地

大樹祭とは、疫病退散を願って始まったとされる――毎年七月に行われる――興部町に伝わる祭りの事を言う。具体的には、媛巫女アリアドネと呼ばれる神職が、五人の導師と呼ばれる神官を引き連れて四つの神霊が宿る大樹に祈りを捧げ回る儀式の事を指す。


だがここ興部町では、長らく媛巫女が途絶えている事から代替の儀式を継続していた。



興部町での大樹際の主な流れは、まず神社でおこしたいみを白装束の青年八人がほうとうと呼ばれる御輿に移して会場まで運び、六十六尺の柱たいまつの周りを3回まわった後、忌火を4つのかがり火に分け、さらに二百本の手たいまつへと移し、柱たいまつへ火を入れる。その後男達が作った巨大な祭壇の上に、多くのこの地方の伝統的な馳走を並べ、草木の匂いがする香を焚き、その村全員で祈りを捧げる、というものだ。


祭りは古くから町に伝わる由緒正しきものであるが、仕切りは村単位で行われる為、様式は村ごとで少々趣が異なる。主な違いは祭壇の様式や御輿、たいまつの造り等で、その中でもキリがあるかないかでその格式には差が生じるという。


キリとは、高さ数メートルの巨大な灯籠をいう。背が高い直方体状で、前後に文字や絵が書かれており、中には灯り、上部には屋根飾りが付いている。普段は世道施設内のとある場所で管理されているが、祭日月になると、その年に対応した社の内の祭壇に祀られる。


キリは大樹祭に於いては特別な祭具で、祭壇に祀ることによって豊穣や無病息災などの他にも、様々な恩恵をその地域にもたらすと言われていた。また、祭壇にキリを飾れる事はこの上ない栄誉でもある。それは、取り扱える者が神霊により神威かむいを授かった者、神霊樹の巫女パロールドネに限られているからだ。


巫女は洗礼を受け祠に入り、幾つかの祭礼を済ませて神霊の名の元にキリを下賜される。そうしてもたらされたキリを祀る事は、神の公認を得たのと同義となり祭りそのものに箔がつく。


その為どの村もキリを祀りたいのだが、巫女になる為の条件は非常に厳しく、媛巫女級アリアドネクラスと言われる神霊樹の巫女パロールドネになる事はそれに輪をかけて厳しい為、需要と供給の均衡が破綻しているのが実情だ。


アイヒシュテットはふと、情報提供者であるラナードの言葉を思い出す。


――初代の媛巫女ひめみこは事故に遭ってしまってね。それからずっとこの町には媛巫女ひめみこがいないのだね。まぁ今は、候補はいるにはいるんだがね、才はともかく性格に難があるというかなんというかね、そうさね、いずれ君とも会うだろうからその時にわかるだろうね。


そういえば、あの時ラナードは難しそうな顔をしていた。候補者はいるのに煮え切らないというか、歯切れの悪い言い回しだったような――アイヒシュテットは気になって、玄奘にその事を尋ねてみた。


「あぁ、あれですか。そうですね……宮司ならそういう答え方をされるでしょうね」


「では、媛巫女ひめみこの候補者はいる、という事でいいんですよね。ならばその方は、やはり双魚の社にキリを取りに来るのですか?」


「さぁ。それはどうでしょうか」


玄奘は眉一つ動かさず真顔で答えた。


「? ……でも、その方は巫女なのでしょう? 難関をくぐり抜けた――」

「巫女といえどもただの巫女です。神霊樹の巫女パロールドネなど永遠に無理なのでは?」


アイヒシュテットの言葉を遮るように玄奘は言葉をかぶせた。


その語気は少しだけ上がっており怒りの感情の発露にも見えた。だとしたら何に対してのものなのか――それが理解できず、アイヒシュテットは言葉をつまらせる。


彼のそんな顔を見たからなのか、玄奘はほんの僅かだけ狼狽した様子を見せたが、やや視線を落とし、すぐに取り繕うような声で「その巫女は気難しい方で面倒くさがりのゴミく――……稀有な方なので、来ていただけるかどうか、判り兼ねます」と言った。


玄奘の声は小さく聞き取りにくかったが、聞き返してはいけない内容だった気がしてアイヒシュテットは寸前で口をつぐむ。うっかり口を滑らせたと言うにはあまりに滑らせすぎだった感が否めず、本当にうっかりであったのか彼には玄奘の胸の内が読めなかったのだ。


そうして、彼は沈黙を強いられる形で黙々とただ歩かされる羽目となった。


玄奘に誘われるまま向かった先は、白い綱や奇妙な形に切りだされた紙などで装飾を施された小部屋のような空間だった。


「普通の人間では渡れませんから、その馬に乗って俵環に入ってください」


「俵環とは?」


「そこの円です。その中心で待機してください」


小部屋の中は東の国の法術【結界】が施されているらしく、その触媒なのか一面に砂が敷き詰められていた。中央には藁を編んだ縄を幾重にも編んだ綱の様なものが円形に置かれており、玄奘はその中心部分を指して「そこに麒麟に騎乗した状態で待機してください」と指示した。


「この辺りでよいでしょうか?」


言われた通りアイヒシュテットは麒麟に騎乗し、俵環の中央まで麒麟の足を進める。


「結構です」


玄奘が合図すると、間もなく俵環がうっすらと光り始めた。


「これは――」

「封を解きます。そこから動いては駄目です」


途端、地面の砂一面に光り文字が浮かび上がった。


それは『緑甲紋様タイトグリフ』と言われる未解明の機構ラスタライズが働く時に現れるという象徴筆画シンボルだ。アイヒシュテットの国でも一部の高位導師しか扱えない秘術で、実物を目にするのはこれが初であった。そしてそれらに気がついた時にはもう、彼の視界は闇に閉ざされていた。







にわかに訪れた落下感覚と闇は、一秒にも満たない時間で消え去った。再び彼が目を開けると、辺りは木々の生い茂るとても暗い森だった。


それから。


どのくらいの時間が過ぎただろう。アイヒシュテットはかなりの時間森を彷徨い続けた。


彼が駆る麒麟は一日千里を行く聖獣であるが、その脚を持ってしても森を抜ける事はできなかった。二千マイル以上離れたこの地にさえ数日で辿り着いたというのに、どこまで行けども彼の愛馬は、森の出口に辿り着く事ができなかったのだ。


――日ノ本にある不死の山の山麓にある迷いの森は、死霊が生者をその地底へと引きずり込む――だったかな?


アイヒシュテットは事前に読んだこの国のとある事件資料を思い出す。それは特務局ベルディグリの諜報部が彼に届けた極秘資料の中の一片に記された古文書の一節だった。


――話半分、と、思っていたが……迷いの森か。


長い時間走り通して、アイヒシュテットは漸く馬の足を止めた。


その移動距離は、優に三千里を超えていた。





蝦夷えみしとは、日ノ本が統一国家となる前の五島を指す俗称だ。五島を俯瞰すると弓の形に似ているという地理上の理由から、他国の都合によりその文字を押し付けられ、そう呼ばれたのが始まりとされている。――が、その通説を真実とするには、若干の修正を要する。


国号[えみし]とは、元は魂の行き来を祀る愛瀰詩えみしを由来とする。[えみしのひと]とは、何者にも従わず縛られない気風を持った民を指す言葉であり、現地の人間は卑屈無き自由人という誇りをもって、それ以外の人間は秩序なき蛮族という侮蔑をもって互いに同じ名でその国を呼んだのが、より正しき始まりの逸話である様だ。


その蝦夷えみしは現在では、国号を[始まりの地]を意味する[日ノひのもと]に改め、五つの島国で構成された連邦議会制の統一国家となっている。


日ノ本の議会は民衆より支持を集めた民衆の代表者[議会議員]達で構成され、議会はその多数決をもって議題に対し決裁を行うという仕組みで運営されている。だが議会議員の選出は国土に比例した定数を割り振られている事から、必然的に中央に位置する五島中最大の島国[大和大国やまとたいこく]が過半数以上の議席を占める結果となっている。


つまりこの国は、連邦制を謳いながらも大和大国が単一で議会を牛耳り支配する、大和大国の思うがままの[形式的連邦議会制国家]であった。


それでも王政である[蝦夷朝廷えみしちょうてい]から議会制民主主義国家へと移行した日ノ本は、その特質的な国民性を活かし独自の発展を遂げる事に成功出来た優れた国であった。


官から民へ様々な独占・寡占事業が開放され自由化した事により産業は発展し、土地は開け街道は整備され、日ノ本は蝦夷の時代には考えられない程豊かな国へと変わった。


超自然的天災[神風]によりこの国はほぼ鎖国状態である為、世界のほとんどはこの国の事を地図と文献でしか知らないが、少なくとも文化水準はグロックドルムより遥かに高い。


だがそんな日ノ本にもまだ、蝦夷の時代より、今も謎に包まれた秘境が数多く点在している。


その一つが、大和大国の中央辺りに位置する不死山麓の樹海だ。


神話の時代、この地を守る神霊が天上より降臨するまで、悪魔の降臨を防ぎ続けた砲台が[不死山の火口]であったという話がある。その運用をしたのは人間ではなく、悪魔との戦いでその麓で散った人間の戦士の魂を再利用した――つまり死霊化され使役された――者達だった。


その者達は不死の神官[英霊ネメストレル]と呼ばれ、その長たる者[舞媛ジュピトリア]に率いられ、要塞兵器と共に壮絶な死者再利用戦術ゾンビアタックの末、人々と大地を守ったのだという。


悪魔に死霊をぶつける神話のセンスがこの国にある[もったいない]という精神からなのか、単に効率主義からなのかは判断がつかないが、少なくともこの部分については流し読みでいいだろうと当時のアイヒシュテットは思った。


あの時きちんと精査をしていれば、もしかするとこの苦境から抜け出せるいとぐちを見つけられたのかもしれない。


いや、それは結果論だ。胡散臭いお伽話を正面から分析しようなどとは予言でもない限り思うはずはないし、ましてや自分がその場所に放り込まれるなどそれこそ夢にも思わなかったのだから。アイヒシュテットは馬を歩かせたまま小さく溜息をつく。



前方は木々と闇。後方も木々と闇。


見上げれば、空を完全に覆いつくした枝葉。


その姿はまるで森の鱗だ。幾重にも絡む枝々はその葉を密に交錯させており、かたくなな姿勢で空を拒んでいる。


もうそろそろ昼の刻だというのに、木漏れ日を落とす気配はまるで無い。木々の幹と地面一帯に生えているぼんやりと青緑色に光る苔が、手元を確認出来るくらいの明かりを支えている。


麒麟の聖粒輝照明灯ランタンの光を合わせれば周りを見渡すのにも支障はない。ただ、絡みつく様な濃い霧のせいで湿度は高く、居心地はすこぶる悪い。どこまで進んでも同じ様な景色ばかりが続くこの道もアイヒシュテットに精神的な負荷をかけていた。


もう何周しているのだろうか。走り抜けられない事を理解したアイヒシュテットは、うんざりしながらも慎重に森を抜ける手掛かりを探りながら馬を進めていた。


馬の歩く音以外の物音は無い。薄暗さも相まって本当に気味の悪い場所だ。

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