①-2

そうしてアイヒシュテットは、歴史研究学者ラナードに誘われるがままこの古びたやしろに案内されたのだった。


「社というのはね、世道で管理している古代文明の遺跡なのだね」


遥か昔に栄えた大いなる力、科学という学問に基づいた古代文明の遺品は、今ではそのほぼ全てを世道が歴史資料として管理しているのだという。そしてラナードはここへ来る道すがら、りょうたまはその社の一つ、双魚の社の最深部の祭壇に安置されている祭具なのだと言っていた。


「準備が終わるまでこの部屋で休むといいね。茶を用意させよう。それとこの馬には――飼葉より、清水を用意させようかね」


双魚の社に入り最初に通された場所は、厩舎のような――半分は厩舎そのものだが、しかしもう半分は大理石の床に上品な椅子やテーブル、一目で上質とわかる希少な素材で作られたソファーが置かれている高級宿の装いを呈した――部屋だった。


「いえいえ、お気遣いなく。麒麟は飲食を必要としませんので」


アイヒシュテットは申し出を断ったが、ラナードは聞こえなかったのかそのまま外へ出て行ってしまった。


――まぁいいか。必要ないというだけで、あればあったで飲むだろうし。


仕方がないのでアイヒシュテットは麒麟を厩舎で休ませた後、自分も大理石の床に荷持類を起きソファーに腰掛け休息した。



そして今に至る。


ソファーはアイヒシュテットの予想を遥かに超えた座り心地の良さで、腰掛けるというよりその座面の沈み具合から、身を預けると表現したほうが適切かもしれない。


開放感と心地良さからくる睡魔が何度となく彼を襲う。その度彼は、それに流されぬ様大きく深呼吸した。そしてぼんやりと天井を見ながら、彼は小さく独り言ちた。


「こんな事してていいのかな」


答えなどわかりきっているのにアイヒシュテットは自問を繰り返し、時折眠気覚ましも兼ねて声に出した。


――それにしても、いつまで待たせるのか。


黒龍石の回収を急く気持ちが彼をじわじわと焦らせ苛立たせる。その度に、彼は自制を強く意識し心を落ち着かせる、心を無にする、眠くなる、考え事をし眠気を紛らわす、考えすぎて諸問題の懸念に追われる、という時間を繰り返した。


――遅い。あまりに遅い。


しかし自分を待たせているのは仮にもこの国の重要人物だ。待ちくたびれたからとここでそれを騒いでは鼎の軽重を問われる事になりはしないか。アイヒシュテットはそう考えてじっと堪えた。


黒龍石の回収も重要だが、国家外交とて比べるべくもなく重要だ。彼は外交政治の機微を知らぬ為、事を荒立てるのを必要以上に恐れていた。


今ここで何か問題を起した場合、自分一人で解決しなければならない。後から尻拭いをさせられたと特務局員に陰口を叩かれるくらいで済めばいいが、自分の不始末で交渉が暗礁に乗り上げるような事態にでもなったら目も当てられない。いくら今のところ交渉がうまく行っているとはいえ、こういう事は最後まで安心できない。


黒龍石を入手した後も、何人いるかわからないこの地の有力者達と交渉を進めていかなければならない。何がミスになるかわからないのだから、やり過ごせる事は極力やり過ごしたい。


これは可能な限り円滑に事を運ぶ為の努力、疎かにできない重要な任務だ。アイヒシュテットはそう自身に言い聞かせた。


今の自分は貴族位を持つ国の代表だ。一指揮官でも一司祭でもない。言うなれば領民の信頼を背負う政治家なのだ。彼は内心でそう唱え自覚を強くする。


そしてこの[のほほんとして待つ]行為は、政治の仕事の範疇である。アイヒシュテットにだって、そんな事は理屈ではわかっている――わかってはいるが、どうしても、慣れないのだ。


祖国の今を考えると、だんだん居ても立ってもいられなくなるこの気持ちの問題は、如何ともし難い。


――焦っても何も解決はしない、戦場だけが戦場ではない。


高ぶる気持ちにその都度、彼は自分に言い聞かせる。そしてこれは、自分に課せられた国家の存亡に関わる重大な役目であるとアイヒシュテットは気負う。


何故そこまで彼は神経質になっているのか。それは、彼の必達すべき結果が極めて常識外れであり、かつ絶対に失敗が許されないという難題過ぎる難題のせいであった。


祖国グロックドルムは現在厳しい戦況にある。


特に食料品や衣料品などの物資の不足は深刻だ。兵の増援はともかく、民の為の支援はとりわけ優先的に要請したい状況であった。


――どう騙すか、という話になるか。


しかしながらただひとつ、それを成すには致命的な障害があった。


それは、支援の時期だ。


新王はアイヒシュテットに命じた。


“俺は勝つまで戦争は辞めない。止めたければ日ノ本に行って支援を取り付けてこい”


アイヒシュテットは[終戦を待たない即時支援]、つまり、日ノ本を出し抜き言いくるめ、戦争に巻き込まなければならないという立場にあった。


現在のグロックドルムに支援をすれば、敵国たる中央国家群は、現在第三国である日ノ本をグロックドルムの同盟国として参戦した敵国――人道を盾に上手く立ち回ったとしても[戦争幇助国]――と認識するのは間違いない。


例え日ノ本が人道的支援のみという非戦の旗を掲げたとしても、一笑に付されるのがオチだろう。もしその様な口実を認める国々であったなら、そもそも戦争は起きていまいとアイヒシュテットは思う。


グロックドルムの要請を飲めば、非戦を謳うこの国の事、世論の反発がどれ程のものになるか計り知れない。しかしそれでも、アイヒシュテットは支援を取り付けるつもりでいる。


それは敵国が要求する終戦講和の条件が、全国民を奴隷化する為の、所謂[無条件の完全降伏]のみであるからだ。


彼らは現在グロックドルム側から戦端を開き、しかも宣戦布告をせず一方的なだまし討をしたと周辺諸国に喧伝し、侵略首謀国に対する講和条件の妥当性を主張している。


だが戦争の起点は、中央国家群の植民地拡大政策と隷属国への苛烈な搾取による民の暴動によるものだ。


中央国家群が行った地方植民地への圧政は多くの難民を産んだ。


難民となった者は、政府の名において収監され、公営奴隷として強制労働を強いられた。


自由を求め新天地を目指した者は、その国法により例外なく罪に問われ獄に繋がれた。


難民達は様々な国へ救いを求めて彷徨ったが、諸王国は彼らの受け入れを拒んだ。


この時勢だ。その判断は真っ当だろうし、難民の自由の為に中央国家群と事を構える国など無い。


だがそんな中、グロックドルムだけは彼らに門戸を開いた。


グロックドルムには難民を受け入れる歴史があった。訪れた難民は全て受け入れなければならない。それは、王家が成立した時から遵守されてきた国を興した英雄の残した遺言であった。


グロックドルムの先王も、歴史に習い独断で難民を受け入れる事を決め、民にも理解を求めた。


だが――数日後、中央国家群から難民の引き渡しを要請されると、先王はすぐにそれを了承し、要請を受け入れると表明した。


この間の抜けた笑い話にもならない無様な手のひら返しは、一体何だったのか。


この時アイヒシュテットは、教会の新司祭として難民の救済に関わってはいたものの、その急な手のひら返しについての事情は何一つ知らない。


彼が知っているのは当時の慌ただしさと、急に流れたきな臭い町での噂と、その知らせを聞いた翌日、先王が急死したという事実だけだ。



そしてその日、国は混乱を極めた。


王の崩御と共に公布された国葬延期の触れ。更に王の崩御が公布された当日に強行された異例の戴冠式。


新国王に即位した前王太子による、国民や難民達に対し行われた、[難民の救済を求めた先王が中央国家群に騙され暗殺された]という演説。


国民は怒りに沸き立った。難民も一気に流入し、数日もしないうちにグロックドルムには数えきれないほどの荒くれ者達が集まり、国は一気に混沌とした。


だが膨れ上がった混沌は何者かに導かれる様に整然と秩序だって周辺諸国に流れた。


やがて各地で、彼らは中央国家群に対し蜂起を始める。彼らはグロックドルムの後ろ盾を得たと公言し、義勇兵を気取り、中央国家群内にいる難民や奴隷の蜂起を幇助し支援した。


あまりに早い事の展開に疑問を抱いた新王の妹、先王の長女リーズは、難民達に対して対話での解決と自制を促した様だが、怒りや憎悪に駆られ暴徒と化した彼らには、それを受け入れる事が出来なかった。


難民達の暴走がもはや抑えきれないものとなった時、新王は、難民達の怒りは中央国家群による失政によるものと彼らを肯定した。自由を勝ち取る為には例え最後の一人になろうとも正義を全うすべきと唱え、煽った。


「国民よ立て! 世の悪に屈し人としての尊厳を奪われた上で、家畜の様に生かされ使役され続ける未来を憎悪せよ! 人にとってこれ以上の敗北はない。武器を取れ! そして戦え! 同胞を、家族を、愛すべき人々を、君達の手で救う事が出来るなら、例えその身に死が訪れようとも、君達戦士の魂は、この世で最も高潔なものとなるだろう!」


アイヒシュテットは、その演説に奇妙な様な違和感を得たのを覚えている。


確かに彼の言うソレは、人間にとっての真の敗北なのかもしれない。奴隷制度を容認し続ける中央国家群に膝を屈する事は、人が人として生きる権利を放棄するに等しいが、しかしアイヒシュテットはこうも思ったのだ。


果たしてそれらは、戦争を肯定する理由として足るものなのか。


しかし新王の誘いは多くの人々を暴発させ、その矛先は中央国家群との国境にある相手側の要塞へと向かい、奇しくも陥落させてしまうに至った。


新王は近隣諸国と盟約を結び、中央国家群に対してどさくさ紛れの宣戦布告を行った。奴隷制度を全廃し全ての難民を開放する事を停戦の条件と定め、グロックドルムは戦争へと突入する。


一体どうしてそんなことになってしまったのだろう。民を飢えさせる原因をなぜ国が作るのか。民を飢えさせてしまっては何の為の国なのか。本末転倒ではないか。


アイヒシュテットは戦争の早期集結を願う。それこそが、ガラではないと自覚しつつも国家権力という下駄を履くことを受け入れた理由だ。


――心労の一つや二つは必要経費だ。そんなものは後で帳尻を合わせれば良い。


全てはこの重責を果たすため。アイヒシュテットはその為に専心する。なんとしても黒龍石を回収し、交渉をまとめる。


それに根回しや汚れ仕事はグロックドルム先見調査隊諜報員ほかのスタッフが、今も進めているはずだ。一人ではない。この企画には精鋭チームで当たっている。「綺麗事を並べ馬鹿正直に説得を進めても埒が明かない」と言ったのは、他でもない彼自身であったか。それともスタッフの誰かの何気ない呟きであっただろうか。

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