Smile、smile、Happy/Dance
それは、どこまでもつづく灰色の海だった。鈍色の空と同じ色をした海を背景に、1人の少女が暗い砂浜に佇んでいる。
少女の頭部には、毛先がまるまった白いネコミミがついている。彼女のネコミミを包み込む銀髪も、毛先が丸みを帯びていた。雪のように白い肌に、肌の白さを強調する黒い喪服を少女は着ていた。
「ハル?」
壁画に描かれた少女を見つめながら、ハイはこくりと頭を傾ける。ハイはいつも美しい歌を奏でる、白ネコミミの少女に想いを馳せていた。ソウタの部屋の壁に描かれた少女は、たしかにハルに似ている。だが、ハルとは明らかに別人だ。
瞳の色が違う。
ハルは桜色がかった銀の瞳を持っている。壁画の少女は、柘榴のように透明な、赤い瞳をしていた。
穏やかな表情を湛えているハルとは対照的に、彼女は大人びた、それでいて憂いを帯びた表情をこちらに向けているのだ。
「夢に出てくる、女の子なんだ……」
ハイの背後に佇むソウタが、口を開く。後ろを振り返ると、ソウタは苦しそうな眼差しを壁画に送っていた。
「誰?」
「わからない。この島に来て、ハルと会ってから、夢にでてくるようになったんだ、この子……」
ソウタの表情は暗い。彼は辛そうに眼を伏せ、ネコミミをたらしてしまった。
ソウタの蒼い眼が、暗く澱んでいる。ぎゅっと彼は纏っているワイシャツの胸元を握り締め、唇を引き結ぶ。
「この子の夢を見てると、凄く悲しくて、ハルがこの子と重なって見えて……。でも、俺、この子のこと、全然分かんなくて……。でも、俺すこの子に悪いことした気がするんだ。あったこともない子なのに、どうしてなのかな?」
ソウタの声が震えている。ワイシャツを握りしめる彼の手も、小刻みに震えていた。ソウタが、顔をあげる。ちりんと、彼のネコミミの鈴が悲しげに鳴った。
「俺、この子に会わなきゃいけない。会って、謝んなきゃいけない気がする……」
蒼い瞳が、涙で濡れていた。ほろほろと、ソウタの瞳から涙が溢れていく。ソウタは顔を両手で覆い、床に膝をついた。
「この絵も、すごくどうしようもなくなって描いたんだ。せっかくみんなで描いた壁画も塗りつぶしちゃって……。でも、描いても全然、悲しいだけで、苦しくて……」
ソウタの啜り泣く声が、部屋に響き渡る。じっとハイは、泣き続けるソウタを見つめていた。ソウタの話を聞いて、昔教えてもらったことを思い出したのだ。
旧文明が滅びる前、この常若島にはキャットイヤーウイルスに感染した13人の子供たちが収容され、治療を受けていた。その中の1人である灰猫と呼ばれた。
少年のウイルスから、ワクチンと特効薬が作られ、人類は滅亡を免れたのだ。
ソウタも自分も、その13人の子供たちの遺伝をベースに作られたチェンジリング(取替え子)だ。クローンである自分たちは、箱庭を統括するマブが不足する人口を補うために生み出した存在だ。そして、チェンジリングの中には、オリジナルの記憶を受け継ぐ者も稀にいるという。
いや、もしかしたらソウタは――
「ソウタ……」
ソウタに呼びかける。そっとソウタは顔から両手を離し、ハイを見つめてきた。じっと涙で濡れた蒼い瞳を見据えながら、ハイはソウタに近づいていく。
ハイは小さな手で、ソウタの頬に触れる。もう片方の手でソウタのネコミミを わしゃわしゃと撫でながら、ハイは言った。
「元気が、1番……」
「ハイ?」
「ボク……ソウタがシュンとしてると、シュンとなる。すごく、悲しい……。きっと夢の子も……そう思う」
ハイは壁画へと振り返る。壁に描かれた少女は、悲しげにソウタを見つめているようだ。ソウタの夢が、彼のオリジナルである灰猫から受け継いだ記憶だとすれば、少女は白猫に違いない。
灰猫とともに島で治療を受けていた彼女は、灰猫の恋人でもあった。
そして、ソウタにとって白猫とも言える少女は――
ハイは部屋の北側に位置する窓へと顔を向ける。窓の外からは、灰色の海と、それを隔てる壁が見えた。空から降ってくる雨は、相変わらず窓硝子を煩く叩いている。
「うぅ……」
雨の音が何だか煩わしく思えて、ハイは窓にかけよっていた。
鈍色に曇った空。煩い雨音。閉塞感を覚える壁。
すべてが、鬱陶しい。憂鬱な気持ちを植え付けてくれるそれらの光景が、ソウタを苦しめているように思えた。
「ハイっ」
驚いた様子で、ソウタが声をかけてくる。ハイは、その声に反応することなく窓の前で立ち止まった。
この窓から見える、憂鬱な光景すべてを塗り替えてやりたい。その一心で、ハイは窓を思いっきり開け放っていた。
「ハイ!」
ソウタが叫ぶ。
窓を叩いていた雨が一斉にハイに襲いかかる。そんなものは気にならない。ハイは思いっきり湿った空気を吸い、大声を張り上げた。
「ハルーーーー!!」
声は反響して、小さく雨音の中へと木霊していく。
ハイの声が止むのと同時に、華麗な歌声が雨音に混じって聞こえてきた。
歌声は、澄んだ少女のものだ。鈴の音を想わせる声は、雨音と海の漣をメロディに、悲しい少年の気持ちを歌い上げる。
友達を、恋人を亡くし、孤独を嘆き悲しむ少年。
けれど、少年は独りでないと歌は告げる。
どんなに遠くに離れていても、時が経っていても、心は繋がっている。
想う気持ちは、いつまでもあなたの心にある。愛しい人の姿を思い出させてくれる。
だから、悲しまないで。
きっと、白猫も、少年が泣いていると悲しいから。
白猫は、いつでもあなたの側にいるから。
「ハル……」
ソウタが歌声の主を呼ぶ。彼は覚束無い足取りで、窓へと近づいてきていた。
ソウタに応えるように、歌声が穏やかなものになる。
大丈夫、白猫はここにいるよと、ハルは歌声で告げる。
「ハル」
窓枠に手を置き、ソウタは今にも泣きそうな顔で外の景色を眺めていた。
「ボクも、ここにいる……」
そんなソウタに、ハイは声をかける。ソウタは、驚いた様子でネコミミをたて、ハイへと顔を向けてきた。
「みんな、ちゃんといる……。ソウタを見てる……。夢の子もきっと……ソウタが悲しいと……悲しい」
ぎゅっとソウタのワイシャツを掴み、ハイはソウタを見上げる。ソウタはすっと眼を綻ばせ、ハイを抱き寄せた。
「ありがとう……ハイ」
小さく、耳元で囁かれる。彼の声は、涙でかすかに震えていた。
とくとくと、ソウタの心音が聴こえる。
その音に合せ、ハルの歌声は旋律を奏で続けている。
「ソウタっ!」
ハイは声をあげ、ソウタの両手を引っ張った。
「ハイっ!」
「踊る! ソウタ、踊る!!」
「ちょ、ハイ。ハイてば!!」
ソウタの手を握ったまま、ハイはくるくると部屋の中を回る。部屋の中で回る2人に合せ、歌声は奏でられていく。
床に溜まった水を弾く足音。回る速度があがるたびに、高鳴っていく心音。
ハイとソウタの奏でる音が、歌のメロディになっていく。
ハルが、雨の中、喜び合う灰猫たちの歌をうたう。
ソウタは、声をあげなから笑っていた。ハイも、そんなソウタを見て微笑む。
シャア、シャア、シャアと雨音がする。
ハイとソウタがくるくる回る。
ハルの歌声が、そんなハイたちを優しく包み込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます