触れ合い、暖か、蒼い瞳/猫妖精の森

楽しい輪舞曲が終わるとともにハイの心はずんっと憂鬱になった。カウンターに座るハイは、左側にある窓を眺める。窓外では相変わらず雨が降り、コンコンと雨粒が硝子を叩いていた。

 ここはソウタの家である喫茶店 猫妖精の森だ。

 びちょびちょに濡れたハイは、猫妖精の森に着くとソウタに服を脱がされ、熱いお風呂に放り込まれた。大嫌いなシャワーをソウタは頭から浴びせてきて、ハイは抵抗するためにネコミミを懸命に動かしたのだ。

 ネコミミでソウタを叩いて抵抗したけれど、ハイはスポンジで体をすみずみまで洗らわれ、着替えさせられてしまった。現在、ハイのネコミミは疲れきってへにゃりとたれさがっている最中だ。

「もう、いいかげん機嫌直してよ、ハイ」

 カウンターキッチンに佇むソウタが声をかけてくる。彼はカウンターから身を乗り出し、ハイの顔を覗き込んできた。

「うるさい……」

「いたっ」

 ぺちりとハイは着ているワイシャツの袖でソウタを叩いた。

 ハイはソウタのワイシャツ羽織っただけの状態でいる。ソウタの家に、ハイに合う服があるわけがない。仕方なく、ハイはダボダボなソウタのワイシャツを着ることになったのだ。

 同い年のソウタより小さいことを実感させられた。それが、ハイが憂鬱になっている理由の1つだ。

「もう、これあげるから機嫌直してよ……」

 ソウタがため息をつきながらカップを差し出してきた。鯖トラ柄のカップには、乳白色の液体が満たされている。ハイはカップに顔を近づけ、くんくんと香りをかぐ。甘いミルクの匂いと、花の強い香気が鼻腔を襲い、ハイはぶわっとネコミミの毛を逆立てていた。

「くちゃい……」

「フレーバーティのチャイ。ハルとチャコには、好評だったんだけど……」

 鼻を摘み、ハイは眉毛をゆがめる。ソウタは驚いた様子でネコミミをたち上げた。

「飲めない。くちゃい……」

 差し出されたカップを、ハイはソウタに突き返す。

「俺、このフレーバーティのチャイ飲んで大きくなったんだよ」

 ハイはびんとネコミミを立ち上げ、突き返したカップを自分の元へと引き戻した。

「大きく、なれる!?」

「うん、だってこのフレーバーティのチャイ、義姉さんが俺に小さい頃から飲ませてくれたものだもん。義姉さんも、そのせいで俺がデカくなったって言ってるし」

 ソウタの言葉を聞いて、ハイは大きく瞳を見開いていた。この小さな体のせいでハイは損ばかりしている。頼りない双子の姉、チャコには年下扱いされるし、ソウタと一緒にいても、可愛い弟さんねと通りすがりの人に言われる始末だ。

 これさえ飲めば、大きくなれる!!

「大きく、なる!!」

 ハイは瞳を爛々と輝かせながら、カップを高々と掲げていた。ぐいっとカップを口元にもってくる。フレーバーティのしつこい香りが、ぶわっと鼻腔に広がった。ハイは鼻を摘み、一気にカップに入ったチャイを飲み干す。

 甘ったるいミルクの味と、濃いフレーバーティの風味が口の中で炸裂する。あまりのマズさに涙をこらえながら、ハイはカップをカウンターに置いた。

「うぅ……」

 泣きそうになりながらも、ハイはソウタへと視線をやる。ハイを見守るソウタの口元は、ニヤリと笑みの形に歪んでいた。

「ありがとう、ハイ。我慢して、飲んでくれて……」

 ソウタは口元を片手で押さえながら、フフッと含み笑いをしてみせる。そんなソウタの姿を見て、ハイはネコミミの毛を膨らませていた。

 彼に騙された。

 自分にチャイを飲ませるために、ソウタは嘘をついたのだ。よりにもよって、大きくなれるという非道な嘘を。

「ソウタ……」

 上擦った声を、ハイは発していた。ショックのあまり、ネコミミがフルフルと震えてしまう。

「え、その、ハイっ」

 驚くソウタを視界に捉えながら、ハイはカウンターに登り、卓上に膝をつけていた。がしりとソウタの顔を手で掴む。ソウタを無感動な三白眼で見つめながら、ハイは彼の頬をネコミミで思いっきり叩いた。

 ぱぁんと小気味の良い音が、雨音をかき消す。

「ぐっ」

 ソウタが呻く。彼のもう片方の頬にも、ハイはネコミミを叩き込んでいた。

「ぐはっ!!」

 ぱぁんとまた小気味良い音がする。ハイのネコミミを食らったソウタはがっくりと俯き、力なく灰ネコミミをたらした。ハイがソウタの顔を離すと、彼の顔は鈍い音をたてカウンターの卓上に横たわる。

「おっきいを弄んだ……罰……」

 ハイは色のない声で、カウンターに突っ伏すソウタに言い放っていた。

「ごめん……」

 弱々しく片ネコミミをあげ、ソウタは顔をあげる。

「反省……しろ。反省……」

 ぺちぺちとハイは、ダボダボの袖でソウタの頭を叩いた。ソウタは蒼い瞳を綻ばせ、微笑んでみせる。

「よかった、いつものハイだ」

 彼の瞳に見つめられ、ぴたっとハイはソウタを叩くのをやめた。ソウタの瞳はまるで青空のように澄んでいて、見惚れてしまうほど美しい。

 くるりと窓を見つめる。建物の隙間から見える空は灰色に曇り、ハイを憂鬱にする雨粒が、煩く窓硝子を叩いているばかりだ。

「雨、やまないね……」

 ソウタが呟やいた。彼を見る。ソウタは寂しげに眼を伏せ、窓を見つめていた。

 彼の瞳は、雨雲のように憂いを帯びている。ハイはひょこっと体を起こし、ソウタの頭を抱き寄せていた。

「なぐさめる……」

 さきほどまで叩いていた頭を、よしよしと撫でてあげる。ソウタは気持ちよさそうにネコミミをたらして、くるくると喉を鳴らしてきた。

「くすぐったいよ、ハイ……」

 ソウタが小さく笑う。ハイは膝に乗せていたソウタの頭を見下ろしていた。優しい輝きを帯びた瞳が自分を見上げてくれている。ぽっと頬を赤くし、ハイはダボダボの両袖で自分の顔を覆っていた。

「うぅ……」

 ソウタに見つめられると、何だか恥ずかしい。小さく唸って、ハイは頭を左右に振っていた。

「はは、変なハイ……」

 ソウタの笑い声が心地よくネコミミに響く。伏せていたネコミミをあげて、ハイはひょこっと袖の隙間からソウタを見つめてみた。

「どうしたんだよ、ハイ」

 瞳を綻ばせ、ソウタが笑ってくれる。彼の瞳が嬉しそうに煌めいていた。ソウタの瞳を見て、ドクリとハイの心臓が高鳴る。

「うぅー!!」

 かぁっと頬が熱くなる。ハイは大きく声をあげ、ばっと袖で顔を覆い隠してしまった。

「ハイ!?」

 ソウタが声をあげる。ソウタは顔をあげ、ハイの肩に手を置いていた。

「にゃう!!」

 ハイはソウタにひしっと抱きつき、彼の胸元に顔を埋めた。

「ハイ……」

「ソウタにじって見られると……恥ずかしい……」

「えっ?」

 片ネコミミを困ったように伏せ、ハイはちらりとソウタを見上げる。ソウタは瞳をまん丸にして、ハイを見下ろしていた。

「それって、ハイ……」

 かぁっとソウタの頬が赤くなる。じっとソウタを見つめながら、ハイは口を開いていた。

「ソウタ……好き。ボク、ソウタのことが……好きだ……」

 小さな両手を彼の顔にのばす。ハイは両手でソウタの頬を包み込む。ソウタの蒼い瞳を視界に捉えながら、言葉を紡ぐ。

「ソウタのこと……好き。おっきいから……好き。ソウタの瞳も綺麗だから……好き。ハルの歌を好きなソウタも……好き」

「ハイ……」

 ソウタの声が震えている。ハイは、ふっと眼を綻ばせて微笑んでみせた。

「ボク……ソウタの笑顔が1番好き……。見てると、元気が、でる。元気なソウタが、1番……好き」

「ハイが、笑ってる……」

 ソウタがぎょっと眼を見開き、自分の顔を凝視してくる。ソウタの視線に腹が立ち、ハイは口を開いていた。

「失礼な……。ボクにも、喜怒哀楽はある。いつも……普通に、笑っている」

 ハイは口をへの字に曲げてみせた。ソウタをペチペチと袖で叩く。

「痛いっ! やめてよ、ハイ」

「うー、ボクは笑っている。いつも、笑っている……」

「だってハイの表情、分かりづらいんだもん」

「うー……」

 ハイは、ソウタの言葉を聞いて唸る。

 いつも普通に笑ったり怒ったりしているのに、みんなには無表情で何を考えているのか分からないと言われる。ハイは、そんなみんなの反応が大嫌いだ。

 自分だって、いろいろ考えて、悩んでるのに。

 今だって、ソウタの元気がないせいで、憂鬱なのに。

「でも、笑ってるハイ。俺も好きだよ」

 ふっとソウタの瞳が細くなる。彼は、嬉しそうな笑みを顔全体に浮かべていた。

 蒼空のように、澄んだ彼の瞳から目が離せない。ハイは瞳をまん丸にして、ソウタを見上げていた。

「綺麗……。ソウタ……綺麗」

 そっと彼の顔に手をのばす。ソウタは驚いたように瞳を瞬かせた。ハイの手がソウタの頬に添えられる。ソウタは瞳を煌めかせ、ハイに笑いかけてみせた。

「ありがとう。ハイ」

 ソウタの瞳が嬉しそうに煌く。まるでその様は、海に映り込む晴空のようだ。そっとソウタは頬に添えられたハイの手に、自分の手を重ね合わせていた。

「あのね、ハイ。お願いがあるんだ」

「お願い?」

 ふっと彼の瞳が陰りを帯びる。ソウタの言葉に、ハイはひょこりと片ネコミミを傾けてみせた。

「ハイに、見てもらいたいものがある……」

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