黒猫、灰猫、白猫/鯖トラmelancholic

「何なの、この惨状は……」

 買い物から返ってきたミミコは、ソウタの部屋に入るなり絶句した。部屋の床が水浸しになっていたからだ。北側にある開け放たれた窓から、雨が入り込んだせいだろう。

 ミミコは部屋へと足を踏み入れ、部屋の中央に吊るされたハンモックに視線をやる。

 ハンモックの中では、ソウタとハイが横になっていた。そっとミミコはハンモックに近づき、中を覗き込んでみた。

 2人はお互いの体を抱きしめ合い、気持ちよさげにネコミミを伏せている。2人の安らかな寝息を聴き、ミミコは黒ネコミミを伏せていた。ふっと深緑の瞳を綻ばせ、彼女は2人に語りかける。

「こんなに部屋水浸しにしちゃって、後で片付けなさいよ……」

「うぅん」

 ミミコの声に反応したのか、ソウタが小さくネコミミを動かした。ソウタに抱きしめられているハイが、ふっくらとした頬を、ソウタの胸元に擦りつける。

 ミミコはソウタのハイのネコミミを撫でていた。

 子守唄が、ミミコの黒ネコミミに届く。ちりんとネコミミの鈴を鳴らし、ミミコは顔をあげた。

 歌は子供たちの安らかな眠りを見守る、母親の心情をうたったものだった。ミミコは歌声が流れ込んでくる窓へと視線をやる。

「ありがとう、ハルちゃん」

 ミミコの言葉に応えるように、歌声は静かなメロディを奏で続ける。窓から見える空と海は、蒼くどこまでも澄み渡っていた。

「ミミコ……さん?」

 小さな声を耳にして、ミミコはハンモックへと向き直る。ハイが片ネコミミを持ち上げ、眠たそうな眼をミミコに向けていた。

「あら、ごめんね。起こしちゃった……」

 ふっとミミコは黒ネコミミを伏せ、ハイに謝る。ハイは三白眼をパッチリと開け、体を起こした。

「どうしたの?」

「ボクたちは……何?」

 ハイの言葉に、ミミコはぎょっと瞳を見開いていた。

 この子は、何を言っているんだろう。

 逡巡するミミコを無感動な眼で見つめながら、ハイは言葉を続ける。

「ソウタは……誰? 大人たちは、何を隠してるの? どうして、ソウタは……灰猫のチェンジリングなの……? どうして、ソウタはオリジナルの記憶を持ってるの……?」

「どうしたの、ハイくん。急にそんな……」

「だって、ボクはママに殺されそうになった子供だよ……。なのに、どうして大人たちは……ボクと、ソウタを引き離さないの……? ソウタは灰猫だから、ママの1番大事な子供のはずでしょ……。ソウタは、ボクたちの王様なんでしょ?」

 ハイの瞳が鋭く細められる。

「ミミコさんは……ボクにソウタを守ってほしいの? ボクがソウタを守ればいいの……? でも、ママは……それを、望まないと、思う……」

 重いハイの言葉が、ミミコのネコミミを鋭く貫いた。

 彼が例の力を持っているとしても、ここまで感づかれているとは正直驚きだった。ハイは、この世界においてソウタがどんな存在か理解している。

 自分の持っている能力が、ミミコたちの『母親』にとって危険だということも。

 誰にも、教えられていないのに。

「どこまで、分かちゃってるの?」

「たぶん、ほとんど全部……。例えば、ソウタとハルの出会い方が、不自然……。だって、ハルのママが死んですぐに、ソウタが常若島に来てる……。2人を出会わせるために仕組んだみたい……」

「どうして、ママに殺されそうになったなんて、そんなこと言うの?」

「ボクが、未熟児のまま人工子宮から出てきたから……。ボクは施設で育てられたけど、そんな子はボクしかいなかった……。ママが、ボクを殺そうとしたって考えると、辻褄があう。それに、ボクは――」

 ハイが口を閉ざす。彼はネコミミをしゅんとたらし、俯いてしまった。

「どうして私に、そんな話を?」

「王さまの耳は、ロバの耳……」

「つまり、誰かに話したくなって仕方なくなったのね……」

「それに、ミミコさんは全部知ってる……。だって、ソウタの1番側にいる人だから……。ソウタの大切な人だから……」

「ハイくんは、何が言いたいの?」

「ソウタを、いじめないで……」

 ふっとハイの視線が部屋の奥にある壁へと向けられる。壁には、灰色の空と海を背景に佇む、白ネコミミの少女が描かれていた。

 少女の赤い瞳は、思いつめたように暗い色を孕んでいる。

 まるで彼女の瞳は、何かを思いつめているハイのようだった。

「ソウタが、ソウタでなくなるのは嫌だ……。ボクは、ずっとソウタの友達でいたい……。でも、ボクがソウタの側にいるってことは……この力が、必要になるんだね……」

 ハイは纏っているワイシャツの襟元へと手をのばす。彼は首から下げている鎖を両手で持ち上げ、括りつけられているものをミミコに見せた。

 チリンと、それが音を発する。

 鎖にとりつけらえていたのは、銀色の鈴だった。

 銀の鈴音に呼応するように、ミミコの左ネコミミの鈴もかすかに音を奏でる。 ハイが首からさげている鈴は、ミミコの鈴と同じ形をしていた。

「本当に、義母さんがいってた通りなのね……」

 すっとミミコは瞳を悲しげにゆらす。ミミコはハイのネコミミを優しく撫でていた。

「お願い、ミミコさん……。ソウタを、違うモノにしないで……」

 ハイがミミコを見つめる。彼の鈴が、悲しげに音を奏でた。その音を聞いて、ミミコは瞳を歪める。ぎゅっとミミコは、ハイの小さな体を抱きしめた。

「大丈夫よ。ソウタはソウタのまま。絶対、守ってみせるから。そのために、私たちはここにいるんだから」

「ソウタ……」

 ハイがミミコの胸元に顔を埋めてきた。窓からは、ハルの優しい子守唄が流れてくる。ハイは、その音を拒むようにネコミミをぴたっと伏せていた。

 ハイの体は小刻みに震えている。その震えを止めたくて、ミミコはハイのネコミミを優しく撫でていた。

 窓外を見る。

 蒼い空の彼方に、灰色に淀んだ雨雲が見えた。風の向きからして、雨雲は常若島に上陸しそうだ。

「もう一雨、来そうね……」

 呟く。荒れ始めた海の波音が妙にうるさい。その音にかき消されるように、ハルの歌声もきれいにやんでしまった。

 ミミコは、壁画の少女に視線を向ける。

 彼女の赤い瞳は、悲しげにミミコたちを見つめていた。

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