聖夜にワルツを

聖夜にワルツを

 軽やかな三拍子が流れ、必死に足元を見ながら足を動かす。

「いち、に、さん。いち、に、わぁっ!」

「いっ!!!」


 短い悲鳴にひゅっと息を飲む。

 またやってしまった。


 そろり、と顔を見上げると眉をピクピクさせた慶一郎が口を開いた。

「鈴、お前なぁ」

「ご、ごめんなさい!!」

 勢いよく頭を下げると、ため息が上から降る。

「何回言やわかんだ。足下見るな、前を見ろ」

「う・・・・っ」

「これじゃ明日が思いやられるなぁ」

「うう・・・・・」


 そもそも、ワルツなんて3日で覚えられるものなのだろうか。

 鈴はため息をつきながら「もう一回お願いします」と慶一郎に頭を下げた。


 事の始まりは3日前、慶の親友である下柳が南雲堂を訪ねてきたことがきっかけだ。


***

「クリスマスに帝国ホテルで軍主催のパーティがあるんだ。お嬢さん、慶、修造さんも参加しないかい?」


 下柳にそう言われ、3人とも目を丸くした。

 呆気にとられる中、最初に口を開いたのは、南雲堂の店主である修造だった。

「クリスマスなんぞ店の掻き入れどきだ。オレは無理だぞ。鈴と慶一郎で行けや」

「え、お店ならわたしも手伝いますよ!」

クリスマスといえば、帝都の店はどこも賑わう。本屋の南雲堂も、例外ではないのだ。

 しかし、手伝うと言った鈴の頭を修造が優しく撫でながら言った。

「なーにいってんだ。帝国ホテルなんてそうそう入れるもんじゃねぇ。おまえは楽しんできな」

「で、でも・・・・」

「親父がそう言ってんだ。気にすることねーよ鈴」

「慶さんまで・・・・」

 それでも、と参加することを迷ってる鈴に下柳が言った。

「2人がそういってるんだ。この前の事件では怖い思いをさせてしまったし、その罪滅ぼしをさせてくれないかい?」

 悲しそうにそう言われると、鈴も困ってしまう。

 つい、「はい」と返事をしてしまったその時、下柳の表情がすぐに笑顔に変わった。

「本当かい!それならば早速準備をしなければ!ああ、ドレスや装飾品は任せてくれたまえ。お嬢さんはダンスの練習に励んでくれ。ワルツの一曲くらいは、覚えるように」

「え、ええ!?」

「ダンスは慶一郎に教えてもらえばいい。それじゃあ3日後、楽しみにしているよ」


 そう言って、下柳さんは風のように去っていった。

 口を開けたままの鈴に、修造が「おまえ、ダンスなんて踊れるのか?」と心配そうに声をかける。

 その問いに、鈴はぶんぶんと首を横に振ることしかできなかった。


****


 無理、色々無理だ。


 パーティ会場を行き交う人々は、みな華やかだ。

 自分なんかが彼らの真似してみたって、無理があるんじゃないか。


 さぁっと血の気が引いた鈴の背中を慶一郎が叩く。

「しっかりしろって」

「で、でも慶さん!?わたし変じゃないですか。変ですよね、せっかく下柳さんにドレスとか、靴を用意してもらいましたけど・・・・」

 瞳の色と同じブルーのドレスに、黒のハイヒール姿の鈴が、涙目で慶一郎を見る。

 そんな鈴に慶一郎がため息まじりに言った。

「変じゃねーからしゃんとしろ」

「う、うう・・・・」

 行き交う人を見ると、女性はみな慶一郎を見て顔を染めている。

 黒のスーツ姿の彼は、いつもの着流しと雰囲気が違って見える。

 そんな彼に鈴は思わず「慶さんは似合ってるからいいじゃないですか」と口を尖らせた。

「私、お化粧も初めてですし・・・・なんだか場違いな気がして」

 慶一郎に弱音を吐きながら、鈴は並べられた料理を手に取り、一口食べる。

「お、美味しい!」

 ほっぺたに手を当てる鈴に慶一郎が呆れたように言う。

「色気より食い気かよ」

「だ、だって美味しいですよ!ローストビーフですって!ほら、慶さんもはい!」

ローストビーフが刺さったフォークを慶一郎に向けると、声をかけられた。


「よかった、やっぱり似合ってるねお嬢さん。僕の見立て通りだ」

 そう言いながらこちらへ歩いてきたのは白のスーツ姿の下柳だ。

「今日は軍主催のパーティだが、軍関係者以外もたくさん来ているからね。気楽に楽しんでくれたまえ」

「下柳さん!ありがとうございます。こんな素敵なドレスまで・・・・」

「僕が誘ったのだからそれくらいはさせてくれ。そうだ、一曲どうだい?慶一郎と練習したのだろう?」

 そう言って下柳は部屋の奥を指さす。

 食べ物が並べられたフロアの先で、ダンスを踊っている一同が見える。

 せっかく練習したのだし、と鈴が頷こうとすると、ちょっと!と声を上げたご婦人方に囲まれた。

「下柳様とのダンスは順番待ちですのよ!」

「そうよ、あなたが踊るのならば私の後ですわ。ちなみに、20人待ちですのよ」

「にじゅ・・・・・」

 あまりの数の多さに鈴は後ずさる。

「よぉ、色男は違うねぇ」

 からかうようにそう言う慶一郎に、下柳はやれやれ、と肩を竦めた。

「お嬢さん、僕の代わりに慶一郎と踊ってきなさい。それでは、良いクリスマスを」


****


 わん、つー、すりー。わん、つー、すりー


 小声でそう言いながら、ダンスフロアでステップを踏む。

 手袋をつけた両手はがっしりと慶一郎に支えられ、練習の成果も少しあり、辛うじて踊れている。

 周りを見る余裕も出てきた鈴はふと呟いた。

「なんだか、夢みたい」

「夢?」

 足を動かしながら、鈴は慶一郎に笑いかける。

「こんなに眩しいと、全部夢みたい。明日になったら私はまた声が出せなくなってて、慶さんはいなくなっちゃう、なんてことはないですよね?」

 不安げに瞳が揺れる鈴を、慶一郎が引き寄せる。

「けい、さん?」

「馬鹿言ってんじゃねーよ」

「え、ひゃあ・・・・!」

 そのまま体を持ち上げられ、足がつかない。

 慶一郎の首に抱きつくような体勢になりながら鈴は叫ぶ。

「け、慶さん!いきなりどうしたんですか」

「そっから目ぇ開いてよーく見てみろ」

 そう言われ、周りを見渡す。

 踊らなくなった私達を怪訝な顔で見てる人たち。

 遠くでご婦人方と談笑している下柳が、私たちを笑いながら手を振っている。

「は、恥ずかしいです・・・・。みんな見てます」

 赤くなった顔を慶一郎の首に埋めると、彼がははっと笑う。

「残念だったな、夢じゃねーよ。俺たちが今、ダンスを放棄したのは、ここにいる奴らの記憶に残る。だから安心しろ」


 夢じゃねーからさ、とようやく体を降ろされ鈴は目を開く。

 それからもう一度、と慶一郎の手を取りにっこり笑った。

「慶さん、もう一度踊りましょう」


こんな素敵なクリスマスを、まだ彼と一緒に味わっていたくて。

流れる音楽に、鈴は再び身をまかせた。

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帝都幻灯カレイド  靺月梢 @kokko

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