エピローグ そしてまた、季節は巡る
「鈴、今日授業が終わったら学校の正門で待ってろ」
慶さんからそう伝えられたのは、修三さんと三人で朝食を取っている時だった。
どういうことですか?と尋ねても、いいから待ってろとしか返されない。
私は追及する事を諦め、彼の言葉に頷いた。
身体に吹きつける風が冷たい。
故郷の冬に比べればまだ我慢できるが、それでも寒いものは寒い。
指示通り正門前で手袋をすり合わせていると、慶さんが現れた。
「待たせたか?」
「え、ええ?」
間の抜けた声が漏れ、彼から目が離せなくなる。
見たことのない茶色のスーツに身を包んだ慶さんがそこにいたのだ。
驚くほどそれが似合っている彼をじっと見ていると、慶さんはからかうように口元を歪ませた。
「なに、見とれてんの?」
「違いますよ!」
もう、と頬を膨らませると慶さんに笑われる。
「そんな顔すんなって。時間もねぇし行くぞ」
「あ、玄さんの八百屋さんに買い出しですか?」
思い浮かんだことをそのまま伝えると、慶さんが呆れたようにため息を吐いた。
「・・・・・ほんっとお前色気がねぇな」
「えぇ・・・・・?」
そんな事を言われても。抗議をするが、彼は構わず私の手を引き歩き出した。
慶さんに連れられ辿りついたのは意外な場所だった。
「ええと、慶さん?」
右を見ても、左を見ても眩しい。
自分が場違いな場所にいるような気がしてならない。
「さ、どれがいい?」
「ど、どれがいいって・・・・・いきなりどうしたんですか?私宝石の事や、こんなに高い洋服の事なんてわかりませんよ」
目の前にはたくさんの宝石や洋服が並んでいた。
ちらりと洋服の値段を見て、すぐ商品を元に戻す。
これ一枚で、一週間お肉料理が食べられる。
人々の流行を担っている百貨店というのは、なんというかとても敷居が高かった。
初めて足を踏み入れ、うろたえる私とは反対に、慶さんは慣れたように商品を物色し始める。
「前に着てたやつは派手すぎるからなぁ、もっと落ち着いたものを持ったって良いんじゃねぇの?」
これとか、と一枚のドレスが私の前に広げられる。
淡い黄色の、ふわふわとしたドレス。
これならちょっとしたパーティーでも着ていくことができそうだ。
「可愛い・・・・・」
「これにするか?」
慶さんが店員さんを呼び、ドレスの会計を始めるので私は慌てて彼を止めた。
「ちょっと待ってください。すみませんもう少し考えます!」
店員さんは訝しげな顔をしていたが、なんとか会計を阻止できた。
「・・・・・どういうつもりですか慶さん」
「何が?」
懲りずに洋服を物色してる慶さんの腕を掴む。
「なんで私を突然ここに連れて来たんですか?」
あんまりに自由な彼をじっと睨むと、慶さんは大げさに息を吐いた。
「お前今日が何の日か覚えてないわけ?」
「今日・・・・・?」
「お前が初めて帝都に来た日だろ」
慶さんの言葉にはっと気づく。
そうだ。一年前の今日、私は一人で帝都にきたのだ。
「親父が記念だからお前に贈り物でもしろってさ。金はたんまりあるし、遠慮せずに好きなもん選べ」
修三さんの気遣いはとても嬉しいが、私は首を横に振った。
「気持ちだけ、いただく事にします」
「なんだよ、貰っとけばいいじゃねぇか」
「南雲堂で暮らせることが、私にとって一番幸せな事ですから。これ以上望んだら、きっと罰が当たっちゃいますよ」
外に出ると冷たい風が吹き荒れていた。
「鈴、待った」
南雲堂に帰る道を歩き出すと、慶さんに呼び止められる
「はい?」。
「せっかくの記念日だ。何もないのも味気ない。だから一つだけ、俺がお前の我儘を聞いてやる」
「え、我儘?」
「ああ、俺が聞ける範囲でならな」
口をぽかんと開いている間に、慶さんは話を進めてしまう。
「十秒以内に言えよ。いち、に、さん・・・・・」
「慶さん!」
十、と彼が言い終わる直前、私はずっと言えなかった言葉を口にした。
今ならきっと、慶さんは私の希望を聞いてくれるような気がしたのだ。
銀座の街を抜け、林道が続く道を二人で歩く。
草で覆われた道を抜けると、彼女が眠る場所があった。
「・・・・・はじめまして」
「南雲家」と書かれた墓石の前に、私はお花を添える。
慶さんと一緒に水を撒き、軽く掃除をした後、お線香に火を点けた。
目を閉じ、両手を合わす。
私は改めて、南雲家にお世話になっていることを眠っている椿さんに伝えた。
そしてこれから彼に伝える事を、先に報告させてもらった。
「ここに行きたいって言いだすとは想定外だった」
「実はずっと、椿さんに会いたかったんです」
「生きてる間に合わせてやりたかったよ」
やりきれないような彼に、私は言葉を飲み込む。
慶さんと修三さんが亡くした人は、あまりにも大きな存在だったのだ。
だから私は知っている事を、きちんと伝えなければいけない
『慶にぃちゃん、お父さん。ごめんね、先に行く』
「鈴・・・・・?」
「これが、椿さんの最期の言葉です」
私が視た記憶の中で、彼女が最後に語った言葉。
彼女の口の形を繰り返し思い出しながら、やっとわかった言葉。
息を呑んだ後、慶さんは確認するように言った。
「笑ってたんだよな、あいつ」
「はい。最期まで気丈に、笑っていました」
強い風が吹いた。
その瞬間椿の香りを感じ、私達は顔を見合わせる。
「椿・・・・・」
彼の右手が手袋越しの掌に触れる。
静かな沈黙が続き、それを破ったのは慶さんだった。
「お前がここにいてよかった」
その力強い声に、目頭が熱くなる。
たくさんの想いを込めて、私は彼に微笑んだ。
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