最終話 封印
「バカな、こんなはずが……」
「言うことが違うでしょ」
「……ありません。俺の、負けだ」
桂太がそういった瞬間、彼の側の兵士たちは一斉に光を失って消え去った。文字通り汗が飛び散る熱戦だったけれど、どうにか逆転することができた。
「ねえライム、早くあの太陽を消して涼しくしてよ」
「火の方は、よいしょっと。これで消えたけどこの暑さの方は私にはちょっと難しいな。ラクテア、あれを頼む」
「わかりましたライム様」
ラクテアはそう言うと、暗黒星を消し去ると、代わりに白い渦のようなものを作り出した。そこから涼しい空気が部屋中に行き渡る。
「はあ、生き返るみたい。どういう魔法を使ったの?」
「この穴はまっすぐ上空とつながっていて、そこから空気を持ってきてるのよ。フレイアの街は夏暑いから、たまにこうやって屋敷を冷やしてるの」
涼しくなったところでわたしたちは盤上に降りた。桂太たちも降りてきて、将棋盤でいうと5五のマスのあたりに全員集まった。
桂太とプリムは肩を落として見るからにがっかりしていて、わたしたちと目を合わせようともしない。
「伯爵、約束どおり、封印の鍵を渡してもらおうか」
先に口を開いたのはライムだった。その言葉に伯爵は案外素直に、
「わたしたちの負けだ。これは君たちに渡そう」
と、4つの鍵を差し出した。
「積年の野望が絶たれたというのに、随分と物分りがいいな」
「ふっ、たとえ私みずからが魔棋を操っていたとしても、貴殿らには勝てなかっただろう。貴殿らが屋敷に来た時から半分負けを覚悟していた。私も貴族として見苦しい真似はしない。さあ、それを使って封印をやり直し給え」
鍵を受け取ったライムは魔導師ドーキンが封印されている墓標の前まで進み、ちょうど目の高さにあるくぼみにひとつずつ封印の鍵を差し込んでいった。
「ねえラクテア、あの封印の鍵ってどういうものなの?」
「あれは各系統ごとの魔法の力を溜めた容器みたいなものなの。無限回廊の奥底の守護魔導師しか入れない場所に魔力の源泉があって、4年間かけてそこで魔力を充填するんだって」
「でも魔力の系統って全部で7種類でしょ。残りの一本はなんなの?」
「7人の守護魔導師のほかに評議会推薦の魔導師がいたでしょ」
「あ、2回戦であたった」
「そうそう。あの人が持っていた鍵はこの王都に住む人達の生命エネルギーを込めたものなんだって」
「え、なにそれ怖い」
「城門をくぐるたびにちょっとずつ吸われるだけだから、直ちに健康に被害はないって」
「じゃあわたしの生命エネルギーも封印に使われるんだ」
「ちょびっとだけね」
そのうちに準備は済んだようだ。墓標から少し離れたところに立ったライムは、高らかに声を上げた。
「獄炎の魔導師ライム・フットゥーロの名のもとにおいて、封印の儀を執り行う。この世のすべてを構成する八つの力を使い、封印を力を取り戻せ。再封印!」
次の瞬間、美しく輝いていた8つの鍵はどれも色あせ、墓標に刻まれた文字は激しく輝きだし、
そして点滅し、消えてしまった。
次の瞬間、墓標を縛り付けていた鎖が粉々に砕け散った。
「これはどういうことだ!」
ライムが絶叫した。
墓標からは禍々しい黒い煙が立ち上り、そしてそれは一人の人間の姿に集まり始めた。
青ざめるライムを見下ろして、ドラッケン伯爵は高らかに笑い声を上げた。
「愚か者め。封印はすでに使い物にならなくなっていたのだ」
「なに!?」
伯爵は懐から小さく折りたたまれた紙を取り出した。
「封印の書から抜き取っていたのだよ。大魔導師ドーキンの封印は400年で破れるということが書かれた部分をな。封印の鎖にはすでにほころびかけていた。貴様が行った再封印の儀式は、それにとどめを刺しただけだったのだよ」
そして伯爵は黒い煙の塊に向かって
「さあ古の大魔導師ドーキンよ、わたしの体に宿るが良い」
と言って呪文を唱え始め、自分の体の周りに魔法陣を作り出した。墓標から立ち上る黒い煙が、伯爵に向かって吸い込まれていく。
隣にいたラクテアが伯爵を指差して叫ぶ。
「カオルコ、あの魔法は打ち消しできないの?」
「ダメだわラクテア。こちらに敵意がある魔法じゃないと取り消しできないみたい」
「じゃあわたしが!」
ラクテアが呪文を唱えると彼女の周りに光り輝く星々が出現し、それらは一斉に伯爵に向かって撃ちだされた。
だけど星の弾丸は、黒い煙に触れると輝きを失って消えてしまう。
「魔法など無駄だ。この力はすべての魔法の根源となるもの。この力を手に入れ、私がこの世界の支配者となるのだ」
伯爵は黒い煙に包まれながら高笑いを上げた。
だが突然苦しそうに呼吸をはじめ、別人のようにしゃがれた声で話し始めた。
「世界の支配者だと、つまらん、つまらん」
「なんだ、誰だ貴様!」
「誰だとは失礼な。お前が儂を目覚めさせたのだろう」
伯爵の体の中にはまるで2つの人格が入っているようだ。主導権を競いあうように交互に話しをしている。
「貴様、ドーキンだと! なぜ意識が残っている? 封印の書には、400年の間に大魔導師の肉体はおろか精神まで滅び、純粋な魔力だけの存在になっていると書かれていたのに」
「決まっておろう。将棋よ、将棋。頭さえ動けばいくらでも指せる。常人であれば退屈で心まで死んでおっただろうが、おかげで新しい戦法をいくつも生み出したわ。」
「「将棋!?」」
その言葉に、わたしと桂太は同時に反応した。
「ほう、お前たちが儂の研究相手か。まだ若いようだが、腕前は確かなのか?」
伯爵の体を乗っ取ったドーキンが、わたしたちに話しかけてきた。
「どういうことなの? 研究相手って」
「そもそも儂がお主らを呼び寄せたのじゃよ。封印が浅くなってきた頃から、こちらの世界と波長が近い者に働きかけて、儂を迎えに来るよう画策しておったのじゃ。もうそろそろ頭のなかで研究を続けるのも飽きてきたからのう」
その言葉を言い終えるやいなや、再び伯爵の声に戻った。
「待て、私はそんなことのために貴様の封印を解いたのではない!」
だがそこまで言うと伯爵はうめき声を上げ、喉元をかきむってガクリと頭を垂れた。
しばらくして顔を上げると、中年にしては健康的でハリがあった伯爵の面影は失われ、まるで精気をすべて吸い取られた後のようにしわくちゃで干からびていた。
「さあ邪魔者は消えた。楽しもうじゃないか若者たちよ。そちらの少年とお嬢さん、どちらが強いのかね」
こいつがわたしたちを呼び寄せたんですって!?
一体どんな力を持っているというのか。でも、ひるんでいる場合じゃない。
「わたしです」
そう言って、わたしは一歩前に踏み出した。
「香子、ダメだ。オレにやらせてくれ」
「いいえ桂太。わたしが勝ったのよ。挑戦者になるのはわたし」
「はっはっは。威勢がいいなお嬢さん。では早速はじめようではないか」
「待って。その前に、わたしが勝ったらどうなるか教えて」
「お嬢さんがわたしに勝てたら? その場合は再び封印でもなんでもするがいい。400年かけて考えた成果が無駄だとわかったら、また400年かけて研究するまでよ」
「じゃあ、わたしが負けたらどうなるの」
「その場合は大したことはない。儂に勝ち越すまで勝負を続ければ良い」
「え、それだけでいいの?」
「何年でも何十年でも、死ぬか精神が崩壊するまで続くことになるがの」
そう言って伯爵は、いや、大魔導師ドーキンは不吉に笑った。
「魔棋みたいな大げさなものはいらんだろう。これで十分じゃ」
そう言ってドーキンが右腕を大きく振ると、あたりは畳が敷かれた和室へと一変した。
「こ、これってどういうこと? ドーキンさん、あなたもしかして、わたしたちと同じ世界から来た人なの」
「もちろんそうじゃ。儂の名は沼田道金。お主らが住んでいる国からこの世界に来たんじゃよ。儂の名前に聞き覚えはないか?」
「う~ん。一番古い将棋指しといえば大橋宗桂と、あとは本因坊算砂も将棋が強かったんじゃなかったかしら」
「宗桂! その名前が後世に伝わっていて、儂の名前が残っていないとは残念至極。奴はもともと宗金と名乗っていてな、どちらが金さばきが上手なのか七番勝負をしたこともあったのだぞ。死闘の果てに儂が勝って奴が改名することになったのだが、あの戦いが伝わっていないとは残念じゃ」
そう言ってため息をついた道金の表情はひどくさみしげで、もしかしたらこの人って言われているほど悪くない人なんじゃないかと、ほんのり同情した。
それからわたしと道金さんは盤を挟んで向かい側に座り、桂太はわたしの横に、残りの三人もそれぞれわたしたちの周りに座った。
ライム達こちらの世界の人達は畳に慣れていない上に正座をしたことがないので座りにくそうにしている。
「お嬢さんが先手でいいぞ」
「わかりました」
駒を並べ終え、わたしは
「よろしくお願いします」
と頭を下げ、7六歩と角道を開けた。
それを見て道金さんは、
「ホッホッホ。400年たっても定跡は変わらぬようじゃな」
と嬉しそうにしている。それから3四歩と、同じように角道を開けた。
この雰囲気なら話しかけても大丈夫そうかな。
「私たちは道金さんに呼び寄せられたということだったんですが、道金さんはどうやってこの世界に来ることができたんですか」
そう言ってわたしは2六歩と、飛車先を突いてみた。
こちらの居飛車宣言に対する道金さんの次の一手は4四歩。角道を塞いで、これは振飛車かな?
「そうじゃのう。あれは織田弾正忠が、将棋指南役を募集しておった時のことじゃ」
「おだだんじょうのじょう?」
「織田信長のことだよ」
と、隣の桂太が助け舟を出してくれた。
「初日は儂の得意の四間飛車で連勝連勝また連勝。見事予選を1位で通過した儂は翌日の決勝戦も余裕じゃろうと気が緩んでな、ちょっとばかし酒を飲み過ぎてしまったんじゃ。千鳥足で宿に帰ろうとしているところを何者かに突き落とされて、堀へと真っ逆さまじゃ。きっと翌日の戦いを恐れた誰かが、儂を殺そうとしたのじゃろう」
「そんな!」
「苦しみながらも、こんなところで死ぬわけには行かぬ、儂は天下の将棋指南役になるんじゃ、ともがいているうちに、気がついたらこの世界におったのじゃ」
「大変な目にあったんですね」
そう言いながら銀を4八に上げると、道金さんは銀を3二にあげた。これはちょっと見ない手だ。現代的な感覚だと4二に上げて、中央に備えておくものじゃないかな。この後さらに銀が上がるなら結果は同じなんだけど、こういうところが昔の将棋なのかな、と思った。
「ではどうしてドーキン殿は、封印されるようなことになられたのですか?」
今度はライムが口を開いた。
「それは儂の自業自得でな。この世界の理がすべて将棋で出来ていると知った儂は贅沢の限りを尽くし、この国中の美女を集めて飲めや歌えやの大宴会。気に入らぬ魔法使いどもを追放し、好き放題にしておったのじゃ」
「えー」
わたしの中にここまで湧き上がっていた同情心が一気に消え失せた。
「まさに天国のような暮らしに浮かれていたせいじゃな。魔法使いどもの陰謀に気づかず、まんまと封印されてしまったというわけよ」
「じゃあ道金さんは封印が解けて、これからどうするつもりなんですか?」
「まあ、しばらくはお嬢さんが儂の暇つぶしの相手になってくれるじゃろう。その後は久しぶりに酒池肉林としゃれこもうかな」
がっはっはと豪快に笑う道金さんを見て、この将棋は負けられない、と強く思った。
だけど現実はそう簡単にうまくいくものではなかった。
居飛車対四間飛車の対抗形から、相手は銀冠の守りの要の銀を繰り出して端攻めをしてきてごちゃごちゃとした展開になり、最後は27手詰めを綺麗に決められてしまった。
「ありません」
わたしは駒台に手をおいて頭を下げた。
この人、強い。
ところどころ現代の将棋では考えられないような手を指すけれど、それも深い読みに裏打ちされたものばかりで、数手進んだあとになってはっと気付かされるような手ばかりだった。
「ほっほっほ。なかなか面白かったぞ。どれ、次は儂が先手番じゃ」
2局目も道金さんは四間飛車だった。それならこちらは穴熊だ、とがっちりと固く囲ったけれど、道金さんは
「ふん、岩屋に篭もりおったか」
と鼻で笑って攻めてきてこちらの右辺を食い破り、わたしの囲いはまったく無傷のままに勝ち目がなくなってしまった。
俗にいう、『穴熊の姿焼き』という奴だ。
定跡はわたしの方が精通しているので序盤はこちらがリードしているはずなのに、いつの間にか逆転を許してしまっている。明らかに無理攻めに見えるからどこかに悪手があるはずだけど、わたしの棋力ではそれを咎めることができなかった。
そうこうしているうちにズルズルと10連敗もしてしまった。
「どうしたお嬢さん。暗い顔をして。このぐらいの負けは気にしなくてもいいんじゃ。ここから11勝したらいいだけの話じゃから」
道金さんはそう言って楽しそうに笑うけれど、これまでの対局内容を考えればここから100局やったって一局勝てるかどうかだ。
このままわたしはここで永遠に、もしくは廃人になるまでこの人と将棋を指し続けなければならないんだろうか。
絶望的になったわたしに、桂太が声をかけた。
「香子、変わってくれ。俺がやる」
「桂太!?」
「俺にはこれがある」
と言って、スマートフォンを取り出した。涼しくなったおかげで、また電源が入るようになったみたいだ。
「選手交代か。そう来なくては二人も呼び寄せた甲斐がない。楽しませてくれよ」
余裕しゃくしゃくの態度で始めた道金の表情はみるみる曇っていった。
散々わたしを苦しめた無理攻めが的確に受け止められ、為す術がない有様だ。いよいよ道金の玉が追いつめられて詰めろがかかった瞬間、伯爵の体から黒い煙が一斉に吹き出した。
「グォォォ、許せん。このような若造に儂が負けるだと!?」
黒い煙は一点に集まって、背中が曲がった老人の姿を形作った。
「こんな仮初の姿では本気が出せん。小僧、儂と一緒に来るんじゃ。真の姿を見せてやろう」
そう言って墓標を開き、内部に桂太を引きずり込もうとする。わたしは立ち上がって桂太の右手を掴んだ。
「ダメよ桂太、行ったらダメ」
「いいんだ香子。お前は元の世界に戻るんだ」
「だってわたし、桂太を助けるために頑張ってきたのに」
「何をグズグズしている、ふたりとも飲み込んでやろうか」
道金は黒い煙をわたしの体に巻きつけてきた。
「ダメだ道金、連れて行くのは俺だけにしてくれ。香子は元の世界に戻って、さらに強くなってここに帰ってくる。だからこいつは元の世界に戻すんだ」
「そうか。それは面白い。では貴様だけ儂と一緒に来るんじゃ。次は先ほどのような生やさしい将棋では済まさぬぞ」
そう言うと、桂太を吸い込もうとする力はさらに強くなった。
「香子頼む、手を離してくれ。いま二人で行っても無駄なだけだ。このスマートフォンには何万局ものデータベースが入っている。何年だってこいつの相手ができるさ」
「でも…」
「お前には、元の世界に戻ってやらなきゃならないことがあるじゃないか。俺には何もない。だから俺が行くんだ」
「そんなことないよ。一緒に戻ろうよ。桂太のお母さんだって心配しているよ」
「…母さんには、いつか必ず意識が戻るって伝えてくれ。そして香子、強くなって、俺を迎えに来てくれ」
「桂太…」
「それじゃあな。また会おう」
そう言って桂太はわたしの手を振りほどいて、ゲートの中に吸い込まれていった。
さらに墓標が大きな音を立てて閉じ、静寂だけが、残されたわたしたちを包んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます