第17話 墳墓

 ドラッケン伯爵の館は王宮から少し離れたところにあった。

 館の周りは黒い金属の柵で囲まれていて、隙間から花が咲き乱れる美しい庭園が見えた。これから悪の親玉のところに乗り込もうというのに、全くそんな危なそうな気配もなく、黒と金とで飾り付けられた豪華な門扉までたどり着いたわたしとライム、ラクテアの3人は、意外にもすんなりと館の中へと通された。


 応接間で待っていると、ドラッケン伯爵がにこやかな顔で入ってきた。

 その後ろには、桂太とプリムがついてきた。わたしと目が合うと桂太は目をそらし、プリムは睨みつけてきた。

 一方伯爵はにこやかな表情のまま、テーブルを挟んでわたしたちの向かいに座った。

「決勝戦は二日後のはずですが、どうなさいましたか」

 伯爵の問いかけに答えたのはライムだった。アルピコの治療によって歩けるまでに回復したとはいえ、まだ青白い顔をしている。

「フレイアの街が魔物の軍勢に襲われましてね」

「それはそれはお気の毒に」

「その魔物たちを裏から操っていたのは、伯爵、あなたなのではありませんか?」

「ははは。何の証拠があってそのようなことを」

「証拠ならあるわ!」

そう言ってラクテアが、あの魔法使いから奪いとった紙片を取り出した。

「ここにあなたの署名があるわ。これが動かぬ証拠よ」

 だけど伯爵は全く動揺する気配がない。笑顔を崩さないままに紙片を手にとって眺め、すぐにほおり投げた。

「こんなものは誰にでも書ける。証拠になるどころか、逆にわたしたちを陥れるためにわざとこれを使った、とも考えられるのでは?」

「そんな言い逃れが通用すると思っているのっ!?」


 ラクテアはソファーから立ち上がり、魔法を発動させようとした。それを見たプリムもポケットから魔具を取り出し、空中に投げて直ちに魔法陣を作り上げた。


 次の瞬間、わたしの周りの時間が止まった。

(この子、いま握り詰めで作ったの?)

 握り詰めとは、ランダムに取り出した駒を使って即興で詰将棋を作ること。将棋のプロ棋士でさえそうやすやすとできることじゃない。この子、かなりの手練なのね。よし、13手詰め。解けた。


 再び時間が流れだし、プリムの魔法陣は乾いた音を立てて粉々になって消えた。そしてほぼ同時に、ラクテアが発動させた魔法も打ち消された。

「香子もこれを使えるんだな」

 桂太が口を開いた。やはり桂太とわたしは同じ能力を持っているんだ。

「魔法は無駄だ。お互いに荒っぽいことはやめたまえ」

 そう言ってドラッケン伯爵は立ち上がった。

「ライム殿、貴殿も分かっているのだろう、そちらのカオルコの能力が何なのかを」

「ああ、魔導学院で調べあげてきた。400年前に封印された古の大魔導師ドーキンと同じ系統の魔法なのだろう」

「そうだ。すべての魔法の根源となる力を直接操る、真の魔法と言ってもいい力だ。我々魔導師は所詮、そこから派生した半端な力しか扱うことができない」

「だが、7系統の魔法が全て揃った時、真の力に打ち克つことができる」

「そうして我々は古の大魔導師を王宮の地下深くに封印した。そして4年に一度、7つの力を集めて再封印を行っている。だがその逆に、7つの力を集めて封印を破ることもできる」

「封印が破れたらまた400年前のように、各都市の守護魔導師が人柱になって封印をやりなおせば…。そうか、そのために王都に守護魔導師を集結させて、大会など開かせたのか」

「ははは。その通り。さらに魔棋で互いに傷付き合えば、封印を行う力など残っていないという計画だ」

「貴様、大魔導師を復活させて、何をするつもりだ」

「大魔導師を開放して、私に何の得があるというのだ。私の目的は、大魔導師の力を手に入れて、この王国を支配すること。ここにいるケイタ殿の助けがあればその夢が叶う」


 伯爵の言葉に、わたしは叫んだ。

「桂太ダメよ、そんな奴の言うことを聞いたら!」

 だけど桂太は、ゆっくりと首を横に振った。

「伯爵はこの世界の半分をくれると約束してくれたんだ。俺は伯爵を信じる」

「そんな約束に何の意味があるの? 桂太のいるべき場所はここじゃない。元の世界に戻ろうよ。お母さんだって心配しているよ」

 桂太の表情が一瞬歪んだけれど、彼の左腕にプリムがしがみついて言い返してきた。

「何よ元の世界って。ケイタ様はわたしたちの仲間なのよ。あなたなんかには渡さないわ」


 伯爵はまあまあとプリムを手で制した。

「ライム殿、ちょうど全員揃っているし、今すぐ決着をつけるというのはどうかな」

「ふむ、もし嫌だと言ったら? わたしはこれから評議会に乗り込んで、伯爵を告発してもいいのだよ」

「ふふ。もし断るなら力づくでということになろうか。魔法が無効となると、お互いの剣の腕で勝負が決まることになるが」

 そう言って伯爵はニヤリと笑った。

「いや、それはやめておこう。この通りわたしは病み上がりでな。それに、こうなるだろうと思って、これまで集めてきた封印の鍵はここに持ってきてある」

「話が早くて助かる。この館から王宮まで通路が繋がっている。それを通って地下墳墓へ行こう」




 伯爵の後ろについて部屋を出て、通路の途中にある隠し扉を抜けた。

 そこには地下に続く階段があって、伯爵はさっと手を振って室内に明かりを灯すとスタスタと降りていったので、わたしたちもそれに続いた。

 しばらくすると土の上にゴザか何かがひかれただけの粗末な床に降り立った。そこからは大人ふたりがようやくすれ違えるぐらいの狭い通路が続いている。


 一列になって延々と通路を歩き、かび臭さで頭がおかしくなりそうになる寸前のところでようやく広い空間に出た。

 歴代の王と王妃が埋葬されているという地下墳墓は、隠し扉で封じ込められていた通路と違ってそれなりに清潔感は保たれているみたいだ。やっぱりこの世界でもお墓参りとかするのかな。地下に墓があればお盆の時も便利だな、などと考えながら伯爵の後に続いて墓石の間を進んでいると、やがてとんでもない光景が現れた。


「なにこれ、穴が空いてるの?」

 広い地下墳墓のどまんなかに、直径100mはあろうかという深い穴が開いている。

 穴との境目にある墓石がスッパリと切れてしまっているのを見ると、これは地下墳墓が完成されてから開いた穴なんだろう。恐る恐る下を覗き込んだけれど、どれだけ深いというのか、底までは光がまったく届かない。

 隣にやってきたライムが言った。

「これは大魔導師ドーキンを封印した際に出来た穴だ。奴はその時、不敬にも王を僭称し、玉座にふんぞり返っていたそうだよ」

「悪い魔道士をなんでわざわざ王宮の真下に封印したのかなって思っていたけど、王宮にいたのをそのまま封印されちゃったのね」

「そういうことらしい。七人の聖魔導師が力を合わせ、油断しているドーキンをここの地下深くに封印したという伝説が残っている」

 伯爵を先頭に、穴の周囲にへばりつくように取り付けられた螺旋階段を下り始め、全員が階段に足を踏み入れたところで階段は回りながら下降し始めた。

 地下深くまでこんな危ないところを降りるんじゃなくて良かった。わたしはほっと胸をなでおろした。




 やがて上を見上げても下を見下ろしてもまったく何も見えなくなってしまった。下降する速度は一定で、全くの無音。階段が発するぼんやりとした光の中、耳が痛くなるような静寂がわたしたちを包んだ。

 沈黙に耐え切れなくなったわたしは、すぐ前にいるライムに聞いた。

「ねえライム、わたしが勝ったら、この世界を支配したい?」

「いや、そんなことは考えてなかったよ。わたしは今のままの世界が続いてくれたらいいと思っている。それに、君はそんなことに協力しないだろ?」

「えーと、どうかな。ライムだったらいい独裁者になるんじゃないかな」

「はっはっは。それは面白いな。でもダメだ。誰かに与えられて分不相応な力を手に入れたって、そんなものは長続きしない」

「そんなものかな」

「そんなものだよ。欲しいものは自分で手に入れようと努力しないと身につかないっていうのは面倒くさいけど、欲しいものの大きさに合わせて自分が成長しないと、結局はその大きさに押しつぶされてしまうんだ」

「そっか」

「だから私がこの国の独裁者になろうと思った場合は、自分の力でのし上がってみせる!」

「そっか」

「カオルコ?」

「そうだよね」

「なあ、聞いているか」

「うん、聞いてるよ」

「さっきから一人で何を納得しているんだ」

「それはね、内緒」

「なんだいそれは。聞いて損した」


 話しているうちに螺旋階段が静かに停止し、あやうくつんのめって転びそうになってしまった。

 ドラッケン伯爵はわたしたちの方を振り返ってニヤリと口元を歪め、

「ずいぶんと楽しそうだな君たちは。これから世界の行く末をかけた大勝負だというのに」

 と言った。それに対してライムは楽しげに、

「伯爵こそ、自分が戦うわけではないからお気楽でしょう」

 と皮肉で返した。

「ふっ、減らず口だけは達者だな。ここが最後の戦いの舞台となる場所だ。向こうに見える墓標に大魔導師ドーキンが封印されている。お互いが持っている8つの鍵を使い、奴の封印をやり直すか、それともその力を自らのものにするのか、ここで決めようではないか!」

「望むところだ。貴様の思うようにはさせん」


 地下空間の床面はこれまで魔棋で戦ってきた闘技場と同様に9×9のマス目がひかれており、両サイドには対局者が立つ高台が、そしてわたしたちが降り立った場所とマスを挟んで反対側には、巨大な黒い石でできた墓標がそびえ立っていた。表面の文字は輝きながら蠢いていて、魔法の力が込められているのが分かった。


 ライムとわたしが高台に向かおうとすると、桂太が声をかけてきた。

「ちょっと、香子」

「なに?」

「勝負なんてやめにしないか。俺が勝つことはもう分かっているんだ」

 そう言って懐からスマホを取り出した。

「香子はこのソフトに勝てない。この前の正月にやった対局だって俺が勝った。無駄なことはやめて、伯爵に協力するんだ。そうすれば…」

「無駄なんかじゃないわ」

 わたしは桂太の言葉を遮った。

「やってみるまで、どっちが勝つかなんて分からない。それに、今日はライムとラクテアもいる。3人で力を合わせれば、きっと勝てる。わたしはそう信じてる」

「言っても無駄か。後悔するなよ」

「そっちこそ。絶対に、あなたの目を覚まさせてやるんだから」


 こちらにはわたしとライムとラクテアが、向こうには桂太と伯爵とプリムが位置につき、対局が始まった。巨大な将棋盤にそれぞれ兵士たちが立ち並ぶ。

 先手はわたしたちだ。わたしは後ろを振り返って、

「じゃあ、いくよ」

 と言った。

「ああ、君に任せた」

「カオルコ、頑張ってね」

 二人に向かってうなずいて、わたしは駒を動かした。


 初手6八銀。


「いきなり銀上がりだって!?」

 桂太が驚く声がした。それも無理はない。普通は飛車先の歩を突くか、角道を開けるのが将棋のセオリー。だけどわたしはそのどちらでもない手を選んだ。

「ふざけやがって。コンピュータ将棋だからって、定跡じゃない手を指せば勝てると思っているのか」

 対する桂太は8四歩と飛車先の歩を伸ばした。

 銀がいなくなって薄くなったところを攻める当然の一手。だけどわたしだって、思いつきでこんな手を選んだわけじゃない。今日のために三人で考えぬいてきた必殺技がある。


 やがて局面が進み、後手を持つ桂太の側の陣形は伸びやかに広がり、先手のわたしの方は小さく押し込められて、手も足も出ないような状況になってしまった。仕方なく飛車を上下左右に動かして手数を重ねるばかり。

「どうした! 時間稼ぎか? なにもできないんだったら投了したらどうだ」

 桂太は煽ってくるけれど、これがわたしの作戦だった。

「今よ、ふたりとも!」

 わたしが掛け声とともに飛車を動かすと、後ろの二人が呪文の詠唱を始めた。そう、単に時間稼ぎをしていたんじゃない。魔力を貯めて魔法陣を作っていたのだ。


「「この世の果てまで照らし出せ『大いなる天空の輝き』!」」


 その瞬間、盤の上空に漆黒の球体が現れ、その表面を業火が覆い尽くした。ラクテアの暗黒星を作り出す魔法と、ライムの地獄の業火、このふたつを組み合わせた合体魔法で、この場にミニ太陽を出現させたのだった。

 その光と熱風は、敵味方関係なく平等に襲いかかる。


「おいプリム、なんとかしてくれ。暑すぎる」

「なんとかって、どうやって防げばいいのよこんなの。直接こっちに向かってくるわけじゃないし、だいたい自殺行為じゃない。自分も巻き込んだ魔法を使うなんて前代未聞よ」

「魔法でエアコンを出すことはできないのか?」

「何よそれ。魔法使いは何でも屋じゃないのよ」

 桂太とプリムが言い争いをしているうちに、気温はどんどん上昇していく。サウナみたいに暑くなって汗がダラダラと噴き出るけれど、ここは我慢だ。

「あっ!」

 桂太が叫んだ。

「スマホの電源が落ちた。熱でCPUが暴走したんだ」

「どうすんのよ。あなたそれがないとあの子に勝てないんでしょ」

「おい香子、汚いぞこんな真似をして。最初からこうするつもりだったんだな」

 桂太は必死に扇いだり息を吹きかけてタブレットを冷まそうとしているけれど、気温が高すぎるせいでうまくいかないようだ。

「汚いのはそっちじゃない。正々堂々、自分の力で勝負しなさいよ」

「何だよ、香子だって、魔法の国の力を借りないと何にもできないくせに!」

「わたしはもうやめた」

 額の汗をぬぐいながら、わたしはそう宣言した。

「やめるって、対局の時にここにくるのをやめるってことか?」

「そうよ。これからは自分の力だけで戦う」

「そんなことしたら、もうプロ棋士に勝てなくなっちゃうんだぞ」

「それでもいい」

「だけど…」

「ずっとどうしようか悩んでいたんだ。誰も信じないようなことだったらルール違反にもならないだろうって思いこもうとしたり、わたしの特殊能力だから好きに使っていいんだって言ってくれる人もいたし、むしろそんなチカラがあるんだったら使わないのがおかしいって言う人もいた。だけど、さっき思ったんだ。あの部屋を使って実力以上の結果を出したって、それは自分のものじゃないって」

「そんなことない!」

「確かにそんなことないかもしれない。でも決めたんだ。だから桂太も、そんなもの捨てて、生身でかかってきてよ」

「言われなくてもこんなもの! ソフトはこっちにプラス1000点近くつけていたんだ。ここからならプロ棋士相手だって楽勝だ!」

 そう言って桂太は次の手を指した。


 歩一枚でだいたい100点と言われる将棋ソフトの評価値で1000点以上の差がつくなんて、プロ棋士同士なら『勝勢』とまで言われてもおかしくない。桂太が楽勝だと言いたい気持ちはわかる。

 だけど彼には根本から間違えているところがある。それは、たとえ勝勢であっても実際の局面は、たった一手のミスでひっくり返ってしまうんだということ。

 1位の人に追いぬかれたマラソンランナーのように、後ろにピッタリとついて離れないでいて、もしも相手がつまづいたり気を抜いたりしたら一気に追い抜く。それがプロの将棋。

 わたしはプロじゃないけれど、似たような芸当なら見せてあげられる。仮にここから30手先に勝負が決まるとして、指すたびごとに10手の選択肢があるとしたらその組み合わせは千兆通り。その中から果たして正しい道を選べるかしら。

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