第15話 火竜

 風を切り裂いて雲を突き破って山の上空までたどり着くと、アルピコが言っていたとおり、森を超えたずっと向こうに海岸線が見えた。

 ここまで急ぎすぎて少しだけ疲れを感じたので、羽を大きく広げて上昇気流をつかみとり、あとはゆるやかに風を受けて滑空した。


 自分の体で空を飛んだことなんて、ましてや羽を使って羽ばたくなんてやったこともないのに、どうしてこんなに簡単に、まるで自分が生まれた時からドラゴンだったかのように自由自在に飛べるんだろう、とわたしの中の”わたし”の部分が思ったけれど、わたしの中の”ドラゴン”の部分は、何を当然なことを、と言わんばかりにその疑問を一蹴した。

 ドラゴンに変化するということは姿形が変わるだけじゃなく、心や精神までもドラゴンになってしまうことなんだ、と”わたし”の部分でうっすらと思い、それから、

(危ない危ない!)

 と気を引き締めて、目的地のフレイアのことを強く心に描いた。ぼんやりしていたら100%ドラゴンになってしまう。五感のすべてが自由で自在で、自分をしっかり持っていないと自分がなくなってしまいそうになる。


 海岸線にたどり着いたわたしは、そのまま南に向かって海沿いに進んだ。

 高度を落として地面近くを眺めると、軽く羽ばたいているつもりでも木々や景色が後ろへ流れていくスピードは自動車や特急列車に乗っている時ぐらいに早く感じた。時速100キロメートルかそれ以上は出ているのかもしれない。人間が一日に歩くことができる距離が30キロだと聞いたことがあるので、徒歩で10日かかる距離でも飛んでいけば2,3時間でついてしまう。その計算があっているなら、フレイアに辿り着くのはもうじきだろう。


 そう思った瞬間、肩口にチクリという痛みを感じた。はばたきを止めてその部分を見ると、ウロコとウロコの間になにか細いものが挟まっているのが見えた。鉤爪を使って慎重にそれを引き抜くと、細いものの先には血が付いていた。これは矢? よく見ると鏃と矢羽がついている。人間とはスケール感が違うから一瞬気が付かなかった。

 あ、痛い痛い。

 のんびりと見ている場合じゃなかった。次から次へと矢が飛んできてほとんどは硬いウロコに跳ね返されるけれど、隙間に入り込んでしまったものは洋服のプラスチックのタグを取り忘れた時みたいにチクチクする。

 次々と飛んで来る矢を尻尾で弾き飛ばし、螺旋を描きながら地面に向かって降下した。無限回廊でよく見たコボルドたちが大勢でこちらを狙っている。これがアルピコが言っていた魔物の軍勢かな。


(ちょうどいい、ついでに蹴散らしてくれよう)

 わたしの中のドラゴンがそう言い、急降下しながらわたしは大きく息を吸い込んで、コボルドたちに向かって炎を浴びせかけた。

 地面すれすれで反転して宙に舞い上がり、見下ろすとまるで蜘蛛の子を散らしたようにコボルドたちがてんでバラバラに逃げ去っていくのが見えた。なんだ、楽勝じゃない。


 だけど次の瞬間、さっきとは比べ物にならない痛みがわたしを襲った。

 翼に光る槍が刺さっている!

 地面を見下ろすとコボルドたちの代わりに、真っ黒のローブをまとった人が数人現れてこちらを指差して何か言っている。

 まずい! また光る槍を投げてくるつもりだ。

 わたしは身を翻して森の上空に向かった。高度を下げて梢のぎりぎり上を飛べば逃げきれるはず!

 ところが光る槍はわたしの後をぴったりと追いかけてきた。何本もの槍がわたしの体に突き刺さる。刺さるたびに電撃に打たれたかのように痛みと痺れが全身を覆う。一瞬意識が遠のいて、気が付くと変身が解けて自分の体に戻っていた。


 飛ぶ力を失ったわたしの体は進行方向に向かって斜めに落下し、枝に引っかかってバキバキと降りながら落ちるうちに勢いが止まって、それからドサリと地面に尻もちをついた。

 全身を打ってズキズキと痛むけど、手も足も動くし大きな怪我はないようだった。遠くから誰かの叫び声のような声が聞こえる。

 まずい。早く逃げないと。

 声がする方角と反対側に向かって走った。だけどさっきドラゴンだった時のような万能感はどこにもない、ただの運動が苦手な高校二年生女子の体に戻ったわたしはすぐに息切れをしてしまう。


 やがてわたしを探す声は徐々に近づいてきた。地面の枯れ枝を踏み荒らす音がする。このままでは捕まってしまう。どうしよう。確かアルピコは変身以外にも魔具の使い方を説明してくれていた。魔具を兵士として召喚するんだっけ。

 ガサッ!

 と音がした方を向くと、そこには槍を持ったコボルドが立っていた。そいつはわたしを指差して叫び声を上げて仲間を呼び、たちまちわたしは包囲されてしまった。

 召喚する方法なんて分からないけど、ままよとばかりに懐の小袋から何枚かの魔具を取り出してばらまくと、期待通りに兵士の姿に変化した。歩兵に剣士に槍騎兵が立ち並び、大盾を持った重装歩兵はわたしにぴったりと寄り添って護衛の構えだ。

 突然現れた兵士の一団にひるんだ魔物たちは、わたしが召喚した兵士たちに次から次に斬り倒されていく。


 良かった。これで無事に街までたどり着ける。そう思ったのもつかの間、新手が現れた。さっき逃げのびた魔物が、例の黒いローブをまとった人を連れてきたのだ。

 わたしの指示で兵士たちは黒ローブに向かって斬りかかるが、そいつがさっと手を振るだけで兵士たちは魔具の姿に戻ってわたしの手の中に戻ってきた。

「魔法使いにただの召喚兵を差し向けても無駄だ。貴様も魔法使いならそのぐらいのことは常識だろう」

 わたしが反論しないでいると、黒ローブの男はさらに言葉を続けた。

「貴様、フレイアの魔法使いか。今は余計なことを知られたくないのだ。残念ながらここで死んでもらう」

 え、死ぬ?

 わたし殺されるの?

 男はさっきドラゴンの姿だったわたしを貫いた、光の槍を出現させた。

「動くなよ。この槍は貴様が逃げてもどこまでも追いかけていく。黙って立っていれば心臓を一突きに貫いてやろう」

 そう言って男が槍を投げた瞬間、時間が止まった。




 周囲が少し暗くなり、ざわついていた木々の音も鳥の鳴き声も止み、キィーンという耳鳴りのような音だけがする。男の体は槍を投げた体勢のまま停止し、わたしの体もまったく動かず、意識だけが止まった時間と無関係に働いている。


(一体どうなっているの?)


 時間が止まる前と違うのは、こちらに向かってくる光の槍の手前に、マス目が浮かんでいること。そこには魔具に描かれているルーン文字が並んでいる。


(これは、詰将棋?)


 将棋の駒とは表記が違うけれど、もうすっかり慣れたのでどの文字がどの駒に対応しているかはすぐに分かった。

 解いてみると簡単な七手詰めだということが分かった、その途端。時間が再び動き出し、そして光の槍はわたしに届く前にその場で粉々に砕けた。




「魔法が失敗しただと? まあいい、これでも喰らえ!」

 黒ローブの男は両手をつきだし、バチバチと火花を散らす光の球体を作り出した。それがわたしに向かって打ち出される一瞬前に、再び時間が止まった。

 再びルーン文字の詰将棋が浮かび上がり、それをまた解いてみせると時間が進み出し、先程と同様に光の球体はバラバラに崩れ落ちた。

「まさか、貴様が魔法を封じているというのか!」

 今度は全身から稲光を出しながらこっちに向かって駆け寄ってきた。

 今度はさっきよりもちょっとだけ難しくて13手詰めだったけど、難なく解いてみせると黒ローブの男は、勢い余って木の根っこに足を引っ掛けて転んでしまった。


 今だ!


 悔しがっている男を置いて、わたしは駈け出した。

 逃げながら袋の中から魔具をより分けて、竜よりも目立たなくて逃げ足が早いものは無いかと物色した。桂馬だったらイケるかな。右手で握りしめて念じると、次の瞬間、わたしの体は騎竜に変化していた。

 木々の間を、人間の体だった時とは段違いのスピードで駆け抜けながら、ラクテアと初めて会った時に彼女がこの姿だったことを思い出した。確かにこれなら目立たずに偵察に出るにはピッタリかも。

 と、ラクテアのことを思い出したせいで、わたしの鼻が彼女の匂いを嗅ぎつけた。クンクン、こっちがフレイアの街か。この距離ならもうすぐ着きそうだ。

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