第13話 緒戦

 開会式の翌日、魔法の国に入るとライムはすでに戦いの準備を整えてわたしのことを待っていた。

「もしかして遅れちゃった?」

「いや、大丈夫。あと5分あるから間に合うよ」

「ギリギリじゃない! 急いでいかないと」

 あわてるわたしを尻目に、ライムはニッコリと微笑んで杖を振って魔法の扉を出現させた。

「この部屋から試合会場までは直通になっているんだよ」

 この魔法のゲートは便利だなあ。学校に通う時に使えたら楽なのに。あ、でも学校が別の次元にないとダメなのか。

「それじゃあ行こうか」

 ライムの差し出した手をとって、わたしたちは魔法の扉をくぐった。




 扉の先の地面は赤黒く荒い土がむき出しで、踏みしめるとジャリジャリっと音がした。焦げ臭いような鉄臭いような匂いが鼻を刺す。

 わたしたちは闘技場の真ん中に立っていて、周囲にはすり鉢状の観客席が広がっていた。と言っても観客席は無人で、ここにいるのはわたしたちと、審判なのだろうか、黒いローブを着た魔法使いらしき人が3人だけだった。

 見上げると、星ひとつ無い真っ黒な夜空に厚い雲が垂れ下がって、闘技場を照らす篝火が雲の底を照らしていた。

 気温はそれほど低いわけではないけれど、乾いた風がローブの繊維を突き抜けて肌を直接突き刺してくるようで、体が芯から冷え込むようだ。こんなことならマフラーか、普段着ているコートでも着てくるんだった。


「アオーン」

「アオーン」


 突然、犬の遠吠えがガランとした闘技場に響き渡った。振り向くと遠くの方に、左右に巨大な犬を2頭従えた大柄な男が立っていた。

 もしかしたらあれはオオカミ? 実物を見たことがないから分からないけれど、シベリアンハスキーをさらに大柄にしてさらに野性味あふれさせたらあんな感じになりそう。オオカミを従えた男のサイズも規格外で、身長は2mくらいあるだろうか、髭面で頬に傷があり、狼の毛皮で作られたフードをかぶっていて、手にはやはり、狼の頭蓋骨を誂えた杖を握っている。


 ライムがその男のことを指して言った。

「彼が一回戦の対戦相手、北の街グレイシアの魔導師、ゴーシュ・ウンガリだ。氷雪の魔法を得意としていて、私の魔法とは相性が悪くてね」

「炎と氷だと、どっちが強いの?」

「どちらかというより、どちらも打ち消し合うせいで長期戦になりがちなんだ。お互いに弱点を探してジリジリとする展開で、真綿で首を絞めるようにゆっくりとリードを広げていくようなのが得意という印象かな」

「我慢比べね。そういう時、ライムはどうするの? 一気に勝負を決めにかかる?」

「いや、それは危険でね」

そう言って、嫌なことを思い出したみたいに顔を歪めた。

「イチかバチかの大技を決めようとすると、決まって足元を掬われるんだ」「作戦を読まれてしまう?」

「いや、あれはそういうレベルじゃないな。こちらの考えていることを見透かされているような…」

「まさか、心を読む魔法なんてあるの!?」

 内心で、そんなものがあるなら対局の時に使ってみたい、それだったら名人にだって勝ててしまうんじゃないだろうかと思いつつも、今まで考えてたことをライムに知られていたらどうしようかと、ちょっと焦りながら聞き返した。

「いや、人の心に作用するような魔法はない、と思う。少なくとも私は知らないし、だからもしかしたら彼もきっと、君のように相手の動かす先を読んでいるのかもしれないよ」

「へえ、そうなんだ。とてもそんなタイプには見えないけど。でもこっちの作戦を読んできて、魔法じゃなくて将棋の戦いになるんなら、わたしにとってはやりやすいかな」


「ガウッ! ガウッ!」


「うわっ、なに?」

 振り返るといつの間にかすぐ後ろまで狼がやってきていて、歯を向いてこちらを威嚇してきたのだった。

 びっくりしてライムの背後に隠れると、狼の飼い主であるところのゴーシュがこちらに向かってノシノシと歩いてきて、興奮しているオオカミたちを手で制しながらわたしたちの目の前までやってきた。

 この人、体重はわたしたちふたりを合わせた以上もあるんじゃないだろうか。大きな体でのしかからんばかりにこちらを見下ろしている。髭面で頰には刀傷があって、とても魔法使いには見えない。

「小娘、”やりやすい”などと言ったか?」

 ゴーシュは地面の割れ目から響いてくるような低い声で言った。口を開くと、酒の匂いか獣の匂いか分からないけれど何かの異臭が漂ってきて、わたしは思わず顔をしかめた。

「言いました。それが何か」

「たいした自信だな。その顔が凍りつくのを見るのが楽しみだ」

 そう言って高笑いして、のっしのしと自分の陣地へと戻っていった。

「カオルコ、ああいうのは良くないよ」

「どうして? 思ったことを言っただけよ?」

「でもそれを聞いて怒ってるじゃないか」

「わざわざこっちまでやってきて、ね。あの人、あんなワイルドな格好をしているけど本当はナイーブなのかな。それより、あんなオオカミを連れて来てもいいの? 噛みつかれちゃうわよ」

「この魔導大会では、二人までサポートを連れてくることができるんだ。一人も一匹も同じに数えられるんだよ」




 そんなことを話しているうちに開始時間になった。審判の開始とともに巨大な盤面が大地に浮かび上がり、魔道大会の一回戦が始まった。


 先手はわたしたち。もちろん使うのはあの戦法だ。

「タルージャと戦った時と同じく、”鬼殺し”を使うわ。角道を開いて」

  ライムが7六歩と角道を開けると、相手の応手も3四歩と角道を開ける手だった。

「さて桂馬を跳ねるわよ。この子でババーンと攻めちゃうのがこの作戦の骨子なの」

「でも桂馬って一度進んだらもう戻れないだろ? これで大丈夫なのか? 」

「そうね。”桂馬の高跳び歩の餌食”という言葉もあるぐらいで、軽率に動かしちゃうとタダで取られるとこになっちゃって、だから正しく受けられると大変なんだけどね。例えばここで普通は銀を6上がって受けるんだけど、代わりに金に上がられちゃうと困るんだよね」

「金と銀の違いだけでそんなに変わってくるのか」

「そうなの。金は横に進めるけれど、銀は真横には進めないでしょう。それが結構大きくてね」

「え、それでもう負けちゃうとか?」

「それはないよ。ハンデは背負うことになるけどね」

「結構リスキーだな。本当に大丈夫なのか?」

「リスクを取らないと勝利は得られないのよ。それじゃ桂馬を跳ねて」


 ライムが桂馬を7七に動かすと、相手はすぐに8六歩と飛車先の歩を伸ばし、さらにこちらが桂馬を6五に跳ねた局面、なんと相手は△6二金と、さきほどライムに説明していた通りの正しい受け方で対処してきたのだ!

「これは、どういうこと?」

「こちらの作戦が読まれているのか!? 」

「ねえ、あの人は将棋を知らないはずよね?」

「知るはずがあるものか。この私だってカオルコに会うまでは知らなかったものを。やはり奴め、こちらの心が読めるのか…」

「でも、心を読むような魔法は存在しない」

「いや、もしかしたら、だが、そんなことは…」

 ではどうして、ゴーシュはこちらの困る手を指してこれたのだろうか。


 わたしはそっと目を閉じた。目を閉じたってこの世界から別の世界に行けるわけではないけれど、そうすると私の心の中にあの小部屋が浮かび上がってくるような気がする。

 空想の中の部屋の中でわたしは考える。もし心を読む魔法があるとしたら、わたしとライムとどっちを狙うだろう。それは多分わたしの方。さっき近づいてきたのもそのためかな。ライムは魔導師だから、下手に仕掛けるとネタが割れてしまうかもしれない。そう考えて助手のわたしの方に何か仕掛けていてもおかしくない、か。

 でもさっき話しかけてきた時だって、なんにも変なそぶりはなかった。触れられてもいないし、遠くから近づいて話しかけられただけ。魔法以外でわたしたちの作戦を読む方法といったら…?


 もしかして!


 目を開けてゴーシュの方を見ると、あいつは自分の左右に2頭狼を並べてこちらの方をじっと見ていた。それを確認して、わたしはライムに向かって言った。

「作戦が決まったわ。さらに危ない橋を渡ることになるけどね」

「でもまたこちらの心を読まれていたら…」

「仕方ないわ。そうなったらもう勝てるはずがない」


 でも、絶対にそんなことはないはず。もしもわたしが対局相手の心を読めたなら、名人にだってすぐになれるだろう。だけどこの人は単に凄く強い魔導師であって、無敗を誇っているわけでもない。

 きっとあいつは、ある限られたパターンの時だけ『読心術』を使えるのに違いない。


「それではどうする。カオルコ、指示を」

「初志貫徹で、7五に歩を進めさせるわ。そしたら相手も飛車先の歩を突いてくるはず」

「それならこっちの方が一手早い…?」

「でも相手の歩には飛車のバックアップがある。こちらはただ単に突き捨てているだけ。この差は大きすぎるかもしれない」

「では、どうやって?」

「突き捨てた後が最後のチャンスね。お互いに歩を取り合って、飛車の斜め前が開いてくれれば勝機はあるわ。だけど…」

「だけど?」

「飛車に走られたら、もうゲームセットね。こちらには飛車成りを防ぐ手段がない。これはもう、圧倒的に劣勢だわ」

「では、運を天に任せるしかないのか」

「でも、普通なら取ってくれるはず。まさかそこで攻めてくるわけはないわ。わたしを信じて」

「分かった。カオルコを信じよう」

 そう言ってライムは歩を進めると、向こうも同じように飛車先の歩を突いてきて、さっきわたしが言った局面が訪れた。


(ここで、どうする…?)


 固唾を飲んで相手の出方をうかがっているうちに、わたしの左手は無意識のうちにライムの右手に触れていた。突然の肌の感触に自分で驚いてビクッとしてしまったけれど、ライムはこちらを見ないまま、その手をそっと握り返してくれた。

 お互い、手のひらにじっとりと汗をかいている。手をぬぐいたいけれど、このままずっと離したくない。そんな気分。


 しばらくタメを作っていたゴーシュがようやく杖を振り上げ、飛車を8六に動かした。それ見たライムは、わたしの手を握る力をぐっと強めた。

「これは、もうダメなのか」

「いいえ、わたしたちの勝ちよ! さあ角で相手の角を取って!」

 急に元気になったわたしの様子に驚きながら、ライムは言う通りにした。

「やっぱり思った通り。ゴーシュ! あなた、わたしたちの会話を盗み聞きしていたのね!」

 わたしはゴーシュを指さして、大声でそう言ってやった。この距離でも相手が動揺しているのが分かる。

 ゴーシュはおずおずとこちらの馬を銀で取ったけれど、

「ライム、7七角よ。これで飛車銀両取り。決まったわ」

「カオルコ、どうして相手がこちらの会話を盗み聞きしているのがわかったんだい?」

 相手は力なく指し続けているものの、もはや敗勢は明らか。さらに手品のネタばらしなんてしちゃったら、辛すぎて死んじゃうんじゃないかしら。

 そう思いながらもライムに向かって種明かしをはじめた。


「わたしも確証はなかった。だけど最初にあいつが話しかけてきた時、オオカミの方が先にやってきたでしょ? 普通に話していてあの距離まで声が届くかしら」

「なるほど、使い魔の聴覚を通じて盗み聞きをしていたわけか」

「犬は人間よりも何倍も聴覚がいいというし、2匹の犬を左右に置いて効果を上げているのかもしれない」

「それで嘘のヒントを与えて、その通りに動かすように誘導したのか」

「一か八か、ではあったけど、うまく乗ってくれて良かった。ライムに説明しながら丁寧に動かしていたから、相手に筒抜けになっちゃったのよね」

「今回は勝てたからいいけれど、もし相手が乗ってこなかったとしたら、もしくは本当に心を読んできたら、どうしたんだい?」

「その時は、ライムにバトンタッチするつもりだったから」

 それを聞いてライムは楽しそうに笑った。

「そうか、その手があったか」

「将棋がダメでも、ライムなら魔法で勝ってくれる。そう思ってた」

「ありがとうカオルコ。ぼくたちは、二人で一つのチームだからね」

 そう言ってライムが差し出した右手を、わたしも微笑んでしっかりと握り返した。




 勝利したライムは、ゴーシュから『鍵』を受け取った。鍵というけれど、実際に使うには装飾が多く、歯の形も鍵穴に差し込んで回すには向かない形状をしている。表面が凍りついたように白く輝いていたのは、氷の魔導師だからだろうか。

 迎賓館の部屋に戻ったライムに、その鍵は一体なんなのか聞いてみた。

「ああ、この鍵かい? これは封印の鍵と言って、それぞれの系統の魔法の力が込められた魔具なんだ。この魔力で古の大魔導師にかけられている封印を再充填する」

「封印するのにわざわざ戦っているの?」

「別に喧嘩してるわけじゃないから。ここで優勝することは魔導師にとって大変な名誉なんだ。封印の儀式を行う魔導師は、この国で最も力がある魔導師ということだしね」

「え、それだけ? 優勝したからって莫大な財産を手に入れたりとか、そういうのは無いの?」

「そんなものあるわけないだろ。どこからそんな予算が出るんだよ」

 うわっ、何か生々しい言葉が出た。考えてみれば、この人達って公務員みたいなものだしな。その中で一番強い人を決めるんだけなのに、一生遊んで暮らせるような大金を渡すわけがない。

 だったらどうして、ドラッケン伯爵は桂太に「なんでも望みを叶えてやる」だなんて約束ができたんだろう。


「カオルコ、タルージャに会いに行くんだけど一緒に来るかい?」

「え、また会いに行くの? いいけど、何のため?」

「二回戦の相手だからだよ。第一試合に勝っていたら、だけどね」

「それだったら魔棋で練習試合なんてやらないほうが良かったじゃない。なんでわざわざ手の内を晒すようなことをしたの?」

「あいつとはもう長い付き合いなんだ。昔から一緒に、一流の魔導師になるべく研鑽を積んできた。そんなあいつとはだまし討ちなんかじゃなく、フェアに戦いたかったんだよ」

「ふーん。そういうものなんだ」


 二人でタルージャの部屋に向かうと、ドタドタと足音高く走る人に追いぬかれた。

「こんなところで走って、貴族にぶつかっちゃったら大変だよね」

 と、ライムに冗談を言ってみたけど、彼の表情は真面目なまま変わらない。これは滑っちゃったかな。

「あれは医者だ。タルージャの身に何かあったのか」

 そう言ってライムもわたしたちを追い抜いた男を追って走り始めた。角を曲がって階段を駆け上がって、離されながらもなんとか追いつくと、ある部屋の前に何人も群がって人だかりができている。

「すいません、すいません」

 と言いながら人混みをかき分けながら部屋の中に入ると、ベッドには顔を紫色に腫らしたタルージャが横たわっていた。苦しそうな表情で、なにやらうわ言をつぶやいている。医者が話しかけても反応せず、意識がもうろうとしているようだ。

 ライムはタルージャの弟子らしき若い魔法使いから、戦いの様子を聞き出していた。

「なにが起こったか分かりません。タルージャ様の勝利は目前だったんです。必殺の魔法陣を準備して、あと数手で決まるはずだったんですが、突然その場に崩れ落ちてあのようなお姿になってしまわれたのです」

「あれは毒だろうか。なにか心当たりはないか」

「相手は冥界の魔導師です。死者や亡霊を蘇らせて襲い掛かってきましたが、毒を扱うようなものは見ませんでした。それに、タルージャ様はそれらに傷つけられたわけではありませんし」

「そうか…。分かった、ありがとう。タルージャの容体が回復したら教えてくれ」

 そう言ってライムは部屋を出た。

「何か分かったの?」

「いや、相手が何か毒か疫病を使ったらしいということしか分からなかった。それが魔法なのか、それ以外なのかも分からない」

「大丈夫かな。わたし、顔が紫色になって腫れ上がるのは嫌だよ」

「タルージャの弟子が無傷だったから大丈夫だろう。相手の狙いは魔導師だけのようだから」

「本当にそうならいいんだけど」

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