第11話 BAN
3学期が始まってひとつ異変があった。桂太が学校に姿を現さないのだ。
始業式もその次の日も、一週間たっても学校に出てこない。メールをしても返事がないし、同じクラスの垂井に聞いても風邪かなにかなんじゃないかとしか言わないし、心配になったわたしは、直接桂太の家に向かうことにした。
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学校から桂太の家まではちょっと距離があるし、通学のバスは方向が違うから定期券も使えないため、自腹を切って路面電車に乗った。雪道だと自転車が使えないのがお小遣い的に厳しい。
電車の中は暖房がよく効いていて、乗客の体から落ちた雪が溶けるせいで湿度が高く、ちょっとしたサウナみたいになっている。窓の内側には結露でびっしりと水滴がついていて、わたしは知らずしらずのうちにガラスに指で○の字を描いていた。白く曇ったガラス窓の、指がキュキュっという音を立てて通過した部分だけ透明になって、外が見えるようになる。
電車の出口付近に立っている小学生たちが窓ガラスを使って○×ゲームをやっているを見て、むかし通っていた将棋道場の窓ガラスで、桂太とあんな風に遊んだことが思い出された。
道場に通っていた頃、超長考派となったわたしと喜んで指してくれる相手はほとんどいなかった。席主に言われてわたしと当たることになると、
「なんだ、香子ちゃんか」
とあからさまに嫌な顔をする人もいたし、お爺さんぐらいの年代の人はまあ仕方ないという感じで相手になってくれたけど、わたしが考えている間に世間話をしたり外にたばこを吸いに行ったりで、真面目に相手をしてくれなかった。かと言って自分で納得が行かないうちに指すのは気持ち悪いし、そもそもそれだと全然勝てなかった。
そんな中、桂太だけが、わたしが長時間考えこんでいる間もずっと自分の指し手を考え続けてくれて、その頃のわたしは将棋を指すためというよりも、桂太と将棋を指すのが目的で道場に行っていたようなものだった。
でもそのうち、他の小学生の子が『香子と指す時は同時に他の人と指していてもいい』というルールを強引に取り決めてしまった。
わたしがせっかく長いこと考えて良い手を指しても、その間に指している対局の方に夢中になってわたしの方はおざなりにされたり、あまつさえわたしとの対局のことを忘れられてしまうこともしばしばだった。
だけど一番つらかったのは、他の子に桂太を連れて行いかれることだった。頼みの綱を失って、周りにはたくさん人がいるのに自分だけがひとりぼっち。それに耐えられなくて、わたしは道場に行くのをやめたのだった。
マンションのインターフォンを押すと、応対してくれたのは桂太のお母さんだった。3年ぶりくらいで会うわたしのことをまだ覚えていてくれて、すぐにオートロックを開けてくれた。
「こんな寒い日によく来てくれたわね。うちに来るのって小学生の時以来? 懐かしいわあ。すぐに暖かいものを入れるから、ちょっと待っててね」
桂太のお母さんは明るく誰とでも仲良くなれそうなタイプで、人見知りでちょっと気難しい桂太とは正反対。身長もわたしとおなじくらいなので、桂太はお父さんの方に似ているのかな。
台所でお茶の準備をしている桂太のお母さんを見ながら、そんなことを考えていた。
「あのう…」
お茶が入るまでソファーで座って待ってるように言われたけれど、とてもそんな気分じゃいられなかったので、ダイニングの方から話しかけた。
「桂太くん、最近ずっと学校に来てないみたいなんですけど、病気か何かなんでしょうか」
「うん、学校にはそう言っているんだけど。実はね、ずっと部屋に閉じこもりっぱなしでパソコンの将棋をやってるらしいの」
「ご飯とかは…?」
「部屋の前に置いておくといつの間にか無くなってるわ。トイレに出て来た時に捕まえて聞いてみたんだけど、何も言わないでまた引きこもっちゃって。ほんと困っているのよ」
「ちょっと、様子を見てきていいですか?」
「いいわよ。幼なじみの力でなんとかしてちょうだい」
廊下に出て、桂太の部屋のドアをノックしてみた。
「桂太、わたし、香子よ」
返事がない。ノブをひねっても、内側から鍵がかかっているみたいでビクともしない。
「ね、ダメでしょ。寝てるのか起きてるのか知らないけど、全然反応がないのよ」
桂太のお母さんが居間の方から顔を出してそう言った。諦めたわたしが居間に戻ると、紅茶とクッキーが用意されていた。
「いただきものだけど、食べて。結構美味しいから」
「ありがとうございます」
「遠慮しないで。桂太は最近おやつなんて食べないし、私ひとりだと持て余しちゃうのよ」
ヨーロッパからのお土産らしいビスケットは中にキャラメルが挟んであって、少し紅茶の上に置いてから食べるとトロリと溶けてとても美味しかった。
いや待て、わたしはおやつを食べに来たのではないぞ。
「桂太くんはいつ頃からこんな風なんですか?」
「そうね…」
桂太のお母さんはそう言って、顎に指を当てて考え込んだ。その仕草が対局中の様子とそっくりで、外見は似ていないようでもこういうところが親子なんだなあ、と思った。
「冬休みに入ってからだったかな。朝から晩までパソコンをやるようになっちゃって。まあ、休みの間は好きに過ごしてたっていいからほおっておいたんだけど、それが良くなかったのかな」
そう言って紅茶に口をつけた。
「前は部屋に鍵なんてかけてなかったのよ。でも一週間くらい前だったかな。あの子がいつまでも寝ないから『いい加減にしなさい!』って部屋に入ったでしょ、そしたら桂太ったら、パソコンの前に座ったまま寝てるのよ。信じられる?」
だんだんテンションが上がってきたらしく、説明に身振り手振りが加わってきた。
「どんな大声で耳元で呼んだって起きなくて、叩いても引っ張ってもびくともしないし、無理やり椅子から引きずり下ろして布団をかけてやったのよ。そしたら次の日に自分でホームセンターに行って鍵なんて買ってきちゃって。『プライバシーの侵害』とか、そういうことは自分の稼いだお金で生活するようになってから言ってほしいわよね」
一気に話してさすがに疲れたのかほっと一息をついた桂太のお母さんだったけど、窓の外に目をやると再びテンションが上がって、
「うわあ、見てごらん香子ちゃん、すごい雪よ」
大きく目を見開いてわたしを呼んだ。ベランダの方に駆け寄ってみると、隣のマンションが見えなくなるぐらい真っ白に雪が降っていた。
「本当だ!吹雪いてきちゃってる」
「わたしこれから夕飯の買い物に出るからさ、香子ちゃん車に乗って行きなよ」
「そんな、悪いです」
「悪いのはこっちよ。うちのバカ息子のせいで幼なじみにまで心配かけさせちゃって。でも香子ちゃんが来てくれて本当に助かったわ」
「いえ、なにも助けなんて…」
「ううん、香子ちゃんが桂太のこと心配してくれるのが、一番の助けなのよ」
桂太のお母さんは、ちょっと真面目な顔でわたしを見た。
「うちはお父さんが単身赴任で帰ってこないし、わたしもパートがあるし、あの子に全然かまってやれなかったの。将棋を覚えさせたら手間がかからないかなって思ってたら、そうよね、わたしたちは将棋のこともよくわからないし、桂太のこともよくわからなくなってしまったの」
「おばさん…」
「たぶん、あの子のことを一番分かっているのは香子ちゃんだと思うの。だからお願い。あの子のことをこれからも見捨てないでやってちょうだい」
「…分かりました。なんとか原因を探してみます」
「ごめんね、好き勝手なこと言って」
桂太のお母さんはそう言って、少し寂しそうに笑った。
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翌日も桂太は学校に来ていなかった。
放課後に部室に行くとなぜかガランとしていて、そこにいたのはよりにもよって垂井だけだった。部室備え付けのパソコンで、軍艦が女の子に変形するとかいう、よくわかんないゲームをしている。そういうことは家でやれよなあ。
「あれ、みんなは?」
「おお、成田。昨日はどうだった? 三井の家に行ったんだろ」
「いや、あの、みんなは?」
「みんなはあれだよ。明日実力テストじゃん」
「そうかテストか…、テストって言った!?」
「そうそう。前の日に慌てて頑張ったって仕方ないのにな。ちなみにオレは実力テストを実力で受けるタイプな。覚えといて」
ウザい…。っていうかテストだったんだ。すっかり忘れてた。わたしもコイツと同じタイプにだという事実が一番嫌だ…。
気持ちを切り替えて垂井に尋ねた。
「桂太のことなんだけど、お母さんに聞いたら、ずっとパソコンで将棋やってて、家から出ないんだって」
「パソコンで? あれかな、ヨンパチ。ネット対戦の」
たぶん垂井がいいたいのはSGD《将棋道場》48という、会員数50万人を誇る日本最大のインターネット将棋対戦サービスのことだろう。アマチュアといっても県大会クラスの強豪がうようよしていて、プロ棋士ですらも正体を隠して密かにここで練習を積んでいると言われている。
「ネット将棋にはまってるってこと?」
「そうそう、昔はよく、部活終わって家帰ってから二人で指したもんだよ。あの頃は真面目だったなあ」
垂井は軍艦ゲームの画面を閉じて、ヨンパチにログインした。
「最近は指さないの?」
「オレ? 近頃はほとんど指してないなあ。あいつ強すぎるんだよ」
お正月に指した桂太との対局のことが頭をよぎった。
「そ、そうなんだ」
「確かあいつ、去年の48棋聖に入ってたはずだぜ。トップページに名前が出ているの見たんだ。確か三井のハンドルネームだった」
48棋聖というのは、この将棋道場の年鑑上位者48人に与えられる称号だ。アマチュアの強豪にプロ棋士、プロ棋士への養成機関である奨励会に所属している人たちだって何人も混ざっている中で48位以内なんて、どれだけ腕を上げたんだろう。
「あれ? 無いぞ」
「無いって、何が?」
「三井の名前が。アカウント名で検索すれば棋譜が出てくるはずなんだけど、見つかりませんって言われる」
「退会したのかな」
「そんなことねーべ。でももしかしたら垢BANされちゃった可能性もあるな」
「あかばんって?」
「不正行為をしてアカウントを消されること。ソフトを使って指させるとか」
「桂太がそんなことをしたって言うの?」
「いや俺もそんなことないと思うけどさ、他に原因が思いつかないんだよ」
「どうやったらソフト指ししてたかどうかって分かるかな」
「あいつの棋譜をソフトに解析させれば分かるよ。一致率が高ければアウト」
「でもアカウント消されたらもう見れないよね」
「いや、うちに帰ればあるかな。強い人の棋譜を参考にしようと思って、毎晩クロールかけて棋譜を拾ってるんだ。まあ結局見てないんだけど」
「その中にもしかしたら桂太の棋譜も混ざってる? それだったら見てみたいんだけど」
「え? 結構めんどくさいんだぜ。何万局もある中から探さなきゃならないんだぜ」
「どうしても見たいの。なんとかしてよ」
「俺だって忙しいんだぜ。家に帰ったらアニメも消化しないとならねえし」
「お礼だったら何でもするから」
「ほう、お礼ですか」
垂井はなにかよこしまなことを考え始めたらしく、ひとりでニヤニヤとしはじめた。
「何さ、なに考えてんのよ」
「成田、お前千鳥女流と仲良かったよな。この前の大盤解説会も一緒に出てたし」
ああ、そっちだったか。ちょっと安心した。
「うん。仲良くしてもらってる。サインぐらいならもらっといてあげるけど」
「それはもう持ってるよ。サイン入り生写真♪」
そうなんだ。その発言にはちょっと引いたけど。
「そういうのは誰にでも手に入れられるじゃん。もっとこうさ、お宝的な? 関係者以外立入禁止的な?」
「そんなのあったかなあ」
とりあえずスマホのアルバムを開いて、一枚ずつめくってみた。珍しいけど流出しても当たり障りがないようなものは…。あ、あった。
「こんなのどう?」
と言って、垂井にスマホの画面を見せた。自撮りした銀河さんとのツーショット写真。これならどうだ!
「これってこの前の大盤解説会の時のプライベートショット? もうちょっと露出高いのはないのかな。露天風呂に入ってる奴とか」
「そんなものは、ない!」
「しかたねーな。これで我慢するか。これはこれで、裾をまくりあげているところがなんとも言えないし。う~ん、これは絶品だ!」
「はあ、あんた、その写真絶対に他の人に見せたらダメなんだからね」
「分かった分かった。秘蔵のコレクションに加えておくから誰にも見せないよ」
「…。あんたの秘蔵コレクションって、中身を想像するだけで背筋が寒くなるわ。ああ、そんなところに銀河さんの写真を加えるなんて…」
「大丈夫、もう千鳥女流のフォルダはあるから!」
「ぜんぜんだいじょうぶじゃない!」
家に帰って夕飯を食べ終えた頃には、すでに垂井からのメールがパソコンに届いていた。なんだ。すぐにできるじゃない。
早速添付ファイルを解凍して中を開けてみると、かなりの数のファイルが入っている。とりあえず一番新しい日付のものを、うちのパソコンにインストールしてある将棋ソフトに解析させてみることにした。ソフトが推奨する手と実際の指し手が一致する割合が多いとアウトらしいんだけど、どうだろう。
えっ!? 69手中62手が一致!? さすがに高すぎるような…。相手の人は50%ぐらいだし。他の棋譜も試してみたけれど、どれも85%~90%ぐらいでソフトの指し手と一致している。これって、やっぱりソフトを使って指していたのかな。
そう言えば、正月に桂太と指した将棋はどうだろう。その時の棋譜を思い出しながら入力し、ソフトに解析させてみた。
「なにこれ…」
結果を目にして、背筋に寒気が走った。
あの対局で桂太はわたしの『眠り香子』の技を真似してみせた。その次の手から、ソフトの指し手との一致率が100%だったのだ。これは一体どうなっているの!?
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