第10話 温泉

 わたしと銀河さんは、小雪がちらつく温泉街を浴衣姿で歩いていた。

「銀河さん、やっぱり冬にこの格好だと寒いですよ~。はやく旅館に戻りましょうよ」

「あたしにはちょうどいいけどね♪」

「それは銀河さんがお酒飲んでるからですよ」

「だいじょぶだいじょぶ。北国の人って実は寒さに弱いっていうけど、本当なのね。ここまで来たのに間欠泉を見ないわけにいかないでしょ。ほら、もうすぐお湯が吹き出る時間だよ」


 明日は鳳将戦第3局。銀河さんは大盤解説会の聞き手、わたしはそのアシスタントとして、対局の前の晩に行われる前夜祭に呼ばれていた。それが終わってお風呂に行こうと思っていたところを、銀河さんにひっぱりだされて、真夜中の氷点下の雪道を一緒に歩かされていた。

 銀河さんが今回務めている「聞き手」というのは、将棋を解説をする棋士のアシスタントのようなもの。わたしはさらにそのアシスタントという立場だけど、タイトル戦を戦う二人のことについて雑誌やインターネットで調べたり、直近の対局について棋譜を並べて傾向や棋風を覚えたりと、予習しなければならないことはたくさんあった。それらに没頭していると、その間だけ余計な心配から逃れられるような気がした。

 そしてなにより、こうやって銀河さんと一緒にいると、なんだかんだいっても気持ちがとても落ち着くのだった。最近は将棋も負け続けたりしてあまりいいことがないので、良い気分転換になってくれそうな気がした。


 それにしても寒い。

 旅館の人が外に出るわたしたちのために浴衣の上に羽織るために綿入りの半纏を貸してくれたけれど、そんなもので凌げるほど北国の冬はヤワじゃなかった。ブルブルと震えながらしばらく雪道を歩いていって、ようやく目的地である公園に辿り着いた。


 公園の中心にある間欠泉の吹き出し口は見事にライトアップされていて、静かに降り積もる雪とあいまって、幻想的な雰囲気をかもしだしていた。

「周りの人、カップルばかりだね…」

「そう、ですね…」

 まるで寒さを口実にしてるみたいに、みんな手をつないだり身を寄せ合ったり必要以上にベタベタとしていて、女ふたりで来ているわたしたちは、場違いな気がしてならなかった。

「こういうとこは、カレシと一緒に来ないとダメかな~」

 ぼそっと銀河さんが言った。

「カレシって、銀河さん付き合っている人いるんですか?」

「いい男がいればいいんだけどね。ナリコちゃんはどうなの?」

「え!わたしですか!? わたしは、そんな…」

「その反応は、心当たりがあるということかな~?」

 そう言って銀河さんがニヤリと笑った瞬間、まるで火山が噴火するような、どーん!という音とともに間欠泉が吹き出した。

「「ひゃっ!」」

 激しい音にびっくりして、お互いに相手にしがみついてしまった。

「いや~ん、カップルみたいになっちゃったね」

「は、離してくださいよ~」

「ナリコちゃんの体、あったかいね」

「やめてやめて」

「っていうか、寒いかも」

「え!?銀河さん?」

「やばいちょっと震えてきたかも」

「明日本番なのにマズイですよ!早く旅館に戻りましょう」

「ざぶい~」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「本日は悪天候の中、お集まりいただきありがとうございます。大盤解説を始める前にみなさんにひとつ残念なお知らせがありまして、本日聞き手を務める予定でした千鳥女流二段ですが、体調不良のためお休みさせていただきます」

 解説の野村八段がそう言うと、お客さんからは「そんなー」とか「銀河ちゃんを見たくて遠くから来たんだぞ」などの不満の声が上がった。

「えー、その代わりピンチヒッターに、地元出身の成田香子アマに来てもらっております」

 間欠泉の夜が明けて午後1時。いよいよ大盤解説会が始まったのに、昨日の無理がたたった銀河さんは朝から39度の熱を出して寝込んでしまっていた。と、いうわけでわたしは「聞き手のアシスタント」から「聞き手」へと昇格することになってしまったのだ。

 野村八段の挨拶を合図にわたしが頭をペコリと下げると、お客さんからは「それならオッケー」「カオルコちゃん応援してるよ!」などの声が上がった。

「彼女は去年のアマチュア龍神戦で優勝し、現在は龍神戦トーナメントに参加して若手の強豪2名を破る快進撃を続けており、プロ入りは確実として、将棋界で初めての女性の名人となることを期待されている注目の棋士です。今日はよろしくね」

「は、はい!」

 声が裏返ってしまったわたしを、お客さんからの拍手が洪水のように包んだ。「頑張れー」「野村さんが聞き手やりなよ!」みたいな声もそれに続いて、いたたまれなくなったわたしは下を向いてしまった。

「ほんとねー、この子はこんなウブな顔して、将棋がえげつないんですよ」

「え、えげ??」

 思わず野村八段の顔を見ると、彼は至って真面目な顔をしている。

「この前の来島くんとの対局もすごかったでしょ?みなさん見てた? ぼくは来島君相手に負け越してるんだけど、その彼に一つも隙を見せないで勝ち切っちゃうんだから、ほんとえげつないよねー」

「そ、そ、そんな!」

「だから今日はぼくは聞き手。成田さんはぼくより強いんだから、解説頼んだよ」

「困ります!わたし解説とかしたことがなくて」

「え、本気にした?本気にしたらダメだよ~。解説する分のギャラはもらっているんだから、ぼくの仕事を取らないで!」

 わ、わからない、この人がどこまで本気なのか分からない…!

「そ、それじゃあ、解説の方お願いします」

「いいよ。女子高生からの頼みと来たら断れないからねえ。えーと、先手の渡会鳳将が二連勝で迎えた第三局、ここから挑戦者の田浦先生が巻き返しをはかれるか、というところなんですが…」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ふへー、仕事の後はやっぱり温泉よね」

「銀河さん、温泉なんて入って大丈夫なんですか?」

「だいじょうぶよ~、病院で点滴打ってもらったら逆に元気になっちゃってさ」

 昨日の外出がたたって39度の高熱を出した銀河さんだったけど、病院に行ったらすぐに治ったとのことで、大盤の前でわたしが固まっていたところにさっそうと登場してピンチを救ってくれたのだった。


 その後は当初の予定通り銀河さんに聞き手を努めてもらって、大盤解説会は盛況のうちに終えることができた。

 対局は渡会鳳将が三連勝で防衛を果たし、対局後のパーティーに参加していたところを銀河さんから「これから酔っぱらいだらけになるから、疲れたとか言って抜け出しちゃおうよ」と誘われて露天風呂にやってきていた。

「解説会で黙っちゃった時、銀河さんが来てくれて本当に助かりました」

「ふふふ。病院から戻ってきたらカチンコチンになっちゃってるから笑っちゃったわ」

「はあ、わたしダメですね。せっかくのお仕事もうまくいかないし」

「誘わないほうが良かった」

「そんなことないです! タイトル戦の緊張感も味わえたし、すごく楽しかったし…」

「楽しかったらいいんじゃない?」

「そう、ですか?」

「そうよ。自分が楽しくなければ意味が無いの。仕事も、勉強も、将棋も」

「将棋も、ですか。でも最近、将棋を指していても楽しくなれないんです。苦しいばかりで、全然思うとおりに指せないし」

「なにか悩んでいることがあるの?」


 はっとして銀河さんを見た。

 言ってしまおうかな。全部。魔法の国のことも、わたしの能力のことも。全部話してしまえたら楽になれそうな気がした。

 だけど、口から出てきた言葉はちょっと控えめなものだった。


「銀河さんは、もし自分に、他の人にはない超能力みたいなものがあったらどうしますか?」

「超能力? 例えばどんなの? 好きなだけビールが飲める能力とか?」

「はあ、まあそれでいいです。でもそれってずるくないですか。他の人がえーと、お金を払ってビールを飲んでいるのに、銀河さんだけ飲み放題だなんて」

「うーん、そうね。でも、ほかの人に遠慮して飲まないんだったらもったいないよ。わたしだったら気にしないな」

「その方が、楽しいからですか」

「うん。それにね、人より優れている能力があるのに使わないのって、おかしいと思うの。私ってほら、美人じゃない?」

「え、あ、はい。そうですけど、自分で言いますか」

「ヨソでは言わないわよ。でね、もし美人の私が、垢抜けない田舎の女子高生と一緒にお仕事することになったとして、」

「それってわたしのことですよね!」

「まあまあ。も・し。仮定の話よ。まあそんな感じで私のほうが美人でも、『あー、この子に悪いからオカメのお面を被って仕事をしよう』とは思わないじゃない」

そう言って、銀河さんは手ぬぐいで額の汗をぬぐった。

「なんか喩え話に納得出来ないけど、でもまあ言いたいことは分かります」

「まだ若いんだから、失敗を恐れずにやるだけやってみなよ」

「銀河さんだって若いじゃないですか。4つしか違わないですよ」

「これでも女子高生の時とは違うのよ! ほら、この、肌! つるっつるじゃない」

「あ、やめてください銀河さん、くすぐらないで、やだ、そんなところ」


 湯船の中でくすぐられて暴れていると、露天風呂の扉がガラガラっと開き、旅館の人が入ってきた。

「あの~、0時で男湯と交換になるんで上がってもらえませんか?」

「じゃあどうする? 向こうで続き、する?」

「結構です!」

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