第9話 学院

 タルージャの案内で魔導学院までたどり着くと、入り口の横に立っているライムの姿が見えた。

「遅かったねカオルコ。欲しいものは買えたかい?」

 それからライムは、わたしの隣にタルージャがいることに気がついた。

「あれ、タルージャじゃないか!どうして一緒に?」

「この子が財布を盗まれて困っているところに偶然通りがかってね」

「そんなことがあったのか!タルージャ、君のお陰で助かったよ」

「いやいや、そのお陰で君と出会うことができたんだ。偶然に感謝しないと」

そう言ってタルージャとライムはしっかりと握手を交わした。


 旧友との再開を果たした二人は、しばらくお互いの現況について情報交換をしていたけれど、立ち話もなんだからと学院の中に入ることになった。

 学院の内部は、事前にわたしが想像していたような魔法っぽいイメージとは全然違っていて、木々が広がる森林公園のようになっていた。人が入れるような建築物といえば敷地の中央にそびえ立つ白い石造りの高い塔しかないみたいで、道沿いにはベンチや花壇、噴水なんかが並んでいて、都会の中の自然のオアシスという感じ。

 魔法使いっぽい人も歩いているけれど、どちらかといえば散歩をしている街の人々の方が多いくらい。

「魔導学院ってもっと怪しくておどろおどろしい雰囲気があると思っていたけど、なんだか公園みたいだね。ここには教室とかないの?」

 不思議に思ってライムにたずねると、

「あの人を見てごらん」

 と、道端の彫像を指さした。

 見ていると彫像の前に光るゲートが現れ、そこからローブを着た魔法使いっぽい人が姿を現した。なるほど!ライムとわたしが出会ったあの場所みたいなところに教室があるんだ。

「魔法の実験は危険を伴うことも多いから、教室は別の次元にあるんだよ」

 たしかに、よく注意してあたりを見ていると、突然道端から現れたり、またいなくなったりする人が結構いることに気がついた。

「この子は魔法使いなんだろう?こんな仕組みも知らないのかい」

 わたしとライムとの会話を聞いていて、タルージャがいぶかしげに眉をひそめている。

「フランメの街の学校にはこういう仕掛けが無いから、新鮮なんだろう」

 そう言ってライムは、わたしだけに見えるように片目をつむってみせた。


 敷地の中をそのまままっすぐ進んで、わたしたちは中央にそびえ立っていた塔までやってきた。塔の内部も違う次元の中にあるみたいで、扉を通って中に入ってみると、外から見える大きさよりも何倍も広い空間が広がっていた。

 上を見上げると天井が見えないぐらいに高く高く上に伸びていて、空中に浮かんでいるミニチュアの星々が塔の内部を柔らかな光で照らしている。

 塔の1階部分は売店になっていて、護符や杖などを買い求める人々で賑わっていた。わたしたちは螺旋階段を上って、2階のテラス部分にある喫茶コーナーへと向かった。


 注文の飲み物が揃うと、タルージャは待ちかねていたように口を開いた。

「久しぶりの再開で話したいことはたくさんあるんだが、その前に相談したいことがあるんだ」

「今回の大会のことだな」

「そうだ。いくら100回目の節目であろうと、全ての守護魔導師を一斉に王都に集めて戦わせようなんて、言語道断だ。この隙に他国の軍勢が攻め込んできたらどうしようというのだ」

「そのことでわたしも先ほど学院で聞き込みをしていたのだ。どうやら、評議員のメンバーたちと貴族たちとの間で動きがあるようだ。今回の大会には単なる腕比べではなく、何か隠された目的がありそうな気がする」

「ねえねえ、評議員ってなに?」

 先ほどから話題に置いてけぼりなわたしは、退屈になって質問をしてみたんだけれど、よっぽどおかしなことを聞いたのか、タルージャがびっくりした顔をしてわたしを見た。

「本当にこの娘は何も知らないんだな!」

「まあまあ。田舎から出てきたばかりだからな」

 ライムはそう取りなしてから、わたしに向かって説明を始めた。

「この国を支配しているのは王様だけど、王様一人で全ての領土に目を行き届かせることはできない。その代わりに地方は貴族が治めている。ここまでは分かるね」

「うん。大丈夫」

「貴族は自分たちの軍隊も持っているし、住民から税金を集めたり働かせたりする権利も与えられていて、他の国から攻撃されないように備えているんだけど、彼らが力を持ちすぎれば謀反を起こしたり、他の国に寝返ったりするかもしれない。それを防ぐためにぼくら護衛魔導師が派遣されているんだ」

「我々が兵士の代わりに街を守れるなら、余計な軍隊は必要ないからね」

 と、タルージャは付け加えた。その間にライムはお茶を一口飲んで、一息ついてから説明を続けた。

「誰を派遣するかを決めたり、貴族が悪いことを企んでいないか調査したりするのが魔導学院のトップである評議会なんだけど、最近そのメンバーの中に、密かに貴族と接触している人間がいるらしいんだ」

「そんなことをしたら、監視役の意味が無いじゃない!」

「そう。本来なら王と貴族、魔法使いは相互に牽制しあう仕組みなんだ。それなのに、一部の貴族と魔法使いが手を組んだということは…」

「ハハハ。分かったぞ。だから貴殿は、一番弟子であるラクテア殿を残してこのような小娘を連れてきたのか」

 わたしたちの会話を聞いていたタルージャは、そう言って面白そうに笑った。

「なるほど、この機会に誰かが暗躍することを恐れて防備のために彼女を残し、大会での結果は捨ててしまおうと。そういうことか」

「いや、私は優勝する気でいるが」

「まあまあ、建前は分かったよ。しかし残念だなあ。貴殿ともう一度、本気で戦ってみたかったのだが」

 一人で勝手に納得して、やれやれと首を左右に振っているタルージャを見て、ライムはニヤリと笑ってこう言った。

「そこまで言うのなら、勝負してみようか」

 そして手を叩いてメイドを呼び、魔棋の盤を持ってくるように言いつけた。

「ほほう。模擬戦とはいえ、貴殿と戦うのは久しぶりだなあ。腕がなるよ」

「いや、相手をするのは私ではない、カオルコだ」

「ええっ!わたし?」

「タルージャから小娘呼ばわりされて悔しくないのか?」

「それはもちろんそうだけど…」

 本当は、こんな奴から小娘と言われた時から頭にカッと血が上っていて、今だって口ではこんなことを言っているけど戦う気は満々で、頭のなかの半分はすでに、どうやって打ちのめしてやろうかのシミュレーションをし始めていたのだった。


わたしの表情がやる気十分なのを見て、ライムは財布から金貨と銀貨を10枚ずつ取り出して、わたしたち二人に手渡した。

「ここでは魔法が使えないから、便宜上、これを体力の代わりにしよう。S級魔法は5点、A級は3点、B級は1点として、先に10点取られたら負け、と」

「もちろん、玉将ウィザードが取られても負けよ」

 と、わたしはライムの説明に付け足した。

「おやおや、師弟でずいぶんと乗り気だね。このお嬢さんと勝負をするのは構わないけれど、君と学年トップを争った実力を忘れたのかな?」

「よく知っているさ。ただね、最初に言っておくが、カオルコは私よりも強いよ」

「ほう!それはなかなか興味深いな。それではカオルコ殿、勝負を盛り上げるために、一つ賭けをしないか?負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くというのはどうだい?」

「ええ、構いませんわ」

「それじゃあ私が勝ったら、一日私とデートをしてもらおうかな」

そう言ってタルージャは、わたしに向かってウィンクを飛ばしてきた。わたしはその飛んできた何かをを手で払いのけて、

「ではわたしが勝ったら、さっきのスリ騒ぎのことはなかったことにしていただけませんか?」

 と言った。

「なかったこと、というのは?」

「貸し借りなし、ということでお願いします」

「ははは。ずいぶん気位の高いお嬢さんのようだな。そういうのも嫌いじゃないよ」

 嫌味を言ったつもりが逆に微笑みかえされて、全身に寒気が走った。紳士的に見えて面の皮が厚いあたりが、やっぱり現実世界の垂井と共通点があるんだなあ。


 魔棋の盤と駒が運ばれてきて、いよいよ対局が始まった。

タルージャが紳士的に先手を譲ってくれて、それに甘えるわけではないんだけど、試してみたい戦法があったのでありがたくその申し出を受けさせてもらうことにした。

 わたしの初手は角道を開く7六歩。それに対して、タルージャもわたしと同じように3四歩と角道を開けてきて、まるで普通の将棋みたいな始まりになった。将棋指しなのに、将棋を指されて驚くなんて変かもしれないけど、魔法の国ではちょっと珍しい。


 事前にライムから説明を受けていたんだけど、魔棋の基本的な戦い方は、自分の駒を繋げて魔力を貯め、魔法を使うことにある。例えばライムやミルシュさんは、自陣だけに手を入れてこちらの動きにはほとんど注意を払わない。こういうタイプを「純粋型」というそうだ。

 一方で、自分の駒を使って相手の陣地が広がるのを防いだり、動きの邪魔をするタイプの人もいて、そういう人は「妨害型」と呼ばれているとのことだった。タルージャはきっとそっちのタイプの人で、大駒で相手陣の動きを牽制しつつ、魔力を貯める作戦なんだろう。

 とはいえ、「妨害型」の人でもわたしみたいに、魔法を使わないで直接相手の玉を詰ませようとする人は皆無らしい。そういうのは「邪道型」とでもいうのかな。


 タルージャの3四歩を見て、わたしは桂馬を掴みとった。

 三手目7七桂。これが、わたしが用意してきた戦法だった。

「この形は…?」

 ライムがいぶかしげにつぶやいた。彼には簡単な定跡までを教えてあるので、自分で自分の角の通り道を防ぐこの手が、奇妙なものに映るんだろう。

「これは、"鬼殺し"よ」

 わたしは答えた。

「鬼を殺す?」

「そうよ。人が、ただの人が鬼を殺そうと思ったら、どうしたらいいと思う?」

「ただの、なんの力もない人間がかい?」

「ええ。そのためには、持っている力を一点に集中させて、相手の弱点を怒涛のように攻める必要があるの」

 タルージャが駒を動かしたのを見て、わたしは飛車を7八の地点へと移動させた。飛車と角と桂馬と歩が、一点を狙って集中攻撃をかけている。これが、『鬼殺し』だ。


 自分なりに魔棋の攻略法を考えた結果、超速攻で相手の陣地を崩すのが一番だと結論づけた。

 鬼殺しはハマれば強いけれど正しく受けられてしまえば逆にこちらがピンチになってしまう、言ってみれば初心者殺しのハメ技だ。だけどこちらの世界にはそのやり方を知っている人はいないはずだし、将棋で勝つよりもまず、大事なことがある。

それは、ライムを傷つけさせないことだ。

 どんどん攻めて駒を次々と交換していけば、相手の思うように魔力を貯めさせないことができる。相手に魔法さえ使わせなければ、ラクテアさんとの戦いの時みたいにライムを苦しめることを防げる。多少将棋で不利になったとしても、それは実力差でひっくり返すことができるはずだ。

 わたしはそう考えて、この『鬼殺し』を使うことに決めたのだった。




「この私が、手も足も出ない、だと…!?」

 タルージャはがっくりとうなだれた。普通の将棋に近い形になっただけあって、魔法を使わせる余裕を与えること無く詰ませることができた。

「ありがとう。おかげで自信がついたわ」

 ライムは純粋型として、タルージャは妨害型としてトップクラスの腕前のはずで、その二人に自分の将棋で勝ち切ることができて安心した。これなら優勝することもそんなに難しいことじゃないはず。

「ライム、これが貴様の切り札だというのか…?」

 タルージャがうめくようにして言った。

「そうだ。タルージャ、これまでの魔棋はもう古い。これからはこのような、”将棋”が主流になるだろう」

「しかしこれは…。このようなやり方が広まるのは私は反対だ」

「ほう、貴殿がそのようなことを言うとは思わなかったぞ」

「これは、これでは伝統が破壊されてしまう。魔導師の序列も何もかもが消え去ってしまう。魔棋は、強ければいいというものではないんだ。もっと高尚で、魔法の法則がそのまま形になったような美しいものであるべきなんだ」

「そうか、タルージャなら分かってくれると思ったんだがな」

「このような戦い方があると教えてくれたことには感謝する。だが私はこれを認めることは出来ない。それだけだ」

 そう言うとタルージャは席を立って行ってしまった。

「結構強情なのね、まだ若いのに」

「そう言うな。人にはそれぞれ価値観というものがある」

「将棋でもね、そういうことを言われた時代があったのよ。おかしな手を指すと『邪道だ』とか言われたり、挙句の果てに師匠から破門されちゃったり。でも結局今でも通用しているのって、そうやって生まれた新しい定跡なんだから」

 わたしの言葉を聞いてライムは微笑んだ。

「なにさ」

「いやな。カオルコ、それは結果を知っているから言えるんだ。いい方に変わった結果、カオルコがあるんだろう」

「それはまあそうだけど、さ」

どうしてこう、おじさんみたいなことを言うんだろう。

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